Nobuyuki Takahashi’s blog

2011年 5月 14日のアーカイブ

宮城県七ヶ浜 まごころ表札を届けよう

2011年 5月 14日

8:45 朝食などを済ませ、ボランティアきずな館のすぐ裏手にある武道館に行く。支援物資の置き場所になっていたようだ。張り紙だらけの段ボールの空き箱以外は中央にスペースがある。NPOレスキューストックヤードがコーディネートしている8陣ボランティアの皆さんにもお手伝いに加わっていただく。
床を汚さないように養生シートを床一面に敷く。現地の方で準備を進めてくれていた板材と私たちが名古屋で作成してきた原稿とをマッチングし、板材と原稿をセットにして いつでもワークショップに参加する人々に手渡すことができるよう設えておく。今回名古屋から同行した3人の学生は早朝、もっとも津波の被害が大きかった菖蒲田浜を歩いてきたようだ。それぞれの取り組み方を見ていると、身が入っているのがわかる。
9:45 ぞくぞくと七ヶ浜中学校の美術部の生徒さんらがボランティアセンターに集まってくる。事前にレスキューストックヤードとボランティアセンターと連携して呼びかけてきた成果だ。わくわくしてくる。何かがここで生まれる、その予感と臨場感。現場で携わる者だけが味わえることだ。これまで活動を支えてくれた人々の顔が頭をよぎる。さあ、はじめよう!!
レスキューストックヤードの浦野さんがこれまでの経緯、災害の概況にはじまり、仮設住宅とはどのようなところか、そして私たちのできることとは何か、がその場にいる者に問いかけられた。これから取り組むワークショップ「まごころ表札を仮設住宅に届けよう」のもっとも重要な根幹を参加者全員で共有する。
ここからバトンタッチ。ワークショップの進行は私たちやさしい美術が進める。
まず5つのグループに分ける。道具のシェアをスムーズにするためと、グループごとにやさしい美術のメンバーを置き、対応にあたれるようにするためだ。あらかじめ配布した原稿を板材にトレースダウンする方法を説明する。手法はいたってシンプル。手順の難しさを省き、作業に集中すること、心を込めて制作するプロセスに重きをおいた。色は描く人の自由。とは言っても読みやすさ、視認性は重要なので、板材と文字とのコントラストについては充分配慮するよう呼びかける。表札のベースになる板材は津波で流されてしまったWさんやKさんのお宅の土台を使っている。ところどころ穴があいていたり、釘の跡や傷、割れの入った材もある。それらは刻まれた記憶だ。人格を持った板―。ワークショップに参加している全員がそれをしっかりと認識している。というのも、参加している中学生たちも被災した当時者なのだ。
ワークショップの会場は笑顔でいっぱいだ。なぜ、皆これほどまでに明るいのだろう。私たちは正直戸惑ってしまった。しかしその笑顔の背後にたくましさとちからづよさ、海が育んだおおらかさがあることに次第に気付いていく。未来に向かって私たちは創造している。今この時を楽しむ。それはどれだけ楽しいかを測るものではなく、やりがい、いきがいに裏打ちされた爽快感だ。
全員が作業に集中していて、段取りが 思いのほかはかどる。計画したワークショップの方向性はさほど間違ってはいなかったと実感。
12:00 作業中断。昼食をとる。ボランティアの皆さんが炊き出しでつくったカレーを皆で食べる。食事中ワークショップの間は聞かれなかった会話が方々で始まる。被災した実体験の断片が聞こえてくる。人と人の間柄にある見えない壁はいっしょにご飯を食べることで解けていく。
1時間ほどの昼食休憩のはずが、30分もしたら、ほとんどの参加者が作業に戻る。皆、表札づくりに夢中だ。
14:30 作業終了。片付けをして後、それぞれのグループで今日の反省や感じたことを出し合い、それらのコメントを付箋に書き出しておく。NPOレスキューストックヤードはボランティア活動も、今日取り組んでいるワークショップにしても「共有」ということをとても重視している。感動、喜び、悲しみ、苦しみを分かち合う。とかく現れた結果のみに捕われることが多い社会において、プロセスと共有にスポットを当てる。私はこのこと自体とても強い共感をおぼえた。分野を越えて協働することの何たるかを、今私は学んでいる。
あれやこれやと興味がある領域に出かけてゆき、その手法と歴史に触れてくることは自分の専門意識を高める意味で意義があるのは確かだ。しかし、実のところ分野を越えて通底する人の創造力に触れることこそ、領域を越える意味があるのだ。災害支援とアートは協働することができる。そこには大いなる創造力が働いているから。「生きる」。その一点において、何者でもない、自分自身にかえり行動に移す。その一瞬、私たちを構築している様々なフレームは消滅する。
15:00 ワークショップを終える。私と卒業生の丸山、やさしい美術メンバーの山川、上田(春日)、上田(愛歌)の5名で、今回表札の板材となる土台を提供いただいたKさんお宅に行く。目を背けず、しっかりと見ておかなければならない。私たちがワークショップで使わせてもらっている素材は暮らしてきた人々の記憶であり、身体なのだ。
17:00 私は丸山らを菖蒲田浜におき、単身ボランティアきずな館に戻る。明日のためにレスキューストックヤードのスタッフらと打ち合わせておかなければならないことがたくさんある。戻ってみると、案の定浦野さんとMくんが打ち合わせ中だった。Mくんは地元のボランティアで、ご自宅や家族は無事だったものの、被災した住民の一人でもある。彼は材料提供していただいたKさん、Wさんと連携して製材や裁断などの作業を進めている。地元の人々と共に歩むこと。他人事ではなく、携わる人それぞれが「自分のこと」として関わっていく。それが足腰の強い取り組みにつながって行くのだ。
今後のワークショップの予定を話し合う。仮設住宅の入居は震災後の一連の危機的状況の延長にあることを忘れてはならない。そこに関わっていく取り組みが表札制作だ。
夕食後はできる限り早く寝袋に潜り込む。明日は徹夜で運転して名古屋に戻らなければならない。