Nobuyuki Takahashi’s blog

2011年 5月 17日のアーカイブ

ミーティングで語る

2011年 5月 17日

17:30 授業後、やさしい美術プロジェクトの定例ミーティングが行われる。今日は学生主導でガイダンスを行う。新しく参加したメンバーにプロジェクトルームの使い方を伝え、機材の使い方、道具類の収納場所などを伝える。
ガイダンスの後は通常のミーティングにはいる。主な議題、報告事項は宮城県七ヶ浜町、現地に行ったメンバーによる14日、15日に実施した表札制作についてだ。
ことばをゆっくりと選びながら自分の見てきたこと、感じてきたことを語る。等身大の彼女たちが発することばは鮮明だ。私が印象に残ったことばをここに綴っておきたい。

・菖蒲田浜は津波によってすべてが流されてしまい、ことばにならない衝撃を受けた。確かに現地に行って状況の凄惨さから感じ取ることは多かった。けれども津波がやってきたその瞬間に居合わせた人たちのことを思うと、自分はそこにはどうしても立てない、当時者にはなれないということがわかった。
・ 被災した当地に行くことに最後までためらいがあった。行きたい、何かできれば、という自分と、こんな自分が行ってもいいのか、迷惑にならないか、と心が揺れた。
・(ワークショップに参加する中学生が取材に来た記者さんを見て)七ヶ浜はあまりメディアに取り上げられていない場所。自分たちは見捨てられるのではないか、だれも見向きもしないのではないかと思った。もっといっぱい写真を撮ってほしい、という声を聞いた。

宮城県七ヶ浜町。私たちが見たこと、感じたことはある一点の場所に過ぎない。今回の震災の幾ばくかを伝えることができるとしても、到底全体を示すことにはならない。別の自分が自分に向かって浴びせる罵倒。「わかった気になるんじゃない!」「この役立たずが!」という声が私の中で反響する。きっと、一緒に七ヶ浜に行ったメンバー全員が私と同じような自問自答の中にいるだろう。

余談だが、大災害を受けた場所に行った人が帰ってきて後、些細なことで自分が責められている、という気持ちに陥ったり、現地について一切口をつぐんでしまう、ということがあるそうだ。それは「異常」な事態を目の前にした者が示す「正常」な人間の反応なのだそうだ。
阪神大震災以降、ボランティアの取り組みが組織化され、多くのノウハウを蓄積している。ボランティアをしている人々の心のケアもその一つだ。自分の中に悲しみや苦しみを過度に抱え込んでしまわないように、そして自分を責め立て追い込んでしまわないように。自分の中で解決できない感情の焰を絶やさず、置き去りにせず、なおかつ自滅させない。そうして長い時間をかけて取り組み続ける足腰を獲得できるのかもしれない。
学生たちの語ったことばには一人一人の苦悩がにじんでいた。でも、その向こうで希望の光を仰ぎ見、前に進もうとしている彼女らの姿が私には見えた気がした。