Nobuyuki Takahashi’s blog

2011年 7月のアーカイブ

たとえば、ゴールデンレコードのような

2011年 7月 15日

現在進行形で大島を見てもらいたい。
しかも、それは有限と言わねばならない。ハンセン病患者の強制隔離の歴史は受け継がれるべくもないが、明治42年開所以来の営みの火はいつか、消える。

ハンセン病療養所13カ所のうち、唯一の離島、大島。

大島を「地球」と喩えてみる。大島が浮かぶ海は大宇宙だ。
敢えて喩えるならば、1970年代に地球から打ち上げられたパイオニアやボイジャー探査機に積載されたゴールデンレコードをイメージしてみる。地球外知的生命体がある日、広大な宇宙の海原で探査機の断片を発見した時、それらのディスクが地球の存在、人間の文化や生活を伝える。

本当に何者かが受け取ってくれるだろうか。仮に受け取ってくれたとして、どのように受けとめてくれるのだろう。何が伝わるのだろう。そして、その何者かは私たちに遭いに地球に来てくれるだろうか。

最近、大島に行くと、太陽系の外へと飛行を続ける探査機に載せられた金属板のことが頭を離れない。

7月8日、やまももの実を収穫

時にはゆっくりと考える

2011年 7月 13日

大島 野村さんの空気

右足の腫れがようやく引いてきた。激しく屈伸する動きには痛みが伴うが、もう少し様子を見て、適度に運動を取り入れた方が良さそうだ。完治までもう少し。

私たちが携わった表札プロジェクトは被災した、かの広大な地域で、それぞれの事情に合わせて実施されているようだ。私にも何件か相談があった。
私たちの表札プロジェクトの主役は私たちアーティストではない。その地域に暮らしている人々であり、仮設住宅に入居する方々である。大地を耕すように「つながり」のしくみが根付くことを祈りながら、私たちアーティストは働く。

最近、やさしい美術を通して、人との距離感、場と接触する際の肌合い、自己の置き場や没入の仕方が独特なのだと実感する。近寄ってみれば事象の振動に共振するかように手に取るように感じられる。だが、いったん距離を置き、事象の外側に立つと遠くかすんで捉えどころなく表すことが難しい。いわば当事者同士だけの閉じられた充実感なのである。しかしそれだけでは終わらない。それはゆっくりとその周囲をあたため、溶かし、新たな間柄がかたちづくられていく。

大島での取り組み{つながりの家}。やさしい美術らしい充実度の空間は、泉と井木が運営しているカフェ・シヨルですでに実現しつつある。しかし今後私に課せられていることは、これまでとは異なる、深くそして遠くに浸透していく熱の伝達方法を編み出すことなのだ。ずっとこのかた早くせねばと焦っていた。体調を崩した今はペースダウンしてゆっくりじっくりと自身の中で醸成するのを待とうという気になってきた。
およそ伏線があるとは思えない、それぞれの取り組みが一本の糸のように紡ぎだされてくる予感だけは確かに感じる。

足がもぎ取られる

2011年 7月 6日

6月17日(金)発達センターちよだでワークショップを行った日のこと。
右膝に激痛が走り、動かすこともできず、紙切れが触れるようにあたっても痛みが走るほどに。6月24日、25日の宮城県七ヶ浜町行きを断念し、睡眠をしっかりとるようにした。足をもぎ取って休ませようと身体の方からストップがかかった。心に身体が伴走できず悲鳴を上げた。