Nobuyuki Takahashi’s blog

妻有 とんぼがえり

昨日妻有から名古屋に帰ったかと思ったら今日妻有に戻る。
午前中は昨日の「デザインの間ディスプレイプロジェクト」の書類を整理する。家族で栄町に出て、長男慧地が参加している書道展を観に行く。朝一番だったからか、ギャラリーに人気はない。ちなみに慧地の書は「牛」。堂々としていて誠実な印象。昨年は「恐竜」だった。きっとほんとはウルトラマンとか、ガンダムとか書きたかったんじゃないかな。
現像所にフィルムを預け、名古屋駅前の家電店に寄ってフィルムと露出計用の電池を買いに行く。この電池が特殊で厄介だった。しかも店員さんがメーカーに問い合わせるも的が得られず、1時間もロスしてしまった。
13:30 新幹線に乗り込み、十日町に向かう。
18:30 やさしい家に到着。
この数日いただきものが多くて、ほとんど食材を買わなくても食べて行ける。浅野のご家族が差し入れてくれたハヤシライスと近所の方からいただいたパイを食す。
食後に川島と私の二人で「今日のミーティング」。やさしい家の運営について、報告事項を確認し、検討事項の対策を練る。そして明日の役割分担を決めて行く。
川島が応対したお客さんの何人かは取組みの内容について突っ込んだ質問をされる方がいた、という報告を受けた。その中で特に印象に残ったのは「地域に開かれた病院って、どのようなことですか?」という質問。
このことについて川島と私とでディスカッションをした。
病院はまず、「開いていない」ということを確認した。新しい病院を除き、どの場所でもどの地域でも病院という施設は同じような箱で変化に乏しいものとなっている。どのような日差しがあって、どのような風が吹いていて、どのような風景があるのか。そのような配慮は病院の建築にはほとんどなされていない。私たちやさしい美術は地域の外からやってくる。その時に見る風景、その季節に咲く草花、雲の動きや日差しなどを感じながら病院に入って行く。閉ざされた病院という施設に風穴をあけ、院内に人がいる風景を作って行く仕事。それがやさしい美術ではないか。
病院という無機質な箱は美術のホワイトキューブと似ている。ホワイトキューブを否定しているのではない。美術が成立するために必要な空間では必ずしもない、ということを私は言いたい。また、ホワイトキューブが完璧に閉じられた空間でなければ、アーティストの感性を刺激して、場とアーティストが相互に影響を与えながら制作が進む場合もある。
やさしい家をオープンし、一般公開するとたくさんの来場者の方々から質問や感想が寄せられる。そうしたところから、まとまっていなかった考え方がまとまってきたり、自分たちで構築してきた方向性を再考するきっかけになるものだ。人の感じている感覚に触れることで自分自身を鏡で見ている。

十日町駅に降り立つと芸術祭のブースに出会う

十日町駅に降り立つと芸術祭のブースに出会う

やさしい家のポスターが貼られている。

やさしい家のポスターが貼られている。