Nobuyuki Takahashi’s blog

生まれてくる理由

山川冬樹さん愛用の楽器

山川冬樹さん愛用の楽器

今日、横浜からあの人がやってくる。
山川冬樹さんにレクチャーをお願いするようになって4年ほどが経つ。
毎年、同じ内容をお願いしているが、山川さんも進化しているので、その探求の深度が前年よりも確実に深まっていると感じる。
山川さんはホーメイの歌手であり、アーティストである。彼の言う「音」とは反響と共鳴を引っ括めた「声」のことである。
前年のこのブログにも書いたが、彼が「声」にこだわり続けるのは、彼のお父様の存在がベースにある。今日、そのことが初めて山川さん自身から語られたことが、私には新鮮だった。
釜山ビエンナーレで発表した作品は、ニュースキャスターだった父、山川千秋氏が登場する、映像と音響のインスタレーションだ。それは父へのノスタルジーがきっかけで制作されたものではない、と山川さんは断言する。声と身体への即物的な興味、身体の連綿とした記憶や形体に刻まれた、動きようのない「遺伝子」を表出させ、遺伝子で声を発すること=父の声でパフォーマンスすることを彼はこのインスタレーションで試みている。
作品の概要、概観を説明するのはむずかしい。私が唯一言えることは、「時間軸の逆流」。
食道がんで声を失い、懸命な闘病もむなしく亡くなった山川千秋氏の遺したものはメディアにのった声であり、膨大に記録されたカセットレコーダーによる録音テープである。その声が発せられた当時には幼い山川冬樹さんがいた。もちろん、父、千秋氏は息子が歌手になるとは想像もしなかっただろう。録音テープには単純な音声のみでなく、感情までも記録しているはずだ。それを読み解いたり、感慨にふけるのではなく、純粋に遡った遺伝子=自分の声=父の声としてあぶり出しをしているようにも感じる。
ナットキングコールの娘、ナタリーコールが亡き父の声とデュエットした「アンフォゲッタブル」という歌がある。これも時間軸の逆流。
現代のメディアであるからこそ実現できる、時間軸上の往復は、過去のものとのコラボレーションを可能にするが、その重みを忘れてはならない気がする。
山川冬樹さんの作品にはその重さが感じられたのが、とてもうれしかった。
生まれてきた理由はどこまでいっても語られない。それは見えるかたちで説明するものとして目の前に現れることはないだろう。死ぬまで「私」という存在にくっついて離れず、自身とともに向こう側に持って行くものかもしれない。感じるとしたら、それは「私」ではなく、他の誰かであり、周辺に起こる、些細な現象の中で時折ふと香るものなのだろう。