Nobuyuki Takahashi’s blog

妻有 涙のおつかれさま会

最後の妻有往復バス。
大地の芸術祭が終了して、今回のバスの運行はやさしい家の後片付けおよび現状復帰、十日町病院での研究会と作品回収が主な目的だ。
やさしい家は樋口さんからお借りしていたお宅である。今回の妻有行きですべての作品、機材、滞在に必要な日用品などをすべて引き払ってくる。樋口さんに一言ごあいさつ申し上げなければならない。

近所の子どもたちが遊びに来たやさしい家も終わり

近所の子どもたちが遊びに来たやさしい家も終わり

14:00 まずはやさしい家に着く。わずか10日間ほどで、やさしい家に生活感が失われ、空き家の面影が醸し出されている。荷物を置き、十日町病院へ。
14:30 研究会の前に回収作品や10月まで展示している作品、寄贈作品のメンテナンスと写真撮影を行う。
15:00 研究会を始める。冒頭にサプライズが。病院からの感謝状をいただく。代表して川島が受け取る。
今回の取り組みの成果を振り返るために各自でまとめた報告書をもとに制作のプロセスから展示に至るまでを振り返り、どのような成果が得られたのか、各々の気持ちの変化はどのようなものだったのかを発表した。高橋事務長から「すばらしい成果報告ですね。先生の指導があってのことでしょうね。」とおっしゃる。私は今回の報告書には一切手を付けなかった。できるかぎり一人一人のことばできちんと報告してもらうことが大事だと考え、意識的にアドバイスを行わなかった。そのことを研究会参加者に告げ、「すべて学生とスタッフが自主的にまとめあげたものです。」
メンバーらの発表はそれぞれの成果を見つめ、それを自分がこれからどのように活かして行きたいかという情熱にあふれていた。それを、病院の皆さんは聞きたかったに違いない。
研究会を終え、観光交流館キナーレに行き、温泉につかる。
18:30 いつも懇親会を行ってきた、いつものお店に着く。今日は懇親会ではなく、お疲れさま会、打ち上げ会だ。看護師さん、ドクター、事務職員の皆さん十日町市役所の皆さんといつものように楽しく食べ、語らい、杯を酌み交わす。研究会で話せなかったこと、相談できなかったことが、このような宴の場で繰り広げられ、交流と親交は深まって行った。今日の席は一際皆さんの笑顔が輝いている。私の乾杯のごあいさつとして「前回の打ち上げ会の時は涙がとまらず、何もコメントできませんでした。実は今もその時と同じ気持ちです。この席をおわりでなく、始まりとしたいと思います。」
私は津島のお酒「長珍」と奥三河の「蓬莱泉」を持参。新潟の多くのお酒が水のような口当たりであるのに対して長珍は辛口でぴりっとした舌触り。なかなかの好評。
泉澤さんが中締めで「皆さんが名古屋に帰ってこころにぽっかりと穴があいたようです。」とコメント。見送られるよりも見送る方がずっとさびしいと思う。泉澤さんは電車の都合で会場をあとにする。
驚くようなスピードで一升瓶が空になって行く。芸術祭の50日間とその準備期間の1年間。いろいろなことがあった。ひとつひとつ思い出しては目頭が熱くなり、充血した目のメンバーもいる。
デザイン集団でんでんのメンバーとお酒を飲みながら話する。でんでんのチームワークの良さとギブアンドテイクの鮮やかさはこのブログでも書いたが、私のうかがい知れないところで紆余曲折あったようだ。ミーティングで「でんでんでデザインするとはどういうことか。」「やさしい美術に関わるとはどういうことか。」「でんでんとは一体なんなのか。」根本的な問題点に行き当たり、お互いの腹の内をぶちまけて話し合ったことがあったそうだ。一人泣き、二人泣き、皆で泣きながら過ごした日々。そんな日々が背景にあったとは。単に仲良しグループだったでんでんはお互いの個性をぶつけ合い、協調しながら大人のグループへと成長したのである。5年後、10年後、でんでんの何人かが再び出会い、仕事を一緒にする時がきっと来る。私の予想だ。
最後に高橋事務長と経営課井澤さんからごあいさつがある。
「ランニングでやさしい家の前を通ると、いつも家から聞こえてきたやさしい美術の皆さんの笑い声が聞こえない。夜にいつも見られた映像上映もない。とてもさびしい…。」とおっしゃる。
続いて井澤さんからのコメントは「事務長が挨拶してたら、こみ上げてたものがおさえられなくなりました…。」
堰を切ったかのように流れる涙。
印象に残ったのは、「皆さんは十日町の住民に受け入れられました。」という言葉だった。そう、私たちはたった50日間だが、ここ妻有地域に暮らし、仲間と1つ屋根の下寝食を共にした。ここで生活することで、私たちは受け入れられ人々に支えられてきたのだ。前回の大地の芸術祭で非公開で行ったプロジェクトはそれを礎にさらにその枝葉を伸ばし、地に根を張った。やさしい美術プロジェクトのメンバーはこの感謝の気持ちと充実感をけっして忘れないで欲しい。
私の涙は次にとっておくことにした。これは、始まりである。