Nobuyuki Takahashi’s blog

小牧市民病院 協働することとは

毎日時間を見つけて仕事をこなしていたわりには、仕事がどっさりたまっている。大学に着くと学生からじゃんじゃん制作や課題について相談がある。なんでも力に任せてやってしまう悪い癖が出て、学生が持参した機材を壊してしまう。本当にごめんなさい。
夕方、学生の相談から解放(?)されて17:00プロジェクトルームに行くと、プロジェクトルームでは明日の統計学ワークショップの準備、資料整理で大わらわだ。僕がいないあいだもスタッフたちがしっかり取り組んでくれている。GPの恩恵は私の分身=スタッフ(失礼!)が周囲に気を配り、病院にまで配慮が行き届くことだ。ほんとうに助かっている。

5点展示したうちの2点

5点展示したうちの2点

私は川島と小牧市民病院に向かう。私が制作した写真作品「light」を設置するためだ。ディレクターの私が制作にかかっていてはいけないのだが。以前小牧市民病院へ搬入を約束していたアーティストが年度中に完成できないと言って来た。小牧市民病院とは委託契約を結んでおり、契約違反だ。困ったすえに私が作り貯めてきた写真作品を急遽展示することになったのが、実のところこの写真作品を展示するはじまりだった。
今回展示した写真の多くは私が飛び回って撮って来た写真で、妻有、大島、佐久島、自宅など私の日常の一場面を切り取ったものだ。
展示場所の食堂に行き、まずは梱包を解いて壁に沿って仮置をしてみる。川島も的確に意見をくれる。配置が決まり、展示用のワイヤーを壁面に掛けて行く。高さの調整、作品同士の間合いも大切だ。最後のところは定規ではかるのではなく、目見当で決定する。それが一番正しい。ちょうど展示作業をしているとき、小児科外来の看護師さんが食事をとりながら私たちの作業の様子を見ていた。私が軽く挨拶をすると「作品の配置や並び順も検討して展示するんですね。」と感心される。私たちにとってみれば当たり前のことが病院で働く人々には新鮮に映ることもある。

花環と背骨のリングが交互に提がる商店街での作品展開 ※撮影:怡土鉄男

花環と背骨のリングが交互に提がる商店街での作品展開 ※撮影:怡土鉄男

もう15年ほど前だが瀬戸市の商店街のアーケードに作品を展示したことがあった。人の背骨(型取りした模型)を環にした作品をアーケードに提げるプランを提案し、瀬戸市から助成金をもらって展示したものだ。展示作業は商店街の若い衆が総力を挙げて手伝ってくれた。すべて展示が終了したかにみえた夕暮れのことだ。私は全体を見渡し、すべて展示の配置を変更することを決めた。このときの若い衆の空気はすごかった。私への懐疑心と怒り、疲れによるいらだち、終わらせたい威圧感で相当に重い空気が立ちこめた。その時の私の心境は(独りでも、やるって言ったら やる。)「最後まで付き合って下さい!!」半分の人は帰って行ったが、後の半分はしぶしぶ私の指示に従って作業を再開。ぜったい妥協しなかった。アーティストの制作を着地させるのは、その人本人にしかできないこと。折り合いを付けていてはぜったいダメ。
なぜだろう。作業の後半に入って手伝ってくれる人たちの息が私と同調するようになって来た。私が思ったことが細かく言わなくても伝わるのだ。私の臨場感が他の人々に乗り移って行ったのである。
こうして作品は完成した。その日の夜、お疲れさまを兼ねて打ち上げの飲み会を商店街の皆さんが開いてくれた。
宴の席での酔っぱらいの会話。
商)「俺、正直途中で高橋さんタコ殴りにしようかと思いましたよ。」
商)「なんかね、こいつ、ぶっつぶしてもぜったい立ち上がってくる。それが伝わって来たんで。手伝うしかないでしょう。」
商)「でもね、仕上がった作品見て、これは、こうとしかありえないってのが、なんかわかったんだよね!」
商)「そうそう、俺もわかった!高橋さん、あと3センチ右、とか下に2センチ、とか言うでしょ、どうでもいいじゃねーかと思ってたんだけど。でもやってみると、ここじゃなければだめってのが、なんかわかった。」
商)「俺は、正直言って、ここまでやってくれるとは思わなかった。こんなぼろい商店街のためにさ。仕上がった時はほんと、うれしかったよ。」
協働という言葉をまだ知らなかった時だ。
当時、短い人生でそんなにたくさんできる経験じゃないな。と思っていたけど、やさしい美術の活動をやっていると日常茶飯事になってくる。なんか、体の芯から元気が出てくるんだよっ!

大学に戻ってまだ一仕事ある。川島を誘って、搬入ラーメンをすする。
※搬入ラーメン:搬入後に食べるラーメンのこと。スタッフ泉が名付ける。