Nobuyuki Takahashi’s blog

大島 大島案内ひきうけ会社とは

6:30 起床。昨夜遅くから雨が降り出した。今日は梅雨を感じさせるしとしと雨。
7:30 朝食を済ませ、洗濯機に汚れ物を放り込んでスイッチオン。野村さんの畑から「野村きゅうり」を拝借。昨日よりちょっとだけ大きくなって食べごろになった4本のきゅうり。ちょこっとだけマヨネーズをつけて食べる。めちゃうまいっ。
8:00 GALLERY 15(15寮)に行き、昨日の作業を続ける。カフェのテラス屋根を張り替えるつもりだったが、雨ですべる。次回にまわす。
午前中は徹底してスピーカーの配置、音量のセッティングに時間をかける。5つの部屋でじっくりと部屋での共鳴、残響音とのバランスをはかる。大音量で鳴らしてしまえばとも思ったが、そうではなく、「15寮=GALLERY 15が歌っている。」ような印象にしたい。微調整を重ねていくと、「これだ。」と感じるバランスに突き当たる。
12:30 午前中の調整でほぼ音響のバランスはでた。あとはスピーカーを天吊りで設置する作業である。昼食をそそくさと済ませる。
午後は一台ずつスピーカーを設置していく。天吊り金具を材木にボルトオンして確実に取り付けていく。
16:00 作業終了。結局スピーカーの設置作業を少し残すかたちとなってしまう。ぎりぎりまで作業をしていたので、後片付けは最小限、荷造りも大急ぎで。雨脚は弱くなってきた。傘は必要なさそうだ。
16:30 まつかぜに乗船。お客さんがあった大智さんに会う。「独りでさびしかったな。」と気遣いの言葉をかけていただいた。皆さん、ほんとに心やさしい方たちばかりだ。
17:45 高松港に着く。桟橋でAFG高坂さんから書類を渡される。高坂さんと別れてすぐに待合所から女性が駆け寄ってくる。大島の庵治第二小学校教諭だった佐々木広子先生だ。瀬戸内国際芸術祭会期に合わせて「大島案内ひきうけ会社」の一時的復活をお願いしていた。3年前に休校(今年に度再開)になるまで大島に在住する職員のお子様を小学校で指導してきた、大島ひきうけ会社を語る上で欠かすことのできない方である。現在は高松市内の小学校で教鞭をとっておられる。
二人でとある喫茶店に入る。現在の状況をお話しする。佐々木先生は大変お忙しい様子で、まず私と佐々木先生の都合が合う日取りを候補とし、その後社員=当時庵治第二小学校の生徒だった子どもたちに声をかけることにした。
総合学習の一環として取り組んだ「大島案内ひきうけ会社」大島を訪れた人には知られている名前だ。自分たちの住む大島に暮らしている入所者のこと、ハンセン病のこと、大島の暮らしを調べ、時には入所者をたずねて話を直接うかがう。外部からやってくる見学者を連れて大島を案内して歩き、調べてきた成果を披露した。すばらしい社会勉強である。最初にひきうけ会社が見学者を案内したのが平成12年。年間1000人を越える人々を案内した。多い時は一度に120人の人々を3つにグループ分けしてあんない業務を遂行。そのテクニックは芸術祭期間中一般来場者を案内する私たちやさしい美術とこえび隊の参考になることは間違いない。また、佐々木先生が強調されたのは、「小学生が自分たちの言葉で大島のことを伝える。大島で暮らす入所者の代弁をする。それが多くの人々の心を打ったんです。知識の解説ではなく、子どもたちの言葉で話すことで言葉が人々の中に何かを残すことができたんです。」
私たちやさしい美術プロジェクトが企画している、入所者が講師を担当するワークショップ「名人講座」。この「名人」という概念は大島案内ひきうけ会社の社員=庵治第二小学校の生徒 がつくった。森川さん:演劇名人、磯野さん:民話名人、野菜名人:本田さん、大西さん:川柳名人、東條さん:歌名人、山本さん:陶芸名人…。それぞれの特技には生き様が映されていて、子どもたちはかけがえのないものを入所者から受け取っていたのだと思う。話を伺えば伺うほど私たちの取り組みと重なるところが多い。
ほかにも案内業務のエピソードをたくさんきかせていただいた。「3点セット」と当時呼んでいた、盲導鈴/ガードレール/白線。盲人の方たちが大島で暮らすのに必需なセットだ。
繰り返しになるが「大島案内ひきうけ会社」は年間1000人を越える人々を案内した。見学者から質問を投げかけることもしばしばだったそうだ。佐々木先生はこれが大事だとおっしゃる。質問があるということは興味がある証拠なのだという。質問に答えることができないならば、調べたり、入所者にたずねて蓄えて行けばよい。その繰り返しによって自信がつくというのである。質問が飛んでくるのをびくびくしているのもガイドとしては頼りないものだ。時には見学者の方から教わったこともあるそうだ。例えば先述の「3点セット」のうち、白線について。白線は車道のセンターラインではない。入所者が微々たる視力で判別がつくのが白線であり、早朝や夕方に入所者がぼんやりと目に浮かぶ白線を頼りに散歩をしているのを見かける。そのことを見学者の1人が「人間の視力は黒地に白抜きのものが一番認識しやすい。」とおっしゃったのだという。その方はお医者さんで認知に関することに詳しい方だったそうだ。それはすぐさま大島案内ひきうけ会社の知識の1つに据えられた。肉付けされていく共有知識。googleで検索するのもいいけれど、人と人の間で育まれていくものの確かさは何にも換えられないものだ。
19:30 佐々木先生とは多くを語り合った。私が関わったここ3年間の大島は佐々木先生が知っている大島から変化してきているという実感も味わった。とにかく、佐々木先生にとって大島での日々がいかに大切であったかがとてもよくわかった。まだまだ教わることがたくさんある。また、次回先生にお会いする時を楽しみに。
20:00 ポートビルの瀬戸内国際芸術祭の事務所をたずねる。夜行バスが出るまでの間、香川県庁の大島担当者宮本さんと打ち合わせができたらと思い立った。事務局の皆さんは仕事まっしぐら。果たしていつまで仕事をしているのだろう。宮本さんとルートマップを広げて、一昨日の検討会で出てきた案件について検討を重ねる。ルートマップの作成は難航しそうだ。初めて一般に公開する大島。予想不可能なことがほとんどだ。かといってすべてにブレーキをかけてしまえば、何のために大島を開いているのかが見えてこなくなる。芸術祭開幕時はある程度の混乱は避けられないだろう。それでもめげずに前に進む足腰の強さを私たちは身につけなくてはならない。
22:00 芸術祭事務局をあとにする。
22:10 夜行バスに乗り込み、一路名古屋へ。