Nobuyuki Takahashi’s blog

缶コーヒーの味

12:20 学生有志で情報誌を発行しているクロッキーの取材班がプロジェクトルームにやってくる。迎え撃つは私とリーダー古川。
やさしい美術プロジェクトについてページを割いてくれるとのこと。学生の反応がうれしい。とても気持ちのよい挨拶。質問もよく整理されていて、相当の準備をしてこの取材にのぞんでいるのがわかる。こんなにがんばっている学生がいるのだ。うきうきしてくる。
リーダー古川と取材を受けながら、私が13年前に制作した作品を思い出していた。その作品は今も古川の住む街にある。
とある公園のパーマネントコレクションとして彫刻作品の制作を町から依頼され、私はなんとしてもその年にそれを完成せねばならなかった。しかし、私の兄ががんで倒れ、その影響で依頼された彫刻の制作が頓挫していた。何もしてなかったわけではない。「作品」という決着の付け方に真剣に悩んでいた。今までにない感覚だった。
年末、しびれを切らしたディレクターと町からすごい勢いのおしかりの連絡が舞い込む。私は一旦提出していたプランを白紙に戻した上に年度末にさしかかっても制作が一向に進む気配がないことから、当然と言えば当然だが、契約違反だとの厳しいことばが降ってきた。私はそれを機会に、現場制作の作品プランに切り替えどっさりとドローイングを送った。それは公園に穴を穿ち、こぶし大の石材を敷き詰め、私自身の身体がすっぽりと入るくぼみ、私自身の雌型を大地に穿つ作品だ。永久に続くと思われそうな、私という存在は一時的な現象である。認識の範疇にある枠組みの横っ腹に風穴を開ける表現をしたい、と日々もがいていた。すなわちそれは生という縦軸に対して死という横軸に身を置くことだった。
2月10日 兄の最後の一息を家族で看取った。
葬儀が終わり、その翌日。私は先に説明した作品の制作を始めた。ツルハシの最初の一振りの感触は生々しく記憶されている。
その作品は思いもかけない体験を私に授けてくれた。私が地面に穴を掘っていると、ある初老の女性がそっと私に缶コーヒーを差し出してきた。それまで挨拶さえかわしたことがなかったが、その方は毎日散歩の度に一心不乱に作業している私のことを見ていたのだ。「初めて自動販売機で缶コーヒーを買ったよ。」この缶コーヒーのなんと温もったことか!しかも全く同じ缶コーヒーの体験は新潟県立十日町病院の設置作業中にも起きたのである。
「わしはこんなものを作れと頼んだ覚えはないぞ!税金の無駄使いだ。」と罵声を浴びせる方もいた。町のコミッションワークであるとはいえ、美術作品と地域住民の間には深い溝があるのだと感じた。むしろその溝に深く浸透してお互いを溶かしくっつけていくことが美術の役割かもしれない、そんなことを感じていた。
概念ではなく身体でわかる感じだった。ネガティブなこともポジティブなこともやつれて心棒のみになった私の心に肉付けされていくような感覚をおぼえた。大地に穿った、ちっぽけな私の身体を投げ出す装置。たったそれだけの営みだとはいえ、他者の地にしるしを刻むことの抵抗感を私は確かに受けとめることができた。
リーダー古川がこの作品を自宅近くの公園まで観に行ってくれた。はずかしいけれど、でもちょっぴりうれしかった。