Nobuyuki Takahashi’s blog

これがやりかった

東風が強い。「松展」に展示替えになってから入所者の来館が少しずつ増えている。7:00にGALLERY15をオープン。昨日職員大澤さんが持って来てくれた、作業で出た切りっぱなしの松から清涼感のある松の香りがただよう。朝一便で50人乗船券発券数ぎりぎりで来場者がやってくる。
来場者から質問があがる。その方はアーティストがその土地や人々とどのように関わり、その結果としてどのようなものができあがっているのか、そこに興味をお持ちのようだった。作品が風景、あるいはそこで暮らしている人々と切り離されることなく「溶け込んだ」作品を観てみたい、そんな欲求があったとお話いただいた。私たちの活動は作者である「私」が見えてこないものだ。私が「不在」というのではない。すでにメッセージを発しているその場所、空間、人々がまずそこにあり、私はその傍らに立って声を外に届くようにつなげていく。見えないもの、形のない感覚をかたちにするのがアーティストの仕事の1つだとしたら、泉がカフェで販売している「ろっぽうやき」は今回の取り組みのなかでも特筆すべきファクターである。「ろっぽうやき」は菓子作りの職人だった方がハンセン病にかかり、大島に入所した。その方は大島に「加工部」という独自のお菓子工房を作り、食事の配給とは別にくりまんじゅうやろっぽうやきを配った。入所者全員が味わい、よろこび、大島の誇れる味だと言う。そのろっぽうやきの再現に泉は挑んだ。無謀といわれたろっぽうやきの再現は度重なる試作と試食会による批評で本物に迫る味との太鼓判をいただき、今ではカフェ・シヨルで売れきれ続出の人気を誇っている。味覚、食感の記憶はピントのあった写真のように鮮明だ。だからこそ難易度も高いと言わざるを得ない。ろっぽうやきを再現、復元、復活することは単なるお菓子づくりを越えた「記憶のモデリング」だと私は思う。
屋島在住の来場者から入所者の暮らしについて質問をうける。「また大島に来ることができるんだ。」その人は涙しながらそう話した。近くて遠い大島が少し近くなったのかもしれない。
長屋の24畳の部屋に12人の入所者が集団生活を強いられ、つらくくるしい園内作業に従事する。その暮らしぶりを示すものはこの島には遺っていない。今回の企画展は墓標の松に代表されるように青松園の101年歴史を越えた時間のスパンの中に入所者の生きてきた軌跡を描こうと試みた。松は800年この島を見守り続けた生きた風景だ。盆栽は入所者が3、40年かけて作り上げた大島の自然の姿を映すひな形。写真は島という小さな空間、閉鎖された見えない壁を突き抜けて宇宙の流転を見つめる方法だ。鳥栖さん、脇林さんの写真は作品をとおしてそのことをしかと伝えて来る。古い写真は松が必ず風景の構成要素となっているものを選んだ。そして墓標の松の根元から発見された人骨と刀剣。来場者の方々とお話をしていると、少しずつ伝わっているという実感がわく。リピーターも増えている。ガイドツアーから離れ、カフェで時間をたっぷりととる人たちは別の大島の楽しみ方を開拓している。「もう一度大島に来たい。」そのような声を何度も聞くようになった。その度に私自身が初めて大島を訪れた時の戸惑いと驚きの感覚を思い出す。大島ファンの種は全国、世界に根をおろしているはずだ。
15:30 入所者野村さんが盆栽に水をやりに来る。来場者にとっても入所者と出会うよい機会だ。やさしくておだやかな野村さんが「もうここに来て60年もようなる。ずっとここで暮らしとるんよ。」と静かに語りかける。松の盆栽と野村さんの姿が重なって見える瞬間だ。
16:30 満杯のまつかぜを見送る。皆手を振ってくれる。私には「また来るね。」という合図に思えた。ある来場者がおっしゃった。「ハンセン病の療養所は辛くて悲しい歴史そのものだけれど、実際に大島に来てそれだけではない、何かを感じた。」歴史の年表には載らない、生き抜く力のドラマがひとり一人の入所者の記憶の中にある。ハンセン病回復者とひとくくりでは決して見えてこない、1人の人間の生き様にふれることで私たちは大きな活力を与えられるのである。今回の松展は入所者の個々の表現、息づかいが見えて来るものとなったのではないか。それが大島の101年の歩みと墓標の松の800年の時間とレイヤードされている。
17:00 入所者の大西さんがギャラリーに観に来てくれた。人がいない時間を見計らってここまで来てくれたことがとてもうれしい。森さんも盆栽の様子を見に来る。ゆったりと大島時間が流れ、身を任せる。これが私のやりたかったこと。