Nobuyuki Takahashi’s blog

たとえ絶えても、絶やさない

位牌のリストを遡り、ルーツをたどる

父方の高橋家は事情があり絶えることになった。
私の父は次男で本家を出てごく一般的なサラリーマンの家庭を築いた。高度成長期にもまれながら典型的な核家族だった我が家。平凡に暮らしてきた私が初めて知った事実がある。
それは私の先祖のこと。絶えることになった高橋家には代々手を合わせてきた仏壇がある。その仏壇の面倒を見る人がいなくなったので仏壇に入っていたすべての位牌をお寺に預けることになった。父方の親戚一同知らなかったのだが、その位牌は今からさかのぼること200年。断っておくがけっして由緒ある家柄ではない、代々お百姓さんの家である高橋家。その血が私にも流れている。
位牌の記録を読んでいくと戦死した人がいる。飢饉があったのだろうか、つぎつぎと人が亡くなった時期がある。「家」が絶える危機は何度もあっただろうと想像する。
「家」を継ぐ、「家」が絶える、本家、分家という感覚は正直私にとって「時代遅れ」の響きしかなかったが、父から聞く幼少からの記憶と親族間の出来事が、私に結するということ、そして連綿と連なる命のつながりを意識せざるを得ない。むしろこのように辿ることができるルーツがあることに深く感謝すべきである。先祖に手を合わせて自分がここにいることに感謝する。私がここにあることは「あたりまえ」ではない、のだから。
やがて1人もいなくなるハンセン病回復者。入所者の皆さんはそのことをよく理解している。ある入所者が「わたしらがいなくなったら誰が納骨堂の世話をするのだろう。」と話されたのをよく思い出す。絶える高橋家、つながりを断たれた大島の納骨堂。
人はどこからやってきて、そしてどこに行くのだろう。
私の旅は続く。