Nobuyuki Takahashi’s blog

勝ってはならない

1月5日。ほんの小さな出来事が我が家で起きた。しかし私にとっては特に印象深いものだったのでここに記しておきたい。
長男慧地は8歳、長女美朝は4歳。4つ違いの兄妹。何時かのブログにも書いたが、我が家には個室の役割をもつプライベートの空間がない。食べるのも、遊ぶのも、本を読むのも、仕事をするのも一部屋。なんとなくそれぞれ落ち着く場所や領域はあるものの、囲われた個人スペースはトイレぐらいなものだ。そもそも棲み分けるほど広くないというのもあるが。幼い兄妹は朝起きてから寝るまで喧嘩ばかりしている。モノの取り合い、順番の奪い合いで常に対立。むかつく、腹が立つ、鬱陶しいだの、ずきずき言葉を言っただのと、小競り合い、叩き合い、ののしり合って日々を過ごす。二人とも負けず嫌いなので、待たない、譲らない。私と妻はだまって様子をうかがっている時の方が多いが、ときに理不尽さを見かねて叱りつけることもある。力の要るものについては美朝は慧地に太刀打ちできない。決まりきった競争を妹に仕掛け、奪い取るという暴挙に関してはさすがに口を挟むことになる。長男慧地を咎めると今度は慧地が納得がいかない。あくまでも「競争なんだから、勝った方が勝ちじゃん!」と居座る。まだまだ自分のことしか見えない年頃なんだなぁと思っていた矢先にかの出来事は起きた。

私が帰宅して玄関の扉を開けると、いつもはこうだ。扉が閉まる音を聞いた瞬間兄妹二人が猛ダッシュ。どちらが先に『お帰りのぎゅっ!』にありつけるか競争するのだ。想像通り、慧地が力の限りを尽くして勝利し、美朝は毎回大泣きしてここ30分は機嫌が直らない。ところが、1月5日は違った。先に私のところに走り寄った慧地が私の前で思いついたように一息置き、美朝が私にたどり着くのをやり過ごした。慧地が初めて美朝に譲ったのだ。私はまず思いっきり美朝を抱きしめた後、慧地をいつもより強く強く抱きしめた。「慧地くん、いつの間にかお兄ちゃんになったなぁ。」

兄秀年は私より5歳上で、二人兄弟。私たちはいつも喧嘩ばかりしていた。私が小学校1年生で背の順は一番前、兄は6年生ですでに身長が170センチもあった。私はいつも兄と対等でなければ納得がいかなかった。現在の我が家同様にいつも小競り合い、喧嘩の連続。食事中もテーブルの下では常に蹴り合いでバトルを続行、何をどう食べたか覚えていないほど。喧嘩ゴマで勝ち誇った私の様子にぷっつりきた兄はコマで思いっきり私を殴りつけ流血沙汰になったこともある。小さな私にとってはこれだけ大きい兄も倒せる相手だと信じていた。体格の差は歴然としていたがいつも全力で挑んだ。私は生傷は絶えなかったけれど、それでも今思えば兄は手加減してくれていたのだと思う。

私が高校2年生の時だ。何が原因で喧嘩になったのか、今ではさっぱり思い出せないが、私がダイニングキッチンにある電話のメモ帳脇に差してあった鉛筆をへし折ったのがゴングだった。
「文句あるんか、こらぁっ!」
まず兄が胸ぐらをつかんで窓ガラスに突き飛ばした。私は全く怯まず、すぐに攻撃に転じ、右フックを放ち兄の左こめかみを捉える。一瞬ぐらりとした兄を私は冷静に見ていた。もう一発いける。しかし兄も負けてはいない、その体制のまま背後にあったフライパンをつかみ、振り向き様に最短の弧を描いて私の右額を打ってくる。兄は生まれついては左利きだったに違いない、シャープな動きだ。私は体をのけぞらせながら衝撃を逃がす。そこからは接近戦に持ち込みお互いに何発も拳を繰り出した。
「あんたたち!なにしてるの!やめなさい!」
母の劈くような声に空気が凍り、私たちの動きもぐっと固まる。下になっていた兄はその隙に私から距離をとり、「おまえの大事にしてるもんを全部ぶっこわしてやる!」と捨て台詞をのこし、2階にあがる。大事にしているものとは何か。当時ハードロックのバンドを組んでいた私は愛用のフェンダーリード2(エレキギター)が一番の宝物だった。息を荒げたまま1階のキッチンで佇む私は2階でギターのハードケースを開ける音を聞いたが、それ以上の物音は聞こえてこなかった。

それから1時間後私たち二人は全く言葉も交わさず、ダイニングキッチンでテレビを見ていた。さして面白くもないバラエティー番組を漫然と眺めていたのではなかったかと思う。私と兄はちょうどテーブルを挟んで向かい合うように座っていたが、視線はテーブルが置いてあるその先にあるテレビに向いていてお互い目線が交わることはなかった。横目でちらりと兄を見遣る。兄の左ほおはかなり腫れている。私もあちこち痛かったが、ことさら表皮が白く擦れ赤くなった拳が疼いたのが印象に残っている。

それから、兄とはいっさい喧嘩をしなくなった。実のところ私はあの喧嘩で兄を倒すことができた。体格も兄と似たり寄ったりまで私も成長していたし、力もあった。兄も腕っ節には自信があったと思う。でもあの時兄も今後二人が本気で殴り合ったらどうなるか、きっとわかったはずだ。

私にとって兄は影響を受けたすべてだった。ロックが好きになったのも、アートの道に進もうと思ったのも、左手でみかんの皮を剥いたり絵が描けるのも、みんな兄のおかげだった。始めたことのすべての入り口が兄だった。それが、あの時から、私は私であるということに目覚めたように思う。裏を返せば、兄といつも一緒で、対等に競り合っていたその土俵もそろそろ離れて私自身で開拓していかなくてはならないタイミングだったのかもしれない。いずれにしても、あの喧嘩から兄を一定の距離で見ることができるようになり、同時に尊敬の念も深まっていった。兄は私にとって「勝ってはならない」人になった。

我が家の子どもたちはこの先どんな兄妹になるのだろう。何が待ち受けているのだろう。ほんのちょっとした出来事に私はじんと熱くなってしまった。

夕方、兄の墓参りに行き、お線香をあげる。