Nobuyuki Takahashi’s blog

小牧市民病院 搬入 消えた清水

14:00 小牧市民病院につき、私とスタッフ川島、作者の天野入華がそれぞれ作品を持って院内へ。
午前中は作品を吊り下げるための金具を取り付ける作業を敢行し、搬入にこぎ着けた。S6病棟のディルームに行くとテレビから水戸黄門が放映されている。数人の患者さんやご家族が憩いの時間を過ごしていて、家族的な雰囲気だ。
早速今回天野が制作した作品を壁面に設置する。脳外科の患者さんが入院する病棟。年配の方が多く入院しており、病室ではなくディルームで職員さんの世話を受けながらの食事をしている場所だ。当初はモビールを天井に点在させる計画だったが、落ち着いてディルームで食事をしたり、談笑できるよう配慮した作品を、ということになった。天野は繊細な素材使いのオブジェで定評があるが、それらのオブジェを空間に配置する際に、スケールを含めた空間との関係性に課題があると思った。私は彼女に思い切ってアクリルケースに入れることを提案した。展示台や台座、額に入れることはフレームで切り取ることである。鑑賞者との地平を分断することによって、見せたい対象を外側から注視することを促すのだ。ところが、鑑賞者と同地平、例えば床に置く、壁に設えると先述のフレームで切り取られたのとではスケール感も視線の流れも全く異なってくる。「インスタレーション」についてここでは詳述しないが、天野には空間に設置すること、鑑賞する人々との関係性を取り持つ絶妙な地点を見いだしてほしかった。そこで、アクリルボックスに入れることにチャレンジしてもらうことになった。額装は窓枠だ。こちら側と向こう側という明確な位置関係を意識させる。一方アクリルボックスは密閉されていて手に触れることができない分ボックス内のものに視線がぐっと集中する。素材がデリケートであればあるほど、鑑賞者は想像力を働かせて視覚的に感触を味わおうとする。しかしアクリルボックスを空間に配置しても透明で存在感が希薄なために空間の共有は適度に感じられる。このようなアクリルボックスの効果から彼女の持ち前の細やかな造作が活きると考えたのだ。
展示作業中に病棟の看護師さん、介護士さんが歩行器で歩く患者さんをサポートをしたり、気道切開した患者さんを丁寧にケアしている姿が見られた。ある意味でこの病棟は濃密な生活感を醸し出している。作業をしている私たちに通りがかる患者さんや患者さんのご家族が話しかけてくる。この取り組みをしていて一番感銘を受ける場面だ。この病棟では職員さんも積極的に話しかけてくる。実のところ私たちに構っていられないほど忙しいはずだが、努めて周囲に目配せし、声を掛け合うゆとりを意識的に創りだしている。必要なことを自然な成り行きで実行されているのがすばらしい。
ある職員さんとお話しする。その方は私の勤める名古屋造形大学の近隣、桃花台に暮らしているそうだ。本学の周辺は田畑に囲まれている。そこから2、3キロ離れると桃花台や高蔵寺などのニュータウンが現れる。私がお話しした職員さんはニュータウンとして開発される前に嫁いでこられたそうだ。住んでおられる家の傍らにはとめどなく清水がわき、自然の摂理を感じる日々だったそうだが、土地の掘削や舗装などの開発が進むにつれ清水は枯れてしまったそうだ。「便利で快適を求めて、大事なものを失っているんですね。」と私が話しかけると、その方は「便利は皆ゴミなのよ。便利なものはゴミになるでしょ。」とおっしゃった。
ここは都市部の急性期病院の病棟。そこでこんな話ができたのがとても新鮮だ。こうした出会いの連続が私たちの取り組みとその場所との結びつきを強くしていく。
17:30 天野の作品の設置作業を終えて、撤収。院内の食事時間を避けての搬入は首尾よく行うことができた。
スタッフ川島はその間院内の作品のメンテナンスとアンケートボックスの回収作業を行う。両手に道具類を携えて病院の階段を降りていくと、階段の明かり窓に切り取られた小牧の町並みが目に入ってきた。屋根と壁が織りなす幾何学的なリズムが美しい。まるでミニチュアのようだ。その窓が額縁のように感じられ、つい今しがた設置してきた作品とイメージが重なる。