Nobuyuki Takahashi’s blog

この1〜2週間

ずっとブログが書けずにいた。
3月5日、6日と福岡に滞在。九州大学総合研究棟で開催されるフォーラム「臨床するアート」にパネラーとして登壇するためだ。当フォーラムでは大阪市立大学医学部付属病院の山口悦子さん、九州大学大学院医学研究員の濱田裕子さん、そして私がそれぞれの研究テーマ、実践内容についてお話しした。私以外のお二方は医療の現場で実際に働き、実践を通して成果を重ねている研究者でもある。生命をめぐる第一線にたっておられる二人からお話をうかがって、私が「アーティストが現場に立つ」といったところで次元が全く異なるというのが身にしみてよくわかった。まさに臨床という言葉がぴったりと来る。フォーラムの詳細は後日記したい。

ドヤ=簡易宿泊所を改装したホステルに泊まる

3月11日、12日と横浜の寿町に滞在。寿町は日本の三大「ドヤ街」の一つとして知られている。私が初めて寿町を訪れたのは高校2年生の頃である。地図など見ずにぶらつき、とある通りから一歩踏み入れたとたん、町の空気が一変した。公道であるにもかかわらず通りにテーブルや椅子を出して昼間から飲んだ暮れているおっちゃんたちが闊歩している。その印象は鮮烈だった。今思い起こせばそれは寿町初体験だった。寿オルタナティブ・ネットワークが主催する寿お泊まりフォーラムで同じくパネラーとして登壇。
3月11日11:00に横浜到着。午後に首都大学東京山本薫子さんのレクチャーを受講中、地震は起きた。
私は地震の30分前から目眩に襲われ、気分がすぐれなかった。さらに目眩がと思ったら、揺れの大きさがシフトアップし、地震と気づく。とにかく揺さぶられるように大きく揺れた。そこに居合わせた人々の表情は恐怖に歪んだ。その後、公園に避難したのちも大きな余震があり所狭しと密集するドヤ街のビル群がゆさゆさと揺れているのを見た。地面がこれほどまでに心許ないものと感じることはなかった。
横浜でさえ、である。震源地周辺の地域では大変なことが起きているという予感がよぎった。寿お泊まりフォーラムの詳細も後日に記すことにする。

翌日12日、下り方面の交通網が回復してすぐ、18:00ごろ横浜を足早に発つ。すでに電源確保の問題が取りざたされていたので、これ以上無駄な滞在は迷惑になるのではと判断した。夜中名古屋に自宅に戻ると川の字になって熟睡する妻と二人の我が子。起こさないようにそっと髪と頬にふれる。

ハンセン病を正しく理解するため、副園長がレクチャーを開講

13日7:30の新幹線に乗り込み、一路大島へ。地震の直後、大島入りしているカフェスタッフの井木、泉には連絡を入れていた。瀬戸内のハンセン病療養所大島は大きく揺れることもなく、津波の影響も微細で心配はないようだ。12日から一般公開しているため、諸々のディレクションとギャラリー15の展示替えのため大島で滞在。

16日に名古屋に帰ってくる。東北関東大地震の関連でいくつかの心配が心の内を支配するなか、何かできることはないか、ずっと考え続けていた。やさしい美術プロジェクトのメーリングリストではメンバーそれぞれの「できること」の声が行き交っている。こういう局面ではアーティストとして何ができるのか、作品がどのような力を持ちうるのかということよりも、自分がまずできることを見つめることが足下に立ち現れる。それがアートであるかどうかは、もはやあまり意味を成さない。ましてやアートでなければならない理由はどこにもない。

大島会館でオープンした「出張シヨル」は大好評