Nobuyuki Takahashi’s blog

ボランティア

自分が出演したのをきっかけにNHKラジオ第一放送をよく聞くようになった。もちろん時間を許せば、ラジオビタミンは聞くようにしている。放送の中で愛知県東海市が震災の支援物資を送る手配をしているが、物資の仕分け作業が難航しているとの情報があった。これは行くしかない。
20日から22日まで二泊三日で妻有(新潟県十日町市)に行く予定だった。交流を大切にしている十日町の人々に会いに行くにしても、無駄なガソリンは使えない。幹線道路は物資を運ぶ車両が最優先。震災のあった東北に物資も油も集中させなければならない非常時だ。加えて地震の影響で高速道路も通れないところがあるようだ。今回は断念せざるを得ない。
こういう時こそいつものように日々を送ることも大切だ。映画を観に行きたいと強請る子どもたちを妻に任せ、私は東海市製鉄公園に向かった。

東海市は名古屋の市街地で知多半島の根元にある。新日鉄の錆び付いた工場がまるで要塞のように根を張る町。我が子二人をとりあげてくれた助産院もすぐ近くにある。何度も通った道すがら、懐かしさがこみ上げる。
10:00 製鉄公園の体育館に行くと、入れ替わり立ち替わり乗用車が駐車場を出入りしている。それらの車からは衣類や毛布、布団を抱えた人々が吐き出されては体育館に飲み込まれていく。
体育館入り口でボランティアの手続きをして名札を受け取り、体育館に入ると―唖然とする。建物以外は一切止まっているものがない。およそ50名ほどだろうか、ボランティアの皆さんが館内を渦巻くように動き回り、仕分け作業がぐいぐいと進んでいく。その勢いに圧倒されたのだ。気遅れしないようにと思うが、誰も指示する人がいない。とにかく近くで衣類を仕分けし、畳み直している奥様方に混ぜてもらうことにした。
山のように積み上げられた衣類。それをセーター、薄手のもの、ズボン、上着、襟のあるシャツなどに仕分けていく。掌が擦れて熱くなってくる。ウールのものが多いので、埃が舞い、あっという間に鼻炎になってしまう。ハウスダストに過敏な人は密閉性のあるマスクが必需品だ。
仕分けた衣類、毛布、布団、肌着類をかなり大きな段ボールにぎっしりと詰め込む。これが、重い。大きな台車に乗せて体育館の両サイドに積み上げていく。
ついぞ私のとなりに来た男性は戸惑いを隠せない。きっと家庭では洗濯物を畳むことはないのだろう、慣れない手つきで、でも心を込めて畳んでいる光景がなんとも心温まる。おっと、見とれている場合ではない。うずたかく積まれた衣類の山は一向に小さくならない。埃にプラスしてナフタリンで喉がからからになる。マスクを持ってこなかったことを本当に後悔する。
ズボンはチャックが壊れていないか、汚れはついていないか、ボタンはとれていないかチェックし、それから畳んでいく。衣類は人の抜け殻である。特に新品ではないものは人の面影、気配を濃密に感じる。これも一期一会と思いながら丁寧に仕分けていく。
体育館中央に積まれた衣類を見て、ボルタンスキーの作品を思い出す。広大なギャラリー空間の床一面に古着をなげこみ海を作ったインスタレーション作品。泳ぐことができるほどの衣類というのは生涯でもあまりお目にかかるものではないだろう。

実のところボランティアの様子をこれ見よがしにレポートするのは私としてはあまり気が進まなかった。しかし、震災後「少しでも支えになりたい」という心意気で自ら行動に移している人々がいることをどうしても伝えたかった。
それと、物資の集め方と渡し方についても私自身肌で知っておきたかった。ただ物資を集めればよいのではない、ということがよくわかった。仕分け作業は重労働だ。もしこれらの物資が未整理のまま現地に届いても、憔悴しきっている被災者には親切どころの話ではない。また、何をもって支援となるのかという意識。ちょっとしたことだが、襟元が汚れていたり、ジッパーが壊れているものは外すことにしている。どうか被災地で袖を通す人々のことを思い浮かべて今一度整理し直して持ってきていただきたいと切にお願いする。