Nobuyuki Takahashi’s blog

大島

瀬戸内にある小さな島。香川県にある「大島」という島をご存知だろうか。
90年もの長い間ハンセン病の患者さんは国の政策により人里離れた場所に隔離されていた。古来からの差別を含めればその90年もほんの一部。ハンセン病は差別的に「癩(らい)病」と呼ばれていた。人目にふれる顔や手足に病変が現れ、その後遺症で身体的変形がのこる。そのため「業病」「天刑病」と恐れられ、病気にかかった人々は何の根拠もなく偏見と差別にさらされ続けた。もちろん現在は感染のメカニズムは明らかになり、科学治療法による通院で「可治」する感染症の病気である。1996年らい予防法が廃止されるまで、国家制度として強制隔離されてきた人々がいる。おどろくことに12年前までだ。
大島は高松港から約8キロ。四国本土からは最短1キロのところに浮かぶ面積わずか61haの小さな小さな島である。大島はハンセン病を発症した人々が強制隔離された歴史を背負っている。今も元患者である入所者の方々が大島青松園にひっそりと暮らしている。
私は縁があってこの大島に出かけた。高松港から20〜30分船にゆられ大島に着く。船着場以外はほとんど護岸工事がされていないので、島はありのままのかたちをとどめていてとても美しい。
かつて島は社会から完全に隔絶されていた。制度的に解放されたとしても島に行ってみると今もそれは強く感じられる。そして島の中でも「有毒線」という当時の患者と治療者居住区を隔てる壁が存在していたと聞く。私は歩き回りその痕跡を探したが、全く見つけることはできなかった。入所者の方々は平均年齢78歳を越え、高齢化している。なぜなら、入所者はこどもを持つことを許されなかったから。また入所者の方々は家族と断絶されている場合がほとんどである。だから血族的なつながりを示す本名を名乗ることもしないし、できない。
私たちは意識するしないに関わらず、他者や世界と関わり生きている。それは、はっきりと目に見えるものではないので、その「つながり」の感覚が感じられると深いよろこびとなって心にのこるものだ。もしそうした「つながり」が断絶されたとしたら…。私にはどんなに想像しても想像できない、どんなことばもきっとあてはまらないー。
ここで最近書いた私の所感メモから以下を記しておきたい。
「土を耕して野菜を採ったり、会社で働いたり、こどもを育てたり、…日々の営みのなかで、生の充実を得るのは「今、私がここにいる意義」に触れた瞬間である。言い換えればそれは他者との関係、社会との関係、世界とのつながりにおいて、かけがえのない自分を発見することである。ここでは敢えて「発見する」と言わねばならない。なぜなら、私たちが住まう文明が築いてきた物事の枠組や物差しが「つながり」のネットワークを分断していることが多々あるからだ。今、アーティストに求められる創造とは、この分断された境界を貫き、狭間にある言い知れない感覚を掴みとってくる事だと私は考える。」
私はまた、大島に行く。