Nobuyuki Takahashi’s blog

考察 近づいてできること2

その「空白」が意味するものは何か。
仮に私たちが暮らす日本において、美術館とギャラリー、それらの場で発信される美術作品で考えてみたいと思う。
美術館やギャラリーは一歩も病室から出られない人には遠いと言わざるを得ない。まず美術館やギャラリーにたどり着けるかどうか。そもそも「ドクターストップ」というのがある。たとえなんとか出かけられたとしても不自由で深刻な容態に作品や展示がことこまかに合わせてくれることはない。作品はあるべき姿を保ち不特定多数の鑑賞者が来るのを待っているのだ。

では美術館やギャラリーが病院にやってくるとしたらどうか。まず病院に美術作品があることの根拠を問われるだろう。アートははたして薬剤のように効くのかと。施設内に張り巡らされる制限と抑制は人命をあずかる現場こそだが、そこには医療制度の画一性や権威、体制の力も作用している。その状況にアートの枠組みが飛び込んで行くのはまさに水と油。アートは強大な体制や制度に屈せず、むしろそれらを自らを構成するコンテクストとして飲み込んできたのだから。

物理的な距離、心理的な距離感、文脈と価値観の差異、分野・領域の拘束力…。それらはいずれも実体がない。そしてそれらを認識しているのは他でもない私自身だ。

私が瀕死の兄を目の前にしていること全ては何かに準えられるものではなく、同じ生命体として細胞が反応するようなものだ。それは表現の初動と出所は何らかわらない。狂おしいまでの情熱で目に見えない「隔て」を溶かしていく。私がやるしかない。

作品のディティール