Nobuyuki Takahashi’s blog

嵐の大島

1月9日(金)の7:15。いつものように名古屋駅新幹線口でスタッフ井木、泉と待ち合わせる。
今回は一泊二日で瀬戸内大島に行く。瀬戸内国際芸術祭2010に向けて大島での取材が主な目的であるが、個人的にも元ハンセン病の患者である入所者の皆さんと出会い、お話を通して自分自身と向き合う大切な機会となっている。
予定通り、10:25には香川県高松まで、その後は官用船「せいしょう」に乗って大島まで行く。大島の船着場に着いたのが11:30。ふと船着場に目をやると、なんと入所者Bさん(男性)が待ってくれている!Bさんは前々回の訪問で知り合った。大島でひたすら写真を撮っている方で、私の先生のような存在。とにかくうれしい。「わざわざ、寒いのにお出迎えしていただいて、ありがとうございます。」午後にBさん宅におじゃますることになった。
まず、管理棟に行き、事務長さんに挨拶する。いつも私が来ることを入所者の皆さんに伝えてくれていて、実にありがたい。今回はスタッフ泉と私が初めて大島で一泊する。そのために面会人宿泊所の宿泊手続きを私たちの代わりに申請してくれていた。まず福祉課に行き、面会人宿泊所に荷物を置かせてもらう。

面会人宿泊所内部

面会人宿泊所内部

「面会人宿泊所」は入所者のご家族、人権問題の啓発活動などをされている人々が宿泊できるようにと建てられた施設である。大島の中心部に位置していて、建物の前はゲートボールのグランドがある。隣には郵便局と福祉課、近くには病棟、管理棟がある。宿泊所の中に入ってみる。玄関が一般家屋のようにきちんとしていて、清潔な6畳間が計4部屋、共用のトイレ、お風呂、キッチンまで完備している。使用に関して有料の時代もあったそうだが、現在はすべて無料。現在の実情は、めったに使われることは無く、入所者のご家族が来ることも稀であるとのこと…。
荷物を置いて、いつものように職員食堂に行き、野菜炒め定食を食す。1人の職員さんがきりもりしている。いつみても大変そうだ。
13:00 Bさん宅に行く。「○センター○○棟○号室」。初めて入所者のお住まいにうかがうのだ。入所者の寮は大島青松園独特の構造をしている。それぞれの世帯は長屋のように軒を連ねている。部屋の間取りはすべて同じである。玄関からあがり、廊下(後述)を横切り引き戸を空けるとまず右手に簡素なダイニングキッチン、左手に介護が考慮された大きめのトイレがある。その奥に6畳間が二間。その向こうに縁側とお勝手口がある。外にはそれぞれのお部屋のブロック毎に小さな庭がある。部屋は清潔感があり、伝え聞くような悲惨で劣悪な療養環境を今では垣間みることはできない。それぞれの長屋状の棟にはそれぞれの住まいを貫通するように廊下が走っており、同様にそれぞれの棟も廊下が貫通している。私たちのような来客の場合は表札のある玄関からお部屋に通されるが、大島で働いている職員さんは日々の治療や介護のため、玄関からではなく、廊下を伝って適宜お部屋にアクセスできるようになっている。各お部屋の引き戸はガラス張りで密室空間はない。

面会人宿泊所の部屋

面会人宿泊所の部屋

私は初めて大島を訪れた時、これらの療養棟があまりにも無機質に感じられ、「収容所」のイメージが拭えなかった。現在の住環境は入所者の意向を充分取り入れて作られた物であると聞く。何度か通った今では、それは少しずつ理解できるが…。50年以上長い人は80年以上、大島で生活してきた入所者にとってこの生活環境はその長い時間のなかで「かたちづくられてしまった」心地良さに他ならず、ある側面でこの島がたどった辛く悲しい時間を象徴していると私は思う。
さて、Bさん宅の訪問に話を戻そう。ドアをノックすると、Bさんが待ってくれていて、お部屋に通していただく。20冊ほどの写真ファイルを見せてもらう。すべて、この小さな大島で撮影された写真。それぞれの写真ファイルは「清らかな大地」「地に満ちる花」「ありのままの世界」等とタイトルが付され、〜昨日もなく明日もなく生きる花〜、〜生きる自由〜、〜1つの全体としての創造の中にあるもの〜等とサブタイトルが与えられている。写真は主に大島の風景、大島から観られる太陽、空、島、海などの風景と生き物や植物のクローズアップ写真である。膨大な数もさることながら、一枚一枚にBさんの息づかい、感動、情念が込められ、観る側にじわっと伝わってくる。感動で熱いものがこみ上げてくる。Bさんが写真の解説をしてくれる。Bさんの語る言葉はその一粒一粒が「美しい」。「生きているものはすべて全体で1つで皆一緒だと感じるんです。」「レンズを向けると生き物はそれを意識します。」写真を撮ることを通して、常に自分自身と向き合い、世界と向き合い、宇宙の営みの根幹に触れ、よろこびを感じるBさんの語りは重厚さとやさしさに満ちている。これほどまでに新鮮で美しい言葉、イメージに私は出会ったことがない。「自分の行きたいところ、求める場所は外ではなく、自分の中にあると思うんです。自分が普段生活している一番近い周りに自然を観ることができなければ、どこに行っても同じです。」そのライフワークとして写真がある。Bさんにとって、写真を撮ることは生きることに他ならない。
お話は尽きることがない。もう一方の入所者のお宅を訪問する事になり、Bさんのお部屋を出ることにする。Bさんは見せていただいたそれらの写真を編纂したDVD20枚あまりを私に渡すと、「いつでも来てください。」とおっしゃった。このDVDは私の宝、やさしい美術プロジェクトの宝だ。ありがたく頂戴する。
その後、Dさん(女性)宅におじゃまする。私が病棟に飾ってある折り紙細工を見かけ、制作者に是非お会いしたいと事務長森さんに相談したところ、Dさんを紹介いただいた。Dさんには初めてお目にかかるので簡単に自己紹介をし、折り紙細工についてお話をうかがう。もともと手先を動かすことが大好きなDさん。これまでに刺繍や陶芸、編み物などを製作してきたそうだ。お部屋にもいくつか飾ってあり、その緻密さと費やした時間に驚く。折り紙細工の折り方の基本形までやさしくレクチャーしていただいた。大島での取組みの中で、協働性を持った制作のヒントになりそうだ。Dさんは最近体調がすぐれず、これらの細工仕事がなかなか手につかないそうだ。心配である。

スタッフ井木を見送る

スタッフ井木を見送る

16:00 あっという間に官用船最終便が出発する時間となる。スタッフ井木は翌日にひかえた仕事のため、大島を後にする。私とスタッフ泉で初めて大島から人を見送る。少し切ない気持ちになる。大島の皆さんにとって、島から見送る時、どのような気持ちになのか、想像してみる。
夕方、雨と風がさらに激しくなる。事務長森さんからは翌日の官用船がストップする可能性があることも伝え聞いたが、まずは後先考えず、大島で一晩過ごしてみることにする。
18:00 島には小さな街灯があるが、お世辞にも明るいとは言いがたい。傘を差すのがやっとな風雨に打たれながら、職員食堂に行く。すると、職員食堂が閉まっている!呆然とする。嵐のためか、職員さんの姿は全く見かけない。ずんと重い気持ちで面会人宿泊所に戻る。

朝食のパンをスタッフ泉と分け合う

朝食のパンをスタッフ泉と分け合う

台所で翌日の朝食用に買ったパンを大皿に盛りつけて、スタッフ泉と私二人で分け合って食べることにする。これも過ぎ去ってしまえばいい想い出になるだろう。
19:00 福祉課の職員さんにあらかじめお湯を張っていただいていたおかげで、食後即交代で入浴。冷えきったからだをあたためることにする。
20:00 それぞれの部屋で休む。外は暴風ふきすさぶ轟音。小さな大島が吹き飛んでしまいそうだ。数キロ先の高松の町の灯りが暗い大島の山をシルエットで浮かび上がらせる。こうした光景も泊まってはじめて見ることができる。出くわす光景それぞれが瞼に焼き付く。明日のことは確かに気がかりだ。船が出るかどうかわからない。食堂が開くかどうかも。でも、泊まってよかったと思う。
10日(土)6:00起床。風は幾分治まったようだ。7:00横殴りの霧雨の中、カメラを持って外に出てみる。何人かの入所者の方たちとすれ違い、挨拶を交わす。自然と挨拶を返してくれる。外から訪問している私たちの心持ちが自然体になってきたからなのか、入所者の皆さんにも少しずつ顔を憶えていただいている気がする。朝早くは女性の入所者の姿が目立った。お昼はあまりお見かけしない。
海岸で波打ち際を撮影する。

帰りの「せいしょう」から。海は依然荒れている。

帰りの「せいしょう」から。海は依然荒れている。

当直の方から宿泊所に連絡があり、朝一番の船は運航している模様。できる限り長い間大島で過ごしたかったが、スタッフ泉と相談して8:25発の官用船高松行きに乗ることにする。
9:00高松に着くと、町のにおい、排気ガス臭を鮮明に感じる。たった一晩だけだったが、大島の潮の香りに慣れていたようだ。港から15分ほど歩いて高松市美術館に向かう。ここには一度大島に行く時にご一緒した学芸員の住谷さんがいる。住谷さんから展覧会の話を聞いていたので、時間がある時に是非訪れたいと思っていた。
流政之展を鑑賞する。私は浪人生時代に師原裕治に連れられて東京の個展会場で一度お会いしたことがある。元零戦パイロットで戦後早くからアメリカに彫刻の世界でなぐりこみ。幼少から武芸、刀鍛冶に慣れ親しんだ、異色の彫刻家だ。流氏は容姿は侍のようにきりっとしていて、人を惹き付ける独特のオーラをたたえている。高松市当地では石材がとれる庵治町の石工たちを束ねて、かの有名な「雲の砦」を制作した。そう、ニューヨークワールドトレードセンター近くに設置されていた、あの伝説の彫刻。9.11の直後には無傷だったそうだが、救助活動のために撤去され、移動され埋め立てられたそうだ。今作品はどこにあるかは誰もわからない。話は長くなってしまったが、その縁もあり、高松で流氏の展覧会を開くことは大きな意味がある。100点以上におよぶ作品。その数におののく。また、作家と美術館のはからいで主要な石彫作品は触れることができる。これはうれしかった。見て触れ、触れて見る、彫刻鑑賞の醍醐味だ。

麺は絶妙なコシ。

麺は絶妙なコシ。

展示を観てお腹いっぱいになったところで、今度は胃袋を満たすため、商店街に行き、うどんを食す。地元住民が頻繁に出入りする、セルフ式の飾らないお店。おいしかった。
その後、港に隣接する、玉藻公園に行く。高松城の内堀が遺されていて、片面が海、お堀は海水を取り入れている全国的にも珍しい城跡公園である。お堀には鯉ならぬ鯛が泳いでいる!園内をスタッフ泉とあれやこれやと話しながら歩いていると、ある女性に声をかけられる。いつにはじまったことではない。私はよく話しかけられる。その女性は地元のボランティアのガイドさんで、特別に披雲閣を案内していただいた。すごく丁寧な説明と歴史の語りは見事。私見だがこの女性は退職された教員なのではないかー。公園入り口の帰り道まで庭園の成り立ち、逸話を聞きながら、案内いただく。枯山水の構成についても造詣が深く、流暢な解説にまたも満腹である。
これには高松の人々の素地を見る思いがした。2010年開催される瀬戸内国際芸術祭の折りには存分に発揮されるに違いない。

マリンライナーに揺られながら出会った光

マリンライナーに揺られながら出会った光

帰路につく。新幹線は連休の初日とあってか、ごったがえしている。大島の潮の香りから玉藻公園の趣きある静けさ。一転して都会の喧噪へ。日本列島の毛細血管のとっさきから大動脈に流れ込む。今回の旅は終わりを告げる。