Nobuyuki Takahashi’s blog

やさしい家との対話

私が制作した+Galleryでのインスタレーション作品。ギャラリーの床下の小さな空間にもう1つの隠されたギャラリーを制作。

私が制作した+Galleryでのインスタレーション作品。ギャラリーの床下の小さな空間にもう1つの隠されたギャラリーを制作。

その床下のギャラリーには元うどん屋だった様々な遺物を拾い集め展示した。これは床下のギャラリーに小型カメラを仕込み、それをテレビモニターで見られるように装置づけられている。

その床下のギャラリーには元うどん屋だった+Galleryで発見した様々な遺物を展示した。これは床下のギャラリーに小型カメラを仕込み、それをテレビモニターで見られる仕掛けなっている。

1月16日、17日、18日と2泊3日で新潟県十日町市に行って来たことは先のブログで紹介した。
その活動について。
これまでにも、何度か説明したが、私たちは「大地の芸術祭越後妻有アートトリエンナーレ2009」に参加する。その活動場所として新潟県立十日町病院、そして「やさしい家」と名付けた、空き家をサテライトスペースとして活用する。
16日(金)の研究会と定例となった懇親会をあとに、17日(土)は朝9:30ごろから空き家「やさしい家」の整備にとりかかった。朝一番に家主さんである樋口さんが来てくれていて、のこりの大きな洋服ダンスを4棹ほど、近くの現在のお住まいにトラックで運ぶ。その間雪が降り続ける。見かける人々のほとんどが長靴。これだけ雪が降っているのに、十日町の商店街には人影が少なくない。当たり前の日常なのだろう。私たちにとっては寒さに震える以外の何者でもないが。
その後全員で空き家の掃除をする。畳の上を雑巾がけし、廊下の隅々、障子の桟一本ずつに至るまで磨きたおす。こうした作業は展示する前の片付けであるだけでなく、人が住まなくなって久しいために降り積もった積年のほこりを落とし、清める意味合いもある。私の考えではこれらは空き家の歩んできた歴史や暮らしの痕跡を排除する作業ではないと思っている。もし、そうするのであれば、躊躇なく壁という壁にベニヤ板をはり、白ペンキでオールペイント、いわゆる「ホワイトキューブ」に作り替えてしまうだろう。だからこそ、生活の気配や痕跡を構成する、片隅に遺されたほこり、柱に残る傷、片隅に打ち込まれたままの釘一本にいたるまで、その背後にある存在意義を確かめなければならない。すべてを現状のままにすることも1つの考え方だろう。でも、それでは「空き家」であることがあまりにも強く感受されてしまう。そこで空き家独特の無作為の積み重ねが放置されているところから、そこにある事象に耳を傾けながら取捨選択していく作業が必要になってくる。喩えれば、長い年月の間に描き換えられ続けた壁画の一層ずつをその当時の関わった人々の意図を読み取りながら剥離し、もとの原画に近づけていく作業と言えば良いか。
アーティストの仕事は新品のキャンバスに筆を入れることばかりではない。すでにそこにあるものたちには時間と空気と人の気配が在る。それらと対話し、そこに一筆を入れる仕事があってもいい。上の作品写真は私と二人のアーティストとで運営する自主運営スペース+Galleryで展示した作品である。自分たちの手で元うどん屋だった建物をリノベートした。だからこそ、制作できた作品である。