Nobuyuki Takahashi’s blog

ベンツ

私は大学卒業後、とある看板屋さんから仕事をいただいていた。当時は出力したものを貼付ける看板が主流になりつつあり、フィルムを貼付けたり現場での施工ができる職人はいても、絵が描ける人はかえって貴重だった。私は絵が描けたので、油性ペンキで絵を描いたり、壁画を描く仕事があれば、すぐに社長から電話がかかってきた。
初めて社長と会う日のこと。愛車のぼろぼろの軽トラックに乗って会社のある半田市へ。それほど大きくはない工房に入って行くと社長が事務所の一番奥にどっしりと座っていた。がっしりとした体格、眼光鋭く、パンチパーマ。向こうの本棚には何やら任侠関連の分厚い本がずらりとならんでいる。この事務所はひょっとして…。
社長は仕事には厳しかったが、いつも私にやさしかった。社長は一職人から始めて叩き上げて独立し、今では10人ほどの職人さんを抱えるまでになった人である。社長が「明日までに仕上げておけ」と言われれば、腕に賭けて明日までに完成しなければならない。社長の指示にはいつも社長が歩んで来た経験とプライドが見え隠れしていた。だからこそ説得力がある。工房で働いている職人さんも本当にまじめによく働く。とても統率されていて、一種怖いほどだった。私は好かない言い方だが、昔から看板屋を生業とする人は”絵描きくずれ”と言う人もいて、社長も例に漏れず昔は絵描きになりたかったそうだ。私が貧乏しながらも個展を開くと、社長は必ず奥さんと一緒に顔を出してくれた。すごくうれしかった。
ある日、いつものように自宅に電話がかかってきた。ゴルフ場から受注した3m×4mの看板絵を2枚急遽描いてくれとのこと。工房に着くとすでにトタンがしっかりと張った看板がいつでも描き出せるように壁面に据えられている。まずはOHPで投影して大方の図柄をトレースする。例によって2日で描け、との指示、気合いを入れて描き始める。夜中までかけて工房で一人描いていると社長が様子を見に来た。「おい、飯食いに行くぞ」と言われ、私は自分の軽トラックに乗り込もうとすると、「なにやっている、乗れ」とおっしゃる。社長の車は黒塗りスモークばりばりのベンツ。私はめちゃくちゃきたないペンキだらけのツナギを着ていたので「いや、車汚れますよ、乗れないっす」とやんわり断ったが「いいから乗れ」の一言で仕方なくベンツのドアを開ける。開けてさらにぞっとする。よりによって車内は真っ白なムートンが敷き詰められている。覚悟を決めて乗り込む。ココイチに連れて行かれ、「好きなだけ食え」というので、たらふくごちそうになる。社長から仕事を頑張れと言われたことはなかったが、それ以上の激励を感じていた。小さなことにこだわらず、24時間工房と職人のことを考えてくれている。
ある日しばらくご無沙汰していたが久しぶりに社長から電話がある。現場に直行とのことで、工房には行かず、現場近くの喫茶店で待ち合わせる。すると、社長がおんぼろの国産車に乗って現れた。私は事情も聞かずコーヒーを飲みながら今回の仕事について社長と打ち合わせた。社長の車をぼんやりと見ていると、社長が「実は会社、一回つぶれちゃってな。」
会社は倒産してしまったそうだが、働いていた職人さんたちは一人として工房を離れなかったのだそうだ。でっかいベンツも売り、すべてなげうってやり直しである。「あいつら、やめないって言うんでな。」
私は職人さんが去らなかった理由がよくわかっていた。皆社長の男気にほれていたのである。
あの人への恩返しはこれからの若い世代に少しでも何かを伝えることだ。