Nobuyuki Takahashi’s blog

2008年 10月のアーカイブ

やらねば

2008年 10月 30日

昨日29日の17:30に名古屋市稲葉地の同朋学園キャンパスに着く。シンポジウム会場となる成徳館12階ホールはこのキャンパス内にある。使用するPC、音声機材、観客の導線をチェックする。参加申込みのファックス、メールがぞくぞくと届いている。企業関係者の申込みも思いのほか多い。関心の高さが伝わってくる。シンポジウム開催までちょうど一ヶ月。緊張感が高まる。
実は今回のシンポジウムは同じ同朋学園の3大学が連携している。パネルディスカッションには生命倫理の専門家として田代俊孝先生が同朋大学から参加される。また、シンポジウムのプログラムには名古屋音大のジャズ演奏を予定している。(チラシには公表していないので、このブログを読んだ人のみ知っていることになります。)それぞれの大学が独立しながら、時には連携、連動ができる関係につながればと思う。
シンポジウムの案内チラシはできる限り広く配布した。いくつか宛名所在不明のチラシが返送されてくる。その中にプロジェクトを取材してくれた、あるラジオ局のアナウンサーのお名前があった。「本人死亡のため受け取り拒否」。 情報誌「ヤサビのイト」はつい最近まで届いていたはずだ。だのに。
彼女は単なる取材ではなく、特別の思いで取材をしていた。大きな病気で入院し、退院復帰して私たちの活動を知ったのだそうだ。「こういう活動があって、ほんとうにうれしい」と取材のあとに涙ながらに話してくれたのを覚えている。
あぁ、シンポジウム会場で もう一度  お会いしたかった。

小牧市民病院 研究会

2008年 10月 28日

小牧市民病院小児科/中待ち合いの装飾 エアコンの風に揺られる

小牧市民病院小児科/中待ち合いの装飾 エアコンの風に揺られる

16:00 授業を終えて、小牧市民病院へ。今回は小牧スタッフ泉と絵本の制作者廣畑さんが同行した。廣畑さんは普段はやさしい美術のメンバーではないが、今年小牧市民病院の小児科病棟と連携して絵本を提供することになり、絵本を制作することになった。彼女のイラストレーションは完成度が高く、絵本の世界から飛び出した動物やキャラクターが外来中待ち合い室、病棟処置室の壁面を彩るプランに作品を制作してもらうことになったのだ。
16:30 小牧市民病院に着き、まずこれからの制作のために小児科外来の中待ち合い、小児科病棟の処置室を見学した。最近の小児科では様々な工夫が凝らされている。壁面は薄いピンク色の動物をあしらった壁紙が貼られている。エアコンの吹き出し口には切り紙細工が風に揺られている。まとまりがないとは言え、こどもたちの気持ちに沿った環境づくりを実践している様子が伝わってくる。協力したい気持ちにかられる。同行した廣畑さんもその空気を実感しているようだ。
17:30 二階会議室で研究会を始める。時間になっても看護師さんがなかなか集まらないのは、病棟での患者さんへの対応に追われているからとのこと。これが、病院の現実だ。いつも病院職員さんに時間を作っていただいているが、隙間を縫ってきていただいていることを忘れてはいけない。だからこそ、集中して検討、議論しなければならない。
今回は絵本の進捗状況を説明し、これから完成に向かう絵本について検討した。イメージスケッチやページ構成を見て、病院職員さんたちの反応はとても良い。完成度の高い絵本になることを願う。また、廊下の壁と天井の角に設置する予定の装飾モビールの具体的な検討に入った。サイズの検討は現場に実際に取り付けてみてバランス、危険性などのチェックを行なった。看護師さんから、ストレッチャーに乗せた状態の点滴の金具が作品にあたって破損するのではないかとの指摘があり、再度現場で検証してみる。取り付けの位置を工夫すれば問題ないようだ。こうした現場での検討を重ね、その空間と状況に合わせたデザインを実現していく。造形的バランスと医療業務の機能との融合が試みられるわけだ。
病室内のモビールプランはより慎重な検討とデザインの精度が求められる。これからが勝負だ。

他人の作品を自分の作品と思え 自分の作品を他人の作品と思え

2008年 10月 27日

17:30 定例のミーティングが始まる。先週は小牧市民病院の絵本プランの中間プレゼン、発達センターちよだのワークショップ、妻有ツアーなどが相次ぎ報告事項がたくさんあった。
今週は31日(金)に足助病院研究会がある。前回の研究会で提案した作品プランの試作品や修正案を検討する予定だ。
やさしい美術では、作品プランや試作品をミーティングで発表し、学年、専門の異なる学生がお互いの作品や仕事を批評し合う。自己表現の美術領域では完成した作品を前にして講評会を行なうことが多いが、制作途中で仲間同士で批評し、意見を交わすというのは美術大学ではまずめずらしいことだとおもう。
やさしい美術プロジェクトでの作品は医療現場とのやりとりの中で醸成されていくことが多い。けれど、病院の意見に迎合する、ということではない。常に病院にいる人にどのように体験されるか、どのように見えるのか、高い精度が求められる場だからだ。
ミーティングについて話を戻そう。ミーティングでは他の人の作品についてかなり踏み込んだ批評をする。自分だったらこうするとか、スケジュールの立て方が遅いとか、制作姿勢についてまで発言がおよぶ。自分の作品に接するように他者の作品にも強く要求していくことで、制作者として不可欠な批評の精神を養う。他者を蹴落とすのではなく、病院の中では自分の作品はもとより他の人の作品もより良いものであって欲しいという願いだ。これは病院の現場に伴にしている仲間として、そしてライバルとしての「やさしさ」だと私は思う。
一方では制作に没頭し作品を自分に引き寄せすぎるあまり、袋小路に入ることもある。その時は、自分の作品を他者の作品と思い、冷徹にチェックする必要がある。制作とはこの他者の視点と自己の視点の振幅の内に結実すると私は考える。

妻有ツアー プレゼンpart1

2008年 10月 26日

作品プラン「掌座」/ラフスケッチ/高橋伸行

作品プラン「掌座」/ラフスケッチ/高橋伸行

10月24日 8:30春日井駅に集合。妻有ツアーの出発だ。今回の参加者は教職員7名、学生12名、スタッフ3名総勢22名。学内で「領域を越える」「領域を極める」教育研究体制は整いつつあるが、コースや専門分野を越えて学生が集まり、そして事務職と教員が一同に会する機会はやさしい美術プロジェクトのような社会実践プロジェクトが先陣をきって実現している。今回は十日町病院に来年のトリエンナーレに向けて初めて作品プランをプレゼンテーションし、空き家活用プログラム「やさしい家」をスタートする記念すべき研究会だ。それをできる限り多くの学生、教職員に見てもらいたい、という目的もある。
片道6時間という長旅になるので、その間プロジェクトの成り立ちや大地の芸術祭越後妻有アートトリエンナーレについて、そして今回の旅の目的を私から説明する。
15:30 松代農舞台に到着。空き家「やさしい家」の鍵を借りる。
16:00 新潟県立十日町病院着。全員腕章、名札をつけて、緊張の面持ちで十日町病院正面入り口を入る。
事務所に立ち寄ると、プロジェクト担当の井沢さんが笑顔で迎えてくれる。まず4つのグループに別れて1時間ほどかけて病院内を見学する。前回のトリエンナーレの作品がどのような場所に展示して、患者さんや病院職員さんにどのように体験されていたかを現場を見せながら説明すると、その作品の意図や空間性を良く理解してもらえる。記録写真では伝わらない、病院の空気感は現地に行き、現場にはいらなければなかなか実感がわかないのだ。教員の一人からは「表示、掲示、サインといった情報が未整理な病院に作品を展示することは難しい」という意見もあがる。そうした病院のあり方そのものへの提案性もこのプロジェクトには含まれている。
17:15 研究会が始まる。病院サイドからは院長を含めた11名の参加。プレゼンテーションと記録をするプロジェクトメンバー、スタッフの他は研究会を見学する。作品プランは私と卒業生スタッフの赤塚、泉、そして、プロジェクトメンバーの川島、浅野のプレゼンテーション。浅野は空き家「やさしい家」に住み込んで、人々と交流しながら絵を描くプランを発表。ただ絵を描くだけでなく、地域の人々と交流しながら、今はもう見られない過去の景色を再現して描くことにも挑戦する。妻有の人々の心に残っている風景を発掘する作業だ。川島は映像作品を集めてくるプランを考えていたが、直前に変更。まずは自分の映像作品を完成度を高めて展示することにした。「妻有の水」がテーマになる。どのように院内で人々に観てもらうか、やさしい家との連携はどのように考えるか、これからが楽しみの作品だ。泉からは足助病院で大好評だった、「えんがわ画廊」を病棟全館、なんと76室すべてのネームプレート下にミニギャラリーを設置するプラン。アートが定期的にやってくる、その舞台を各病室に設けるユニークなプランだ。画一化された病室に変化を与える効果が期待できる。特に長期入院の方々に喜ばれるに違いない。赤塚のプランもおもしろい。足助病院のリハビリ室で朝顔のトンネルを作り、リハビリをする人々を力づけている、その朝顔を十日町病院でも咲かせよう、というものだ。それを赤塚は両病院の「結婚式」で結びつけようとしている。社会は様々な系列、母体、に別れている。それらのセクションは様々な事情で干渉せず、交流がない。病院も例外ではない。足助病院は厚生連と十日町病院は新潟県。当事者にとってはいささか乱暴な「結婚」は病院の人々にも本学教職員にも受け入れられていた。アートの力だ。「まずはお見合いから」との話で将来に向けて進めていく。
私は写真作品を提案。前回のトリエンナーレでは写真を出力した透明フィルムをガラス窓に貼り、外からの光にかざして、水玉に映った風景を観る作品。今回はオーソドックスに印画紙に焼いた写真を展示する。現在も地元の写真部や写真家の人々の美しい草花、風景の写真が並ぶ。私の撮る写真はひと味違うものを目指している。手を台座に妻有の自然物を写真に撮る。手のモデルは病院の職員、患者さん、やさしい家で募集する。
18:15 研究会が終わったその足で空き家「やさしい家」で家主の樋口さんとお会いする。明日の荷物整理の打ち合わせだ。研究会がながくなってしまったので、少しお待たせしてしまった。とにかく一階にある荷物を二階にあげる、ということで、まかせていただいた。
19:00 会場を病院から宴会場に移し、親睦会。すきやき、かに、お刺身…すばらしい彩りで季節の料理が並ぶ。私は塚田院長とお話ししながら、料理を食する。
今の時代に医療とアートが出会い、何か一つのものを見つめながら、仕事することの意味。その意義についてじっくりと話した。今回初めて妻有を訪れた教職員はおいしいお酒も手伝って心を開き、妻有の人々とあたたかいひとときを過ごす。とてもすてきな時間だ。皆さん、ありがとうー。
23:00 私と川島は空き家「やさしい家」に戻る。他の皆さんはホテル泊。夜の「やさしい家」を体験するのは私たちが一番乗り。
1:00 就寝
10月25日
7:30 起床。小雨の中、カメラを担いで、やさしい家周辺の草花を撮る。
9:15 ツアー参加者を乗せたバスがやさしい家前に着く。皆で空き家「やさしい家」を見学する。あんなことがやれる、こんなことができるかも、様々な想像が広がり、口々に夢を語る。現地に来て、この空き家を見て、ツアー参加者の皆さんは大きな可能性をつかんでいるようだ。
10:00 初めて当地を訪れた教職員、学生は妻有作品鑑賞ツアー、プロジェクトメンバーと私の6名はやさしい家に残り、空き家内の荷物整理にとりかかる。
荷物は想像以上に多い。家具類などの大物をまっさきに二階にあげたいのが人情だが、まず、うまく収納するためにガレージ二階を整理し、スペースをつくることから始める。かなりスペースが稼げたので、家具以外の雑多な荷物をカテゴリー分けしながらガレージに納めていく。作業はハードだったが、ハイペースで片付いていく。
15:00 作品鑑賞ツアーからバスが帰ってくる。廻ったのはうぶすなの家、光の館、ボルタンスキーの最後の教室。スタッフ伊東の案内で皆さん、満足そうだ。大地の芸術祭のことを知ってもらうことは私たちの活動を知ってもらうことでもある。とてもうれしい。
空き家荷物整理も予定よりもはかどった。庭の草むしりも敢行し、大きな家具のみを残してすべての荷物をガレージ二階に納めることができた。
16:00 空き家「やさしい家」の鍵を松代農舞台に返し、一路名古屋へ。
22:00 春日井駅にて解散。
今回のツアーにはこれまで参加することのなかった教職員、学生が参加した。今後、その人々が直接プロジェクトに関わらなくとも、このプロジェクトの呼吸している空気、連帯感、現場での挑戦をどなたかにきっと語りつないでくれるだろう。次回は12月初旬に妻有を訪れる予定だ。そのときはまたいくつかの提案が病院に提示されるだろう。

ちょっと冒険

2008年 10月 23日

トレードマークのTシャツ/義兄弟キムキラ氏からの贈り物

トレードマークのTシャツ/義兄弟キムキラ氏からの贈り物

今日、新調した毛糸の帽子をかぶって出勤した。いつもと同じ服に帽子だけがいつもと違う出で立ち。これだけで、多くの人がすれ違っても私と気付かなかった。「私」は他者にどのように捉えられているのだろう。どんなイメージがついてまわるのだろう。
私の服は多くはもらいものだ。贈られたものもあるし、記念に買ってもらったものもある。なぜか身につけるものを人からいただくことが多い。私の服へのこだわりや趣向はあるけれど、人からもらったものは積極的に身につけるようにしている。その時に「俺はこんな服似合わない」とか「この色は俺のイメージじゃない」という思い込みを捨てるようにしている。自分に課したちょっとした冒険だ。
他者から私に身につけて欲しいと思うもの。それは私の中にあるイメージとずれがあるだろう。いや、もともと自分がイメージしている自分なんて幻想かもしれない。自分という人形(ひとがた)が着せ替え人形だと思えば、ちょっと冒険してもいいかな、と思う。
不思議なものだ。私の身につけているものは私が選んだものばかりではないのに、いつも身につけているものが次第に私のイメージになる。今日、かぶった毛糸の帽子は顔なじみのお店の男の子が選んだ。彼が選んだものを受け入れて、身につけてみたら、案外、いいじゃん、と思った。しばらくすると、この帽子をかぶった私のイメージが定着する。

笑顔

2008年 10月 22日

みどりのこころ/2005年足助病院にて

みどりのこころ/2005年足助病院にて

今日、すてきな笑顔に出会えた。
彼女はやさしい美術プロジェクトのメンバーだった。デザインチームが取組んでいた、絵はがきフレーム付きマルチボックス「私の美術館」の試作品制作が進んでいる3年前、手伝ってくれる人が見つけられなくて困っていたら、彼女がまっさきに手をあげてくれた。
こんなこともあった。妻有アートトリエンナーレ2006の時だ。絵はがきワークショップのときも彼女の姿があった。病院職員が患者さんにあてて絵はがきを描くためのサポートスタッフとしてお手伝いをかって出てくれたのだ。思えばプロジェクトのピンチの時にいつも彼女がいた。
2年前のこと。彼女は大きな事故にあってしまった。電車が止まってしまうほどの。教授会で事故の内容と事故にあった学生の名前が呼ばれた時、はじめて知った。
教授会ではいのちの危険があり、予断を許さない状況との報告があった。私は教授会後に早速連絡先と入院している病院を教えてもらい、彼女のご両親に連絡した。もう2度と会えないかもしれない。私はご両親に無理を言って、集中治療室に入らせていただいた。彼女は頭を強く打っていたのでまるでまりのように頭部全体が膨らんでいた。とても生きているようには思えなかったほどだ。彼女に会いにいったその日の夕方、重い気持ちを胸に、私は個展開催のため韓国ソウルに飛ぶ。
彼女は奇跡的にいのちを取り留めた。
事故から約2年の今日、彼女はご両親と名古屋造形大学に立ち寄ってくれた。同級生のスタッフの泉と赤塚とで一緒に会いに行く。彼女は車椅子にゆったりと腰掛けていて、言葉は返ってこないけど、泉、赤塚の顔を見るなり笑顔が自然とわきでた。人はここまで恢復するのだ。「こんなにいい表情になったのははじめてだ。」とおっしゃるお父さんの笑顔もまぶしかった。

念力

2008年 10月 21日

私の持っている機械式の時計は東京の本間誠二さんが整備してくれている。クォーツ時計はほとんどメンテナンスフリーだが、私の持っている時計は時代遅れのぜんまい仕掛け。3年に一回はオーバーホールが必要だ。本間誠二さんの手にかかれば日差5秒という驚異的な精度で整備してもらえる。
30年ほど前だろうか、ユリゲラーという超能力者の来日が日本全国を揺るがしていた。テレビの超能力の特番(生放送)でユリゲラーが登場し、時計の専門家から腕時計を渡され、それに掌をかざすと、猛スピードで時計の針が回転する、というパフォーマンスを披露した。それだけでなく、ユリゲラーはテレビの前にいる視聴者にも自分の時計に各自念力を送るように呼びかけると、全国の視聴者から、時計の針が高速で回転する現象がつぎつぎと報告された。当時、とても興奮したのを覚えている。
実はこの番組で腕時計を渡しているのが、本間誠二さんその人である。本間さんと知り合ったのは3年ほど前になるが、初めてお会いした時にユリゲラーのことを話してくれた。
その当時から時計の世界では知られた存在だった本間さんにテレビ局から風変わりな依頼がくる。ユリゲラーという人に会ってほしいとのことだった。本間さんは本人が泊まっているホテルに出向き、まずは会ってみることにした。ユリゲラーは本間さんと挨拶を交わした後、本間さんのしていた腕時計をはずすように言われた。その腕時計を手にとったユリゲラーは呼吸を整えて掌をかざした。すると、猛スピードで時計の針が回転し始めた。
本間さんはたいそう驚いたそうだ。本間さん曰く、時計がそのような回転をすることは物理的にあり得ない。しかも、初対面の人の、それもよりによって時計の隅々まで知っている時計師の自前の時計に奇跡を起こしたのである。
アーティストは超能力者だと思うことがある。平面に奥行きを作る絵画表現、ホンモノ以上にリアルな彫刻、普段見ることのできない心の奥底を表現する…。見えないものを見えるようにし、かたちにできないものをかたちにした。
スプーン曲げの得意な超能力者が、スプーンを曲げる時のコツを話していたのを覚えている。スプーンの掬う面に自分を映し、金属でできているスプーンのかたさの概念を捨て、心を無にして、とてもやわらかい材質だと思いなさい、鮮明にイメージできれば、スプーンは自ずとふにゃふにゃになる、とのことだった。
当たり前だと思われていることに疑問を呈し、どうでもよいと思われていることにこだわる。アーティストの営みは人が気がつかない事象の隙間に流れ込む水のようなものだ。浸透していった水はメディウムとなって世界をつなぎ、断絶された事物をふしぎな方法で修復していく。
私自身もアートに触れて、心の中の隙間が充填された経験を持つ。そして、そんな仕事が一生をかけてできればと思う。

旅の季節

2008年 10月 18日

佐久島で拾った石/家族へのお土産

佐久島で拾った石/家族へのお土産

現在、プロジェクトスタッフの泉麻衣子がASYAAFの副賞で、「ビエンナーレツアー」に出かけている。プロジェクトのリーダー川島は名古屋造形大の国際交流展プログラム「transit(トランジット)」で香港に出かけている。来週24日、25日には妻有ツアー(今回はなんと23名の参加!)その次の週31日には大島訪問…。まさに旅の季節。一人一人が実りある旅となることを願う。
私は16日、17日とアートプロデュースコース、交流造形・メディア造形コースの総勢30名で佐久島に研修旅行。佐久島はアートプラン21というプログラムで島の自然と伝統、そしてアートが出会う場を創り出している。最近では私と二人のアーティストで運営する+Gallery projectで展示をプロデュースした若手アーティストの荒木由香里さんが佐久島でワークショップを行なっている。島に流れ着いた様々なゴミで生き物を作るというものだ。機能や役割、名前についた「モノ」は名もないただのゴミとなって捨てられる。そうした役割を終えたゴミたちに再びいのちを吹き込むのはアートの力だと思う。今回の旅の間、私は瀬戸内の大島のことが頭からはなれず、大島を想定して、島の風景や自然を捉え、息がほおに触れる距離感で島に寄り添おうと思った。干潮時に海岸線を歩き、貝殻を拾う。石を拾う。無我夢中でカメラのシャッターを切る。気がついたら足下が波に洗われていた。
翌日17日 5:30起床。足早に着替えてカメラと三脚を担いで外に出る。薄暗がりの海は薙いでいる。てろん、とした水の質感を写真で表現したいと思う。佐久島本島から200mほど大島(佐久島の)に伸びている歩道に朝の散歩に励む島の住民を見かける。歩道の脇に平行して電線があり、そこにはからすが30羽ほどとまっていて、近づいた人を見かけて一斉に飛び立つのを見る。頭上には月。なんとも絵画的な光景。朝日に照らされた波頭を夢中に撮る。
6:00頃に日が昇る。そこからは一気に明るくなる。顔に日差しがあたり、あたたかい。随分と写真を撮った。現像してうまく撮れていたら、後日披露する。
私たちは運がいい。私たちが訪れた17日は佐久島の年に一回のお祭り。着いたその日に知った。島民は朝からお酒を飲んで大太鼓をたたく。なんでも、漁師さんは夜が早いので、3時には終わるそうだ。「佐久島太鼓」は独特のバチさばきで島の若い衆から年配の方まで代わる代わるたたきまくる。ビートが聞いてて心地よい。島の人々全体が喜びに満ちている。すばらしい光景だ。よそ者の私たちをまるで島民のように迎え入れてくれる。
15:00 渡船に乗り、帰路に着く。次第に遠ざかる佐久島を眺めながら、再び瀬戸内大島を想う。

あいちトリエンナーレ2010

2008年 10月 15日

プロジェクトルーム廊下に西日が射す 外は芸術祭のバンドの轟音

プロジェクトルーム廊下に西日が射す  外は芸術祭のバンドの轟音

昨日あいちトリエンナーレ2010のシンポジウムが開催された。シンポジウムのパネラーはあいちトリエンナーレの総合ディレクター建畠晢氏、横浜トリエンナーレ総合ディレクターの水沢勉氏、そして妻有アートトリエンナーレ、瀬戸内国際芸術祭の総合ディレクター北川フラム氏。
私は北川フラムさんに会う約束があったので開場1時間前に会場である愛知県芸文センターにつく。しかし、電話を何本もかけまくらなければならない状況で北川さんに連絡ができない。プロジェクトの活動で24日、25日の妻有ツアーに出かける予定があり、最後の調整、参加者の確認、そして今週出かける大島や香川県への連絡に追われる。
様々な事情で今週の大島訪問は見送ることになる。
16:00 あいちトリエンナーレのシンポジウムが始まる。会場ではアーティストやパフォーマー、評論家など関係者が300名ほど集まる。それぞれのディレクターのスタンスと実現したアートプロジェクトについてプレゼンテーションが続く。「自分と向き合う鏡として機能するアートと出会う空間。展覧会を作りたかった。」という水沢氏と対照的に北川さんは「あるものを使う、ないものをつくる。様々なトラブルを乗り越えていく過程は他者との関わりを作っていくことで、アートはすばらしい役割をはたす」と述べていた。一見対照的な発言。しかし、ここには他者へのまなざしの重要な視点を提示している。他者を知るために自分と向き合う。他者と関わることでかけがえのない自分と出会う。アートはだから、おもしろい。
建畠氏は「アートは毒を持っている。時にはやけどしそうな危うい存在。そうしたアートの先鋭的な側面を忘れたくない。」という言葉も印象に残る。アートには提案性、つまり、今ある何かに抵抗するような、北川氏の言葉を借りれば無邪気な赤ちゃんのような存在なのだ。
私たちの「やさしい美術」プロジェクト。やさしい と 美術 は通常結びつかない。美術は強くなければならない。確固とした個が主張されていなければならない。もちろん、どうしてそうであるべきなのかは理解できる。「個」という存在自体が歴史が勝ち取った宝ものだからだ。だから、あえて私は提案したい。人には生きる強さ、寄り添う、ちがった質の強さ=やさしさ があるのではないか。しかし、やさしいという言葉に酔ってはいけない。やさしいという言葉に甘んじてはいけない。世の中には「やさしい」という甘美な言葉をまとった虚しい空白が存在している。
シンポジウム終了後、舞台に駆け寄る、北川フラムさんもすぐに「くっつけたい人がいるから」とおっしゃる。私の4列ほど前の方に着席していたスーツ姿の男性を紹介される。香川県庁の谷口さん。原稿用紙にものすごくたくさんのメモをとっていた人だ。会場で会った、アーティスト、美術館関係者、友人、そしてその日すぐに東京に帰る北川さんと挨拶して会場を離れる。ちなみに北川さんは翌日著名なアーティスト、ボルタンスキー氏に会うそうだ。
香川県の谷口さんと食事しながら、今後の大島での活動について意見交換する。とても可能性を感じる。

今日、ASYAAFアートフェアの作品を返却するため運送会社に行き発送する。出品作家の設楽陸くんは大学までわざわざ作品を受け取りにきてくれる。設楽くんには「走っている暴走族の後ろからいけいけー!と叫んでいる奴より、一番前で走る暴走族になれっ。」というわけのわかんない激励をしてしまう。わかるかなー。(笑)

Space+ オープニング

2008年 10月 11日

+Gallery project とパク・サンヒ(韓国の若手アーティスト)

+Gallery project とパク・サンヒ

+Galleryは今年4月からSpace+に生まれ変わり、月に一つのペースで企画展を行なっている。私と平松伸之(代表)、冨永佳秀の3名のアーティストで運営する+Galleryはこの名古屋周辺地域でオルタナティブなムーブメントをリードしてきた。現在は+Gallery projectとしてSpace+の他に国内外で企画を行なったり、若手アーティストのプロデュース、展覧会をオーガナイズしている。今日、度會 保浩(わたらい やすひろ)の個展「相対」がオープン。企画は持ち込みで岡地史。陶による造形だが、既存のかたちにまつわる名称や機能を独特な切り口で消失させてみせる作品。機会がありましたらぜひお越し下さい。
オープニングでは度會氏の奥さんや仲間ですてきな料理でおもてなし。料理もアートだね。

http://homepage3.nifty.com/plusgallery/

オープニングのすてきな料理/奥の白いカボチャそうめんは度會氏の小品作品

オープニングのすてきな料理/奥の白いカボチャそうめんは度會氏の小品作品