Nobuyuki Takahashi’s blog

2011年 4月のアーカイブ

七ヶ浜 足湯

2011年 4月 30日

6:00起床。それぞれが自分の食器を持参して厨房に行き、ご飯を盛る。インスタントのみそ汁にお湯を注ぎ、ぶっかけご飯を食す。
8:30ボランティア集合。レスキューストックヤード事務局担当者に絵はがき「ひかり はがき」340枚を持ってきたことを告げる。今日の支援活動が何になるのかはこの際こだわらない。まず、現地で求められていることを実行に移すことが先決だ。
作業振り分けが発表される予定だったが、個々に希望を出すことになる。私はこれまでの経験から力仕事に向いているのはわかっていたが、「ひかり はがき」を持参している限りはメッセンジャーとしての役割も重要だ。作業は撤去作業、泥のかき出し、ローラー作戦(住民のお宅をまわり、ニーズ調査をする)、足湯、その他はボランティアセンター(以降、ボラセン)で仕事を割り当てられる。私は一番被災した方々に会う機会の多い足湯隊に参加することにする。現地の事務局、一緒に活動するボランティアの皆さんにも「ひかり はがき」を配ることを快く受け入れていただいた。
午前中はトイレ掃除や片付け、物資、食料の整理の作業に追われる。少し経って気付くが、地元のボランティアも多い。その人たちも被災者である。皆明るいが身内が行方不明であったり、亡くなった方もおられる。
足湯隊は総勢8名、ミーティングを行う。仕切ってくれるのは、現地ボランティアのRさん。彼女も災害に遭った一人だ。この春ユニバーサルデザインを勉強すべく大学に進む寸前の大震災。大学の再開は5月に入ってからだそうだ。
足湯とは、被災した方々に足をお湯につけて、手足のマッサージを施し、しばしリラックスの時間を提供するという取り組み。実は加えて大切な目的がある。大きな災害にみまわれた方々が避難所で口にできない不満や不安を聞くこと、これ以上我慢ができないほどの極限の生活をしいられてこぼすこともできない自身の境遇を語り、解放する場であること。私は「ひかり はがき」を被災した方々との語らいのきっかけとして活用する旨を足湯隊メンバーにお願いする。
プロパンのガスボンベ、大鍋、ポリタンクに入れた大量の水、差し湯のやかんなど重いものも多く、なかなかの重労働だ。避難所の一つ「国際村」に向かう。
避難所に入って行くと壁という壁にびっしりと掲示物があるのに気付く。とても「ひかり はがき」を掲示するスペースはなさそうだ。手渡しがやはり一番だ。足湯の設えを整え、早速大鍋にお湯を沸かす。
14:00 足湯開始。最初は小学生の二人が足をお湯につける。温かい食事と同じように、足湯は人々の心を解きほぐして行く。
足湯隊の皆さんはとても「ひかり はがき」の意義を理解してくれている。足湯を待っている方に三つのファイルに綴じた340枚の絵はがきを見てもらう。気に入ったものがあれば、自由に持ち帰っていただく。初対面で人々の身体に触れ、お話をする。緊張しないはずはない。お互いの間に緊張が走ってしまう前に絵はがきを紹介する。「ひかり はがき」は話題作りのきっかけにもなっているようだ。私は3人の方に足湯を施した。
被災し、避難所生活をおくっているおばあちゃんAさんは私を見るなり、ご指名を受ける。屈託がなく笑顔を絶やさないAさんは「こんなに若い男の人にしてもらえるの、ありがたいねぇ。」とおっしゃる。手のマッサージをしていると、しばらくしてAさんは訥々と話しはじめた。
Aさんは例外に漏れずご自宅はすべて流されてしまった。夜寝る前にいろいろなことが頭に浮かび、興奮して眠れない。安定剤を常用して床につくのだそうだ。
足がむくんでいる方も少なくない。掌ががちがちに固くなってしまっている人もいる。きっと疲れがたまっているのだろう。足湯の間無言の方もいる。特に男性は。漁師だった方の手はごつくて大きい。海の男たちはいのちの糧である海に出ることができない。沈黙はただの沈黙ではなく、手からもじわりと伝わってくる。
15:15 足湯を終え、撤収作業にとりかかる。
15:30 ボランティア「きずな館」に戻る。私はすぐ近くのサッカー場のテントに行く。大きなアーチを描く3張りのテントの中身は、被災現場の泥の中から掬い出された、膨大な写真、位牌、身の回り品である。思い出の断片が持ち主から断ち切られ流れ流れて現場で撤去作業をしているボランティアや自衛隊の皆さんに拾われたのだ。個人の記憶がこなごなに粉砕される。その凄まじさに足がすくむ。もう、これ以上言葉が見つからない。
16:00 足湯の反省会を開く。実施の方法、人々との接し方、問題点の洗い出しと解決策を手短に話し合う。事務局スタッフはどうしても必要なこと以外はボランティアの自主性に任せる。一見冷たく感じられるかもしれないが、ここにやってきたボランティアの目的意識と志しを信じているからこそだと思う。一同に心地よい緊張感が張りつめている。
その後は夕飯の支度だ。我々ボランティアも食べて行かねば続かない。
同じ釜の飯を食う。今回参加するボランティア全員で食卓を囲む。チームは一体感に包まれて行く。
20:00 きずな館事務局でミーティング。分散して支援にあたったそれぞれのチームで今日の活動内容と反省点、確認作業を行う。情報の共有が大切。いつどこに派遣されることになるかわからない状況で、心に備えること、不安を解消しておくことはとても大切だ。
騒ぐ人、お酒(飲酒は禁止されている)を飲む人はいない。疲れを明日に残さないために、全員早く床につく。
23:00 就寝。

宮城県七ヶ浜町へ出発

2011年 4月 29日

8:00 久屋大通駅で降りる。今回参加するボランティアをコーディネートしている災害支援NPOレスキューストックヤードの事務局に向かうのだ。
事務所に行くと大きな荷物を抱えた人々が続々と集まってくる。年齢層は20代から60代まで幅広い。荷物を見ればわかる。旅慣れている人、登山経験者やベテランのボランティアの方がほとんどだろう。
簡単な打ち合わせののち、マイクロバスに乗り込む。定員20名ぎりぎり、19名が乗車。荷物と人で隙間がない。運転手は元市バスドライバー、長距離トラックドライバーのMさんとTさん。かけあい漫才のように楽しいお二人。Mさんの一言が印象に残る。「行けばわかるよ。ボランティアはチームなんだよ。一体になれる。」
新潟県十日町まで通っていた時期もあるが、かかって6〜7時間。今回は名古屋を出発して宮城県七ヶ浜まで11時間の予定。かの地がいかに遠いかと思う。
一行を乗せたマイクロバスは中央道、長野道、上信越道、関越道、北関東道、東北道とつないで行く。ゴールデンウィークで何度か渋滞にはまる。福島県に入るとバスが時折どんっ!とはずむ。道路が地震の影響で波打っているのだ。
思いのほか時間がかかる。とっぷりと日が暮れてしまった。仙台周辺に入ると、急に町の灯りが少ないのを実感する。遠景まで視線が届かない。仙台港北I.Cで自動車道を降りる。街灯は最小限に灯っているが圧倒的に暗い。街は土の色に染まっているのが暗いながらもわかる。
23:00 マイクロバスは七ヶ浜町に入り、少し高台のボランティアセンターがある公園に進む。自衛隊の装甲車やトラックの間を抜けてボランティア「きずな館」に着く。当地はまだまだ寒い。3月11日の時点ではどれほど寒かったのだろう。想像するだけで身が凍る。事務局スタッフさんが眠い目をこすりながら私たちを案内してくれる。詳細は明朝明るくなってからということになる。
24:00 寝袋に潜り込む。

絵はがきが集まる!

2011年 4月 27日

ぞくぞくと絵はがきが集まってくる。29日から被災地に出かけるが、300枚ほどは持って行ける見通しだ。
自分が描いた絵はがきがどのように届けられるのか、描いた皆さんの一番気になるところだ。できる限り心が届く方法を現地で見つけて、その様子を後日報告したいと思う。
私の描いた絵はがきで恐縮だが、紹介。

いのちの森 Morigami新展開

2011年 4月 24日

学食2FにMorigamiの折り紙ブースと仮植えの棚を設置した。実験段階だが、かなり多くの人が折ってくれることは予想がつく。今回はメッセージを描き入れてから折るバージョン。それらを被災地に持ち込み、被災者にも折っていただいて、森を育むという計画だ。まずは学内の皆さん、時間を見つけて折ってください。

想像力

2011年 4月 23日

昨日、仕事を終わらせ、覚王山でNHKのディレクター西川啓さん、ギャルリ百草のオーナーで陶芸家の安藤雅信さん、パティシエの石川記子さんと食事した。西川さんの呼びかけで東日本大震災に際して、自分たちに何ができるのか、ざっくばらんに語り合おうということになったのだ。
それぞれ皆さんは独自のスタンスで支援のかたちを探り、そして行動している。仙台にいる石川さんのご友人が手作りのマドレーヌ10000個を被災者に配ったそうだ。胸を打たれる―。私が「絵はがきワークショップ」の概要を説明したら、ギャルリ百草で簡易的なブースキットを組んでいただけることになった。ありがたい。
西川さんと話したことで、とても重要なテーマだと思われる「想像力」について書き留めておきたい。私たちは足助病院で入院しておられる病院利用者の皆さんにインタビューを行っている。いつも実感することがある。人と人が出会うということはその人の生きてきた時間や空間、記憶…その人を形成する諸々のバックグラウンドと出会うことに他ならない。病院では多かれ少なかれ自分の病院での経験と照らし合わせ、想像力を働かせながら、自分の姿をそこにいる患者さんに重ねて行くことができる。そこで起こっていることが自分の問題へとリフレクトされるのだ。しかしハンセン病の療養所である大島ではそうはいかない。出会った元患者さんらが歩んでこられた人生の道のりは私たちの想像をはるかに越えてしまう。それでも今を懸命に生きておられる入所者の皆さんと心を通わせ、笑って、泣いて、歌って、語っているうちに、少しずつ入所者の皆さんの心情が私たちの心に染み込んでくる。それは、きっと、痛みとか苦しみとか、普段目を背けるような感覚を介して、分け隔てられた自己と他者を共振させているのだろう。 想像力は拡張する。想像力は分断された関係性をつなぐ。
「絵はがきワークショップ」は想像力の挑戦だ。今さら絵はがきを描くなんて気恥ずかしいとか、かっこわるいとか、そんなプライドの箍があるとしたら、 思いきって取り外してみてほしい。被災者の皆さんがどのような気持ちで今を過ごしているのか、想像しよう。正解も間違いもない。想像したことから、言葉を産み出そう。イメージを描いてみよう。

幼稚園や保育園で子どもたちのワークショップを行っている造形短大の卒業生安原くんが100枚を越える絵はがきを私の元に持ってきてくれた。絵はがきすべてに目を通す。子どもたちの想像力は身を切るほどに透き通っている。涙が出そうになった。

あきれるほど

2011年 4月 21日

しかし、自分で言うのもなんだけど、あきれるほど不器用だ。準備がなかなかはかどらない。いくつも同時並行していることもあるのだけれど…。ようやくMorigami棚ができた。あとは設置するだけ。その様子を見て、今後の展開を考える。
今日、名古屋造形の卒業生寺澤くんが自身が教鞭をとっている中学の生徒さんの描いた絵はがきを持ってきてくれた。これが、元気があっていい。気持ちがすごくはいっている。いいかげんな気持ちで描いている生徒は書き直しさせたそうだ。ありがとう!被災者の方々に手渡したときの表情、ちゃんと伝えるからね。
4月からスタッフとして入ってくれている林の活躍がめざましい。仕事を着実におぼえて、「役に立ちたい」という気持ちが伝わってくる。ひとつ一つの仕事が完結して進んで行く様をみるのはなんともすがすがしい。私もがんばらねば。

いのちのもりがみ

2011年 4月 20日

被災地支援の活動はすでに絵はがきワークショップを進めているが、もう一つ、Morigami(もりがみ)の方も準備を進めている。Morigamiをデザインした谷崎由紀子さん、グラフィックデザイナーの柳智賢さんが協力してくれている。昨日から学内に設置する予定だった、「いのちのもりがみ」(仮)の木製の棚を制作。今回は規則正しくボール盤で穴を開け、そこへダボを打ち込んでいる。
数日後にはメッセージがいっぱい書かれたMorigamiの様子が披露できるはずだ。
19:30 名古屋市内のとあるホテルへ。大島でカフェを運営する泉と井木とともにNHKの取材を受ける。
23:00帰宅。
さて、絵はがき、描くかー。

絵はがきのシリーズ制作

2011年 4月 18日

この3月、4月。足助病院、小牧市民病院、発達センターちよだ、そして大島。新しいスタッフを迎え、年度をまたぎ、なんとか一歩を踏み出した。それにぬくもりの里、震災支援プログラムを加え、すさまじく早く日々が過ぎて行く。来年は十日町病院の活動も妻有の人々が待ってくれている。どれも気が抜けない。どれも等閑にできない。そして、やさしい美術のメンバーも新しいメンバーをこれから迎えることになる。大島で活躍する泉と井木、スタッフにはいってくれた林、成長した彼らの後を追いかけていくような足腰の強い人を育てて行かなくてはならない。層が厚いメンバーは層の厚い活動につながると信じて。
さて、被災者に届ける予定の絵はがきワークショップ。私のおよばぬところまで広がっているようだ。皆さん、それぞれのペースで描きためてください。
私の描いている絵はがきも一部紹介する。洗濯物を描いたシリーズだ。


発達センターちよだ ピンクのつなぎ

2011年 4月 15日

13:00 私の自家用車にアートプロデュースコース3名、研究室職員鈴木を乗せ、発達センターちよだに向けて出発。
13:45 ちよだ着。午前中は晴れていたが、空気に湿度が出てくる。交通事故で負った怪我のあとがうずく。じきに雨が降るだろう。
やさしい美術スタッフの林、非常勤講師の山口さんとちよだで合流。全員ピンクのつなぎに着替える。総勢7名。ピンクの壁になってしまった。
発達センターちよだは発達障害、知的障害などの障害を持つ地域の子どもたちを受け入れる通園施設だ。発達センターちよだは通園している子どもたちが帰ったあと、15:00から学齢の子どもたちを受け入れる「ディサービスちよだ」を実施、 乗馬や太鼓、そして私たちが参加している「絵画の取り組み」などの様々なメニューがあり、子どもたちがそれぞれ選択している。ほとんどの子どもたちがちよだに通園していたので職員さんとの絆も深い。預けるお母さん方も安心だ。
さて、今回ちよだに来たのは、「絵画の取り組み」に参加し、今後私たちが主導で行う「造形ワークショップ」をどのように行っていくかを検討するためだ。「絵画の取り組み」を選択した子どもたちは小学校1年生5名。男の子3名、女の子2名。全員初めてのご対面だ。昨年までは主に自閉症の子どもたちだったが、今年は知的障害や脳性麻痺を持った子どもたち。これまでのワークショップから方向性の転換が求められる。 ちよだの職員さんと私たちとの顔合わせをし、7月までのスケジュールをフィックスする。
取り組みを行う遊戯室に養生シートを床に敷き、テーブルと椅子、絵の具類や筆類などの画材を設える。今日の取り組みは私たちが準備したものではなく、ちよだ職員さんサイドで考えたもの。先週から始まったばかりなので子どもたちの資質を見ている段階だ。画用紙に水彩絵の具で描画するオーソドックスな取り組みである。
窓の外を見やると傘を目深に差した人が通り過ぎて行く。雨音が聞こえなかったので気がつかなかったが雨が降り出したようだ。
15:00 子どもたちがお母さんに手をひかれ、やってくる。何人かは通園時に顔を合わせたことのある子もいる。お母さん方ともごあいさつ。やさしい美術は通称やさ美で既に知っている方もおられるようだ。「ピンクのつなぎで子どもたちに憶えてもらっています。」
子どもたちはピンクのつなぎ集団がいて、少し緊張気味。でもそこは3〜4年間通園してきたちよだ、子どもたちの表情から安心感と信頼感が感じ取れる。
一緒に歌う。一緒に遊ぶ。一緒におやつを食べる。そして一緒に創る。一連の営みを「一緒に」分かち合う。学生たちは戸惑いつつも子どもたちとの距離を少しずつ縮めていく。
どのような障害を持っているかは私たちはほとんど事前に知らされていない。でも子どもたちと直に接することでその肌合いや子どもたちそれぞれのキャラクターがじわりと伝わってくる。色眼鏡で見るのではなく、体で受けとめる。それが子どもたちに寄り添う一番の近道に思える。ほんとに子どもたちはかわいい!笑顔がかがやいている。初対面からこのような子どもたちの様子が見られるのも、やはりちよだの職員さんが誠心誠意子どもたち、そして保護者の方々と接してこられたからに他ならない。私たちはそのベースに立たせていただいているのだ。
16:00 それぞれのペースで子どもたちが遊戯室に入る。いよいよ、今日の取り組みの時間だ。子どもたち全員を見て行くのではなく、担当を決めて子どもたちに寄り添う。描画を一緒に楽しみながら絵の具への興味、水の感触、にじむ色彩への反応を見る。子どもたちの多くが色の趣向をすでに持っているのを感じる。
「絵画の取り組み」を終えて、後片付けに入る。子どもたちは容器や筆を手洗い場で洗う。どの子も取り組みの流れを理解しているように見受けられる。
片付けが終わった後はお母さん方が迎えにくるまでひたすら子どもたちと遊ぶ。子どもたちとの距離も徐々に縮まり、ほぐれてきた。
17:00 お母さん方が子どもたちを迎えにくる。お帰りのごあいさつをする。
17:30 「ケース」あるいは「ケーススタディー」と呼んでいる、今回の取り組みについての反省点や子どもたちの様子を報告し合い、全員で共有する。学生たちの素直な感想が述べられる。ちよだの職員さんと忌憚のない意見を交わす協働関係を少しずつ築いて行きたい。
18:00 発達センターちよだを発つ。心地よい疲れが学生たちにどっと押し寄せているようだ。慣れて行くことも大切。わくわく、どきどき、感動しながらやっていこうね。

好転 それは皆さんのおかげ

2011年 4月 14日

震災直後から絵はがきを描き、集める活動を開始。じわりと絵はがきの集まりが良くなってきた。かえって一度に火がついて、冷めるのが早いようではいけない。心の支えとなる念いを絶やさず、発信し続け、その波紋の広がりを皆で実感したい。
卒業生が現在働いている学校や幼稚園、個人の画塾などで絵はがきワークショップを実施してくれている。5月に入ると、それらがやさしい美術に集まってくるだろう。
アーティスト、デザイナーに限らない。一般家庭で、施設で、オフィスで、時間がある時に少しずつ描いてほしい。私も毎日描いている。
このブログを読んでいただいている方、そのお知り合いに、そのまたお知り合いに「絵はがきワークショップ」を広げてください。必ず私が被災地に届けにあがります!