Nobuyuki Takahashi’s blog

Archive for the ‘足助’ Category

なかったところに現れる、あったところからなくなる

2012年 7月 8日

前例のないことに一歩踏み出すのは誰でも勇気がいるものである。アート、あるいはアートの取り組みはそれを延々と繰り返してきた。
これまでたくさんの作品を病院に展示してきたが、アーティストと病院とが膝を突き合わせ語り合っていく中で「根拠のない信頼感」が育まれなければ、前に進まない。でなければ、やったことがないからという理由に押しつぶされていく。合理的な思考で思考停止に陥る。
作品を展示すると今まで何もなかったそこに、何かが現れる。とたんに抵抗感、圧迫感を感じる人々の声が聞こえてくる。拒絶したい気持ちの声はひときわ大きく響く。しかし、通りがかる人から「あれ、何か変わった!」「いつもと違うね。」とのささやきも見逃してはならない。私はこのざわついた状態の時は「しばらく様子をみてください。」と病院側にお願いする。すべてとは言わないが、やがて時間が経つと人々の反応も落ち着いてくる。作品への感想が寄せられるようになり職員への質問があがったり、作品をめぐる会話も聞こえてくるようになる。そして、展示期間の終了ともなると、いざ作品を撤去すると、ぽっかりとあいたそのスペースに人々は「さびしい、撤去しないでほしい」「何か他に置けるものはないのか。」と喪失感を表す。
展示するための空間ではない、病院での展示では、こんなことが起きる。

旧・足助病院の取り壊し現場

新・足助病院の外来棟廊下

マルチボックス修理

2011年 9月 18日

足助病院の病棟に60個、設置されている作品「私の美術館」通称:絵はがきフレーム付きマルチボックス。入院している病院利用者のベッドサイドに季節ごとに絵はがきを提供してきた。マルチボックスはティッシュや眼鏡などの小物を入れておき利用者が寝たきりでも手を伸ばして手にとることができる。入院している方々の傍らでそっと支援、応援するもっとも身近にある美術作品といってよいだろう。足助病院と丸3年を費やして共同開発を進め、2007年に設置。耐用年数を5年と定め、ボックスが破損した場合などは責任を持って修理に務めてきた。この「私の美術館」は来年で約束の5年を数える。昨日、メンバーら5名が集まり、木工工房の榊原さんの指導のもと修理作業を行った。
学生が主体的に活動する取り組みは入学と卒業という時間制限がある。否応なく活動に携わるメンバーは入れ替わって行くのだ。この「私の美術館」は開発までを含めると8年というスパンで社会的に責任を負うことを選択した。学生をとりまくタイムリミットを越えた取り組みであること。世間では当たり前のことだけれど、それを実現するには引き継ぎや対処マニュアルの作成も学生が担い、相当の労力をつぎ込んで整備した。木工工房をのぞく。新旧メンバー5名が力を合わせて修理している姿に感動。

足助病院 三つの提案

2011年 7月 29日

5月6日の訪問見学会以来、今年度初めての研究会を行う。三つの作品プランを足助病院へプレゼンテーション。作品の安全性や病院利用者や職員さんに与える影響や可能性について、丁寧に検討して行く。
こうした研究会の進行の様子は10年前にやさしい美術プロジェクトが設立された当初と何ら変わりはない。スタッフ林は在籍していた頃を思い出しながら、この繰り返されてきた営みの意義を再認識したようだ。
司会進行はこの数年リーダーを務めた古川からバトンタッチして上田晴日に。突然の指名に戸惑いながらも立派に司会を務めた。
メンバー倉内が作品プランの提案を行い、参考作品を披露した。その作品を観て研究会に参加する看護師さんらが一瞬どよめく。今まで観たことがないという驚きと、作品が放つ色彩が織りなす甘美な感覚が、新鮮に感じ取られたようだ。倉内本人はまだ確固とした自信を持てず、おそるおそる披露した作品であったが、思いのほか好印象を病院サイドに残したようだ。これをバネに充実した作品を期待したい。

足助病院は今年度より新病院建て替えのため工事に入った。段階的に解体と新築を重ね、平成25年完成を目指す。

作業療法室に顔を出す。外の歩行訓練のトンネルに「足助アサガオ」がそろそろ花をつけている頃だ。と、思いきや今年はゴウヤが植えられているではないか。これはこれですてき!大島の野村ハウスにできたグリーンカーテンもゴウヤだ。涼やかな風と緑の生命感がもたらされていた。

足助病院 感じたことからコツコツと

2011年 5月 6日

ある患者さんが大事にしていた詩集

毎年恒例の足助病院訪問見学会。病院が立地する地域を訪ね、入院している病院利用者を対象にインタビューを行う。
9:00 春日井駅集合。遅刻者はなし。体調不良で二人が欠席。私の自家用車とレンタカーの2台で足助町へ向かう。
この数年は足助の町並みを歩いてきた。宿場町の面影を色濃く残し、うなぎの寝床のような長い蔵は町に独特の景観を与えている。ふと、今年は足助城に行ってみたくなった。足助の町から足を伸ばして車で10分。車で走るには躊躇するほどの急斜面を行く。足助城から見た足助の町並みは箱庭のように儚い。
足助城を見学した後は下界に降りて足助の町並みを歩く。町一番の高台にあるお寺から町を俯瞰する。山上とは異なる趣。ふと目眩がする。林立する建物を見ていると、被災した七ヶ浜町の光景がフラッシュバックする。いかなる存在も一瞬にして藻屑となることがこの自然界では、ある。いつも見ていた風景はいつもの風景ではないように思えた。今目の前に存在しているこの光景を驚きと感謝をもって迎えたい。
14:00 足助病院に入る。今年度から新病院建設のため、工事が始まっているが、まだ大きな変化はない。
14:30 それぞれ2〜3名ごとに分かれたチームが病棟に散っていく。今年は病院サイドの計らいで全病棟に通していただけることになった。ここ数年はA棟2階とB棟の1、2階に限られていたが、今年はA病棟3階でもお話をうかがうことができた。初めて足助病院を訪れたメンバーは緊張で表情がこわばってしまっている。無理もない。初対面でお話しするのでさえ、構えてしまうのが普通の反応だ。さらに病室はプライベートな空間。寝室にどかどかと乗り込んで行くようなうしろめたさが首をもたげる。それでも、私たちはベッドの傍らに行くことを止めない。
インタビューを続ける。家族でもない、医療従事者でもない私たちに、家族にも話したことがないことを語ってくれたり、耐えられない苦痛を吐露する方もいる。寝食を共にし、我慢しあっている人同士では話せないことがあるのだ。過去の記憶を話す方もいる。お年寄りの多い病院では人生の振り返りの機会にもなっている。鮮明な記憶をたどる人々の表情は明るい。一方私たちやさしい美術のほうは、入院している病院利用者と接することで、湧き出てくる自分自身の感情と向き合う。未解決な課題が感情と相まって自分に向かって押し寄せてくる。実際のところ、整理のつかない感覚を私たちは持ち帰ることになる。その感覚を忘れてしまわないうちに、記録しておいてほしい。心のどこにも位置づけることのできないそれを、放置しないでほしい。そこには自分が取り組むべきことの源泉が眠っている。

足助病院 えんがわ画廊展示替え(企画展2回目)

2010年 12月 10日

冬空で澄んだ空気。
16:00 メンバー原嶋と自家用車に乗り込み足助病院に向けて出発。スタッフ川島、メンバー古川、卒業生加藤は先発ですでに足助病院にて展示作業中。
澄んだ空気のため、夕日はそれほど赤くは染まらない。雲がやわらかな寒色の影絵を描き出している。
17:00 足助病院到着。日はとっぷりと暮れている。まず足助病院中庭に行くと、クリスマスイルミネーションの設置作業中の先発の3人と施設課の職員さんに会う。イルミネーションは川島に任せ、原嶋と古川でえんがわ画廊の展示作業を進めることにする。前回の企画展で展示していたメンバー小川の「もじ文字動物」はすでに撤去されている。B棟病棟はお年寄りの患者さんが2〜3ヶ月の長期にわたり入院されている場所。小川の作品は動物のポーズが病室のナンバーを示しているもので、心和ますイラストレーションであると同時に表示の機能を果たすものだ。一見見ただけではわからないが、しばらくながめていると数字が浮かび上がる。それが長期入院している患者さんにはほのかな刺激と楽しみをもたらし、好評とのことだ。看護師さんから惜しむ声も多く寄せられ、約1ヶ月の展示期間の間、愛された作品だったようだ。こうした反響は自分の作品でなくともうれしくなる。そう、やさしい美術プロジェクトの「やってよかった。」という醍醐味はこうした場面で実感する。次は是非搬入作業だけでなく、搬出作業も作者自身で関わってほしいと思う。エネルギーを充填する瞬間だ。
古川が今回えんがわ画廊のために制作した「ぬいぐるみの休日」はすでに8カ所展示を完了している。古川は経験者として初めて病院に展示する原嶋をリードして二人でてきぱきと展示作業をこなしていく。
メンバー原嶋の作品は正方形のキャンバスに油彩で花を描いた「一輪の花」という絵画作品。各病室に花のオーナメントを設えたようで廊下に文字通り花を添えた。
小さな作品、小さな提案。しかしえんがわ画廊の役割は重い。患者さんが一番長い時間を過ごす病棟に作品を置くことは、良くも悪くも患者さんへの直接的な影響を念頭に入れておかなければならない。また、えんがわ画廊が病棟に設置できたのは何年もかけて病院と協働してきたからこその信頼関係の上に成り立っていることを忘れてはならない。今年度から関わっているメンバーの小川、原嶋。二人には初めての病院での展示の舞台を創り出してきた先輩への感謝の気持ちを忘れないでほしい。受け入れてくれている病院職員さんの患者さんへの念いもキャッチしておいてほしい。せっかく良いスタートが切れたのだから。
えんがわ画廊の設置作業が一段落し、中庭のクリスマスイルミネーション設置作業を全員で取り組む。スタッフ川島は在学中毎年施設課の職員さんからクリスマスの時期に頼まれていた仕事だったが、タイミングが合わず今日になってしまった。昨年は私と工藤の二人で設えをつくった。日がすっかり短くなった今日この頃。山間にある足助は暗くなるのも早い。イルミネーションのあたたかい光が足助病院を照らす。

足助病院搬入 えんがわ画廊復活

2010年 11月 17日

古川の新作

16:00 授業を終え、プロジェクトルームに向かうと、今日作品を搬入するメンバー小川が作品を梱包していた。スタッフ川島とメンバー木谷、古川、森はお昼にすでに大学を出発している。
今頃は古川の透過絵画作品のシリーズ最新作を内科処置室天窓に設置しているところだろう。内科処置室は診察が多い場所で、点滴を打つベッドが10床ほど並ぶ。抗がん剤を投与する際も使用している場所なので、搬入する作業は緊張感を伴い、作業時間も限られる。何度も搬入しているとはいえ、古川らには確実で配慮された作業が求められる。
自家用車で小川を乗せて出発。車中全く会話なし。徹夜で作業していたのだろう、初めての搬入で緊張して眠れなかったのかもしれない。足助病院までそっとしておく。

廊下表示灯の取付け部分を流用してえんがわ画廊のステーを取付ける

17:30 足助病院到着。すでに辺りは暗い。院内に入っていくと川島、古川、木谷、森の4名がきびきびと作業している。
B病棟に向かい、えんがわ画廊のミニギャラリー部分の様子を確認に行く。廊下表示灯の配線は繊細なので、病院施設担当者の立ち会いのもと、えんがわ画廊の縁部分を設置する。すでに川島が設置を終えてくれていたが、約半数のステーに不具合があり、縁部分が壁から離れて廊下側に垂れ下がっている。現場合わせで微調整するほかない。担当の病院職員に来ていただき、再度廊下表示灯を取り外し、取付け部分の曲げ加工をその場で進めていく。その作業の間、患者さんたちの息づかいを感じる。やさしい美術プロジェクトならではの設置作業の空気感だ。
えんがわ画廊の設置および微調整を終え、いよいよ小川の作品搬入だ。小川の提案は各病室の番号を愛くるしい動物たちで表現するプラン。画力がなければ、なかなか取り組むことが難しいテーマに敢えてチャレンジしている。小川のしなやかな線描、違和感のないバランスのとれた画力は目を見張るものがある。喩えれば「描き続けていないと死んじゃう」タイプ。常に何か描いている。メモもほとんどが絵。今回のプランを病院サイドに提案したとき「将来的に足

えんがわ画廊の全17カ所に設置された小川の作品

助病院が新病院に建て変わった時の部屋の表示に使えたらいいわね。」「イラストが部屋の番号として読み取れるかな。」といった意見をいただいた。それを工夫をこらして克服し、なおかつ質の高いイラストに落とし込むことが、ポイントだったが、なかなかよくできている。
設置作業も小川を中心にメンバー同士が協力し合い作業を進めていく。危険性の少ない作業なので、メンバーのみで試行錯誤しながら作業を進めさせる。作業に慣れて来るとピッチがどんどん早くなる。私の方は着実に作品が固定できているかに目を光らせる。慣れてきた時こそ油断は禁物だ。
19:00 設置作業終了。スタッフ川島の声かけとコーディネートで再開したえんがわ画廊。えんがわ画廊を創設した泉もよろこんでくれると思う。
売店前に行き、古川の作品設置に立ち会う。前作を内科処置室から取り外し、新作に取り替えた後は前作は売店前の天窓に移設する。これは病院サイドから提案されたアイデアで、1つの作品で二通りの楽しみを提供している。
20:00 作品設置終了。
足助病院は名勝の香嵐渓すぐ近くに立地している。ちょうど紅葉の見頃、帰りに少し寄り道することにした。足助病院に向かう道もさほど込み合ってなく、ライトアップされた紅葉を見てから帰るのもいいと思い立ったからだ。
駐車場はどこも満杯。国道に面しているところはどこも満車だろう。山奥側の駐車場を利用して奥からアクセスすることにする。
ライトアップされた紅葉は初めての体験だ。風が身を切るように冷たい。これでは紅葉の季節を飛び越えて落葉にはいってしまう、そんな寒さだ。搬入を済ませたあと、ヒートアップした私たちをクールダウンしてくれる。気持ちがいい。売店で松茸ご飯を食す。
21:00 足助を出発、帰路へ。

文化実行委員会に行けないよー

2010年 11月 2日

授業後すぐに足助病院に向かい、16:30から開催される文化実行委員会に参加する予定。スタッフ川島は諸々のメンテナンス作業などのために先に足助病院に向かっている。
ところが、3年次が取り組む産学共同プロジェクト「MOZOディスプレイプロジェクト」の件でどうしても出発できない。発泡スチロールの接着作業の段取りをしていくが、人も足りない。
2メートル×1メートル×1メートルほどの発泡スチロールからサンタクロースのブーツを作る。学生時代にアルバイトで様々な造形物を作った。ある遊園地の珊瑚礁や海賊船の外装など、ありとあらゆるものをウレタン樹脂を削りポリエステル樹脂を盛りつけてつくった。その経験があるので自分で言うのもおこがましいが作業はすごく早い。
「このままでは絶対に間に合わない。」
本来は学生が時間がかかってでも苦労し失敗してでも自分たちで制作して体得するべきなのだが、今回は悩んだ末、私も作業に加わることにした。そこに甘えず、私の横で吸収してくれることを期待して。企業との約束のもとに結果を出さなければならない「産学共同プロジェクト」は学生と指導するサイドとの距離感が実は一番難しいところなのだ。11月28日の搬入まで学生との協働が続く。
しかし―。
足助病院の正規の委員会「文化実行委員会」への出席の機会が与えられているのにも関わらず、ディレクターの私が出席できていない。教育機関と外部施設との連動は本当に難しい。

足助病院研究会 忍耐のとき

2010年 10月 1日

10:00 mozoディスプレイプロジェクトを進める3年次学生が研究室にやってくる。昨日の打ち合わせの後、夜中に私のPC宛に三面図を送ってくれていた。昨日のワールド+モーフィングとの打ち合わせで高さ3メートル幅は5メートル近い大きなディスプレイを2つも担当することになり、いよいよ制作に向けてエンジンがかかる。デザインの間ディスプレイが終わってからもこなさなければならない産学共同プロジェクトが続く。
10:30 愛知アートコレクティブ代表の鈴木敏春さんが研究室を訪れる。
愛知アートコレクティブ主催で11月21日に愛知芸術文化センターで大島での取り組みを報告する講演会を行う予定だ。必要データと掲載文の依頼を受ける。
12:00 プロジェクトルーム集合。足助病院研究会に出かける。私とスタッフ川島、リーダーの古川のみの参加だ。制作に慣れていないメンバーに制作時間を充分に確保し、病院職員の皆さんに度重なる検討で負担をかけないためにも早く作品案を通しておきたい。そのため研究会の日程を早めたのだ。プレゼンテーションは学生が個々のプランを自分で発表するのがベストだが、病院内で開く研究会が授業時間帯にかかってしまうため、参加学生の調整が難しかった。一方で施設サイドは忙しい医療業務の合間を縫って研究会を開いていただいている。平常の大学の授業運営とうまく連動することができない、こうした対社会的なプログラムの大きな悩みである。9年目にはいったやさしい美術プロジェクト。現代GP補助事業期間を終了した今、本学の地域貢献に資するプロジェクトにふさわしいかたちとなっているのか?私たち教員は真剣に考えなければならない。
ここのところずっとずっと考えてきた。やさしい美術プロジェクトへの社会的関心度、役割の重要度は高まる一方で、窓口と運営体制はまったく進化していない。単に私の力不足もあるが、本質的に何が問題で、何を解決すべきかを判断しなければならない局面にいることは確かである。昨日、自宅に帰る車中で自己確認できたことがある。それは、私たちの取り組みはすでに私たちだけのものではない、ということ。社会へと乗り出し、多くの人々の期待と協働の上になりたっているやさしい美術プロジェクト。私の一時的な感情や激烈な行動で崩壊させてはならない。どんなことがあっても応援してくれている方々や注目してくれている方々、取り組みを通して出会い、関わりが深まった方々、そして現場で真剣に取り組んでいるメンバーの姿を心に焼き付けて歩まなければならない。年々険しくなる道のり、私の足腰の強さが試される、忍耐のときである。
13:30 研究会の1時間前に足助病院に到着する。作品のコンディションや関係部署との相談を進めておく。
14:30 研究会開始。忙しいところを大山看護師長をはじめ7〜8名の看護師さんが集まってくれる。今日提案するのはB棟に設置されているミニギャラリー「えんがわ画廊」の活用プラン。今年から参加しているメンバーの作品を中心に来年の春まで作品が入れ替わって行くプランで、スタッフ川島がイニシアティブをとってくれている。
リーダー古川が代理で1つ1つのプランを丁寧に説明していく。
議題に沿って作品プランを一通り説明したところで質疑に入る。今日この研究会でプランの検討を終えて制作に入りたいという意思を前もって病院サイドにつたえてあったからか、作品プランに対する率直な意見が飛び交う。
看護師さんらの見極めようとするまなざしに手応えを感じる。議論が繰り広げられるこの場がとても心地よく感じられた。霧が晴れるように、感情的だった私の心が鎮まっていく。やはり、現場はいいものだ。
研究会の後は作品メンテナンスをする。以前は私が率先してすべてを実演してみせていたが、最近はスタッフ川島が私に代わってだれよりも率先して作業し、それを着実にメンバーに引き継いでいるかをチェックするようにしている。ディレクターは本来そうあるべきだが、今までは私が自ら動きすぎてしまったきらいがある。私が動きすぎると、学生メンバーはとたんに受け身になる。享受者ではなく、当事者にならなければ現場では働けない。そのことを身を以て理解してもらわなければならない。
18:00 足助病院を出発。すでに日が落ちている。空の趣は秋を通り越して冬を感じる。
19:00 大学着。荷物の整理、機材の片付けなどはスタッフ川島と古川がしっかりとやっている。それを見届けて研究室にもどる。
21:30 帰宅。

緊張のプレゼンとアサガオ

2010年 9月 10日

午前中はスタッフ川島と打ち合わせ。予算執行状況を見ながら今後の計画を修正して行く。展示に関わるアーティストとの連絡業務はかなり川島の負担になっているが、さらに難しいのはスケジュールの調整だ。院内の現場見学、搬入搬出、研究会…。すべて、病院サイドの都合に合わせるべきで、バッティングをしないように調整することは困難を極める。
12:00 足助研究会に参加するメンバー服部、倉内、木谷、そして川島と私。集合して荷物を私の自家用車に乗せて出発。
13:30 足助病院着。山の緑がこころなしかくすみが出てきた。秋の気配を感じる。まず、事務室に行き、9月25日開催予定の「病院祭」の打ち合わせ。4年に一回行われる、病院を地域に開放し、病院とその役割を知ってもらうお祭りだ。私たちはこれまでに2回経験してきているが、出店はすべて職員が担当していた。今年は業者にお願いしているようである。新しく建て替える足助病院についても院長直々にレクチャーがあるようだ。
14:30 職員食堂にて研究会開催。4名の看護士さんらが出席。服部、倉内は初めての病院でのプレゼンテーションに緊張が走る。このために8月19日に「プレゼン大会」と銘打ち、本番さながらの練習をした。大丈夫。自信を持って発表しよう!
服部、倉内とも緊張は拭えないが、しっかりとした口調、通る声で発表できていた。二人とも人前で話すことが苦手だと思う。でも伝えたい気持ちがあれば、とおらない声は、ない。がんばったね。展示までの道のりはこれからだけれど、良いスタートをきったと思うよ。

木谷の「どこでも窓」はとうとう水中世界にまで!

15:30 研究会終了。全員でB病棟に行き、展示場所となる「えんがわ画廊」を見に行く。「えんがわ画廊」とは泉麻衣子(元小牧市民病院スタッフ、現在大島メンバー)が廊下表示灯下に縁を設け、定期的に展示替えをするミニギャラリーとして展開した。泉の手から離れた「えんがわ画廊」を今年度に加入したメンバーの展示場所として活用する。服部、倉内のプランも「えんがわ画廊」に展示する物である。現場ですべて実測し、試作をあてがい実際の展示状況を想定してみる。現場でしかわからないことがたくさんあることに気付く。わかっているつもりでも、それは頭の中での決め付けでしかないと実感するのだ。それがわかっただけでも収穫である。その場所にはありとあらゆるものが関係している。うつろう自然光、廊下に響く患者さんの声、説明しがたい臭気、看護師さんの足音…。作品はその中に展示されるのだ。

左が足助のアサガオ、右が十日町から帰ってきたアサガオ

現場検討のあとは作品のメンテナンスだ。川島、木谷が前回のメンテナンス状況の記録から今日の整備事項を準備した。私はメンテナンスを彼らにまかせ、院内の状況把握につとめた。久しぶりに作業療法室に顔を出す。今年限りで退職される職員の三橋先生は昨年の赤塚の作品「アサガオのお嫁入り」で大変お世話になった方だ。当の赤塚が全く足助に来ない失礼をおわびしながらアサガオの様子を見学させていただいた。季節としては終盤を迎えているアサガオ。それでもリハビリに精を出す患者さんを元気づけるには充分なアサガオのトンネルができていた。足助のアサガオと十日町病院に嫁に出て咲いたアサガオの種をもう一度足助で植えたもの。その双方のトンネルが並んでいることに私はなんとも言えない感情がわきあがった。アサガオの蔓は心のつながりをそのまま表しているかのようだ。
17:30 足助病院を出る。初めてのプレゼンテーション、現場検討で緊張しっぱなしの二人は充実感に満ちた表情をしている。車中に木谷、川島からもねぎらいの言葉が自然と出てくる。
21:00 帰宅

大島と足助

2010年 8月 3日

夏祭りの準備で野島公園付近は屋台が並び始める。

AFG高坂さんとガイドを担当いただいている小えび隊シフトについて打ち合わせ。当初計画したガイドつきの一般公開を理想形とし、そのかたちに近づけていくプロセスとして新しいメンバーにスポット参加していただく。コアで関わるメンバーが少なくて、トラブルの対応に追われるほか、代わりがいないというプレッシャーものしかかっている。まずはこのコアで関われる層を厚くすることを手始めに行っていかなければならない。
来場者と眉山亭で話す。「芸術祭後は大島はどうなるんですか?」「将来の構想は?」と質問があがる。そう、現時点では何も決定事項がない…。気持ちだけでは前に進まない。厚生会館で雑誌編集者小西さん一行と話す。島を紹介するマップを制作するとのこと。こうした情報を発信する人々が積極的に大島を訪れることがとても大切だ。興味を持ち、他者の目でなく、自分の目で確かめる。シブ大の近藤ナオファミリー来訪。
クローズ後、研磨作業。船外機のプロペラが研磨を終える。入所者の安長さん、浜口さんが作業中に様子を見に来る。「暗くなったら早く帰ってこいよー。」大島のお父さんである。
足助相談日の報告がメーリングに流れる。しっかりと準備をしてきたメンバー森の「にがおえ会」が足助病院で開催。患者さんとの交流が深まり、なごやかな空気が生まれたそうだ。今後に期待!!