Nobuyuki Takahashi’s blog

2010年 1月のアーカイブ

立ち会うアーティスト

2010年 1月 30日

毎日、自分の責任が問われるたくさんの仕事がある。特に自ら興したものには責任はつきものだ。がっつり四つに組んで構える。
その一方で私の毎日は「立ち会う」毎日でもある。やさしい美術の活動はひとり一人の取り組みがあり、それがゆるやかな集団となって連携している。それぞれの営みのハイライト、つまり搬入設置作業だったり、プレゼンテーションに立ち会う。一般的な指導、教育という意味とは少しニュアンスが違う。その人の傍らに立って同じ空気を吸い、同じリズムの息づかい、時には一緒に涙を流す。立ち会うことで私自身も成長しているし、成長したいと常に思っている。
もしも、という想定はしがたいが、このような毎日を送っている者はきっと少ないと思う。
大島での取り組みはその立ち会う日々の先に顕われたものである。それに共感し、共鳴したのが井木、泉だったのだろう。
偶発的に起きている人生でのハプニングがある時すべて文字通りいもずる式につながってくることがある。それは結果論でしかないけれど、偶然は必然なのだ。
年度末の発行に向けて、記録誌の原稿に追われている。私とスタッフたちがお互いの足を差し出してひもで縛って走っている、そんな感じだ。原稿を書きながら、日々を振り返っているとまた一つ偶然が必然にかわる。

光の温度

光の温度

大島 お疲れさまでした森さん、野村さん

2010年 1月 27日

いくつかやっておかなければならないこと、相談しておかなければならないことがあり、急遽大島に行くことにした。いつものように名古屋駅に井木、泉と待ち合わせ、7:37の新幹線に乗る。
10:30 高松着。春のようにあたたかい日だ。桟橋でAFGの大島担当高坂さん、こえび隊の甘利さん、笹川さんと合流。
11:20 大島着。荷物をカフェになる予定の第二面会人宿泊所に置こうとドアを開けていたところへ入所者自治会副会長の野村さんがやってくる。私はギャラリー整備中の15寮の床工事のため、今回採寸する予定だったが、なんと野村さんたちの計らいで大島の大工さんに続きの工事を頼んだとのこと…えーっ!カフェには亡くなられた入所者の使わなくなった冷蔵庫がもう置いてあると言う、さっそく確認…でかいっ!これだけ大きな冷蔵庫であれば新しく購入する必要はない。ありがたく使わせていただくことにした。2月6、7日に「かんきつ祭」と題して大島で柑橘系フルーツを収穫し、それでジャムをつくるワークショップを行うが、そのためにはガスコンロが必需。島内はほとんどIHヒーターになっているため、過去の遺物となったコンロを島内でかき集めてくれた。備え付けのボンベが空だったので今日直接相談しようと思っていたが、これも入所者の皆さんの心配りですでに業者に頼んでくれていて明日には立派なプロパンのボンベがつく。皆さんの期待感と応援の気持ちが伝わってくる。胸が熱くなる。
職員食堂セイブに行く。食堂のおばちゃんに「先生、NHKに出てたよ。」と話しかけられる。どんな内容だったのか知らないけれど、島内で見てくれていた人がいたのならば、香川県住民の多くが見てくれたに違いない。大島での取り組み、そして瀬戸内国際芸術祭に興味を持ってもらえたのならば、うれしい。
うどんとかやくごはんを食す。
食後はやさしい美術プロジェクトが特別に使わせていただける事になった、11寮に皆で向かう。野村さんが新しい住居に移られたので、その後を私たちに提供していただいた。11月に野村さんご夫婦と森さんとかつおのたたきを一緒に食べた思い出の場所だ。ここでも胸が熱くなる。熱くなりっぱなし。
13:30 リハビリテーション施設内にある陶芸室に行く。すると入所者お一方が高台削りの真っ最中。陶芸ワークショップでお世話になっている入所者の山本さんがみえないので、職員の土橋さんに連絡していただくとすぐにご登場いただいた。終始にこやかに3月に行う「大島焼ワークショップ」の打ち合わせ。大島土を一塊いただいていく。というのも、大学の方で大島土の収縮率や釉薬との相性などをテストするためだ。ちょっと重いが手分けして持ち出す。
2:30 入所者自治会会議室へ。ここで香川県庁今瀧さん、宮本さんが合流。青松園事務所の方々、自治会、そしてやさしい美術+こえび隊が集まりミーティングを行う。検討事項の中心は大島をどのように開いて行くかである。今瀧さんより叩き台を提案し、その後はディスカッション。国立療養所と芸術祭の存在意義を見つめその重なりを全員で確認しながら、慎重に検討して行く。2月8日の説明会までにある程度つめられることと、時間をかけて検討することがあるため、今後もこうした検討会議をしていくこととする。
あっという間に16:00最終の高松便の時間になる。森さんと野村さんが今月いっぱいで会長、副会長の任期を終える。こえびを練り込んで作った名古屋名菓のえびせんべいを手みやげにごあいさつ。「本当におつかれさまでした。今後もお付き合い下さい。」
なんとも充実した1日。17:10発のマリンライナーで高松を離れる。

旧野村邸にてコーヒーを飲む

旧野村邸にてコーヒーを飲む

Door展 こちらがわとむこうがわ

2010年 1月 26日

私が運営しているアートプロデュースコースの2年次の修了制作展がはじまった。
アトリエのドアを開けるとドアがずらりと並ぶ。
ドアはそれぞれの世界に行ける入り口だが、時としてすでに部屋に入っていた人がドアを開けてこちらに戻ってくる場面に出くわすとぞっとする。向こう側から人がやってきたような気がするのだ。
まだまだ荒削りの展示だけれど、皆がねらっていた世界に接する境界線=Doorがとても効果的。




十三回忌

2010年 1月 24日

兄が世を去ってまる12年が過ぎた。2月10日の夕方だ。
私が平日仕事で忙しいので日曜日の今日、和尚様を呼んで十三回忌のお勤めをすることになった。
兄のことはこのブログでも何度か書いたが、やはり言い尽くせない思いがある。
子どもを授かり、人の親となった今、先立たれた父、母の無念さ、悲しみは少しはわかるようになった。
兄の写真を見て思う。兄よりも 7つも 歳をとってしまった。
私は兄の腕時計をする。
兄のネクタイをする。
父はいまだに兄の形見の靴を大事に履いている。サイズがぴったりなのだ。
12年前の2月12日
兄の遺体が火葬場で白骨になる。
からからになった骨を集める。
私は兄の背骨を拾い、そっとハンカチに包んで持って帰った。
自作の骨壺を陶で作り、しばらくの間兄を納めた。
どうしたらいいかわからなかった。今もその気持ちは拭えない。

自作の骨壺

自作の骨壺

その当時の私の作品「model」の一部

その当時の私の作品「model」の一部/撮影:怡土鉄男

絶景かな

2010年 1月 23日

地域入試の担当で浜松に出張。前日入りして準備をする。
宿泊したホテルの部屋から絶景がのぞめる。
7:30 チェックアウト
8:00 入試

40階にあるホテルの一室から日の出を見る。

40階にあるホテルの一室から日の出を見る。

搬入丼

2010年 1月 22日

10:00〜会議。
11:00 レンタカーを借りに大学を出る。今日は足助病院へ作品の搬入とすでに展示している作品のメンテナンスに行く。
12:10 プロジェクトルームに集合。荷物を手早くレンタカーに載せる。リーダーの古川、木谷、芳賀の3人が今回の足助行きメンバーだ。古川は内科処置室に展示する作品を搬入する。シリーズ3作目だ。木谷は今回始めての搬入。現場での検討も重ねて来た作品なので展示が楽しみだ。芳賀も?クッション(はてなクッション)を搬入。リメイクを繰り返し、完成度もあがっている。

メンバー木谷の作品搬入

メンバー木谷の作品搬入

13:30 足助病院に到着。早速作業にとりかかる。内科処置室の展示替えを最初にと考えていたが、患者さんがベッドで点滴をしているため、看護師さんに2時間後に来るように言われる。木谷の作品の搬入、芳賀の作品入れ替えを先に進めて行く。
木谷の作品は薄暗い階段に窓枠を模した絵画作品を展示し、開放感を創出するものだ。階段を登る人々を元気づけるように登った先の踊り場の壁面に展示して行く。なかなか良い感じだ。絵画作品は窓枠だということをあらためて認識させられる。3点ある作品の描かれている風景がまたユニークである。というのは一点はイタリア、そして2点目は台湾、3点目が日本の風景。足助病院の階段が「どこでもドアー」状態なのだ。通りがかる看護師さんが口々に感想を述べられる。リハビリの一環で院内を散歩しているある患者さんに各地の風景の説明をしたら、「じゃ、今度は逆回りで散歩しながら(作品を)見てくるよ。」とおっしゃる。これには作者の木谷もうれしそうだった。やさしい美術の醍醐味を知ったね、ダニー。

メンバー竹中の作品メンテナンス

メンバー竹中の作品メンテナンス

内科処置室での作業までにまだ時間がある。階段にて展示しているメンバー竹中の「薫るhikari」のメンテナンス作業をする。随分埃がたまっているので上から順に埃を落として行く。
16:00すぎになってようやく内科処置室に入る。実際に使われている検査室や処置室に入っての展示作業は緊張する。患者さんが横になっているすぐ傍らで粛々と作業を進めることができるのは病院の皆さんに信頼していただいているからだ。古川はそのプレッシャーに負けそうになった時期があったが、今ではすっかり立ち直って作品を次から次へと生み出している。
前作の天翔る鯉を撤去し、新たに作品を設置する。設置方法も2、3度の失敗を経験し洗練されてきている。それを手伝う木谷、芳賀のフットワークも少しずつ機敏になってきている。洗練されたのは設置のプロセスだけではない。光を透過する絵画にフィットする描画法が暗中模索の中少しずつ板についてきている。本人はあまり気づいていないかもしれないが、そこそこの大きさの画面を自分のものにしつつあるのだ。透過度と色彩の関係、透過光と見やすさの関係はどこまでいっても難しい。陽の光が移ろい行くものなので常に同じ条件で観てもらうことができない。裏を返せば、「うつろいゆく日差しを呼吸する絵画」を開発しているとも言える。前作でできなかったことを今回の作品にしっかりと反映している。このひたむきさがアーティストの成長を促すのである。継続の勝利だね、古川くん。
途中早川院長と雑談。「日本は高齢化を前向きに捉えて技術と知恵で乗り越える力を持っている。」というお話に木谷も芳賀も目を輝かせる。
20:30 すべての作業を終わらせ、足助病院を出発。途中で牛丼を食べに寄る。搬入ラーメンならぬ、「搬入丼」(※注釈)は最高。
24:30 帰宅。
※搬入丼:作品の設置で搬入欲を満たした人だけが今度は食欲を満たすという儀式の一種。メンバー竹中の搬入丼は伝説となっている。命名はスタッフ井口。

メンバー古川の新作はクオリティが高い。日中の光が透過している状態を早く観たい

メンバー古川の新作はクオリティが高い。日中の光が透過している状態を早く観たい

前作は売店前に再展示する

前作は売店前に再展示する

メンバー天野の作品補充

メンバー天野の作品補充

子ども時間のはじまり

2010年 1月 19日

石膏でアイスラッガーを削り出す慧地

石膏でアイスラッガーを削り出す慧地

11月に退職したやさしい美術プロジェクトのスタッフを勤めていた平松里奈(旧姓伊東)が無事元気な男の子を出産したとの報告を受ける。旦那さんは+Galleryプロジェクト代表の平松伸之さん。旦那さんのメールはよろこびに満ちていた。おめでとう、りなさん。そしておつかれさま。ひと月は旦那に家事を任せてゆっくりと休んでね。
平松家も子ども時間のはじまりはじまりー。子どもが基準に時間が動いて行くのですよ。
今日私は車検に出していた車を受け取るため18:00に帰宅。ありえない早さ。その後はたっぷり残っている仕事をしようと思ってもそうはいかない。すかさず子どもたちの襲撃にあうのだ!椅子に座っていれば美朝のジャングルジム状態、食後は慧地の遊びに勧誘される。子どもたちが寝るまで仕事はとてもできたものではない、これほんと。
慧地は私が荒取りして持ってきた石膏の塊を彫刻刀で掘るというので、掘り方や道具の使い方を伝授する。やり出したら止まらない。集中力は並外れたものがある。時間を忘れて2人で石膏をがりがりがりがり…。気がつけば22:00だ。
おやすみのぎゅうぅ、をして寝かしつける。こうした平凡な時間の流れが、ほんとうに幸せ。こんな時間をいただいて感謝。
さ、仕事するかー。

靴屋と小人

2010年 1月 18日

靴屋と小人 高橋慧地 描く

靴屋と小人 高橋慧地 描く

今日は出勤する前に車検に出すため、車屋に自家用車を預けなければならない。
9:00 車屋に行く前に区役所の講堂に行く。天白区の小学生、中学生の優秀作品を集めた展覧会が開かれていて、長男の慧地の作品が展示されているからだ。
会場にはあふれんばかりの作品、作品…。慧地の作品は講堂の中程のパーテーションに貼り出されていた。赤の大胆な使い方、それを受けて窓のブルーが効いている。何が描かれているのか、私にはわからなかったが、それも魅力になっていた。あとで本人に聞いたら、「靴屋と小人の絵だよ。」と答えてくれた。
今日はもう一つ、慧地の作品を紹介しよう。彼の使っている枕は奥さんが子どもの頃から使っているもの。そこに激戦のウルトラマンの絵が描かれている。躍動感がたまらない。

大島 15寮廊下整備

2010年 1月 17日

6:30 起床。7:00からの放送を録音する。毎日食事の献立や行事がアナウンスされるのだ。朝食を準備ニュース番組を見ながらコーヒーを愉しむ。
8:30 15寮に行き廊下の整備作業に入る。9:30に畑で入所者の大智さんと約束しているのでそれまで少しでも作業を進めておく。先週ぶち抜いた縁側部分を必要な下地のみにまで手を加えておく。次回は床張りや壁を納めるなどの作業に入りたい。
9:30 大智さんに会いに行くと昨日と同じように畑を鍬で耕している。白い粉がまぶしてあったので何かたずねると、米ぬかとのこと。こうして今時分に土を作っておいて7月にトマトを植えるそうだ。畑仕事の時間のスパンは宇宙的だ。巡ってくる季節と対話している。

丁寧に材料をはずしていくと床と壁の構造体が現れた

丁寧に材料をはずしていくと床と壁の構造体が現れた

再び15寮の作業に戻る。先週のぶち抜き作業はおおざっぱな作業だったが、今日の作業はどの材を残し、どこを取り除くか、先を読みながら丁寧に進める。こうした作業がいつも私一人になるのがもったいない。手伝って欲しい、という意味ではない。材料を丁寧にはずし、釘を一本一本抜いて、建物を建てた職人さんの仕事を追いながら仕事の納め方や材料の加工などを覚えられるからだ。現代ではハードは人間不在のため使い物にならなければ総入れ替えという時代。その最たるものは電子部品だろう。今在るものを活かし、時には先人の仕事を受け継ぎ、あるいは尊敬の念を持って手を加えていくことは思いついてできることではなく、受け手の覚悟と熟達が必要だ。繰り返し学ばなければ身につくものではないのだ。こう言うときこそ、学生が下手なりに作業を覚えて行けば、知恵も自信もつくのに、と思いつつ…私の経験値だけがまた伸びて行く。
昼食後も15寮で作業。
2:00 15寮のとなりで暮らしている入所者Aさんが作業中にやってくる。はずした材木がたくさん出てきたのでそれを薪に使いたいとのこと。「ここで何するの。」とたずねられ、芸術祭に向けてギャラリーに整備すること、展示は大島の声や暮らしを美術的にディスプレイするというお話する。その中で大島を象徴する松をテーマにした展覧会を企画していると話すとAさんは滔々と昔の大島について語り始めた。50年前の大島は松林で青々としていたそうだ。当時の園長が松を決して切らせず、建物や施設は松を避けて建てられた。立ち枯れの松はチェーンソーのないその当時、入所者によって細切れにして薪にし、大島で亡くなったハンセン病患者を火葬した。500人多いときは800人という入所者に対して職員はほんのわずか。ほとんどの作業を入所者自身がすべて行った。病状の悪い人を病状の比較的軽い人が看たのである。聞くだけでも想像を絶する話だ。ハンセン病の患者はガーゼと包帯でぐるぐるに巻かれていた。そのガーゼと包帯は使い捨てではない。なんとリサイクルされていた。まず係りの入所者が軟膏と膿、絆創膏で汚れた包帯とガーゼをくぎで打って広げ丁寧に取り除く。毎日膨大な量だ。それを洗濯係が大きな釜で煮て洗い落とす。洗い上げたガーゼと包帯は物干し場で再び広げられ乾かされる。包帯は特に大量に要るので、巻いて団子状にして病棟に渡す。Aさんは洗濯の係りを7年間受け持ったそうだ。それだけではない食事の時間は配膳に追われ、自分が食べる食事には蠅がたかり味噌汁には蠅が浮いていたそうだ。その頃はそれが当たり前だと思っていた。今思えば地獄だった、そうおっしゃる。注射器も入所者の手で煮沸消毒を行い繰り返し使われていた。とても衛生的とは言えない。そのため入所者の多くは肝炎に罹患している。
今はおだやかに暮らす入所者のほとんどが想像を絶する地獄のような日々をかいくぐってきたのである。私たちが今手を加えギャラリーにしている15寮は昔に比べればずっと暮らしやすく、便利にできている。一見昔の生活をそこから読み取ることは難しい。それでもこの15寮にはまぎれもなく入所者が暮らしてきたという事実がある。だから、ここを使わせていただく。
15:00 つい話し込んでしまい、今日の作業は完了したものの、廊下の工事のための採寸が全くできなかった。でもその分入所者から貴重な話が聞けたのだ。
16:15 まつかぜに乗船し名古屋へ。このブログの文章を帰りの電車のなかで携帯で打つ。

大島 漆喰塗り

2010年 1月 16日

先週から引き続き大島に行く。昨日出発予定だったが、予算執行のための会議を終わらせ、今日は大島での作業に集中する。
10時30分高松到着。新幹線は雪の影響で10分ほど遅れたが岡山の乗り継ぎで遅れを解消。予定通りだ。桟橋で香川県庁の担当者二人、こえび隊のメンバー二人、そして急ではあるが取材することになったNHKの取材チームと待ち合わせる。
11:00のまつかぜに乗船。11:20大島着。昨日から大島入りしている井木と面会人宿泊所で打ち合わせ。その後同行者一同で納骨堂で手を合わせる。納骨堂から見える風景の美しさにNHKの皆さんが感嘆の声を上げる。雲間からカーテン状に広がる光が海を照らしている。昼食を済ませ、香川県庁担当者とこえび隊メンバーと今後の予定を簡単に打ち合わせる。

塗り込めた漆喰に大島で拾った貝殻などをちりばめる

塗り込めた漆喰に大島で拾った貝殻などをちりばめる

さて、カフェにする予定の第二面会人宿泊所に行く。私は二日前に自分の大工道具、左官道具類、漆喰、業務用掃除機を送っておいたので、届け先になっている入所者自治会事務所に荷物を受け取りに行く。福祉室職員の大澤さんが作業部の道具も用意してくれている。まず私が試験的にやってみせる。小原村の八畳の小屋の内壁はすべて自分で漆喰を塗った。ベースにラスボードを打ったので、喰い付きが良かった。今回は土壁に仕上げの壁材が塗ってあるのでうまく馴染むかどうかが少し不安だった。やってみると、仕上げの壁材は経年変化でのりが利かないので剥がしてから土壁のベースにのせていく。塗って固まってしまう前に大島の海岸で拾った貝殻やガラスの破片を貼り付けてみる。これがなかなか雰囲気があって良い。ひとまず実験成功である。通りがかる入所者の皆さんもわいわい言いながら様子を見に来る。こえび隊の二人も楽しそうに漆喰塗りにチャレンジ。こえび隊の皆さんにお手伝い願って人海戦術で一気に作っても良いかもしれない。
NHKが取材したいというのでギャラリーになる15寮を案内する。展示の内容を説明しながら収集している大島の遺物を少しだけ紹介する。昼食の打ち合わせで泉が試作で作ってきた「ろっぽうやき」やクッキーを食べたが、それらも大島の野菜果物づくりの名人に協力いただいて作る作品である。それらは食べ物なのでカフェで楽しんでもらえる。NHKの取材のため北の畑に行ってみると入所者の大智さんが鍬で畑を耕しているところだった。本当に毎日よく働く方だ。声が大きく人間も大きくてとてもやさしい。
日が陰ってきた。気がつけば高松便の最終の時間が迫っている。井木も急用でこの船に乗って帰らなければならない。急いで身支度を済ませ、皆さんを桟橋まで送る。前にも書いたが、送られるよりも送る側の方が寂しさが身にしみる。
皆さんを見送ってから、片づけ道具類の掃除、飛び散った漆喰を取り除き作業終了。夜は面会人宿泊所でパスタをゆでて食べる。
24:00 就寝。