Nobuyuki Takahashi’s blog

2009年 7月のアーカイブ

足助病院研究会 Morigami並木道

2009年 7月 31日

morigamiキット(売店前)

morigamiキット(売店前)

Morigami並木道のために木材にペイントしたのだが、雨にたたられて乾かない。結局足助に行くためのレンタカーを借りる時間をおしてまで作業をする。
13:00 レンタカーに乗りこみ足助病院に向かう。私は話す体力が残っていない。私は自分の作業の段取りが悪いのをいいことに、出発の時間を遅らせてしまい、作品の展示替えのための採寸を希望していた古川に多大な迷惑をかける。そして病院にも迷惑をかける。申し訳ない気持ちで一杯になる。
14:00 足助病院到着。通りがかったリハビリの作業療法士さんから声をかけられる。「足助のアサガオは満開ですよ。十日町病院の方はどうですか?」「十日町の方はまだまだですー。」
14:30 予定通り足助病院の研究会を始める。メンバー竹中からは一年前から構想している映像作品の提案と試作を披露する。こうした作品はコンセプトのみが走ると危険だ。コンセプトの説得力におぼれてしまい、作品ができあがってくる前にできた気がしてしまうことが多々あるからだ。ぜひ実験を繰り返して欲しい。そして作品と向き合い、感覚に飛び込んで来るような、コンセプトの補強が必要にならないほどの完成度を目指して欲しい。
芳賀は「?はてなクッション」のこれからの展開を説明する。これからどんどん更新して完成度をあげていって欲しい。
古川は遮光と絵図のバランスを改善した、天窓に設置する絵画作品を新たに提案。鯉と蓮が配置された楽しい構図を披露した。
私はMorigami並木道とMorigamiキット、Morigami棚の設置の確認と説明を行った。
小牧市民病院で、抗がん剤を打つ患者さんの傍らでMorigamiを折っていた人の姿、Morigamiに「余命宣告を受けた。でも私もう3年も生きているよ。これからももう少しだけ生きるんだ。」とメッセージが添えられていたのを見た時、私の中に火が点くような衝撃が走った。
それから私はMorigamiの虜である。
並木道の設えを整える。これから植えられて増えて行くMorigami並木道。機会があれば足助病院に来て折ってください。
Morigamiキット(折り紙とのりのセット)は1階売店前、内視鏡室前の処置室(下剤を飲んで検査を待つ部屋)に設置して来た。

Morigami並木道。木々が植わったら報告します

Morigami並木道。木々が植わったら報告します

Morigami棚は内科処置室前に

Morigami棚は内科処置室前に

帰ったらすぐ搬入

2009年 7月 29日

Morigami並木道にも約150本のMorigamiが並ぶ予定

Morigami並木道にも約150本のMorigamiが並ぶ予定

帰って来た翌日。大学のプロジェクトルームに向かう前に、現像所とMorigami並木道を制作するための材料を買いに走る。大学に着くとすき間なくミーティングだ。えんがわ画廊の企画展の打ち合わせ、下膳車、メッセンジャーさんが使うワゴン車の広告の打ち合わせ、アンケート調査の打ち合わせ…。その合間に私の運営するアートプロデュースコース3、4年次の有志学生とともに進めている中部電力「デザインの間」ディスプレイプロジェクトの資料作成に追われる。
Morigami並木道のための制作は学生とスタッフが帰った後に作業する。

大地の芸術祭 一度帰る

2009年 7月 28日

きもちのきのみは大好評

きもちのきのみは大好評

その日もほぼ徹夜である。夜は川島の映像作品を窓に上映しているので、近所の人たちも外に出て眺めているようだ。きっと、十日町病院の病棟からも誰かが見ていてくれている。やさしい家は息を吹き返し、いのちを得た、という感じだ。
川島は私と行動を共にした一週間だった。私から作業の段取りや取り組む姿勢についてみっちりと仕込んだ。私見だが、かなり対応力と体力がついたと思う。これを持続して欲しい。僕らは設置業をするアスリートなのだから。
今日は16:00には妻有を出て名古屋に向かわなくてはならない。16:00をすぎても作業が終わらない。
私は出発のぎりぎりまで2階の合宿ルームに人が入らないようにゲートを制作していた。
分身の術が使いたい日だ。このままやさしい家で働いていたい、でも家族のもとに帰ってこどもたちを抱きしめたい。
出発の時、近所の小学生たちがやさしい家に遊びに来てくれた。岡村が保母さんのようにこどもたちをあやしている。なんだかほんとに微笑ましい光景。
やさしい家は「家」になった。

大地の芸術祭 招待状ときもちのきのみ

2009年 7月 27日

ラジオ体操をするメンバーと地元住民の皆さん

ラジオ体操をするメンバーと地元住民の皆さん

開幕した大地の芸術祭越後妻有アートトリエンナーレ。やさしい家がオープンしてもまだまだ気が抜けない。お客さんの動線や表示の不備、情報の誤りを修正するなどの作業に追われる。
6:00起床 アサガオの水やりにメンバーがやさしい家を出る。「行ってきまーす。」しかし、ふと庭の向こうを見ると小学生たちとやさ美メンバーがラジオ体操をしているではないか!地元の皆さんも顔を憶えてくれているし、子どもたちも「やさしい家の人たち」と呼んでくれているようだ。お野菜や漬けものまでいただいて、近所付き合いが始まっていて毎日が楽しい。
やさしい家と十日町病院の連携はMorigamiだけではない。ヤギの被り物を被った「ポストマン」が十日町病院小児科待合いに招待状を配りに行っている。夕方は帰る職員さん向けにも配布している。招待状はやさしい家にお招きするお手紙がかかれている。しかも、一通一通手書きだ。
きもちのきのみはハートの風船を手渡すイベント。石膏で作った植木鉢に植わった木に風船を鈴なりに括り付け、病院から帰る人々に丁寧に手渡して行く。風船のひもには葉っぱを模したカードがついていて、なんとも微笑ましい。
これらはチームワークの賜物である。ギブアンドテイクが成り立たないと、このような手間のかかるイベントは実行できない。

ヤギに扮するポストマンが病院を訪れます

ヤギに扮するポストマンが病院を訪れます

夕方に家主の樋口さんが娘さんと一緒にやさしい家に来訪。
私は内心どきどきしていた。お住まいだったお二人に今のやさしい家はどのように目に映るのだろう。
お二人は玄関をあがって、驚嘆の声をあげる。「すてきー」庭を眺めながら、以前、池を一度埋めた話や廊下を日に3回も4回も雑巾がけしたという話を聞く。柱には猫の爪研ぎのあとが著しいが、猫はメス猫で「ゴン」というなまえだったそうだ。なんと奇遇、私の飼っていた猫もメスの「ゴン」だった。ちなみに私の奥さんの実家の犬も「ゴン」だった。ゴン尽くしである。
ゆったりと前8ギャラリーに座り、資料に目を通す樋口さん。なんとかこのお家に筋が通せたかな、と思う瞬間だった。

大地の芸術祭 開幕

2009年 7月 26日

玄関から見たやさしい家。ぜひ遊びに来てください。

玄関から見たやさしい家。ぜひ遊びに来てください。

さあ、いよいよオープンだ。10:00から行われるオープニングセレモニーに参加するため、前回トリエンナーレ参加の泉と福井を当番において、皆でキナーレへ出かける。もちろん、吉山がデザイン、コーディネートした「やさしい家Tシャツ」を着て。
キナーレに近づくと、ただならぬ雰囲気が伝わってくる。大使館の車も何台か泊まっている。海外から来た人たちも少なくない。明らかにアーティストだとわかるオーラを放つ人々の集団。オリジナルTシャツを着ているのは私たちだけではない。日比野克彦さん率いる明後日新聞社の人たちが同じようにお揃いのTシャツだ。映画を十日町のロケで制作した「しゃったぁず」の皆さんも黒いTシャツ姿。感情移入しちゃうけど、私たちのTシャツはけっこういい線行ってるんじゃない?
会場には十日町病院の事務長高橋さん、経営課の井沢さんが来場されている。井沢さんが「Tシャツ欲しいなぁ。」とおっしゃるので、後日届けることにする。私は8月25日のお祭りで十日町病院の皆さんと同じ浴衣を着る。着たい。
この大地の芸術祭を介して知り合ったアーティストに何人も再会する。ツールド妻有の企画者で建築家の伊藤嘉朗さん、いつも洗練された造形を魅せる作品を作っている本間純さん、瀬戸内国際芸術祭の宣伝で来たという、NPOアーキペラゴの三井さんらにも会う。

大地の芸術祭オープニング風景

大地の芸術祭オープニング風景

さすがに国際的な芸術祭だ。国際色と異文化の交差を感じる会場の空気。学生たちはどのように感じたのだろう。
オープニングは1時間ほどで終わる。赤塚をはじめ、学生たちはキナーレの作品を見たいということなので、皆をおいて私はすぐにやさしい家に戻ることにする。
やさしい家にもどり、おどろく。たくさんの人たちが切れ目なくやってくる。そして、来場者の多くがゆっくりと展示を鑑賞し、前8ギャラリーで「森をつくるおりがみMorigami」を折って行く。この状況を見た時、急に実感が私の中に降りて来た。そう、この空気感を私は感じたかったのだ。えんがわから南側の外を見やると十日町病院の病棟がこちらをやさしく見守っているかのように佇んでる。見えないイトはつながった。
夕方にやさしい家の家主さんである樋口さんのお宅にごあいさつに行く。オープンする前にごあいさつしたかったのだが、作業の進捗状況に翻弄されて遅れてしまった。後日展示を見に来てくれるとのこと。実際にお住まいだった方たちから見てやさしい家として生まれ変わったお宅をどのように感じていただけるのだろう。

Morigamiを折る来場者

Morigamiを折る来場者

大地の芸術祭 オープン前夜

2009年 7月 25日

17人がおにぎりをほおばる。

17人がおにぎりをほおばる。

6:00起床 と同時にやさしい家周辺の草刈りを始める。熱くなる日中は熱中症になりやすい。朝の涼しい間に肉体労働を済ませよう。何人かは朝食のまかないを担当する。おにぎりをたくさんにぎった。人数が人数なだけに、あっという間に一升、ニ升とお米が消費されて行く。
24日に展示ができなかった作品、手直しや加工が必要になった作品を今日25日に病院へ搬入する。
やさしい家は明日26日のオープンに向けて作品の設置作業で大忙しだ。窓ふき、床ふき、障子の張り替えなど、まだまだ仕上げまで時間がかかりそうだ。
庭も下草を徹底的に抜く。藤の蔓は私が剪定する。大島の土で制作された焼き物の作品を庭に配置する。石と陶器の対比が面白い効果を生んだ。
HIMMELI(ヒンメリ)を病院のディルームに展示することになった。手術を待っているご家族が少しだけリラックスするスペースだ。使っている素材が藁だと説明しなければ地元の方達でも素材を言い当てるのは難しい。外光に照らされて藁が金色に輝く。
午後にリーダー川島を連れて病院に行く。河合正嗣さんの肖像画と日比野靖さんのペインティングを設置するためだ。合わせて昨日に搬入した作品やデザインツールの設置状況を確認しに行く。

表示パネルを制作する

表示パネルを制作する

河合正嗣さんの「110人の微笑む肖像画」シリーズを日替わりで紹介して行く企画。設置場所の待合い付近は目立った照明がないので、蛍光灯をパーテーション内に仕込み、作品がくっきりと見ることのできる展示に仕上げた。日比野さんの作品は4枚の組み作品なので設置イメージは事前に知っていたものの、適切な壁面が見つからず、4枚を並列してみせる展示になった。
福井は前回の大地の芸術祭で「みぢかな絵画」というワークショップを実施した。今回はこの地方独特の雪から窓ガラスを保護する雪がこいの角材を差し込む金具を応用してオーナメントを制作した。殺風景な中庭の風景にリズムを与えている。
市川は昨日徹夜で天蓋のオブジェに刺繍を施した。陰っていた授乳室に光が差し込んでいるように感じる。
作業を終えてやさしい家に戻る。と、バナーがバランスよく設置されている。横井教授にぜひ見てもらいたい。すばらしい出来映えだ。バナーが掛けられたところでやさしい家のエクステリアを整える。家主さんが毎日水をやる草花も軒先に並べることにする。
2階にあがるときもちのきのみの部品を手分けして制作している。一丸となって作業を進めている。
夜中になり、力尽きた者から2階に退去する。男も女もこの際細かいことは気にせず、雑魚寝である。私は人が往来しなくなった階段にモニターとDVDを設置する作業を進める。
天野の立体版絵本は作品が小さいだけに家の情景をいかにうまく借景して展示するかがカギだ。それによってスケール感がかなり違ってくる。赤塚の写真は「アサガオのお嫁入り」の結納式、結婚式の写真を前8ギャラリーで展示するが、思うように作業がはかどらない。
明け方仮眠をとり、再び1階に降りてくると作業を続行していた赤塚と天野が道具をにぎりしめたまま行き倒れて寝ている。皆どろどろに疲れているのだ。私が作業を再開すると皆眠たい目をこすりながらも起きて来て作業を始める。
最後は赤塚の写真作品の設置。まるで昔からそこにあったかのような結婚式の記念写真を目指している。
さあ、いよいよ、明日(というか、今日)大地の芸術祭開幕である。

00001番を狙っていたけれど

00001番を狙っていたけれど

大地の芸術祭 オープン直前3

2009年 7月 24日

写真作品の展示作業。職員さんも手伝ってくれる

写真作品の展示作業。職員さんも手伝ってくれる

24日。とうとうこの日が来た。私たちは先乗りで妻有入りをしているが、今日は残りのメンバーがチャーターバスでやってくる。なんと、このやさしい家に17人が泊まる。しかも一階の展示スペースにはもはや荷物を置く場所はない。
ひたすらに午前中も作業をする。下準備は終わっていなければ作品設置作業にとりかかれない。
14:30 バスが着く。私と泉はホームセンターに材料ややさしい家で鑑賞する際の履物などを買いに来ていたときだ。
15:00過ぎ 十日町病院に行く。今日は研究会を足早に済ませ、作品設置作業に少しでも早くとりかからねばならない。着いた学生たちに浮ついた表情の者はいない。作品を搬入する瞬間を待って来たが、あっという間にその時が来た。
研究会では確認事項と作品の検討事項を話し合い、すぐに搬入作業にとりかかる。今回は壁と天井に金具を取り付ける工事をしなければならない。しかも石膏ボートの下地であったり、コンクリートの構造壁や柱だったりでその都度取り付け方が異なる。私は振動ドリルとインパクトドライバーを交互に使いながら展示場所をまわる。

丸い掲示板はとても目を惹く

丸い掲示板はとても目を惹く

設置したその先からすぐに通る人から声があがる。「何ができるんですか。」「きれいになるねぇ。」「ごくろうさまです。」でんでん板(情報掲示板)に注目が集まる。何しろ院内では一切の表示物、掲示物は四角。そこへ丸の掲示板が現れたのだから。制作者たちから「やべー、やべー」という声があがる。(←うれしい気持ちの表現です)私もその様子を見て「やべーっ」(←感動の表現です)
一旦展示してみたものの、手直しが必要な作品、追加搬入する作品をやさしい家に持ち帰り、今度はやさしい家での作業だ。私と石本、赤塚、川島の4人をやさしい家に残し、あとのメンバーはバスに乗り込んでキナーレの温泉につかりに行く。その後は恒例の懇親会だ。私を含めた残りの4人はまだまだたくさん残っている作業をやさしい家で続ける。
23:00 懇親会から学生たちが帰ってくる。搬入作業が待っているからか、飲み過ぎでべろべろの者は一人もいない。荷物の整理をし、寝る場所を確保する。皆が寝静まった頃、お風呂を交代で入りながら、作品配置とステートメントが載っている作品地図(ラフ案)のデータ作成にとりかかる。名古屋にいるスタッフ井口が私の送ったデータを参考にレイアウトしてくれることになっている。実のところ作品地図を制作するのは作品の配置が完成したあとの一番最後の仕事になる。だから、体力的には限界の一番きつい作業だ。そこを助けてくれるスタッフがいる。なんと恵まれているのだろう。スタッフ井口は参加型作品Morigamiの植樹オーナー証明書を作ってくれていた。「あるといいね。」と話していたが、ほんとに作ったんだね。この証明書をもらう人の笑顔を彼女は想像できる人なのだ。
私は廊下で寝ることになった。
15:00 就寝

メンバーのフィギャーが院内各所に並ぶ

メンバーのフィギャーが院内各所に並ぶ

大地の芸術祭 オープン直前2

2009年 7月 23日

やさしい家の奥の方から展示が決まってくる

やさしい家の奥の方から展示が決まってくる

23日。えんがわ画廊参加アーティストの吉田さんは晴れ女とのことだが、なかなかすっきりと晴れない。雨が断続的に降る。朝は簡単におにぎりを食す。
さて、早速作業の続きだ。川島にテーブルの塗装と組み立て作業の指示をする。塗装はニスぬりではなく、ステインによる古色仕上げにする。この家の枯れた雰囲気に馴染むテーブルにするためだ。
私は玄関とトイレ前のスポットライトの配線にとりかかる。元ある照明器具をはずし、配線を引き出し、延長するコードを結束する。接触が悪ければライトはつかない。ブレーカーを落として作業するのでサーバーの電源はfagasの加藤くんに連絡し、止めてもらっている。
お昼ご飯は泉がチャーハンを作ってくれた。かりっと香ばしく炒めてあり、隠し味の高菜が聞いている。チャーハンと言えば泉、ということにする。
午後には吉田さんのえんがわの作品設置がほぼ完了する。その後は私が作業している、このやさしい家の様々な設えの準備を手伝ってくれる。
16:00 吉田さんは電車を使って単身で愛知に戻る。十日町駅まで送る。なんともさわやかで、落ち着いた空気を持った人だ。それが作品にも現れている。やさしい家がオープンしたら是非ご覧いただきたい。シャープかつあたたかな感触を持つ作品群だ。
19:00 作業を一旦終了する。また行きつけの串焼き屋に行く。生タコの唐揚げをほおばる。
やさしい家に戻り、再び作業する。やる作業は見えているが、時間との勝負だろう。妥協はぜったいしない。それはきっとこの大地の芸術祭に参加しているアーティストが皆、そうだと思うから。

チャーハンと言えば泉

チャーハンと言えば泉

ひたすら作業する川島

ひたすら作業する川島

大地の芸術祭 オープン直前

2009年 7月 22日

20日、21日。前期授業の総仕上げである。一切気が抜けない。個人面談も丁寧に行う。
さて、22日

現場で打ち合わせる泉と吉田さん

現場で打ち合わせる泉と吉田さん

私は自家用車を走らせて集合場所の金山駅前へ。今回の妻有行きは大地の芸術祭越後妻有アートトリエンナーレ2009が26日にオープンして病院の展示もやさしい家の運営も軌道にのる28日まで滞在予定だ。
同行するのは私と泉(いつもはスタッフとして働いているが、今回は参加作家として)、泉がプロデュースする「えんがわ画廊」の出品アーティストで本学の卒業生吉田知古さん、そしてプロジェクトリーダー川島の4人である。
14:30 やさしい家に到着。早速作業に入る。吉田さんも早速作業に入る。私は川島に指示を出しながら、機材の配線作業を進める。やさしい家だけでも使用するモニターは3台、DVDデッキが3台、サーバーコンピュータ1台に端末1台。あらたに設置した照明器具が7カ所。なかなか手強い。それと、私は連日の作業で全身が筋肉痛で胃腸の調子も悪い。作業が思ったようにはかどらない。今日はそう言う日だ。そう思うしかない。明日につなごう。明日に制作予定の前8ギャラリーに置く丸テーブルの足などをホームセンターに買い出し。
夜はいきつけのそば屋に行って食事を済ませる。

妻有準備 まだまだ

2009年 7月 20日

約500本のダボ

約500本のダボ

一人の準備作業3日目。19日の今日中に名古屋に帰るが、月火と授業と準備のあと、22日からまた当地でオープンに向けて作業だ。
6:00起床。すっきりとしない天気だが、今日は晴れそうだ。結局大きく裏切られて散々の雨になったが。
8:00から大工仕事を始める。金槌を打つ音が響くのでこれ以上早いとアウトだ。昨日手のこで切っておいた300本のダボを奥8ギャラリーの床面に打ち込んで行く。途中でダボが明らかに足らないことがわかる。あと200本丸棒から切り出すことにする。全部打ち込み終わったのは10:00ごろ。なんと500本あったダボをほとんど使い果たしてしまった。さあ、「森をつくるおりがみMorigami」を植える作業だ。15日にスタッフ泉が小牧市民病院から回収してきた折り紙の木、そしてMorigamiのデザイナー井藤由紀子が折った折り紙をミックスして植えていった。300本ほどあっただろうか、ギャラリースペースに程よい充満感が感じられるほどは植え込んでおきたい。バランスを見て、増やしたり、減らしたり。
これでもりがみの展示作業は終了で、次の作業に移る。前8ギャラリーは丸テーブルを3〜4台置き、ワークショップをしたり、お客さんのくつろぎスペースとなる。前8ギャラリーには立派な神棚が設えられているが、その下に床の間スペースがある。その凹んだ空間に13インチの液晶モニターを壁掛けする。壁は土壁なので木材で吊り下げるように造作する。そしてモニターを壁にかけてみる。なかなか良い感じだ。ここでは2006年の大地の芸術祭参加時に制作された作品をスライドショーする予定だ。

材木を鑿で切り欠く作業。集中する時間

材木を鑿で切り欠く作業。集中する時間

昼食後は玄関入ってすぐ左手にある階段に大島の入所者であり、写真家でもある脇林さんの作品上映について進める。19インチモニターを2台使った上映を試みたり、階段にモニターを位置をかえながら設置してみる。上映するモニターの位置が決まらなければ、DVDデッキの配置、配線も決まらない。相当時間をかけて検討した結果、階段の踊り場に椅子を置き、スライドショーと向かい合う配置に決定。その後は掃除に後片付け。度重なる作業で道具は散らばっており、ゴミなのか資材なのか、はたまた置き忘れなのか、ビニール袋の包みがあちこちから出てくる。電材、金具類、電動工具、手工具とてきぱきと分けて整理する。こうしておけば、余分に材料を買い足してしまったり、道具が見つからないという心配もない。
一通り整理がついたところで、作品の配置、人の導線、様々な角度から想定して確認する。完成イメージが鮮明になってきた。しかし、まだまだ作業はたくさん残っている。
断続的に降る雨の中をやさしい家を後にし、十日町駅に向かう。
18:22発の電車に乗り、一路名古屋へ。
帰りの新幹線の中でのことだ。私は二人掛けのシートの窓側に座る。隣の男性はがつがつ弁当を食べている。通路を挟んで向こうにはスーツを着た女性と男性がしきりに議論している。二人は医療関係者のようだ。患者さんの患部の写真を撮り、痛みを取り除き、患者さんに説明するという流れについてが話題だ。上司である男性の意見が社会のシステムに沿うやり方のようだが、女性の方は患者さんの気持ちに立って考えていて上司の意見に同調できない。
まもなく名古屋駅に着くという車内放送がある。
私の隣の弁当を食べていた男性も身支度を始める。荷物がやたらと多い。そこへ一人の少年が後部座席からやってきた。どうやらその男性のご子息らしい。少年は私をじっと見つめる。まるで心の底まで見透かされているようだ。
少年が杖を床に軽くトンッとつつく音がしてはじめて気づく。少年は全盲だったのだ。視線の交わらないアイコンタクトは実は深く交わっているのではないか、そんなことを考える。

植え込んだもりがみ

植え込んだもりがみ

休憩中に美しい光が入ってくる。愛用の時計

休憩中に美しい光が入ってくる。愛用の時計

十日町駅のホームから見た風景

十日町駅のホームから見た風景