Nobuyuki Takahashi’s blog

2008年 12月のアーカイブ

カレーと餅

2008年 12月 31日

カレーを調理中。料理もアートだ。

カレーを調理中。料理もアートだ。

30日朝からカレーをつくる。
カレーと言っても侮ってはいけない。私の作るカレーは市販のルーを一切使わない。香辛料のみで作る。インド、カルカッタの友人スサントやシャンチニケタンに住んでいる人々に教えてもらった、カレーだ。
具材はタマネギ、なす、手羽元肉、トマト、ニンニク、しょうが、ジャガイモなど。香辛料はターメリック、クミンシード、ガラムマサラ、粒こしょう、カルダモン、バジル、コリアンダー、シナモンをヨーグルトで溶いて。
イメージとしてはスープカレーのようなものを想像してもらうと近い。とろみは最初にみじん切りしたタマネギを茶色いペースト状になるまでいためるのがコツだ。今回食べるのはこどもたちが多いので、唐辛子類は入れなかった。
さて、なぜ朝からカレーをつくったか。そう、今日は毎年恒例の小原村高見家での餅つきがあるからだ。
高見家は私が小原村でもっとも世話になった人たちだ。一時期は居候よろしく、毎日入り浸ってこどもたちと遊んだ。
5人のこどもたちはとってもかわいい。名前もチャーミング。一番上から、すこやか、むむ、くうや、かおす、らき。
たしか、私が小原村に行くようになった頃は一番上のすこやかさんは小学校6年生ぐらいだったかな?スタジオチキンハウスに住み出した頃、こどもたちが泊まりに来たっけ。クリップを釣り針にして、沢で魚を釣ってフライパンで焼いて食べた。そんな楽しい想い出がいっぱいつまっている。現在はこどもたちはすっかり大人になった。
今は小原村に住んでいない私だが、年に一回高見家の皆と小原村の友人たちに会いに行き、家族共々元気でやってることを報告する。元気に一日餅つきをする。最高の幸せとはこういうものだ。

餅米を蒸篭で蒸す。

餅米を蒸篭で蒸す。

なんか、おちつかない

2008年 12月 30日

年末。やさしい美術の作品搬入で大晦日までかかったこともある。授業が終わっても仕事はたくさんある。
大学の教員になる前はお正月はお寺のお手伝いをしていた。学生の頃は知立の遍照院、小原村に移り住んでからはだるま寺で年を越した。大晦日は除夜の鐘をつき、お参りに来る人々におみくじ、お札を出すのに追われる。年始のおつとめは数時間におよぶ。お経を聞きながら年が明けていくのもこれはこれで風流だった。
さて、今年は26日の足助病院でのワークショップが仕事納め。その後はどうか…。
やっぱり、なんかおちつかない。

誰もいないプロジェクトルーム。誰も来ないのでやり残した仕事に集中。

誰もいないプロジェクトルーム。誰も来ないのでやり残した仕事に集中。

27日は残っていた仕事を終日こなす。そして大事な奥さんの誕生日。仕事のあと家族と合流して、洋食屋さんでご飯を食べる。
28日、昼は撮りためた写真のファイリング、ネガのチェック、プリントする候補の作品を選定する作業。撮影した時の空気、光、時間を体はしっかと覚えている。じっくりと写真を選定しながら、その瞬間の記憶をたどる。旅に出かけたような充実感にひたる。
夜はNHKのディレクター西川さんから映像上映会に誘われ、覚王山「山山堂」へ。西川さんとは私たちやさしい美術が関わる足助病院で知り合った。足助病院の患者さんで、アーティストの河合正嗣さんを2年間にわたって取材し、ハイビジョンドキュメンタリー「僕たちが生きてること」を制作した著名なドキュメンタリー作家だ。河合正嗣さんは先天性の難病、筋ジストロフィーの進行のなか、ほとんど動く事のない手で110人の微笑みの肖像画を制作している。昨年の夏には足助病院全体を展示会場にして河合正嗣さんの個展をやさしい美術プロジェクト、足助病院のプロデュースで行なった。その時のことものちのブログに書こうと思う。上映会に話をもどそう。西川さんはNHK内外でこれまでNHKが制作したドキュメンタリーを独自の切り口で選び、上映会を開き、ディスカッションを行なっている。最近は居酒屋兼ギャラリーの山山堂で定期的に上映会を開いている。今回は「年忘れ」と銘打ち、午後3時から夜中までぶちぬきで上映とのこと。ゆふいん&山形映画祭の清水さんも多くの映像作品をたずさえて参加されている。特に印象に残ったのはNHK特集「命燃えつきる時~作家檀一雄」という作品だ。長編小説「火宅の人」は作家壇一雄が肺がんに冒され、病院のベッドの上で亡くなる直前まで口述筆記で執筆され完成したものだ。ドキュメンタリーのなかで口述のテープが流れる。痛みに耐え、時折もつれながらも気丈に一言一言に集中する様が伝わってくる。ここまでして、人は何かを残そうとするのか。燃焼し尽くそうとする作家の魂を感じずにはいられない。さらに、このドキュメンタリーを制作したNHKのディレクター片島さんはほんの数日前に食道がんで亡くなったとのこと。西川さんが病床にいる片島さんを見舞い、上映のゆるしをもらったその矢先のことだったそうだ。「おもいのほか、はやく逝ってしまわれたので、追悼上映となってしまいました。」と西川さんが粛々と紹介するー。

壁に穴を開けたところ。キッチンにいる母親の背中が見えるはず

壁に穴を開けたところ。キッチンにいる母親の背中が見えるはず

29日長男慧地は実家に遊びにいったきり、帰ってこない。そこで、台所の囲い壁に窓を作ることにする。息子が居る間は遊びに誘われるので大工仕事は不可能。この時とばかりにホームセンターで材木を購入し、一日大工仕事で汗を流す。細かい造作作業なので時間がかかる。我が家の台所は入り口の他は壁に囲われているので閉塞感がある。こどもたちがキッチンにいる母親の背中を見られないのが、私はずっと気になっていた。目線は会わなくとも背中を見る事はとても大切。
夜8時窓の木枠を納めて、完成。明日帰ってきた息子がこの窓を見て何て言うか楽しみだ。
こうして例年にもれずあわただしく年の瀬は過ぎて行く。

ワークショップと餅つき

2008年 12月 28日

12月26日(金)
朝9:00すぎ、大学に到着。スタッフ赤塚が渋滞で遅れるとの連絡があり、出発するまで事務職員雲村さんと来年度の予算案について話し合う。年明けに予算案検討のため、プロジェクト教育研究委員会を開くことにする。
9:45大学を出発
10:00春日井駅に学生を迎えに行く。今日は足助病院で絵はがきワークショップを行なう。メンバー芳賀、古川は試作品の現場での検討をする事になっている。
11:45足助病院着。年末最後の診察日とあって、院内のどこの待ち合いも多くの人でごったがえしている。すれ違う職員さんと挨拶を交わす。7年近く通っているだけに顔はすでに覚えてもらっている。自然なかたちで迎えてくれているのがうれしい。あたりまえのように、「高橋さん、今日、餅つきしますからよろしくお願いしますね。」と誘われる。そういえば、昨年もワークショップの合間に餅つきをした。
皆でワークショップの準備をする。準備をしている先から外来に来ている人々から声をかけられる。高校生が「あ、絵はがき、今日もやってる。」とうれしそうに駆け寄ってくる。きっと、ふだん売店前に設置してある絵はがきコーナーでいつも絵を描いてくれている子たちだ。近くの足助高校の生徒がバスを待つのに、足助病院を利用していて高校生がうろうろしている。初めて足助病院に来て驚く光景だ。病院を「開かれた場所」にすることは簡単な事ではないだろう。ある人が「足助病院はもっとも斬新なことをしている病院ですね。」とおっしゃっていた。

コラージュによる年賀はがきを制作する

コラージュによる年賀はがきを制作する

13:00から売店前にて絵はがきワークショップを始める。今回はスタッフ赤塚の企画で雑誌などの切り抜きをシールにしてコラージュで構成する絵はがき制作体験だ。もちろん完成した絵はがきは足助病院病棟で使用している絵はがきフレーム付きマルチボックス「私の美術館」60個に提供する。
14:00からB棟病棟に入院しているお年寄りの皆さんに同じく絵はがきワークショップを解放する。
あるおばあさんが私に「あんた、いくつだね?」と言うので「41です。」と答えると、「わたしゃ、94だよ!」「えーっ!!」私の倍を生きてきたおばあさん。お針子をして稼ぎ、家を建て家族を養った身の上話をしてくれた。今の時代に考えられないような苦労をしてきたおばあさん。笑顔がすてきなおばあさん。

毎年恒例の餅つき

毎年恒例の餅つき

病院中駐車場に行くと、職員さん総出で餅つきをしている。食堂に行くとテーブルいっぱいに餅を広げている看護師さんたち。私も杵を振るい「よいしょ、よいしょ!」体があったまったからか、冷たい風が心地よく感じられた。
16:00ワークショップ終了。65枚程の絵はがきが集まる。年始に看護師さんから入院患者さんに配られる予定だ。
19:00大学に着き、ワークショップの画材等をプロジェクトルームに片付ける。スタッフ赤塚、泉は充実の表情。ほんとにおつかれさま。学生メンバーだった頃は自分の作品で精一杯だったようだけれど、今スタッフを担当する二人は「やさしい美術」全体のことを、いつも、考えてくれている。
20:00space+に到着。+Galleryプロジェクトの将来について私を含めた3人の運営メンバーで話し合う。
夜は長い。

クリスマスもやさしい美術

2008年 12月 27日

小牧市民病院 小児科外来 中待ち合いに納品した絵本たち

小牧市民病院 小児科外来 中待ち合いに納品した絵本たち

12月25日16:00にスタッフ泉と小牧市民病院に向けて出発。この日、手作り、オリジナルの絵本20冊あまりを納品に行く。絵本を制作すると決めた、学生、絵本部、学外のアーティスト、デザイナー全員の作品をもらさず納品できたのがうれしい。実は12月初旬に絵本の大半はこちらで預かっていたが、完成した後も製本が未完成だったり、壊れてしまいそうなものに関しては作者に再三返品して問題箇所の修正、補修、再度の製作をお願いした。返品する時の学生の反応は様々だ。
「どこ直せば良いんですか。」とぶっきらぼうに聞く者。
搬入当日にばたばたと製作し始めて「今日、補講があるんですけど」とこちらにアピールする者。
「こんなんなっちゃったんですけど。」とどうにもならない、とでも言うように作品を持ってくる者。
ひたすら期日までにできない理由を話しに来る者…。
これを読んだら皆、考えて欲しい。精神誠意、心を込めて、こどもたちのよろこぶ顔を見たくて、絵本を作りたいと決めた人は誰ですか。学校の課題提出とは次元が違うのですよ。作品ができてなんぼ。いいわけは効きません。自分の求める完成度は自分に求めるものです。
そのすきがあると感じられたもの、納品するに値しないものは厳しく返品した。自分で考えてもらった。
無事納品できたが、もう一度自分自身に問うて欲しい。
もちろん、名作というに値する絵本作品も納品できた事を誇りに思う。

ほんとの仲間

2008年 12月 24日

サンタが受け取る手紙

サンタが受け取る手紙

今日は1月15日(木)開催する、活動報告会のプレゼンテーションデータを発表者から集めて編集する日。
全員があわただしくプロジェクトルームで作業している。疲れがたまっていて動けない、体調不良でこられないメンバーもいる。それを動くことができるメンバーでフォローしていく。いつも思うが、ピンチを救ってくれるのがほんとの仲間。私たちやさしい美術プロジェクトはこの精神で様々な障壁を乗り切って来た。良い意味で「おともだち」感覚でないところが、目的意識の共有ができているところが、この活動のすばらしいところだ。
活動報告会でその一端が学内の学生、教職員に伝えられたらと思う。

ひとり

2008年 12月 23日

ひとりになる。
小原村のスタジオに久しぶりに行く。
ひとりになりに来たが、
私はひとりではない。
私はここ小原村でそれを教えられた。
ここに来ると、私自身を映す鏡に会える気がする。
私の思考は澄んでいるか。
私の判断は誤っていないか。
私は人を傷つけていないか…。
この2、3ヶ月様々な重要な決断に迫られている。

かつて住んでいたスタジオチキンハウスの周辺はいのししに荒らされている

かつて住んでいたスタジオチキンハウスの周辺はいのししに荒らされている

大家さんに家賃を納めに行ったら水菜とネギをいただいた

大家さんに家賃を納めに行ったら水菜とネギをいただいた

小原村名物の四季桜。正月まで花を咲かせる

小原村名物の四季桜。正月まで花を咲かせる

ちよだより

2008年 12月 21日

「ちよだより」とは、「ヤサビのイト」編集部が毎号載せている、特集記事のこと。発達センターちよだでの取組みをレポートしている。私はこのタイトルが好きだ。
12月19日(金)発達センターちよだでのワークショップに同行。

水で溶いた絵の具

水で溶いた絵の具

13:00大学を出発13:40発達センターちよだ到着。
美しい日差しが施設内を照らしている。冬独特の白熱球色のあたたかい光。
20畳ほどの多目的室にシートを敷く。激しく絵の具が飛び散るので床面のみでなく壁面まですき間無く養生する。
今日はあらかじめ用意したタンポを道具にして和紙に描くワークショップだ。薄い和紙は折っておくと染み込みつつ下の紙に色が映る。広げて2度楽しい、というわけだ。ワークショップを実施するには7〜8割が準備である。対象とするこどもたちのことを考え、どのような材料をどのような導入で興味を持たせ、表現に発展させるか。画材の準備も八方手を尽くして実験を重ね、ベストの状態でワークショップ当日をむかえる。スタッフ井木は忙しい中、学生とミーティングを重ね、よく準備をしてくれている。施設に着いてからの段取りもさくさく進み心地よい。
15:00保護者の皆さんがこどもたちを連れてくる。こどもたちは小学校1、2年生の学齢でこの発達センターちよだを卒園し、周辺地域に住む。発達センターちよだは卒園後もデイサービスとして学齢のこどもたちを迎えて、乗馬、キャンプ、造形遊びなどを実施して、コミュニケーションを継続しているのだ。私たちはこの取組みの一部分「絵画の取組み」で造形ワークショップを月に一回行っている。
こどもたちと園庭で遊ぶ。遊びながら、こどもたちのことを感じる。今日は3人のこどもたち。全員自閉症であるが、障がいの重さ、特徴は様々だ。センターの職員さんによれば、ちよだで行なっているデイサービスの中でも造形ワークショップに参加しているこどもたちは障がいが重く、バリエーションがあるそうだ。比較的コミュニケーションがとれ、会話の成り立つ子もいれば、通常のコミュニケーションが成り立たない子もいる。こどもたちと触れ合うとわかることだが、「自閉症」であっても、こどもたちと私たちの意思疎通が全くないわけではない。そこには例えようのない、人と人の信頼感を感じるのだ。ふと手をにぎったり、体を寄せ合ったり…。そうした微細なコミュニケーションが一筋の光のように感じられる。これは発達センターちよだ、そして保護者の皆さんが愛情を持って接してきた膨大な蓄積によるものだろう。私たちにとってすばらしい体験だ。
ひとしきり遊んだ後、部屋にあがり、こどもたちとおやつをいただく。楽しく食べることも大切だが、こどもたちが新しいおやつを食べられるようになったり、「欲しい」という意思表示ができるようになったり、お片づけができるようになったり…少しずつ成長していく様子を垣間みることができる。つまり一見遊びのようでも、一般家庭に近い空気の中できちんとしつけをしていくことも含み持っている。

準備した描画道具タンポ

準備した描画道具タンポ

さて、いよいよワークショップだ。
あらかじめ絵の具を水で溶いておいたが、こどもたちの前に置くとぶちまけて一瞬に終わってしまいそうだ、とセンター職員さんからアドバイスがあり、こどもたちの手の届かないところに置いておく。
Aちゃんは色彩感覚が良く、今回の描画素材タンポを見よう見まねで使うことができる。Bくんは職員さん、やさしい美術メンバーたちと会話しながら、描画を仕立てていく。昨年から参加している子で、成長がめざましい。染み込んでいく絵の具にも反応している。Cくんは最も障がいが重い。絵の具は注意していなければ口に入れてしまう。常に激しく床をたたき、じっとしていることがない。センター職員さんによれば、強い刺激でなければ脳に伝わらないらしく、物に触れる、というより、掌が赤く腫れ上がる程に強くたたき続ける行動になるという。たしかに、Cくんの手はグローブのようで、全体があかぎれで腫れ上がっていた。

激しく段ボールをかきむしる

激しく段ボールをかきむしる

そのCくんはタンポでの描画に興味を示さなかったが、段ボールを引っ掻いたりかきむしってぼろぼろになっていく感触を楽しんでいる。絵の具は床一面に飛び散るほど激しくまき散らす。私もCくんといっしょに段ボールをかきむしってみる。なるほど、段ボールの「段」が押し寄せるような感覚を呼び覚ませる。これは気持ちいい。他のこどもたちが一段落して他の遊びに移っていくなか、Cくんは最後まで造形遊びをやめなかった。
ワークショップのあとは保護者の皆さんが迎えに来るまでひたすらこどもたちと遊ぶ。私も、センター職員さんも、やさ美メンバーも完全に童心にかえって遊ぶ。
保護者の皆さんが迎えにくる。スタッフ井木が保護者の皆さんに今日のワークショップの内容と、こどもたち一人一人の様子を伝える。このひとときも充実した時間だ。保護者の皆さんは子育てで大変苦労されていると聞く。でも、そんなそぶりは見せない。こどもたちに向けたやさしい眼差しがじわっと伝わってくる。発達センターちよだの職員さんは年に数回こどもたちのお父さんと飲むそうだ。そこで語り合い、お互いの理解を深める。職員さんは朝から晩までこどもたちのことを想っている。
17:30こどもたちと保護者の皆さんが帰る。いっしょになってワークショップに参加する事。センター職員さん、ボランティアさん、やさ美メンバー、そしてこどもたちがいっしょになって造形遊びに興じることによって、たくさんの発見がある。こどもたちの新しい反応、できなかったことが新しくできたこと。それをこどもたちが帰った後に皆で出し合う。反省点もここでしっかり話し合っておく。職員の皆さんからこどもたちを「発達」という視点で見た時の適切な接し方についてもアドバイスをいただく。私たちにとっても学ぶべきところが多いが、職員さんもワークショップを通してこどもたちの新しい面を発見する事もあるそうだ。この学び合いが次のワークショップの発想につながる。
18:30発達センターちよだの職員さん、ボランティア、やさしい美術のメンバーとで忘年会。皆さん、人柄に表裏がなく、楽しい会話。ボランティアの中には将来福祉施設で働くことを目標に参加している学生さんから社会人まで様々だ。「それぞれのテーマを生きている」人たち。
ここにも光が差していた。

知ってるけど、知らない

2008年 12月 18日

最近、6歳の息子、慧地から質問ぜめだ。
今日の質問その一。
「映画の中の人はどうやって入ったの。」
<えっ。質問の意味がわからん。映画に人が入って動いている、ことがこの質問の前提にあるのか?そうだ、そういうことだ。>
「いい質問だね。映画の中に人が居るわけではないよ。ほら、慧地君を映したビデオ。ビデオの中に確かに慧地君がいるけれど、ここにも本物の慧地君が居るでしょ。写真をほんの短い一瞬にものすごくたくさん撮って、それを映写機で見ると動いて見えるんだよ。」
「じゃ、アニメーションは?」
「アニメーションもたくさんの連続した絵が動いて見えるんだよ。」
次の質問。
紙に印刷されたキャラクターを指差してー
「このうさぎさん、どうやって描いたの?絵の具もないし、つるつるだし。すごいきれいだし。」
<人の手によって描かれたものは絵の具が盛り上がったり、描いた痕跡があるもんね。それに対して印刷物の表面は極めて平滑。なのにイメージがクリヤーに見られる事の不思議さに反応してるんだな。>
「これは印刷という方法で描かれているんだよ。インクを細かい点で載せているんだよ。目に見えないぐらい細かいから絵の具が見えないの。」
「へーぇ。ハニーはすごいな。」
<そんなになんでも知ってるわけじゃないんだけれどね…。>
「ハニーにもいっぱい知らない事あるんだよ。」
「え??ハニー、博士なのに?」
<おれ、博士じゃないって!>
「未来はほんとにあるの?」
<この質問にはまいった。誰が慧地君に「未来はある。」って言ったんだろう…。>
「それは誰にもわからないよ。だって、慧地君もハニーも現在しか感じないから、ずっと現在を生きていくから、誰も未来のことなんてわからないよ。あっ  と言う間に今この時に隕石が落ちてきて地球なくなっちゃうかもしれないし。タイムマシンに乗れたら、わかるかもね。」
「タイムマシンに乗って恐竜の時代に迷い込んだらどうするの?」
「そうだなー。それはそれで楽しく生きていこうかなぁ。」
最後の質問。
我が家のフローリング床を指差してー
「この床はなんていう木なの?」
「これは楢(なら)っていう木だよ。」
「なら?なら?おならの「なら」。さよならの「なら」だ!ぎゃはははは。」
<おれの脳みそ、ぐちゅぐちゅになりそう…。>
ちなみに私は我が家で「ハニー」と呼ばれている。

発達サンターちよだ

2008年 12月 16日

正確には発達センターちよだ。私たちがワークショップを定期的に行なっている施設だ。
今日、調べごとがあって、活動をまとめたファイルを開くと、スタッフ井木がタイプした「発達サンターちよだ 活動ファイル」が自信ありげに顕われた。
午前中、わがプロジェクトルームはしばらく笑いに包まれた。
わたしはこの誤字、けっこう気に入っている。響き的に今の季節にぴったりだし、なんかあったまるんだよね!

質感

2008年 12月 14日

この煙は粒子で表現するべきかー

この煙は粒子で表現するべきかー

社会の中で、皆が納得し、了解できること。それは必然的に「制度」となって世界をパズルのように切り分ける。その努力は必要だ。やるからにはパズルのピースを欠かしてはならない。私たちは世界の外から見ながら、世界の一部であることをつかんでおかなければならない。ずっとずっと、その営為は続き、これからも続く。
私たちの棲む世界をパズルに喩える。つなぎ合わされたパズルの上から石膏を流し込むと、世界の雌型を象る事ができる。そこには平滑な面にピースの切断跡が毛細血管のように顕われるだろう。
私たちアーティストの仕事はこのようなものだろう。説明のつかない、喩えようのない「質感」の型。
シンポジウムで林容子氏は「アートは社会の毛細血管」とおっしゃった。時には皮膚を鋭利な刃物で斬りつけて、血がにじむことを実感しなければ、この「毛細血管」に気付かない。