Nobuyuki Takahashi’s blog

2009年 4月のアーカイブ

5月は気をつけなければならない

2009年 4月 30日

昨日、スタッフ平松と庶務課雲村と三人で文部科学省現代GPの実績報告書の仕上げに追われる。
1:30 完成。できたてほやほやの書類を持って勝川郵便局に投函する。昨年度の仕事がようやく終わったという実感が湧いてくる。
さて、私にとって5月は要注意の季節だ。体調を崩したり、気分がどんどん落ち込みバイオリズムの波が底をつく時期。すべてにおいてローテンション。交通事故にあったのもこの時期だった。あの時は自転車で紀伊半島を一周する旅に出て、朝意気揚々と長久手の下宿を出発、午前中四日市あたりを快調に走り抜けていたところ、国道をぶっとばす10トントラックにはねられてしまったのだ。
<つづく>

大島 海を介して世界とつながる2

2009年 4月 28日

ブログを書こうとしていた日曜日。友人の鉄の彫刻家藤井健仁とインデペンデントキュレーター東谷隆司に呼び出され、明け方まで杯を交わす。一睡もせず月曜日。力尽きて今日更新することに…。お許しあれ。
さて、大島の旅の続きだ。

強風で見るも無惨な傘

強風で見るも無惨な傘

25日 7:30起床。6:30にはサイレン、7:00からは園内放送で今日の献立の朗読がつづく。雨が相当強く降る。例によって強風が小さな大島を通り過ぎる。その吹きすさぶ音は何度聞いても聞き慣れない。
朝食を済ませ、泉と防空壕跡に行ってみる。大島会館の北側に相当深い横穴が掘られている。入所者自治会副会長の野村さんによれば、終戦直前に1日一個のおにぎりで鑿と金槌を持って汗だくになって掘ったそうだ。もう1、2週間掘れば海岸にまで貫通していただろうとのこと。恐ろしくて一番奥まで行けない。暗闇で突き当たりが見ることができないのだ。また、大島の歴史の一旦を見た。
その後、東側の海岸線に出てみる。海を見て唖然とする。白い波頭が風によって踊らされている。海面は私たちの立つ地平よりも高く感じるほどだ。強風の中夢中でシャッターを切る。と、その瞬間脇に挟んだ傘がみごとに煽られてへし折れてしまう。
ずぶ濡れになりながら、図書室に向かう。昨日自治会長森さんにご案内いただいた場所である。私はこの静謐な空間がとても気に入った。泉と片っ端から蔵書を読みあさる。新聞を読みにきた入所者の男性が私たちに話しかけてくれる。書棚を眺めていて、印象に残ったのは毎月発行されている機関紙「青松」のすべての内容を朗読し、録音してある膨大なカセットテープだ。全盲の方が多いこの大島では大切な記録である。
12:00 いったん面会人宿泊所に戻り、昨日のうちに買っておいたカップラーメンを二人ですする。強風ですっかり冷えてしまった身体をあたためる。
13:00 雨が少し小降りになり、カメラを背負って島内を歩き回る。各宗教施設は施錠されていないと聞き、手を合わせながら、順番に廻る。キリスト教霊交会の教会、天理教、浄土真宗、金光教などなど。長く使われていない様子の施設もいくつかある。そのひとつひとつを丁寧に訪ねて写真に記録する。次回訪れた際は宗教の世話人を担当している入所者の皆さんにお話を伺いたいと思った。

高松までの船にて(撮影:泉)

高松までの船にて(撮影:泉)

16:00 いつものように桟橋に向かうと官用船まつかぜが停泊中。だが、一向に出航する気配がない。どうも、時刻表が変更になったらしい。
16:30 大島を出航。
16:50 高松に着く。高松に降り立つとつんと街の香りが鼻につく。黴と排気ガスが入り交じった湿った空気だ。同じ地平上で海をわたって来たはずなのに、何故か「降りてきた」という感覚。
17:30 行きつけのお店でうどんを食す。今日はぶっかけ肉うどん。うーん男らしい。今回は残念ながらデジカメの電池切れにて、画像なし。次回のうどん日記をお楽しみに。
18:40 高松発のマリンライナーに乗って一路名古屋へ。世界とつながる、つながっていく方法のヒントがつかめた今回の旅も忘れられないものとなった。

大島 海を介して世界とつながる

2009年 4月 26日

24日 いつものように名古屋駅に7:15集合。私と泉、井木の3名で瀬戸内大島に行く。やさしい美術プロジェクトは瀬戸内国際芸術祭2010に参加する。昨日、香川県庁に問い合わせたところ、文化庁の助成金が選定されたとのこと。今回からはさっそくその助成金を活動に充てて行くことになる。名古屋駅出発時は快晴、高松は薄曇りだ。大島で一泊するので、当日の夕食、翌日の朝食と昼食を買い出しておく。
11:00 シブヤ大学とNPO法人アーキペラゴの関係者一同と桟橋根元の待合所で集合する。今回の大島行きは私たちのプロジェクトがこれから何を大島で行なってゆくか入所者自治会の皆さんと事務所サイドに提案することと、それに関連してシブヤ大学とアーキペラゴの共催による「ツーリズム」の打ち合わせを行なうためだ。ツーリズムについては後日詳しく報告することにする。
11:10 官用船まつかぜに乗って大島に向かう。
11:25 大島着。さっそく事務所により、新しく赴任された事務長稲田さんにごあいさつする。
総勢9名。職員食堂のおばちゃんにしかられそう…ということで先に食堂に行き人数を知らせたら、12:30ごろなら用意できるとのこと。それまでに必要な打ち合わせをすることにする。
昼食までの間に大島福祉課の職員さんとお話をしたり、面会人宿泊所の手続きを済ませる。
大島を訪問した時に欠かせない挨拶がある。それは島中央部にある納骨堂と風の舞に眠る数千の大島の皆さんに手を合わせてごあいさつ申し上げることだ。今日の訪問者全員で合掌。
12:30 今日は焼き肉定食。男性はご飯がいつも大盛り。がっつりと食べる。
13:00 入所者自治会会議室に向かう。先に事務長稲田さんと福祉課の西嶋さんが着席されていて、自治会長森さんと副会長野村さんが笑顔で迎えてくれる。
私から入所者のお二人と事務のお二人に企画書をわたす。これまでに私は10回ほど大島に通ってきて、入所者の皆さんとお話をしたり、島の端々まで歩き回ったことから、私はすっかり「大島ファン」になった。その気持ちを胸に、アートを通して大島と世界がつながって行く「つながりの家」構想をお話しした。入所者のお二人がうなずきながら、私の話に耳を傾けてくれているのがとてもうれしい。私のプレゼンテーションには入所者の皆さんから学ぶ、ワークショップの構想が含まれている。そこと絡めて地元の高松や日本全国から人々が集まってくるプログラムの必要性が浮かび上がる。「ツーリズム」はまさにその可能性の発端を担うであろう。シブヤ大学とツーリズムの説明と具体的な打ち合わせにはいる。
14:30 打ち合わせの後、図書室を拝見する。正方形30畳ほどの心地よい空間。書庫は多くはないが、部屋の四隅に設えてある棚に整理されている。
図書室前で懇意にさせてもらっている入所者の脇林さんとばったり再会。ご自身が研究しておられる大島霊交会の歴史について話を聞く。当時無秩序と荒廃の一途をたどっていた大島青松園が整備されていったのは多分に霊交会の結束力が作用したからだと言う。脇林さんに「癩院創世」という書籍を読むように勧められる。
15:00 病院内作業療法室の傍らにある陶芸室に向かう。そこで入所者の山本さんと会う。大島の陶土を掘り出し、「大島焼」を近い将来実現したいという相談をする。
16:00 あっというまに最終便の船が出る時間となる。私と泉以外は官用船まつかぜに乗り込んで高松へ。
青松園の福祉課職員さんとお話しする。入所者の皆さんの生活に関わる雑多な用事をこなす職員さんの仕事の熱意がじわりと伝わってくる。
16:15 不自由者棟に行き脇林さんのお宅の扉をノックする。脇林さんは奥さんと食事中だったのでそのまま帰ろうとするが、快くお宅にあげていただき、しばし写真の作品論を交わす。脇林さんは写真にとどまらず文筆にも精を出している。私の提案で、新潟県立十日町病院と「やさしい家」で脇林清写真展を開催する運びとなる。
熱い対話の余韻にひたりながら、脇林さん宅を後にする。
18:30 高松駅前で購入したお弁当を面会人宿泊所で食す。古代米が香ばしくて美味。
今後の大島での展開を泉と話し合う。何度も現地に通うことで、人々との交流が生まれ、それにつれて入手できる情報も豊かになった。国際芸術祭に向けての予感が大きくふくらむ。
20:00 入浴
0:00 就寝
<つづく>

妻有ツアー トリエンナーレ準備へ3

2009年 4月 22日

19日 6:45起床 着替えてカメラを担いでやさしい家を出て散歩に行く。空き家周辺を歩くつもりだったが、線路を渡り、商店街や民家の間の細い路地を歩く。軒先に摘んだばかりの山菜をムシロの上に干しているおばあちゃんがいる。長い冬の間重い雪に圧縮されてきた大地から一気に芽吹く妻有の春。つくしの生え方も尋常ではない。芝生のように密集している様は私たちの目からすると怯みそうなほどだ。朝露で光る草花がまぶしい。
8:00 「ただいま!」「おかえりなさい」やさしい家にもどると自然と出る挨拶。朝ご飯がいつでも食べられる状態だ。昨日スタッフ平松が中心になってつくったカレーが残っているので、カレーとパンで朝食。大きな鍋にいっぱいあったカレーもこれで完食!洗い物は私を含めた男性陣で片付ける。
9:00すぎ 予定通りホテル宿泊組の乗るバスがやさしい家に到着。掃除と戸締まりをしてやさしい家を出発する。

満開のかたくりの花

満開のかたくりの花

10:00 松代農舞台に到着。企画展を皆で鑑賞。私はその後、松代にある作品群をたずねて歩く。道中満開の桜とかたくりの花に出会う。
11:30 農舞台で昼食。地元の皆さんが土地の食材と季節に採れる山菜で料理を出してくれる。素朴な味に舌鼓を打つ。メンバーの一人が「ちょっと前だったら敬遠する味だったけど、今はこの味の本当の価値がわかる。おいしい。」と話していたのが印象的だ。素材からにじみ出てくる旨味は、化学調味料やインスタント食品では絶対に真似ができない。大地の恵みのありがたみが伝わる食事だ。
13:00 松之山の美人林に行く。新緑で辺り一面が明るい光に満ちている。野鳥のさえずりがなんとも美しい。地面の降り積もった枯れ葉が乾燥して足下がすべる。近くにある里山科学館「キョロロ」に行く。駐車場には冬の間に除雪し一カ所に集められた雪の山がまだ残っている。
14:00 美人林を後にし、一路名古屋へ。
日曜日は高速道路料金が1000円になるということで、渋滞を予想していたが、恵那周辺でとうとう渋滞に捕まる。その後は想像以上に流れ、19:00過ぎ、春日井駅到着、解散。
全員無事に帰ってきたことに感謝。

未だ残る雪

未だ残る雪

妻有ツアー トリエンナーレ準備へ2

2009年 4月 20日

18日 7:30起床 あたたかい日差しが空き家「やさしい家」を包む。前回の滞在時にあった雪囲いの板が取り外されて、日差しが遮られることがなく開放感がある。
朝食用にコンビニまで走って食パンとおにぎりを買う。やさしい家に戻ると皆寝袋を抜け出てこたつを囲んでいる。前日の懇親会の残りものと併せてつつましい朝食。

やさしい家でつくしの袴とり

やさしい家でつくしの袴とり

9:05 予定通りホテル宿泊組の乗ったバスがやさしい家に到着。早速やさしい家の内部と外部周辺のリサーチを開始する。試作を現場に置いて検討する者、建物の採寸をする者、一心にメモやスケッチで記録する者、つくしとりに夢中の者…。やさしい家は住まうものを得て、呼吸し始めている、という感じだ。初めてやさしい家に来た学生は「来てみて、実際に見るとわかりますね。」と納得調子。想像でできるところまでやってみることも大事だが、最終的には現場で感じることが何よりも理解の早道だ。
9:30 土曜日の十日町病院に行く。事務長補佐の泉沢さんに待機していただいている。午前中の病院内を知ることも大切だ。平日であれば、待合いが人でごったがえしているところだが、診察がない土曜日は病院全体がひっそりとしている。陽の光や影が関係する作品を提案している学生は午前の光の様子を見ることができて、収穫あり、という表情だ。
その後、デザイン集団でんでんのメンバーを連れて十日町病院からやさしい家へ、そしてやさしい家から十日町駅までの道のりを実際に歩いてみる。駅までは15分程度。途中の道行く人々の様子や民家を横目にルートを確認する。十日町駅から商店街を歩き、バスの待つ越後妻有交流館「キナーレ」へ。途中、地元住民の方々に道を聞きながらのんびりと歩く。ゆったりとした時間がここ妻有の文化を創り出しているのだろう、とても心地が良い。「キナーレ」の中庭に方形の大きな池があるが、大地の芸術祭オープニング時には水が抜かれ、巨大なパーティー会場と化す。やさしい美術皆でオープニングを飾りたいー。今回はでんでんもいるからさぞにぎやかになるだろう。わくわくする。
わくわく、どきどき感を残しつつ、バスに乗り込み昼食、その後温泉「千年の湯」へ。約1時間とっぷりと湯につかる。陽のあるうちから温泉に入るとは贅沢きわまりないという向きもあるが、これもリサーチ。湯の色を様々なものに喩えて遊ぶ。ちなみに千年の湯は椎茸のだし汁の色…。
温泉の後学生全員を空き家に降ろし、スタッフと私で夕食の買い出しに行く。今日は17名全員分のカレーライスをつくる予定だ。3年前の大地の芸術祭参加の時も皆でカレーを食べたのを思い出す。あの時学生だったメンバーも今はスタッフとして活動を支えている。炊飯器も買う。なんと一升炊きを2台。芸術祭会期中はヘビーローテーションは確実。
ひとしきり買い出しをして、やさしい家に戻ると、でんでん10名が車座になってミーティングをしている。各々の意識の高さが一つにまとまっていく空気感が漂っている。
17:30 厨房をスタッフらに任せ、スタッフ赤塚と私でキナーレ横の地場産業振興施設「クロス10」に行く。十日町病院経営課の井沢さんと待ち合わせる。赤塚が企画している足助病院と十日町病院の交流企画「アサガオのお嫁入り」のミーティングをするためだ。足助病院のリハビリテーションで花を咲かせるアサガオを十日町病院でも咲かせるという企画は両病院の連携にまで広がっている。それを象徴的なセレモニーとするために結婚式を行なう。実際には存在しない病院同士の結婚に現実感を出すために赤塚より厳粛な音楽の生演奏を入れる提案をし、それを受けて井沢さんが演奏家にお願いをしてくれていた。「このような一見突拍子のない企画に賛同して演奏していただけるのか。」という心配が漠然とあったが、演奏するという方向で快諾いただく。様々な調整が必要な企画だが、それが一つずつ現実になって行く。皆さんの協力の賜物であるが、赤塚の努力も並みではない。

17人の「いただきます」

17人の「いただきます」

6:30 やさしい家に帰宅。「ただいま」と玄関をくぐると、奥からカレーの香りが風に乗ってくる。スタッフ平松が厨房で腕をふるっている。その姿のチャーミングなこと。リーダー川島がしもべのように働く。なんともほほえましい光景。座敷ではでんでんがミーティングのつづきをしている。うーん、あとはカレーを力いっぱい食べるだけだー。
7:00 17名全員でカレーライスを食す。同じ釜の飯を食うとはこのことだ。「協働」はまずは一緒に食べることから。最高の食卓。まさに家族という感じ。もう、説明不可能。
8:00 食後でんでんはさらにミーティングに入る。ロゴマークを決めて行く上で徹底的にディスカッションをしている。普段は温和なメンバーも熱くなって議論を戦わせている。一方やさしい美術プロジェクトのメンバー同士もやさしい家の展示内容やスケジュールについてディスカッションをする。実際に展示をする現場で議論しているので、検討はすこぶる早く確実に進む。誰も遠慮せずに意見を言う。この感じが、いい。
2:00 ディスカッションも一区切り。全員解散。ホテル宿泊組を玄関で送る。
3:00 就寝
<つづく>

でんでん、ロゴマークデザインを徹底議論

でんでん、ロゴマークデザインを徹底議論

妻有ツアー トリエンナーレ準備へ1

2009年 4月 19日

朝 8:30小雨が降る中春日井駅に集合。毎月一回は通っている、新潟県十日町市=妻有地域に行く日だ。今回はやさしい美術の作品制作を担うメンバーとデザインツールを一手に引き受けることになった、デザイン集団でんでんが参加する。総勢17名。さすがにレンタカーをあきらめ、今回は中型バスをチャーターする。
途中の休憩でバスを降りると想像以上に寒い。着るものの選択を誤ったか…。ニットを一枚着込んでも良い感じだ。
14:30 十日町市に着く。目的地十日町病院に行く前に、松代農舞台に空き家「やさしい家」の鍵を借りに行く。道中で棚田の合間に満開の桜を見る。一月ほど逆行したような気分になる。

にんじん味のシフォンは美味

にんじん味のシフォンは美味

15:30 新潟県立十日町病院に着く。経営課の井沢さんがにこやかに迎えてくれる。井沢さんの話では当地はこの数日、特別寒い日が続いたらしい。院内を見学する。特にデザイン集団でんでんのメンバーの多くは初めて病院を訪問する。隅々までリサーチしようという緊張感がみなぎっている。
16:00〜会議室にて研究会を行なう。事務長補佐の泉沢さんの計らいで山菜味のシフォンケーキが用意される。いつもお世話になりっぱなしで恐縮するも、おいしそうに頬張る学生たちの表情を見て安心する。泉沢さんたちにとって一番うれしい反応に違いない。
研究会で提案した新しい作品は5点、経過報告が3点、デザインツールが6点、やさしい美術プロジェクトプロデュース企画2点。一人3分ほどのプレゼンテーションの時間でさくさくと提案して行く。でんでんのメンバーの中には初めて学外でプレゼンテーションをした者もいたが、日頃授業で鍛えられているからか、皆落ち着いている。
1つずつ丁寧に検討する時間はほとんどない。だからこそ企画書の紙面がどれだけの説明力を持っているかが問われるわけだ。今回も前例にもれず、ミーティングで企画書をチェックし合い、修正点、改善点を加えてきた。その工夫が紙面にはっきりと顕われている。今まで前例のないプランは説明だけでは充分でなく、試作品や現場での検討が必要となる。次回までに準備しなければならないことが、研究会を通して見えてくる。
17:15 予定を大幅にオーバーして研究会が終了。この後、ホテル宿泊のメンバーと空き家「やさしい家」に泊まる者と別れて行動する。

うど、こごみなど山菜もたくさん

うど、こごみなど山菜もたくさん

18:30 恒例の懇親会。今回は残念ながら塚田院長とお会いすることができなかったが、いつものように賑やかに宴会が執り行われる。緊張気味だったでんでんのメンバーたちもここですっかりリラックス。病院職員さんたちとのダイレクトな交流が、確かな手応えに感じられているようだ。
スタッフ平松にホテル宿泊の学生を預け、私は空き家「やさしい家」に泊まることにする。私を含めた男性4名と女性4名の8名で泊まる。皆でこたつを囲みながら、今日起きたことを振り返る。なんとも言えない充実感と心地よい疲れが全身に降りてくる。
2:30 就寝
<つづく>

お茶とお菓子

2009年 4月 16日

あったかい紅茶とお菓子

あったかい紅茶とお菓子

朝 プロジェクトルームに着くとスタッフがあったかいお茶を出してくれる。毎週活動であちこちに出かけているので、なんとなくお土産のお菓子がテーブルの上に並ぶ。卒業生やアーティストがプロジェクトルームに顔を出してくれる。授業を終えてプロジェクトルームに戻ると彼らの置き土産のお菓子とあたたかいお茶が待ってくれている。
私が担当するアートプロデュースコースの研究室に行く。ミーティング用テーブルにいつも甘いお菓子とちょっぴり塩っ辛いおせんべいが小皿に乗っている。私はついついつまみ食いをしてしまうのだが、ふと気がつくとお菓子が補充してある。
今日は11:00近くまで仕事していたのだが、9:00過ぎに研究室職員鈴木が帰る間際にそそっと紅茶と沖縄のお菓子を出してくれる。
何気ない日々の中で人の心配りに接して私は生きている。

遠慮は要らない

2009年 4月 15日

74歳の時計

74歳の時計

朝5:30 娘が起きてきて寝ている私にちょっかいを出す。寝ぼけながらも相手していると、パキンッという鋭い音が耳元をつんざく。ふと目をやると、愛用している懐中時計の風防ガラスが見事にくだけ散っている。娘が振り回した際に括りつけている金具が直撃したらしい。娘に怪我がなかったのが何よりだが。
この懐中時計、1935年の精工舎(現在のセイコー)製で、写真を見ての通り、なんとも枯れた雰囲気である。この好々爺たる懐中時計はぜんまい仕掛けの機械式。中の機械は本ブログで以前紹介した本間誠二さんが調整したものだ。見た目は古くとも今も立派に時を刻む。
さて、壊れた時計。修理はやはり本間さんにお願いすることになった。
今日は担当している授業後に立て続けにやさしい美術プロジェクトのメンバーから制作、作品についての相談を受ける。メンバーにも学生にも「遠慮はするな。どんどん相談しなさい。」と伝えてある。本当に遠慮は要らない。信頼関係にある人からの相談はそれなりの覚悟と気迫があることと私なりに受けとめている。受けとめれば受けとめるほど、私の足腰も鍛えなければならない。その緊張感は失っていない自信はある。かかってこいっ!
本間さんに遠慮なく、私のぼろ時計を預ける。「どうぞ、お送り下さい」という本間さんのお返事。この安心感は何だろう。

久しぶりのギャラリーめぐり

2009年 4月 11日

春の日差しを浴びた名古屋市美術館

春の日差しを浴びた名古屋市美術館

やさしい美術プロジェクトは社会的要請の強い課題に取り組む教育改革に関わる補助、文部科学省「現代的教育ニーズ取組支援プログラム:現代GP」の選定を受けている。その実施報告書(活動報告)と成果報告書(教育成果報告)の作成に追われる。報告は詳細にわたってもれなく記載されていなければならないし、それらが学生の教育成果にどのように現れているかを明確に記さなければならない。報告書を作成しながら、1年を振り返る。学生の頑張りがすごい。成長もめざましい。そしてスタッフのバックアップ。スタッフたちは常に円滑な運営のために隅々まで気を配ってくれている。事務局の多大なサポートも忘れてはならない。大学が全体で組織的に取組むためにはなくてはならない連携だ。感謝である。さらに実りある活動にするために、この結束と連携を確固としたものにしたい。それはきっとこの現代GPの補助が終わった後もやさしい美術プロジェクトを継続して行くために必要なことだから。
13:00 今日は新入生研修で東別院参拝の後、私が担当するアートプロデュースコース1年を連れて名古屋市美術館に行く。その後、現代美術のコマーシャルギャラリー「ケンジタキギャラリー」で開催中のトニークラッグ展を行く。ハイクオリティーな現代彫刻に触れて、学生たちの眼差しは興味とおどろきできらきらしている。その後「ギャラリーくさ笛」へ。KMKM(けむけむ)展と名付けられた4人のグループ展では新入生の先輩であるメディア造形コース4年の学生が作品を展示している。行く先々で知人たちに会い、うれしい気持ちになる。正直、この数ヶ月展覧会を見に行く時間がとれない日々が続いていたので、新鮮なアートに触れることのすばらしさをあらためて認識する。ギャラリーくさ笛にて新入生は晴れやかな笑顔で解散。その後私を含めたコース教職員5名でミーティング。
18:00 とある鮮魚料理店で新研究室職員鈴木の歓迎会。美術に関してざっくばらんに話す。教職員の間で美術論、芸術論を交わすことは実はあまりない。教育の現場での実際の運営に関わる実務的な解決や方策についての相談でほとんどの時間がとられるからだ。
気がつけば4時間も話していた。とても心地よい充実感。私はこんな職場にいられて幸せだ。

小学校一年生

2009年 4月 8日

いってらっしゃい。新しい毎日が始まる。

いってらっしゃい。新しい毎日が始まる。

朝。長男慧地が初めて小学校に登校する日。私は2時間しか寝ていないけれど、すっぱりと目が覚めた。
6日の入学式は仕事で行けなかったけれど。黄色い帽子をかぶって、紺色のランドセル背負って、元気よく出かける。「いってらっしゃい!」
自分の小学校登校初日は全く覚えがないけれど、たぶん、兄貴に手をひかれて行ったんだろうな。
今日は結婚記念日。仕事でご飯さえ奥さんと一緒に食べられないけれど。
あの日も今日みたいに桜吹雪でぽかぽか陽気だったな。