Nobuyuki Takahashi’s blog

3月 5

一冊の本をつくる

icon2010年 3月 5日

今日は研究室、アトリエの引っ越し作業、大島青松園との連絡調整、デザインの間プロジェクト企画ミーティング、そして報告書最終校正など目白押しだ。学内は卒展が終わり、教員は一番大学にいない季節だ。やさしい美術のプロジェクトルームだけはいつもと変わらず活気がある。報告会の原稿作成、研究会の準備、病院への連絡業務、ヤサビのイト編集作業で学生が入れ替わり立ち替わりやってくる。私はこの空気感が好きだ。この勢いを止めたくない。
17:00 印刷所の担当者とスタッフ井口が最後の原稿チェックをする。私も最後まで念入りにチェックする。
19:00 最終入稿を終える。
一冊の本をつくる。特に今回は文字情報が多いため、校正作業は難航した。一般的にどのように読むことができるのか。初めてやさしい美術の報告書を開いた人がやさしい美術プロジェクトの空気感が感じ取れる本でなければならない。そこ一点に集中して制作してきたつもりだ。スタッフ井口と達成感を味わいつつも反省会。私たちだけではない。職員村田、小牧スタッフ泉は勤務を終えた後時間をつくって校正作業を手伝ってくれた。関係者からの寄稿や協力、スタッフ井口、赤塚、佐々木の連日の徹夜作業でここまでこぎつけた。まさに入魂の一冊となるはずだ。
今日は残りの仕事を自宅で進めるとして早めに大学を出て帰路へ。
21:30 帰宅。明日から大島に行くので子どもたちが起きている間に自宅に着きたかった。子どもたちがお風呂からタオル一枚にくるまって出てくる。食後に絵本の朗読をせがまれる。子どもたちの顔を見ながらじらすのだけれど、実はうれしいリクエスト。情感たっぷりに一冊読み切る。子どもたちを膝の上に乗せて至福の一時。

3月 4

9:30 すでにアトリエ、研究室の引っ越し作業が始まっている。業者の段取り、荷物の扱い、見事だ。親方はまだ若い青年だがなかなかしっかりしている。いくつか荷物の指示をのこし、今日の小牧市民病院への搬入準備に取りかかる。
10:30 荷物をスタッフ泉の車に積み込み大学を出発。今回搬入する作品の作者であるスタッフ井口が徹夜で病院に合わせた配色の新作を制作してプロジェクトルームに届けてくれた。間に合ってよかった。
11:00 小牧市民病院に到着。メンバー川島と待ち合わせる。
病棟4階に行きデイルームに作品、道具、脚立を持ち込む。デイルームには入院している病院利用者のご家族が休んでいたり、時には手術後の痛々しい姿で点滴棒片手の方も見受ける。そうした動いている病院の日常に乗り込んで行き作品を設置する、これがやさしい美術プロジェクトの搬入だ。
まず、現場をしっかりと把握する。今回の作品は天井付近にワイヤーを通し、そこにモビールを結わえて行くプランだ。基礎となるワイヤーをどこを基点に張るか。線的に配置する当初の予定を変更し、空間に広がりを持たせる配置プランに変更する。ワイヤーを掛ける場所も吟味しなければならない。離脱して落ちてくるということになれば紙でできたモビールなれど、けがをする人がでるかもしれない。絶対離脱しないという確信が持てる部位を見つけられるかがポイントとなる。
ワイヤーをバランスよく張り終えたところで昼食。
昼食後は休憩を一度もとらず、作業に没頭する。

モビールプラネット設置作業

今回のモビールは2人の作者の共演である。先述した井口とデザイナーの溝田さん。2人の制作したプロトタイプのモビールはやさしい家の企画展で発表した。日本家屋である「やさしい家」ではハイトーンの配色が木の天井に良く映えた。しかし、病院内に合わせると以外にもビビッドな配色でかつコントラストの高いものが惹きたつ。現場に持って来なければけっして判断できないことであり、こうした予定調和が壊れていくのが現場設置の醍醐味でもある。
中心となるモビールを配置していき、その周囲を引き立てるようにほかのモビールを配置していく。道行く病院利用者の方々から「あら、きれい。」「すてきなアイデアですね。」と声をかけられる。私たちの作業の様子をじっと見守っている人もいる。幾度となく立ち会ってきた搬入設置の場面だが、こうした反応をいただけるのは本当にうれしい。毎回新鮮だ。
14:00 小児科病棟処置室、外来の装飾を今年手がけている、森さんが小牧市民病院に到着。看板屋さんのお仕事に都合をつけて来ていただいた。
15:00 モビールの大枠の配置が見えてくる。「やさしい家」での展示に近い印象になりそうだ。
16:00 小児科外来の展示する時間になり、森さんとスタッフ泉が作品を持参して向かう。
私と川島はひたすらモビールの設置に精を出す。

処置室浮遊感いっぱいになった

17:30 外来の展示作業を無事終わらせて今度は病棟の処置室天井に作品を設置する。森さんが制作した絵本の登場人物が色とりどりの紙飛行機に乗って処置室の空間を飛び回る。なんともゆかいな世界だ。処置室は子どもたちが恐れる場所。「怖くて恐ろしい場所」を「来て得した場所」にかえる。
内科処置室とデイルームの設置作業が同時並行で進む。メンバー川島には空間設置の作品を制作する上でのポイントを伝えていく。立体や空間を造形していくにはまずフットワークが必要だ。とにかく足を使って様々な角度から作品を見つめるよう川島に指示する。
18:30 デイルーム展示、処置室の展示が完了する。通行する病院利用者から励ましの言葉や作品の感想をいただく。本当にうれしい。
20:00 4階病棟の設置を終え、破損した作品の再設置、新たに作品の出品をお願いしたayakoさんの消しゴム版画による多色作品の設置に向かう。
ayakoさんの作品設置を試みたが、ワイヤー金具の不備や設置方法の問題が起きて、次回の設置作業の宿題とする。
20:30 小牧市民病院を出発。本学にもどる。

3月 3

やさしいっぽい

icon2010年 3月 3日

「やばいっぽいものはいらない」という日記を以前書いた。やさしい美術プロジェクトはもちろん、「やさしいっぽいもの」を目指しているのではない。「やさしい」という言葉はとても耳ざわりが良いが、「やさしい」ということを深く追求していくと、それは一体どういうことか、全く一言では語り尽くせるものではないと気付く。まず、「やさしい」ということがあるのではなく人と人が交わる瞬間、関わりの場に表れる一瞬の輝きのようなもの、かもしれない。うまく言えないが、表面的な「やさしい感じ」ではないのだ。パステルカラーに依存したり、真綿で全てをくるむようなこととは異なる、いのちを持つものが一瞬見せる全体感、と言ったら良いか…。
私は「やさしい美術」というジャンルを作りたいのではない。ある時、ある場所に接する時の体の芯から発火するような衝動を、私は大切にして行きたい。

3月 2

大島焼 準備

icon2010年 3月 2日

今日は朝10:00にプロジェクトルームに集合。活動報告会で評価委員を務めていただいた山本和弘さんに渡す掲載実績資料をスタッフ赤塚とまとめ、陶芸室に向かう。大島チーム井木と泉と陶芸部員川田さんと石膏型を選ぶ。出す料理やお茶の設えのイメージは井木と泉が把握している。皿の大きさ、カップの深さなどを吟味しながら選び出していく。これらの石膏型は一足先に大島に送り、ワークショップに使用する。午後は大島を一般公開するための案内方法を検討する。大島の地図にルートを書き入れながら実際の人の流れを掴んでいく。もう一つ大事なのはルートを作りながら、想像できるトラブルや不具合をマナーペーパーに反映することだ。先に叩き台を作成しておいたが、シミュレーションを元に細かく見ていくと穴が見つかる。ある程度まで大島の実情を知るやさしい美術プロジェクトで作成したルートマップとマナーペーパーは実行委員会通じて青松園との検討に入る予定だ。
夜になりやっとコースの引っ越し作業に入る。職員の鈴木に大変苦労をかけている。
その後はまたプロジェクトルームに戻り、書類作成。
0:00 大学を出発帰路へ。

2月 28

7:00 起床。私が泊まっている野村ハウス(11寮)は入所者が住んでいた居住棟だ。7:00に放送でその日の食事や催し、連絡事項がアナウンスされる。
朝食を食べていると、いつもより静かであることに気づく。大島でも北のはずれにあるこの辺りの居住棟には盲導鈴がない。

漆喰を塗り込めていく

8:30 カフェシヨル(第二面会人宿泊所)へ。
昨日の続きの作業だ。ひたすら漆喰を塗り込めていく。
10:00 入所者の脇林さんがやってくる。自転車にアルミフレームに納められた写真10点ほどを括りつけて。その写真は戦後の大島の古い写真だ。当時の生活を知る上で貴重な資料でもある。私は脇林さんにギャラリーの展示に参加していただくため、大島の「松」をテーマに展覧会を開きたい旨を伝えていた。それに共感した脇林さんはご自分の撮影した写真作品だけでなく、島に未整理で残っている古い写真の在処を探っていた。どうも、自治会にたくさん眠っているようだ。来週大島に来た時に自治会の立ち会いのもと、積み置かれたままになっている写真を掘り起こす作業にとりかかることに決めた。もちろん脇林さんも一緒だ。

11:30 野村ハウスに戻り、早めの昼食。お湯を沸かし、うどんを湯がいて食べようと思っていたが、なんとIHの電源が入らない。冷蔵庫も電源が入っていない。福祉室に行き確認すると、「13:00まで停電の予定です。」そうか、知らなかった。諦めて昨日の残りのお米を食べる。
12:30 カフェシヨルに行き、進行具合を段取りし直す。漆喰に埋め込み装飾する漂流物が明らかに足りない。浜辺に行き漂流物を拾う。
今日は西側の砂浜に行く。納骨堂のすぐ近くで拾っていると、鉄の塊が何点も出てきた。少し砂浜を掘ってみるとコンクリートで固められた様々な鉄の断片を発見した。よく見れば、斧、釘抜き、マンホールの破片だとかろうじて判る。大島の浜辺では細かいガラスの破片もたくさん見つけることができるが、これらの断片はどこから流れ着くのだろうか。鉄の塊は流されたとは考えにくい。なぜか、気にかかり、それらの発掘物を担いでカフェシヨルに戻る。
作業を続けていると元自治会長森さんと香川県庁の大島担当宮本さん、瀬戸内国際芸術祭のオフィシャルな記録を撮影するフォトグラファー中村修さんがやってきた。森さんは偶然船の中で宮本さんと一緒になったようだ。中村さんに大島の取り組み「つながりの家」を大雑把に説明し、作業に戻る。中村さんは早速私の作業風景を撮影する。
今日の作業も終盤にさしかかった頃、入所者の野村さんがぶらりとやってくる。
野村さんは壁塗りの終わった部屋を見て、「おー、きれいになったの。」とおっしゃる。漆喰に埋め込まれた漂流物に話が移り、今日私が浜辺で発掘してきたものについて聞くと、「昔、大島は物やゴミを捨てる場所がなかったから、砂浜に穴を掘って埋めたんじゃ。」とおっしゃる。そうか!漂着物ではなく、島の浜辺で砂に揉まれた物だったとは。カフェの装飾となった事物は大島の記憶のかけらなのだ。
野村さんが「ギャラリーやカフェはどうする、土足にするんか。」と訊ねられる。「とても迷っています。入りやすさを考えると土足の方がいいのですけど。入所者の皆さんにその昔、治療に来た看護師や医師が長靴のまま入所者の部屋に上がってきた、という話を聞くとどうしても土足に踏切れないんです。」すると野村さんがゆっくりと頷いて「ま、玄関から靴を脱いであがるといいじゃろ。」とおっしゃった。
この一言で迷いは消えた。ギャラリーもカフェも土足にはしない。
15:30 今日の漆喰塗り作業終了。出窓ルームはすっかりモデルルームになった。
使った道具を片付け、一通り掃除してから野村ハウスに戻り荷造りをする。
16:15 高松便のまつかぜに乗船。大島を後にする。
今回も多くの記憶を発掘できたことが、うれしい。

2月 27

大島 漆喰塗りと発掘

icon2010年 2月 27日

26日は泉が日帰りで、私は井木と一緒に大島へ。井木は所用で日帰りだが、私は一泊してなんとかカフェシヨル(第二面会人宿泊所)の出窓ルームの漆喰塗りを終わらせてモデルルームとして完成させたいのだ。というのも来週に大島土でカフェに使用する食器を製作する。そのイメージを掴んでおきたいからだ。どのような雰囲気でお茶を楽しむのか、想像できたほうが、製作もはかどり、デザインも決定しやすい。
11:30に大島に着き、まずは野村ハウス(11寮)に行き荷物を置いて昼食。井木が会得した「美味しいコーヒー」の点て方でコーヒーを入れてくれる。うまいっ。
13:00 納骨堂でお参りを済ませ、カフェシヨルヘ。
左官道具とブラシを福祉室作業部に行きお借りする。いつもこうしてお借りできるのでとても助かっている。見えないサポートに私たちは支えられている。

削ると下地の土壁が見えてくる

のりが利いていない塗り壁を剥がしていく。剥離しやすくするため水を含ませたブラシで擦り、充分水分を含んだところでヘラを使って剥がしていく。剥がすとベースの土壁が出てくる。そこへ漆喰を左官ごてで丁寧に塗り込めていく。塗り込めた漆喰に大島の浜辺で拾ったガラスや貝殻、削れて丸くなったプラスチックなどを埋め込み、装飾を施していく。これが一連の作業の流れだ。
井木に壁を削る作業を頼む。私はひたすら漆喰を塗っていく。土壁が乾燥しているため、漆喰のつきが悪い。
あっという間に17:00。井木はいつも乗船している高松便ではなく庵治便で帰る。予定を変更して日帰りになったため、少しでも時間を割いて作業に携わってくれた。
井木を見送った後、15寮に行く。私が壁を抜いた廊下はその後、大島の大工さんが手を加え、すっかり整備されている。ありがたい。企画、制作、作業、連絡、経理、全て私が行っているため、少しでも手伝っていただけるとその分ほかの仕事を進めることができる。
18:00 野村ハウスに帰り、一休み。野村さんの畑から水菜を拝借。高松で買った菜花を炒め、エノキでみそ汁をつくる。お米は自治会長山本さんからいただいた香川産のお米。独りで泊まりなので2合ほど炊く。
入所者の脇林さんからお借りした書籍などに目を通していたら、すぐに時間が過ぎていく。野村さんからいただいたかりん酒をちびちびと飲む。
1:00 就寝

土壁に漆喰を塗り込んでいく

塗り込んだ漆喰に貝殻、ガラスを配置

2月 21

卒展最終日

icon2010年 2月 21日

今日は卒展最終日。私は午後の当番になっていたので13:30に美術館に着く。当初は私はこの時間帯の当番でなかったが、卒展記念公開講座で学生も教員も講堂の方に移るため、私が交代して係りになった。公開講座に人が流れて会場は少し寂しげだ。そんなことを思って歩いていると、次から次へと知り合いと会う。ここではやさしい美術に関連した人々を紹介しておこう。河合正嗣展のチラシをデザインしてくれた、坂田さん。えんがわ画廊でキューブの写真を発表した吉田さん、ライブペイントで1年半、足助病院B病棟に通い絵を描き続けた菅さん、小牧市民病院でスポーツ写真に加工を加えて脱臼してみせたWAWAWA(三輪くん)ほかにもたくさんの人々にお会いすることができた。展覧会は作品を発表する場であり、人と人を引き合わせる場所でもある。
私のコースの学生は水野は自作のアクセサリーを身につけて、作品の説明をしている。渡部はパフォーマンス(舞踏)を演じる。卒展最終日を飾る華やかなシーンだ。

渡部剛己

渡部剛己

2月 19

ながらくブログを書かなかったのは、やさしい美術プロジェクトの報告書(記録誌)入稿が迫っていたため、ひたすら原稿に追われていたためだ。今日、16:00 無事に入稿を終える。ひとまず私たちの手を離れて、印刷会社にお任せする。仕事を終えて大学を出るのが明け方の3時、4時。貫徹の日もあった。デザインはスタッフ井口たった1人。112ページフルカラーのすべてのページである。私はレイアウトのラフを描き、文章をひたすら打ち込む。文字情報が多いため、校正も一通りチェックを入れるだけで6〜7時間かかる。
作品のステートメントもすべて書き直した。たくさんの人の思い、情熱、叫び…。原稿を書きながら聞こえて来る声に耳を傾ける日々はとてもたのしかった。
自信を持ってお薦めできる内容だ。ぜひ手にとって読んでいただきたい。医療福祉と美術・デザインの協働プロジェクトの布石となるものだ。
この2週間を少しずつ振り返りながらのブログ再開。よろしくお願いします。

2月 18

入稿前夜

icon2010年 2月 18日

7:45 息子の慧地が小学校に出かける時間だ。いつものように慧地を玄関から送り出す。
睡眠時間は2時間。曜日があともう1日多ければと真剣に思う。
午前中は自宅で仕事を進め、午後は美術館に向かう。
13:00から卒展の講評会だ。担当の先生方が全員集まった。いつも私が調整に苦労していたが、やっと全員の先生に集まっていただくことができた。学生にとっても気持ちがいい講評会だ。私はほかの先生に比べて卒展会場で学生と過ごす時間が長いので、作品についてじっくりとお話しできる時間があると思い、できる限り私以外の先生方に講評してもらう。卒展が最後の作品になる人がいる。卒展の作品は長い創作の通過儀礼の人もいる。それぞれの人生を感じながら、彼、彼女と過ごした4年間を振り返る。
15:00 講評会が終了する。今日はこの後4年次生主催の打ち上げ会があるようだ。一緒にコースを支えて来た横井教授が退官されるので、本当は横井さんのおつかれさま会でもある。私は入稿前の報告書をチェックしなければならないので足早に卒展会場を後にする。
16:30 プロジェクトルームに到着。スタッフ井口がさっそく原稿を渡してくれる。
校正するたびに誌面が読みやすくなっていくのがわかる。その分、細かい修正点に目が行くようになる。スタッフ井口は連日の徹夜で満身創痍のなか、じつにてきぱきと仕事を進めてくれている。
着地地点はもうそこまで見えている。明日は入稿。

2月 17

やばいっぽいもの

icon2010年 2月 17日

引き続き報告書の原稿作成に追われる。
学内に展示してあったある学生の作品をきっかけにスタッフ井口、赤塚と議論する。現代美術っぽい作品にはやばいっぽい作品が多い。確かに現代の表現は都市の病巣を鏡のように照らし、私たちに気づきや驚き、共感や嫌悪を抱かせる。そうした表現活動があるインパクトを持って受け入れられること自体が美術を社会活動たらしめる。
表面的なやばさのイメージを借りて来るならば、もう少し考え直して欲しいと思う。身を切るような表現ならば、身を切るところで表現して欲しい。首をくくる情景を用いるならば、そこに対峙する自分の心と向き合って欲しい。
やばいっぽいものは、いらない。

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