Nobuyuki Takahashi’s blog

7月 26

もろもろのこと

icon2010年 7月 26日

今日は中部電力「デザインの間」ディスプレイプロジェクトの搬入だ。
2トントラックを走らせ、作品を運ぶ。
昨年の12月に計画を立て、2月にプレゼンテーション、4月に再度プレゼンテーション。その後ばりばり作業を進めてなんとか搬入に漕ぎ着けた。
1775 BOTTOMSと名付けられたディスプレイは廃品のペットボトル1775個を石膏で型取りし、それらを素材として白い壁面を装飾するディスプレイを制作した。思えば、授業時間帯ばかりでなく、冬休み、春休みも休まずミーティングを重ね、制作も休日、土日も厭わず作業を続けた。中心メンバーである4人の学生は清々しい表情で完成したディスプレイを前に記念撮影していた。レンタカーを返しがてら、疲れていたけれど、学生と話した時間が心地よかった。

「やっと、大学らしい制作ができた。」今回のディスプレイプロジェクトに参加している4年次学生がふと口にした言葉が私の気持ちを晴れやかにした。苦労して自分で編み出し、自分で切り開いた道は何よりも輝いていて、忘れることはない。今回は私は手を出さないようにしてできる限り学生の可能性を信じて出てきたフレッシュな感覚や、野方図なエネルギーを極力活かすことにしたた。そう、この「教えない」ということの難しさを今回も痛感する。

昨日、小牧市民病院の病棟デイルームのモビール作品を元スタッフである井口さんにお願いすることができた。彼女は大島でオープンしたカフェ・シヨルのメニュー板も制作。特に色彩感覚には定評がある。彼女の細やかな配慮ある作品を期待する。

8月12日からGALLERY15では鏡mirror展を開催する計画だ。入所者の身の回り品を研磨し、鏡面を制作。鏡に自らの姿を映す展示となる。研磨剤や研磨に必要な砥石、サンドペーパー、金工やすりなどを購入した。しめて4万円なり。

レンタカーを返却し、23:30帰宅。ビールを飲もうとした寸前。ふと、お墓参りに行こうと思い立った。今年もお盆にお参りできないかもしれない。
24:00 お墓参り。こんな時期にこんな時間帯にお墓参りなんて、ご先祖さまは私をしかるだろう。心を込めて手を合わせる。納骨堂で手を会わせる時のあの感覚がここで蘇ってくる。

解剖台の修復のための石材用ボンドの注文、次回展示に用いるダクトレール(スポットライトレール)の注文をインターネットで。
明日は大島だ。

完成したディスプレイはダイナミックかつデリケート

7月 25

7月上旬、大島の海岸に廃棄された「解剖台」がある、と伝え聞いた。
私は大島で「古いもの、捨てられないもの」という切り口で大島の隅々まで歩き、入所者の皆さんに声をかけて、ありとあらゆる入所者の身辺のものを集めている。入所者から預かるものもたくさんあるが、青松園の職員さんから情報をいただいたり、お預かりしたものもある。畑の片隅で捨てられたものを拾ってきたこともある。こうした私の行動が何人かの入所者に飛び火し、古い写真を収集し私に託す方もいる。
私はなぜ、「古いもの、捨てられないもの」に着目したか。それは亡くなられた入所者のその後を幾度か見たことから端を発している。小さな離島に閉じ込められて暮らしてきたハンセン病回復者である入所者はご子息を残すことが許されなかった。夫婦になるとしても「子どもはのこさない」のが条件だった。一代きりの人生がこの大島では折り重なっている。亡くなられた方は大島で火葬されほとんどの方は故郷にも返されず、身内にもひきとられず、納骨堂にはいる。大島では口約束の後見人を置いていた。それは身内と断絶させられた入所者が「自分が何かあったときはよろしく」とお互いの行く末を憂い、あらかじめ決めていたのだという。何よりも衝撃的だったのは、亡くなられたあと、部屋にある一切合切はあっという間に廃棄される。リセットという言葉が悲しく頭に浮かぶ。私はある方の亡くなられたあとを見る機会があった。後見人である入所者の「これですべておしまいじゃ」という一言がむなしく響く。
「古いもの、捨てられないもの」は大島にはない、ということからの出発だった。使われなくなり、持ち主のないものはすべて捨て去られる運命にあるのだ。だからこそ、私は今のうちに「古いもの、捨てられないもの」をかき集め、どんな些細なものでも、その背後に張り付く記憶と向き合うことを自らに課すことにした。もちろんそれらは私の編集、配置によってギャラリーで一般に公開することまでを視野に入れている。
古いということ。捨てられずにのこっていること。それだけで大島で存在する価値がある。後見人として捨てることなく手元に置いていた亡くなられた方々の遺品の数々も預かっている。濃密な記憶の塊である事物。それらは資料として読み取るものではなく、感じるものだと私は考えている。
さて、解剖台に話を移そう。解剖台も「古いもの、捨てられないもの」の延長線に浮かび上がったものだ。大島が一旦捨て去った過去の忌まわしい記憶を宿す事物は離島であるが故に選択肢なく投棄、波の浸食を受けてもなお、浜辺の片隅でかたちをとどめてきた。大島が捨てても捨てきれなかった、何かがここに在る。

投棄された解剖台は潮が引いたときのみ顔をのぞかせる

浜辺に横たわる解剖台=コンクリートの塊は引き潮の時のみ姿を現す。潮が満ちると海面下に身をひそめる。その情景にただ私は立ち尽くすしかなかった。ひょうたん型のシェイプが頭に焼き付いて離れなかった。
7月8日それは海から引き上げられた。不可能とされた場所から25年の歳月を経て、ふたたび大島内に上陸した解剖台。
7月9日GALLERY15の前、13、14寮はすでに取り壊され空き地と化している。そこに解剖台を置くことに決めた。
様々な感情が折り重なるのを感じる。説明のつかないそれぞれの思いがうねり波立つ。私はこれまでとは異なる領域に足を踏み入れたと感じた。「古いもの、捨てられないもの」の収集の先にある、あるステップに私は立ったのかもしれない。
それからというもの、私は両足で踏ん張るには足りず、吹き飛ばされないように四つ足で大地にしがみついている。

7月 24

やさしい美術展

icon2010年 7月 24日

今日と明日、全学をあげてオープンキャンパスを行っている。受験生、親子連れの家族が大学の空気を吸いにくる。
私はやさしい美術プロジェクトの展示を行っている。写真、コンセプトボード、ワークショップ、参考資料の閲覧スペースなどを設置。将来のやさしい美術メンバーを募る。
やさしい美術のメンバーには、入学前から参加することを心に決めていた者がいた。実はやさしい美術の潜在的なメンバーは大学生になる前の子どもたちの代から存在するのである。
名古屋は暑い。大島もきっと暑い。

やさしい美術展の一部

7月 23

出発 重い口をひらく

icon2010年 7月 23日

しばらくのご無沙汰、お許し願いたい。
準備で余裕がない、ということもあった。
少しでもエネルギーがあれば、すべて作品にそそぐ、時期でもあった。
様々な感情の嵐が吹き荒れて、そのただ中でなんとか四つん這いになって立っている自分がいた。
それでもいつもは何か書くことができたけれど。
昨日、前期の授業を終わらせ、今日、学内にやさしい美術の展示を完了させる。文部科学省へ現代GP関連の、おそらく最後の提出物となる実践状況報告書を書き上げた。寝られない日々がここで一段落する。

この6月末、7月前半にあったことを回想していくことにする。

デザインの間ディスプレイプロジェクトの制作も佳境にはいる。なんと1775個のペットボトルから石膏で型取りをしている。

6月 27

大島 涙が出るほどに

icon2010年 6月 27日

6:00 となりの女子チームはすでに起きている。へとへとになって隣で寝ている川島を起こさないようにそっと起きる。雨が上がった。曇っているが梅雨空のことだ、どうなるか予測がつかない。
看板を取り付けたカフェと同じく看板を仮置きしたギャラリーに行き、全景の写真を撮影。webで活用する写真なのだが、空は晴れわたっていてほしい。午後に望みをつなぐ。
7:00 洗濯機をまわす。汗と作業のほこりでめちゃくちゃに汚れている。

なんて瑞々しくて美しい!

8:30 外で声がする。入所者の野村さんだ。いっしょに畑でミニトマトを収穫。朝起きて新鮮な野菜をいただく。大地の恵みが全身に染み込んでいく。私の家族にもこの体験をしてほしい。大島の人々はこうして生きる喜びを噛みしめてきたのだ。
9:00 朝食後に外に出ると、野村さんの奥さんも畑仕事。となりの10寮の大野さんも出てきた。野菜を眺めながら、話ははずむ。スイカが随分大きくなっていた。カボチャがなっている。野村さんが「1つ食べるか。」と1つちぎってもらう。はさみをいれた蔕から玉のように樹液が出ている。植物も生きている。
9:30 遅くなってしまった。桟橋に向かうと桜公園のあたりでこえび隊の皆さんと出会う。明るい空気を携えて人々が大島に来る。大島に泊まっていると、ちょっとだけ入所者の皆さんの気持ちが理解できる。人が来るということは外の空気とともにやってくるのだ。小さな島だ。私たちの話し声もはしゃぐ様子も島の端から端まで伝導していく。
野村ハウスに荷物を置き、まず、GALLERY 15に行く。こえび隊の皆さんに一番最初のお客さんになっていただく。「大智×東條展」の鑑賞。
部屋には何もものを置かない。ただ、大智さんと東條さんの畑での掛け合いが建物全体を包む。こえび隊の末藤さんはしばし廊下に座り込みこの声に聞き入り、涙していた。私も初めて大智さんたちの声を聞いたとき、あふれる涙をこらえきれなかったのを憶えている。伝わる人には伝わる。
納骨堂に行く。その後は北部の畑を通り風の舞に行く。その途中のことだ。畑で働く入所者はとてもいきいきとしている。その代表格に入所者の大智さ

畑作業は楽しい

んがいる。大智さんのバイタリティーは触れ合う人に伝染する。私たちもすっかり土と戯れることが好きになった。そんな話をしていたら、桜並木の向こうから上半身はだかの大智さんが自転車でやってくる。すごいタイミング。井木と泉はハーブの苗を持ってきていたので、その場で植えても良いか大智さんに交渉。そのまま畑に入り畑仕事を始める。皆でわいわいと畑の草抜き。大智さんは「楽しい。若返る。」とおっしゃる。畑を通して人と人がつながっていく。
風の舞まで行く。予定通りでない大島時間が心地よい。道草しながら横道にそれながらも私たちは大島の生命感に抱かれていく。
カフェ・シヨルに戻る。ここで作業班を二手に分ける。こえび隊崎山さんにはガイドのシミュレーションを進めてもらう。

杭を打ち込む

GALLERY 15の看板は昨日仮置きしたままになっている。大島の風は強い。吹き飛ばされないように杭を打ち込みそこに結わえ付けて固定する。川島が掛矢を福祉室作業部から借りてくる。さて、ここからが本番だ。60センチの杭を打ち込んでいく。皆慣れていない作業のなか、汗を流しながらよくやってくれている。私はギャラリーにやってきた入所者の脇林さんと一緒に新聞社の取材を受ける。松をテーマにした展覧会のビジョンを二人で語りあう。
ふと気がつけば大島にいられる時間が少なくなっていた。最終の高松便に乗船しなければならない。杭を打ち込んだあとは私以外は文化会館に行き、Morigamiの展示作業を継続する。私は看板を杭に括りつける作業にとりかかる。
16:00 作業終了。後片付けと荷造り。
16:30 まつかぜに乗船。強い日差しと重労働で皆へとへとになっている。作業に追われて十分にインタビューができていない新聞記者さんから質問を受ける。
17:00 高松の桟橋に到着。私たちは間髪入れずにレンタカーに乗り込んで名古屋に向かう。
こえび隊の皆さんが私たちを見送ってくれた。車中では皆さんの活躍の話で持ち切りだった。すでに私たちやさしい美術とこえび隊大島チームは多くの思い出を共有している。芸術祭のスタートラインが見えてきた。

6月 26

大島 看板を立てる!

icon2010年 6月 26日

6:30 夜行バスが高松駅に着く。あいにくの雨だ。でも作業は進めなければならない。瀬戸内国際芸術祭開幕まで私たちに残された時間はわずかだ。
高松駅傍らにあるいつも立ち寄るパン屋さんで朝食。サンドイッチをほおばる。そのあとはサンポートの待合所で時間をつぶす。私は今日明日の作業の段取りを準備。
9:00 桟橋に向かうとこえび隊の小坂くん、末藤さん、崎山さんが矢継ぎ早に集まってくる。AFGの高坂さんが笑顔で送り出してくれる。
9:05 まつかぜに乗船。前田船長が笑顔で向かえてくれる。
9:25 大島に着く。桟橋に作業着姿の井木と泉が待ってくれている。大島に来た。すなおにうれしい。
納骨堂を参拝したあとは、早速荷物運びを始める。文化会館では森をつくる折り紙Morigamiを展示する。福祉室作業部から車を借りて折り紙キット、Morigamiを立てるダボ、使われなくなった家具類をGALLERY 15のストックヤードから運び出す。雨が運搬に向かう気持ちをスポイルする。それでも着実に作業を進めていく。井木と泉はカフェの設えを徹底的に打ち合わせる。店の運営、人の導線などなど。
私たちはギャラリーに戻り、梱包して運んだGALLERY 15の看板を開梱してギャラリー前に運ぶ。私が指示した位置に看板を据えていく。イメージ通りだ。看板が立つことによって、建物の位置づけが大きく様変わりする。
12:30 昼食の時間をとる。ここでこえび隊の皆さんとディスカッションする。大島を外に開いていくために私たちは何をしなければならないか。ボランティアでガイドを担当する人と、取り組みを運営する人との情報の格差や経緯を含めた決定事項の共有が大事だ、との意見もあがる。特に末端で一般来場者と直に接するガイドを務めるプレッシャーはとても大きい。そのプレッシャーをはね除け足腰の強い活動としていくには、問題を個人がためこむことなく体験の共有をはかることが大切だ。
14:00まで議論は続いた。これほどまでに大島のことを考え、{つながりの家}の取り組みに真摯に向き合う方達が集まってくれるのをただ感謝するのみである。午後の作業にうつる。私は文化会館に置いた家具類をレイアウトしてMorigamiを植えていく設えを決定していく。使われなくなった家具類を大地、山に見立てて森を育んでいくイメージだ。ある程度指示をしたあとは私はGALLERY 15のスピーカーシステム設置の仕上げにとりかかる。点吊りでスピーカーユニットを取り付けていく。再度音のバランスをみる。床置でバランスをはかったが、天吊りにすると音の指向性は微妙に変化する。その微妙な変化を聞き取りながら、最後の微調整。ここだ、というバランスに出会う。
15:30 雨が小降りになってきたのを見計らってカフェの看板を取り付けることにする。トタンを塗装した錆び止めペンキの色とマッチした看板は色も大きさもそしてデザインも申し分ない。最高のできばえだ。しばし看板の完成をよろこぶ。
ギャラリーに戻り作業の継続。
16:00 いつの間にか時間は過ぎていく。こえび隊の皆さんが帰る時間だ。桟橋まで見送りに行く。雨脚が強くなってきて、傘なしで見送りに行った私に「風邪をひいては大変なんで、見送り、大丈夫です。」とこえび隊の末藤さんからやさしい声をかけていただく。
(お言葉に甘えて。また明日もよろしくお願いします)
その後もギャラリーに戻りセッティング作業を続ける。
夕食後もセッティングの作業。
22:30 お風呂にはいる。
その後も作業。
1:30 就寝。

設置の終わったカフェの看板

仮置きした看板

6月 25

足助 BBQ

icon2010年 6月 25日

4:30 起床。
5:30 自宅を出発。始発の地下鉄に乗り、春日井駅に向かう。
6:20 春日井駅着。大島メンバー井木が私とスタッフ川島を待っている。井木の乗用車でレンタカー屋さんへ向かう。
レンタカー屋では大島メンバー泉が商用車を借りて待機していたところだった。私たちは泉が運転するレンタカーでまずは大学に向かう。今日は先行して井木と泉がレンタカーに荷物を載せて大島に向かうのだ。あまりにも荷物が多いため、私と川島が積み込みを手伝い、送り出す段取りだ。私と川島は今日の夜行バスで高松に向かう。
大学で大量の荷物を積み込む。ハイエースバンの貨物室が満杯になる。
7:00 井木と泉を送り出す。気をつけていってらっしゃい。その後はひたすら仕事。マナーペーパーのレイアウト、ルートマップの手直しをする。
お昼に借りてきたレンタカーに乗り込む。足助病院の職員さんたちとのバーベキュー。病院とアートのコラボレーションプロジェクトで職員と一緒にバーベキューをしているところは全国探してもおそらく私たちだけだろう。病院内での研究会では見られないドクターたち看護師さんたちの素顔に触れる良い機会だ。毎年皆楽しみにしている。16:00出発組と17:30出発に分かれて足助町につく。川縁で炭火をおこし、肉を焼いて食べる。やさしい美術のメンバーと足助病院の職員との信頼関係はこうした「食べる」という時間を共有して生まれていると言っても過言ではないだろう。
私は早川院長と大山看護部長と歓談しながらこの場を楽しんだ。足助病院は老朽化が進んだため、新しい建築の計画を進めているところだ。その計画のなかに私たちやさしい美術プロジェクトもまぜていただく。
20:30 バーベキュー終了。学生たちはまだまだ楽しくやりたいという雰囲気だが、病院職員さんらは明日も仕事だ。「今年もよろしくお願いします。」まるで新年のように挨拶を交わして散会。
レンタカーに乗り込んで帰路につく。今回バーベキューに参加したのは14名。そのうち8割が今年に入ってきた新しいメンバーだ。こころなしかメンバー間も緊張が解け、良い空気感が生まれている。
21:30 春日井駅にメンバーを送り、レンタカーを返却。
22:17 スタッフ川島と名古屋行きのJRに乗る。
23:00 そのまま夜行バスに乗り、高松へ。睡眠不足も手伝って、よく寝られそうだ。

早川院長、大山看護部長、ミンダナオ島から研修にきているお二人。

6月 22

小牧市民病院研究会

icon2010年 6月 22日

16:00 授業を終えてすぐに大学を発つ。今年度一回めの研究会を行う。早いもので小牧市民病院との協働関係は6年を越えた。当初は院内に「癒しとやすらぎのプロジェクト委員会」を設置していただき、幅広い年齢層、広範囲の部署から委員を集め、毎月緊張感のある研究会を行っていた。小牧市民病院は典型的な急性期病院だ。広大な3階フロアは手術室と集中治療室で埋まる。集まる看護士さんやドクターはいつも顔面蒼白でいつもぎりぎりで仕事をしているのが伝わってくる。病院職員に負担になることもあって2年前からこの委員会形式を解体し、必要に応じた部署との協働にしぼりこんだ。
今回は4月に実施した職員向けのアンケートをもとに、私たちやさしい美術プロジェクトの方から作品の設置がのぞまれている部署、いっしょになって問題を解決していくことができそうな部署に作品プランを提案する。
その作品プランとはモビールである。一昨年から昨年にかけて2年間小児病棟の環境整備に取り組み、病室の天井にモビールを届けるというものである。ところが、最終的には子どもたちが飛びつき、ベッドからの落下の危険性が否めないところから病室内の展示を断念した。最終的にはデイルーム天井に張り巡らしたワイヤーにびっしりとモビールをつり下げた。
今日、お話しさせていただいた4病棟と6病棟。建物自体の環境は画一的で変化はない。しかし、入院している患者さんは違う。4病棟は妊婦さん、赤ちゃん連れのお母さんが入院していて、院内では唯一「めでたい」場所でもある。一方6病棟は脳梗塞や脳血栓などで脳にダメージを受けた方が多くいる病棟。看護士さんらが目の届くデイルームで食事をする方もいる。このように病院と一口に言っても、病棟によって状況は一変するのだ。そうした諸条件を担当の看護師さんから聞き、さらに現場に行きその現実を肌で感じてくる。
研究会が終わったのが18:00。ちょうど食事の時間なので、担当の看護師さんに断って6病棟に見学に行った。デイルームの真ん中に楕円状にテーブルを置き、それを囲むようにして5〜6人の患者さんが食事をとっている。点滴を打ちながらの方がほとんどだ。看護師さんは食事中もできるかぎり話しかけるようにしていた。食事中の会話を大切にしているのだろう。私たちがここでやるべきことは、この空気感の中でさして気にかかるでもなく、なんとなくいつもより明るく、心地よい空間にすること。作品を注視してしまうことがないように配慮しなければならない。

レンチで手すりをはずすスタッフ川島

18:30 鷲見広孝くんが制作した作品「その下にあるもの」を一時搬出する。渡り廊下の1階と2階をまたにかけるように虹を模したダイナミックな作品だ。プラスチック段ボールに穴を開け和紙を貼り込んでおり手間もかかっている。しかし、いたずらのためその和紙部分に穴を開けられ、虹のシェイプが認められないほどに痛んでしまっている。痛々しいダメージを受けた作品は病院にはにあわない。
20:30 搬出作業終了。例によってスタッフ川島と搬出ラーメンを食す。

一時搬出した鷲見広孝作「その下にあるもの」(部分)

6月 21

缶コーヒーの味

icon2010年 6月 21日

12:20 学生有志で情報誌を発行しているクロッキーの取材班がプロジェクトルームにやってくる。迎え撃つは私とリーダー古川。
やさしい美術プロジェクトについてページを割いてくれるとのこと。学生の反応がうれしい。とても気持ちのよい挨拶。質問もよく整理されていて、相当の準備をしてこの取材にのぞんでいるのがわかる。こんなにがんばっている学生がいるのだ。うきうきしてくる。
リーダー古川と取材を受けながら、私が13年前に制作した作品を思い出していた。その作品は今も古川の住む街にある。
とある公園のパーマネントコレクションとして彫刻作品の制作を町から依頼され、私はなんとしてもその年にそれを完成せねばならなかった。しかし、私の兄ががんで倒れ、その影響で依頼された彫刻の制作が頓挫していた。何もしてなかったわけではない。「作品」という決着の付け方に真剣に悩んでいた。今までにない感覚だった。
年末、しびれを切らしたディレクターと町からすごい勢いのおしかりの連絡が舞い込む。私は一旦提出していたプランを白紙に戻した上に年度末にさしかかっても制作が一向に進む気配がないことから、当然と言えば当然だが、契約違反だとの厳しいことばが降ってきた。私はそれを機会に、現場制作の作品プランに切り替えどっさりとドローイングを送った。それは公園に穴を穿ち、こぶし大の石材を敷き詰め、私自身の身体がすっぽりと入るくぼみ、私自身の雌型を大地に穿つ作品だ。永久に続くと思われそうな、私という存在は一時的な現象である。認識の範疇にある枠組みの横っ腹に風穴を開ける表現をしたい、と日々もがいていた。すなわちそれは生という縦軸に対して死という横軸に身を置くことだった。
2月10日 兄の最後の一息を家族で看取った。
葬儀が終わり、その翌日。私は先に説明した作品の制作を始めた。ツルハシの最初の一振りの感触は生々しく記憶されている。
その作品は思いもかけない体験を私に授けてくれた。私が地面に穴を掘っていると、ある初老の女性がそっと私に缶コーヒーを差し出してきた。それまで挨拶さえかわしたことがなかったが、その方は毎日散歩の度に一心不乱に作業している私のことを見ていたのだ。「初めて自動販売機で缶コーヒーを買ったよ。」この缶コーヒーのなんと温もったことか!しかも全く同じ缶コーヒーの体験は新潟県立十日町病院の設置作業中にも起きたのである。
「わしはこんなものを作れと頼んだ覚えはないぞ!税金の無駄使いだ。」と罵声を浴びせる方もいた。町のコミッションワークであるとはいえ、美術作品と地域住民の間には深い溝があるのだと感じた。むしろその溝に深く浸透してお互いを溶かしくっつけていくことが美術の役割かもしれない、そんなことを感じていた。
概念ではなく身体でわかる感じだった。ネガティブなこともポジティブなこともやつれて心棒のみになった私の心に肉付けされていくような感覚をおぼえた。大地に穿った、ちっぽけな私の身体を投げ出す装置。たったそれだけの営みだとはいえ、他者の地にしるしを刻むことの抵抗感を私は確かに受けとめることができた。
リーダー古川がこの作品を自宅近くの公園まで観に行ってくれた。はずかしいけれど、でもちょっぴりうれしかった。

6月 20

大島特設サイト作成中

icon2010年 6月 20日

※5月28日、29日、30日の大島、6月11日、12日、13日の大島遅くなりましたが、ブログをアップしました。ご一読ください。

今日は日曜だが、オープンキャンパスで出勤。
8:35 春日井発のNZUバス(通学バス)に乗る。
一日受験生の相談にのる。話をしていると、途中から視線が遠くなる受験生。私の話がむずかしかったのか、興味が持てなかったのか、集中力が続かなかったのか…。
17:30 同じくNZUバスで春日井駅に向かう。ものすごい豪雨がバスの屋根をたたく。ところが春日井駅に着いてみると曇っているものの雨が降った形跡さえ見当たらない。この季節独特の局地的豪雨か。
19:00 帰宅。
昨日から続けてwebの大島用特設ページを作成している。昨年はスタッフに優秀なデザイナー井口がいた。今年はつたない技術とセンスで私がデザインを担当。きっと何千というアクセスがある大島特設ページ。お楽しみに!

製作中の大島特設ページ