Nobuyuki Takahashi’s blog

2009年 5月のアーカイブ

藤井健仁の鉄面皮

2009年 5月 31日

今日開催予定だった「子ども療養環境フォーラム研究発表会」。私は座長を頼まれていたが、インフルエンザの影響で直前に延期になり、オフ日となった。昨日の香川県庵治町での住民説明会はたった30分あまりのプレゼンテーションだったが、考えあぐねた末の内容だったのでひどく疲れが残っていた。朝と夕方、子どもを散歩に連れて行く。ひさしぶりにのんびりとした時間だ。
夕方、娘を連れて、GALLERY Mに行く。私の古くからの友人で鉄の彫刻家藤井健仁の個展だ。鉄面皮のシリーズはブッシュ、麻原彰晃などのワイドショーをにぎわす面々を鉄を熱してたたき出す方法で制作したものだ。彫刻界では邪道とまでいわれる「お面」を彼は敢えて制作している。その途方もない作業と労力は情熱といえばそれまでだが、憎しみ、嫌悪、愛、慈しみがないまぜとなった営みだと彼は言う。殺人に値するほどの労力、処刑人としての愛。
私も専門を彫刻としているが、彼の表現とは全く方向性も手法も異なるものだ。しかし、今日ふと「意外と近いのかもしれない。」と感じた。というのも、私のテーマと同様に彼も事物の表面と中身についての問題意識が強く働いていると思えたからだ。仮面は事物を見えなくすることもあり、中身を象徴的に映すこともある。そうした表面を追いかけることで、かえってその背後にある不可視の領域に迫って行くことができる。その歪んだ姿勢に共通点を見出した気がしたのだ。ギャラリーの空間は洗練されていて、藤井の表現をくっきりと浮かび上がらせていた。

庵治町での住民説明会

2009年 5月 30日

11:00 香川県庁の今瀧さんが県庁の車を走らせて迎えにきてくれる。早朝に東京から飛行機で駆け付けた北川フラムさんと同乗。
11:30 庵治町に着く。少し早めに着いたので、庵治町から大島を見てみることにした。大島から一番近い陸地なのは確かだが、意外にも実感が湧かない。庵治町側からは大島の南側の海岸と山が見えるのみで住まいや生活の様子を見ることができない。このような風景で見える大島を庵治町の人々はどのように見ていたのだろうー。
会場に着くと、大島自治会長の森さん、副会長の野村さんが来場されていた。手には私が4月に渡した企画書をお持ちだ。私が声をかけると
「おー、どうしたの。今日は何か用事なの?」
「今日、少し時間をいただいて、大島での取組みについて話するんですよ。前に渡した企画書の内容を説明します。ところで今日は暑いですねー。」
「私らは午前中はゲートボールで汗を流してから来たから。何人か来る予定だったけどつかれてしまってねー。」
などと、世間話。私がこの会場に来ることは知らせていなかったのでお二人ともちょっとだけ戸惑っているようだ。北川フラムさんをお二人に紹介する。北川さんは何度か大島に足を運んでいるが、初めて入所者の方々にお会いしたとのこと。とてもうれしそうだった。それにしてもいつになったらインフルエンザの自粛勧告が解かれるのだろう。早く大島に行きたいー。
12:00 司会者と北川さん、私とでその場で打ち合わせ、発表の順番を変更。私が一番先にお話しさせていただく事になる。私はある程度どのようになっても対応可能なように準備をしてきたのでうろたえることはない。30分ほどでこれまでのやさしい美術の取組みを説明し、大島での取組みの概要を説明する。
私から大島のことをお話しするのは実はとても勇気がいった。どれだけ私が伝え聞いても、大島で起きたことを体験しているわけではない。大島の皆さんのお気持ちを機会があるごとに聞いてきたけれど、それを今ここで私からお話しすることが果たしていいのか…。自分でも意識できるぐらいに声が震えた。納骨堂のこと、子どもが残せなかった皆さんは最後の一人になるまで大島に住みたいと願っている気持ち、外とのつながりを感じたいという気持ちと放っておいてほしいという感情も同様にあるということも。かつて大島を「瀬戸内の肥だめ」「島流し」と呼ばれていたこと。ひとつひとつ丁寧に言葉を選びながらお話しする。私たちの取組みは過去を見つめながら前を向くものだ。だからこそ、何度も何度も現地を訪れ、その空気を直に感じることが大切なのだ。
住民からの質問がいくつかあがった後、会場を足早に後にする。
14:30 四国村のうどん屋で香川県庁の皆さんとうどんを食す。麺のおいしさは今のところ、ここがナンバーワン!

この量を見よ。「中ジャンボ」という意味不明な量なのだが。

この量を見よ。「中ジャンボ」という意味不明な量なのだが。

高松へ

2009年 5月 29日

定食屋の肉うどん。麺はやわらかめ。

定食屋の肉うどん。麺はやわらかめ。

8:45 泉と名古屋駅で待ち合わせ。新幹線に乗り込み、いつものように岡山を経由して高松へ。
本当のところ、この29日、30日は大島に行く予定だったが、インフルエンザの影響で自粛勧告が出され、大島に行けない。今回は翌日の庵治町での説明会に出席し、取組みの説明にあがるため、高松に前日入りすることにした。
12:30 高松駅に着く。駅近くの定食屋さんでうどんを食す。地元のサラリーマンが楊枝をくわえて店を出てくるのを見て、この店に決めた。
食後に駅前で香川県庁今瀧さん宮本さんと待ち合わせる。近くの喫茶店で翌日開催される庵治町での住民説明会について打ち合わせ。
15:00 今瀧さんらと別れ、丸亀町1番街近くのホテルに行きチェックインする。部屋で一服する間もなく、ノートパソコンを開ける。翌日のプレゼンテーションのためのパワーポイントは大方できているが、どこに内容をしぼって話すか、迷いがあった。庵治町住民がどの程度大島のことを知っているのか。その興味はどこにあるのか。国際芸術祭参加への期待なのか、地元町おこしのチャンスだと思っているのか、本当に大島と関わって行こうと思っているのか…。考えれば考えるほど、私から何を伝えなければならないか焦点がしぼれない。そのためにも地元の人々の関心や意識をできるだけ聞きたいと思っていた。
ホテルの部屋に入ってほどなくして、大島の福祉課のお仕事をされているある職員Aさんに携帯メールする。きっと今日も大島でお仕事をされているはずだ。すぐに返事が来る。ホテルまで来てくれるとのこと。約束の時間を泉に連絡して私は時間までひたすら資料作成。
19:00 ホテルの一階に降りて行くとすでに大島の職員Aさんがロビーでお待ちだ。挨拶もほどほどに食事に行く。
高松の街はとてもわかりやすい。商店が多いところ、飲み屋さんが多いところ、古い町並み、新しい町並み、どれも規模が小さくて、住み分けがはっきりとしている。高松の街に住むには自転車ですべて事足りるという。なるほど、どこに行っても自転車だらけ。まるで上海。いつも高松に来るとすぐに大島にわたってしまうので、見るものすべて新鮮だ。
大島の職員Aさんとの話はとても有意義なものだった。Aさんが大島で働くきっかけになったことやその心境の変化など、プライベートなことまで話がおよんだ。大島で暮らす入所者の皆さんと接して感じることもお聞きし、身になることばかりだ。職員だからこそ、親しくなっても、深く入って行くことはできない、そうした矛盾した現実があることもお聞きして初めてわかった。病院の医師や看護師が患者さんに自分の気持ちをぶつけるようなことをしないのと同じことのように思えた。でもそこには表に現れない強い意志と感情があるのだ。
高松の地元から見た大島というものも一般的な感情を聞くこともできた。世代によってもその意識の格差がある。とにかく事は簡単ではないことが充分に理解できた。
率直にお話しする職員Aさんには感謝でいっぱいだ。お忙しいのに、次の日もお仕事があるのに、たっぷりと時間を割いていただいた。気がつけば10:00になっていた。
ホテルの前で職員Aさんと別れ、部屋に戻る。
今日取材できたことをまとめながら、明日のプレゼンテーションの資料を仕上げる。
4:00 就寝。

長男慧地の誕生日

2009年 5月 25日

コース、プロジェクトの打ち合わせ、制作の相談はすき間なく進む。
20:30 自宅近くのケーキ屋さんに寄る。前もって注文しておいたイチゴのホールケーキを受け取る。
そう、今日は長男慧地の誕生日なのだ。
自宅に帰ると、パジャマ姿の子どもたちがお出迎え。「夕方6:00には帰るから」と約束したのに大幅な遅刻。だのに子どもたちは一切文句を言わなかった。どうしてか。それは奥さんが私のことを決して悪く言わないからだ。こういう時に本当に身にしみる。私はあなたの手のひらの上で泳いでるんだよ。ありがとう。
子どもたちは寝る直前にケーキに蝋燭を立てて、「ハッピーバースデー」の合唱。
やさしい美術プロジェクトは長男慧地が生まれた時から始まっている。プロジェクトの年齢と息子の歳は一緒。7歳になった慧地をおもいっきり抱きしめる。こんなに大きくなった。

ふふふっ〜

ふふふっ〜

妻有ツアー ぴかぴかの藁

2009年 5月 23日

朝の食卓はこんな感じ

朝の食卓はこんな感じ

7:00 起床。頭がすっきりと冴えているので朝から原稿執筆。
8:00 女性陣が簡単な朝食を用意してくれる。メンバー天野が作ったスクランブルエッグの塩加減がたまらなくうまい。
8:30 でんでん(デザイン集団)岡村が宿泊しているホテルからここ「やさしい家」に来る。岡村はHimmeliを制作するワークショップを行なう予定になっている。Himmeliはフィンランドではその年に採れた藁を用いて幾何学的な装飾品をつくり、各家庭で縁起物として飾られるものだ。今回岡村は地元の素材「藁」を用いようとしている。リサーチを重ねた結果、津南町のある住民の方から藁を分けていただく事になった。
9:00 十日町駅前のレンタカー屋さんで車を借り、津南町に向かう。
道に迷いながらも住民Kさんのお宅に到着。
すばらしい姿のお宅だ。見事な草屋根。まるで、ここだけが時間が止まっているようだ。
Kさんはとても親切で、奥様もとってもやさしい。藁をいただく前にお茶でも飲んで行きなさいというのでお宅にあがらせていただく。中に入ると少しひんやりとする。真夏でも涼しいと聞く。分厚い草屋根のおかげだ。その草屋根の傷んだ部分を最近葺き替えたそうだ。屋根の葺き替えには近所同志持ちつ持たれつでやってきたようだが、近所付き合いが薄くなった現代では膨大なコストがかかるらしい。古くて伝統的な生活を営むにはかえってお金がかかるという矛盾。
住民Aさんは藁について造詣が深く、扱っている細工用の藁は使う場所、用途によって使い分ける。その藁はすべてぴかぴかしている。
奥様がいちごとアスパラを出してくれる。両方とも売り物にならない歪んだ果物と野菜だ。でも光り輝くように美しい。野菜の内面が輝きとなって顕われているようだ。こんな野菜、見た事がない。食べてもっとびっくり。ジューシーで旨味が口の中いっぱいに広がる。こんな野菜たちを育てるAさんの手は無骨で野菜と同じようにぴかぴかしていた。
随分と長居してしまった。Aさんとの時間は忘れられないものとなった。この感覚は大島で入所者の皆さんとお話をした時と似ている。人生の大先輩からいっぱい受け取るものがあった。
12:00 やさしい家に戻る。
13:00 昨日から搬入作業を続けていた泉とサポートしていたメンバー、スタッフが十日町病院から帰ってくる。帰ってくると同時に病棟の看護師さんから連絡が入る。今回の泉の作品は十日町病院病棟のすべての病室前廊下表示灯(72カ所)にミニギャラリー「えんがわ画廊」を設置し、季節の花を手作りで制作したものを展示した。一カ所のみ展示がされていない、との指摘だ。
私は今回の泉の作品を確認したかったので、すぐに材料を持って私と泉のみで病院に向かう。
病棟の患者さん、看護師さんの反応は上々。病棟全体が統一感を伴ったあたたかい空間に様変わりしていた。
感服。すべての病室に作品を設置したのは過去において泉一人だ。十日町病院での取組みの出発点をきっちりと踏切ってくれた。6月の「足助アサガオのお嫁入り」の結婚式が執り行われれば、事実上の大地の芸術祭に向けた活動が一足先に幕を開ける。
その後、ちょっと遅い昼食場所で他のメンバーと合流。
19:30 大学に到着。

光り輝く藁

光り輝く藁

葺き替えた草屋根。すばらしい姿だ。

葺き替えた草屋根。すばらしい造形だ。

えんがわ画廊設置風景

えんがわ画廊設置風景

妻有ツアー 住民説明会

2009年 5月 22日

今回は人数が多く、バスをチャーターする。大学で集合し、機材、材料などを協力し合ってバスに積み込む。
この時勢、インフルエンザの対策でマスクの着用が叫ばれている。過剰に反応しなくともよい、という向きもあるが、私たちの活動は病院に入って行くので、配慮は必要だ。しかし、探せどもマスクが売り切れで見つからない。出発の当日にスタッフ平松がコンビニで見つけてなんとか調達。
15:00 空き家「やさしい家」に到着する。荷物を空き家に降ろし、各自研究会の準備をする。
16:00 すぐ近くの十日町病院に向かう。病院内の会議の関係で病院内の視察、試作検討、展示場所の確認作業を先に進める。

マスク着用の研究会

マスク着用の研究会

16:40 研究会を始める。今回も検討事項が山ほどある。てきぱきと進行する。
18:20 研究会の途中ではあったが、空き家「やさしい家」で開催する周辺住民説明会の準備のため一足先に「やさしい家」に戻る。部屋を片付けていると、家主の樋口さんがみえる。続いてアートフロントギャラリー柳本さん、十日町市役所の面々がやってくる。
19:00 私とリーダー川島のみ住民説明会に参加し、あとの学生とスタッフは恒例の懇親会会場へ。
周辺住民の皆さんにまずは「大地の芸術祭」事務局の柳本さんから説明とお願いの言葉があり、続いて私から、活動の概要とこの空き家の活用の主旨をお話しする。
その後質疑応答。地元のコミュニティーに入ってきたものとして、ゴミ捨てなどのルールは守ってもらいたい、というご意見があった。当然である。その当然のことが守れなければ、やはり地域のコミュニティーには入って行けない。
活動の主旨についてとても賛同をいただいてうれしく思う。
20:30 周辺住民説明会であたたまった気持ちのまま、懇親会会場に合流。
二次会。スナックでカラオケを熱唱。私は6月に行なう「足助アサガオのお嫁入り」という企画にちなんで、郷ひろみの「お嫁サンバ」を歌い上げる。あー満足。
やさしい家に戻ると、交代でお風呂に入っている。
私は最後に入って風呂掃除。寝る前に文部科学省から依頼された論文の作成。
4:00 就寝

電話が鳴りりっぱなし

2009年 5月 21日

昨日に引き続き、電話が鳴りっぱなし。実は昨日、携帯電話を自宅に忘れてきたので、自宅に帰ってから着信履歴を見て呆然。
ここまで来ると、様々な約束も、懸案・確認事項も話しただけでは記憶できない。書面または記録に残るメールで連絡がないと振り返ることもできない。私はすべての用事をメモとスケジュール帳に書きこむようにしているが、メモをとる前に次の連絡があると、もう忘れてしまうのだ。
制作のサポートをした学生が帰り、プロジェクトルームには誰もいなくなった今、パネル加工室でこっそりMorigami(森をつくる折り紙)の台座となる板を切り出す。一人になれる時間はこうしたすき間だ。

研究対象になること

2009年 5月 20日

今日、筑波大学の「アスパラガス」というホスピタルアートを実践している学生お二人がプロジェクトルームを来訪。事前のアポイント、インタビューの内容の説明があり、さすが4年生だな、と思わせる。
二人とも実戦経験を積んでいるので、私の取組みの説明も飲み込みがはやい。テンポよくインタビューを終える。
一泊二日で今日のインタビューのあとは小牧市民病院へ見学、翌日は足助病院と市民ギャラリー矢田で開催中の「どんどん だんだん」展を見に行くとのこと。
彼女たちは卒論で病院とアート・デザインの協働によるプロジェクト、特に既存建築とアート・デザインについて研究するそうだ。
やさしい美術も研究対象になる、つまり、20〜30年後にその研究は後世の誰かがひも解くことになるだろう。
私は現在進行形で現場で働くことが好きだ。それはそれとして。

しばらくお預け

2009年 5月 19日

インフルエンザの影響で大島は外部からの訪問の自粛勧告に踏切った。昨日稲田事務長から電話をいただいた。
今日、懇意にしている入所者の皆さんにお電話した。
「しばらく行けなくなりました。」
「聞いてますよ。昨日、大島で放送が流れてね。しょうがないよ。青松園100周年の式典も延期になってね。」
「えー、そうなんですか…。ほとぼりが冷めるまで行けませんが、また必ず行きますから、これからも変わらずお付き合い下さい。」
「はいはい、こちらこそ。」
今度はいつ大島に行けるのだろう。
さびしいなぁ。
お手紙でも書こう。
小さな大島が閉ざされて小さく小さく感じた。

どんどん だんだん展 搬入

2009年 5月 18日

明日5月19日からスタートする「どんどん だんだん」展の搬入を行なう。
私は授業担当があったので、授業後に会場にかけつける。
発達センターちよだに行き、ワークショップをしてきたメンバーが中心となって展示作業をしている。
私は展示作業の終盤にやってきたので、冷静な視点で気になるところを指摘する。

おもちゃ箱をひっくり返したような楽しい展示。でも、内容は濃いものとなっている。是非お立寄を!

小さい椅子は発達センターちよだからお借りしたもの

小さい椅子は発達センターちよだからお借りしたもの