Nobuyuki Takahashi’s blog

2010年 11月のアーカイブ

小牧 再搬入ラーメン

2010年 11月 30日

授業後、小牧市民病院へ。スタッフ川島がレンタカーを借りてくる。
鷲見広孝くんが制作した作品「その下にあるもの」の修復が終わり、再展示に向かう。車中でNHKの西村さんから電話。一度病院に入ってしまうと電話がとれなくなるので、ようやくタイミングがあってお話しできた。
17:30 小牧市民病院着。パネル状になっている作品を丁寧に降ろす。
総務課吉田さんに顔を出す。運営体制、組織的な体力など問題点がたくさん浮上した中で来年度の取り組みをどうしたら良いか正直悩みに悩んだ。でも前回のメンテナンス作業の時に原点に立ち返ることができ、何が何でもやる 覚悟ができた。何事も最後は私一人で決断する。始めた人間はそういうものだ。「来年も同様に取り組み、がんばります!」
川島と作品の搬入作業。作品が設置されていた廊下の窓ガラスはぽっかりと穴があいたようだ。作品が吊るされていた場所以外にはブラインドがさがっている。
作品の設置が終わると廊下の空白が埋められたようで、違和感がない。作品が病院の環境の一部になっていることを強く感じる。作者の鷲見くんにとってもこれまで制作した作品のなかで重要な位置を占めるものとなっているはずだ。
また1つ、すばらしい瞬間に立ち会えた。
搬入ラーメンがうまいっ。な、川島。

再搬入作業の仕上げをするスタッフ川島

虹の軌跡は私たちの足下、大地につながっていく

寝静まった病院に虹がかかる

morigamiに書かれたメッセージ1

morigamiのメンテナンスの時に見つけたメッセージ2

パワフルな女性

2010年 11月 28日

8:30 春日井のレンタカーで2トンロングのトラックを借りる。例の「でっかい尻」ことFLAXUSのディスプレイ搬入だ。
展示の諸作業についてはここでは詳しくはふれないが、搬入作業に参加する学生が現場で失敗、試行錯誤を繰り返す中で、経験者の立場から現場で必要とされることを実地に伝えることができたのではないか。
0:30 セッティング作業終了。とくに狭いショーウィンドウのガラスの内側にサンタさんの「でっかい尻」を入れるのは冷や汗ものだった。寸法はまさにぎりぎり。夜中の作業になったので人手も少なくなってしまった。私自身こういう局面は何度もくぐり抜けてきたのだが、いつまでたっても慣れというものはない。作品の躍動感を失わず、一方で不安材料を徹底的に洗い出して、解決の糸口をつかんでおき、現場ではけっして慌てない。そのバランスがぎりぎりの緊張感を保ったとき、人に驚きと感動を与えることができる。
納期は絶対守らなければならない。産学共同プログラムとはいえ、遊びではないのだから。
相当の作業内容。12名の女の子たちが大活躍した。私が運営するアートプロデュースコースの学生3名がコアになり、イラストレーションデザイン、情報デザイン、プロダクトデザイン、視覚伝達デザイン、総合造形などの専門分野が異なる学生有志が集まった。有志で集まるというのはいいものだ。同じ気概をもった人間だけが集った時に生まれる爆発的なパワーというのがある。しかし男どもはどこに行ったのか―。筋肉ばかでうす汚くて臭い男たちは、こういう時にしゃしゃり出てきて男気を魅せるもんだが…。うーん、そもそも「男気」というのが古いのか。
ガンタッカーを初めて使った子が何人もいた。ハンマーもドライバーも握ったことがない子がいた。率先して脚立にのぼって高所作業をばっちりこなした子も。彼女たち、ほんとパワフルだわ。それに皆色とりどりの作業つなぎが似合っててかわいかったよ。

自助具という存在

2010年 11月 27日

入所者の川上さんからいただいたボタンかけ

「自助具」とは、心身機能・身体構造上の理由(身体障害)から、日常生活で困難を来している動作を、可能な限り自分自身で容易に行えるように補助し、日常生活をより快適に送るために、特別に工夫された道具である。ボタンかけのように独立した道具のほかに、既存の道具を加工し、付け足し、使用する当人用にカスタムした道具というケースもある。私はハンセン病の療養所大島に来て初めて自助具の存在を知った。私は何度目か大島に通ったある日、針金を曲げて両端に輪を携えたボタンかけを拾った。ボタンかけをじっとながめてみる。あまりにも簡素なその道具はデザインという言葉は馴染まないが、機能の骨格のみを抜き出したかのような独特な存在感と美しさをたたえていた。
その後、入所者の方々が抱えている、主に四肢の末梢神経が麻痺する後遺症のことを知った。ボタンかけは入所者の身体の延長に連なるものだとわかったとき、私の中でさらに自助具への関心が深まっていった。
社会生活を送る私たちの身のまわりの物はおしなべて「人間」の原型(モデル)をつくり、それに沿わせて設計し大量生産されることがほとんどだ。そのセオリー通りに行けばこの世の中は時代とともに便利に、快適になっているはずである。しかし、ハンセン病の回復者にとっては必ずしもそうではない。今ではどこにでもあるペットボトルを例にあげよう。入所者にとってペットボトルをしかとにぎり、ふたを捻って開けるという一連の動作はどのように感じられるだろうか。滑らないように物を保持する、小さなふたを力強くつかむ、ふたの滑り止めを皮膚に感じながら適度な力をかけてゆっくりと捻る…。全く感覚のない手では途方もなくむずかしい、と想像する。痛いということは怖いことだけれど、痛みがあるからこそ私たちは子どもの手をそっとにぎったり、ハンマーをしっかり握り、ふりおろすことができるのだ。痛みのセンサーと動作はひとつながりのもの。
自助具そのものは感覚はもたないけれど、入所者の身体の芯から伸びていったその先の触手なのだと思う。
自助具は使う人を傷つけない。自助具は使う人から生きる活力を引き出す。身のまわりのほんのささいな不可能を可能にする。自助具は道具を無理なく機能拡張し、その道具そのものを打ち消すことはない。自助具は空気のようにふわりと関係の狭間に立ち、核心の両端をしっかりとつなげていく。
自助具のあり方を分析し、ひも解いていくと人と人、人と物事が関わっていく術のヒントがたくさん隠されていると気付く。
やさしい美術の「やさしい」という言葉はあまりにもありふれていて耳障りの良いことば。やもすれば真綿のようなやわらかさに埋没して本質をつかみきれない。私は「やさしい」に置き換えることのできる何かを、大島で見つけることができた。

でっかい尻

2010年 11月 26日

尻って…。いきなりのタイトルでごめんなさい。
私が運営するコースの学生とともに取り組むMOZOディスプレイプロジェクト。仕上げの段階に入った。学生も充実した表情を浮かべ、作業をがんがんこなしている。
さて、私はふと心配になって展示場所となる上小田井にある巨大なショッピングモール「MOZO」へ偵察に。私は現場仕事を幾度ととなくこなしてきたので、やはり現場を見て確認することが一番だと知っている。先方から渡された図面もあまり信用してはならない。現場で実寸を測るまでは安心できないのだ。
展示する予定のショーウインドウを見て、びっくり。ディスプレイの背面が丸見えなのだ。裏側もきっちり作らないと粗が目立ってしまう。採寸してさらにびっくり。図面には載っていないガラス面の巻き込みがあってこれではサンタさんの「でっかい尻」がショーウィンドウに入らない…。
大学に戻り、急遽全員集合。現場の状況を報告し指示を与える。「最後まで油断するなよー!」さぁ、ラストスパート。
やさしい美術の作品搬入も現場仕事。現場を抱えるものはなんでも同じだ。

まるでシンガポール空港のようなMOZO

夜、豊田市の老人福祉施設「ぬくもりの里」の取り組みのマスタープランを作り上げる。
19:30 書類がなんとかそろったころ、発達センターちよだのワークショップを実施したスタッフ川島とメンバー古川、森が帰ってきた。なんでも、こどもたちの反応が特別良かったそうだ。何が要因かはわからないけれど、川島の話によれば確かに今までとは異なる子どもたちの交流の様子が垣間見えた。発達センターちよだでのワークショップは4年目を迎える。子どもたちの顔ぶれはこの間変わらないので長い付き合いの中で気付かないこともあるだろう。子どもたちがそれぞれのペースでゆっくりと成長している。それがふとしたことで現れたのかもしれない。
ワークショップに参加した皆が口々に言っていたが、私も、なんか、すごくうれしい。

これが例のサンタさんの「でっかい尻」

大島 打ち上げ会

2010年 11月 23日

7:30 名古屋から新幹線に乗り、岡山を経由。
10:30 高松着。風は冷たいけれど日差しのあるところではあたたかい。
桟橋に行く途中で本屋に立ち寄ろうとしていたら、後ろから「高橋先生!」と声をかけられる。大島のガイドをつとめてくれたこえび隊の石川さん、藤井さんだ。二人ともぐるぐるっとマフラーを巻いていてかわいい。桟橋に行くとにわかに同窓会の様相。こえび隊、警備員、アートナビを務めた面々が待合室に集まってくる。
11:00 官用船まつかぜに乗船。右手に屋島、左手に女木島を見ながら一路大島へ。山々は紅葉で赤く染まっている。
11:20 大島着。荷物を置いて納骨堂にてご焼香する。大島の人々への挨拶は欠かさない。
老人会館に行くと、AFG高坂さんらが手配したお弁当がテーブルの上にずらりと並んでいる。9時便で一足先に来てくれていたこえび隊の皆さん、入所者の皆さんが用意してくれたのだ。一方厚生会館はぴりっとした空気が流れていた。昨日から大島入りした田島征三さんがアシスタント数人と一緒に作品の仕上げ作業にとりかかっていた。挨拶のみでその場は失礼し、老人会館で待機。入所者の皆さんとしばし談笑する。「なんだ、今日は穴の開いたズボンじゃないな。」とおっしゃる方もいる。そうだ、この夏は激烈な作業の毎日でジーンズ3本の膝が抜けてしまったんだった。大島では「穴の開いたズボン」の人で通っていたのだろうか。
12:00 自治会長の山本さんはNHKラジオの取材が長引いていて、こちらにすぐに来られないとのこと、まずは乾杯をすることに。「打ち上げ会とのことですが、{つながりの家}の取り組みは継続することになりましたので、新たな船出の会にしたいと思います。」と私の乾杯の音頭ご挨拶。
乾杯から始まったにぎやかな会。お互いの労をねぎらい、105日間を振り返る。カフェの泉、井木は水菜のサラダや大智さんの畑で採れた大根をすりおろして持ち込み、さらにテーブルに彩りが加わる。「たくさん食べられない」と女性の入所者の皆さんが次々に私のところにお肉、お刺身、ごはんを盛ってくる。グラスにはいったビールは全く空く暇がない。飲み干したと同時に注がれていく。
途中、入所者の脇林さんが顔だけ出してくれる。体調が悪く、毎日点滴を打っているそうだ。そんな中、「あいさつだけでも。」と老人会館の玄関口まで来ていただいた。私の先生。「これからもよろしくお願いします。」
14:00 こえび隊、警備員、アートナビを務めた皆さんが一言ずつ挨拶。私が何よりもうれしかったのは、全員が「〜また大島に来ます。」と宣言したこと。これは入所者の皆さんにとって何よりもあたたかい言葉だったに違いない。「一度きりでなく、二度三度と人がやってくる島にしたい。」入所者全員の心情だ。その心情に寄り添うようにガイドツアーを行ってきたし、来場者を丁寧に迎えてきた。スタッフを務めた皆さん自身がまず最初の賛同者であり、入所者と気持ちの通じ合う仲間、友達となった。私の当初の目論み、「大島ファン」を増やす野望はまだまだ小さな輪かもしれないけれど着実に広がりをみせている。黒幕?!としてはうれしい限り。本当に皆さんありがとう!
14:30 宴の席は終わりを告げ、入所者の皆さんは三々五々お部屋へ帰っていく。私たちは片付けに入る。
片付けも一段落したところで、私は一般独身寮11寮=野村ハウスに行く。持って帰らなければならない資料や機材を整理し、スーツケースに詰め込む。
解剖台に挨拶し、15寮にも挨拶。会期中が想像できないほど静まり返ったギャラリー周辺。解剖台は引き上げられてきた当初の激しさと荒々しさは影をひそめ、静謐な佇まいへと変わっていった。洗い、修復し、磨いていたあの日々がなつかしい。今日の打ち上げ会で入所者の野村さんが「解剖台は結果的に引き上げてきて展示して、よかったな。」とおっしゃられた。入所者全員の総意ではないかもしれないけれど、解剖台をめぐり多くの来場者がこの大島のこと、人の尊厳について思いを巡らせていた光景を野村さんは日々見つめていたのだ。いつもながら、私は野村さんにかけていただく声に救われる。
15寮にいると入所者の森さんが自転車でやってくる。GALLERY15室内に入り、「古い写真」の在処を二人で確認。森さんの話ではこれからさまざまな場で活用するとのこと。
森さんとお話ししながら桟橋方面へ。私は荷造りした荷物と老人会館の荷物を取りに行く。カフェから賑やかな声が香ばしいコーヒーの香りとともに風に乗ってくる。森さんも一足先にその香りに誘われてカフェに辿り着いていた。カフェではまだ「芸術祭同窓生」というか「大島ファンクラブ」の連中が井木、泉の新作のお菓子、ろっぽうやきなどを愉しんでいる。井木、泉はさりげなく、カフェのくつろぎの空間をだれも拒むことなく解放している。かげってきた暖色の日差しがカフェ・シヨルを照らす。
16:15 まつかぜに乗船。山本さん、大智さん、泉、井木、新妻さんらに見送られ大島を出る。悲しい雰囲気はなかった。「次がある」そんな明るい空気が船内を満たしていた。
高松の桟橋で皆さんとしばしお別れ。帰路につく。

講演会{つながりの家}

2010年 11月 21日

13:30〜16:30 講演会、予定通り1時間45分、きっちりお話しさせていただきました。入所者の皆さんに許可を得て写真を活用させていただきました。質疑応答の時間では鋭いご意見ご質問があり、私自身が行ってきたことの再確認にもつながる、貴重な時間をいただいた気がしています。ご参加の皆さん、ありがとうございました!

大島 たとえ絵空事と言われても

2010年 11月 19日

5:00 起床
7:00 昨日徹夜で作った報告書、企画提案書、実施スケジュールのレジュメを携えて名古屋駅発高松行きの高速バスに乗り込む。
大阪付近でまさかの事故渋滞。90分の遅れが出て、大島入りの船に乗れない可能性が出てきた。携帯メールでアートフロントギャラリー高坂さん、泉、井木と連絡を取り合う。もし13:55の船に乗れない場合、今日予定されている検討会は中止にせざるを得ない。
しばらくして車が流れ始める。鳴門大橋を渡る頃には45分遅れまで挽回。なんとか船に間に合いそうだ。
13:55 官用船に乗り込む。官用船の船員さんと目が合い思わずにやり。歓迎の気持ちが静かに伝わって来る。船に乗り込むと高坂さん、香川県今瀧さん、こえび隊大島担当笹川さんが船に乗って来る。
14:20 大島着。昨日、一昨日と寒かったので厚着してきたが、おもいのほか暖かい大島。風もそれほどではない。そのまま自治会会議室へ行き検討会の準備にとりかかる。自治会会長山本さん、副会長大智さんに会議室に通される。そこへ井木と泉がやって来る。彼女らは16日から大島入りしている。二人の表情は充実感のある笑顔に満ちている。ほんとうに大島が好きなのだ。
今日、用意した資料をテーブルに並べる。
14:30 瀬戸内国際芸術祭前と同様に検討会を始める。参加者は入所者自治会会長、副会長、青松園事務長、福祉室長、施設担当者、看護部、副園長、船長、そして高橋、井木、泉、香川県、AFG、こえび隊担当者―。
芸術祭終了したため、実行委員会サイドではなく、私が検討会の司会を務める。
大島の取り組みは継続する。その継続のかたちを検討する検討会だ。公開の日程、来場者の迎え方、管理体制などなど、検討項目は山積している。私からは数年後を見据えてのプランも提案した。たとえ、絵空事と言われても、具体的なイメージを持たなくては何も実現しない。確かに私の力不足だが、これはまだほんのさわり。プランドローイングを山のように描いて、入所者の皆さんにぶつけるつもりだ。入所者の皆さんが強い意志でもって、私に忌憚のない意見を打ち返してほしい。今、それが一番大事だと思っている。なぜなら、私の考えるプランは入所者の皆さんの心情を出発点にしているのだから。
16:00 検討会終了。決定事項は正式な発表を待っていただきたい。
16:15 高松行き最終便に乗船、帰路につく。

入所者自治会 会議室にて

足助病院搬入 えんがわ画廊復活

2010年 11月 17日

古川の新作

16:00 授業を終え、プロジェクトルームに向かうと、今日作品を搬入するメンバー小川が作品を梱包していた。スタッフ川島とメンバー木谷、古川、森はお昼にすでに大学を出発している。
今頃は古川の透過絵画作品のシリーズ最新作を内科処置室天窓に設置しているところだろう。内科処置室は診察が多い場所で、点滴を打つベッドが10床ほど並ぶ。抗がん剤を投与する際も使用している場所なので、搬入する作業は緊張感を伴い、作業時間も限られる。何度も搬入しているとはいえ、古川らには確実で配慮された作業が求められる。
自家用車で小川を乗せて出発。車中全く会話なし。徹夜で作業していたのだろう、初めての搬入で緊張して眠れなかったのかもしれない。足助病院までそっとしておく。

廊下表示灯の取付け部分を流用してえんがわ画廊のステーを取付ける

17:30 足助病院到着。すでに辺りは暗い。院内に入っていくと川島、古川、木谷、森の4名がきびきびと作業している。
B病棟に向かい、えんがわ画廊のミニギャラリー部分の様子を確認に行く。廊下表示灯の配線は繊細なので、病院施設担当者の立ち会いのもと、えんがわ画廊の縁部分を設置する。すでに川島が設置を終えてくれていたが、約半数のステーに不具合があり、縁部分が壁から離れて廊下側に垂れ下がっている。現場合わせで微調整するほかない。担当の病院職員に来ていただき、再度廊下表示灯を取り外し、取付け部分の曲げ加工をその場で進めていく。その作業の間、患者さんたちの息づかいを感じる。やさしい美術プロジェクトならではの設置作業の空気感だ。
えんがわ画廊の設置および微調整を終え、いよいよ小川の作品搬入だ。小川の提案は各病室の番号を愛くるしい動物たちで表現するプラン。画力がなければ、なかなか取り組むことが難しいテーマに敢えてチャレンジしている。小川のしなやかな線描、違和感のないバランスのとれた画力は目を見張るものがある。喩えれば「描き続けていないと死んじゃう」タイプ。常に何か描いている。メモもほとんどが絵。今回のプランを病院サイドに提案したとき「将来的に足

えんがわ画廊の全17カ所に設置された小川の作品

助病院が新病院に建て変わった時の部屋の表示に使えたらいいわね。」「イラストが部屋の番号として読み取れるかな。」といった意見をいただいた。それを工夫をこらして克服し、なおかつ質の高いイラストに落とし込むことが、ポイントだったが、なかなかよくできている。
設置作業も小川を中心にメンバー同士が協力し合い作業を進めていく。危険性の少ない作業なので、メンバーのみで試行錯誤しながら作業を進めさせる。作業に慣れて来るとピッチがどんどん早くなる。私の方は着実に作品が固定できているかに目を光らせる。慣れてきた時こそ油断は禁物だ。
19:00 設置作業終了。スタッフ川島の声かけとコーディネートで再開したえんがわ画廊。えんがわ画廊を創設した泉もよろこんでくれると思う。
売店前に行き、古川の作品設置に立ち会う。前作を内科処置室から取り外し、新作に取り替えた後は前作は売店前の天窓に移設する。これは病院サイドから提案されたアイデアで、1つの作品で二通りの楽しみを提供している。
20:00 作品設置終了。
足助病院は名勝の香嵐渓すぐ近くに立地している。ちょうど紅葉の見頃、帰りに少し寄り道することにした。足助病院に向かう道もさほど込み合ってなく、ライトアップされた紅葉を見てから帰るのもいいと思い立ったからだ。
駐車場はどこも満杯。国道に面しているところはどこも満車だろう。山奥側の駐車場を利用して奥からアクセスすることにする。
ライトアップされた紅葉は初めての体験だ。風が身を切るように冷たい。これでは紅葉の季節を飛び越えて落葉にはいってしまう、そんな寒さだ。搬入を済ませたあと、ヒートアップした私たちをクールダウンしてくれる。気持ちがいい。売店で松茸ご飯を食す。
21:00 足助を出発、帰路へ。

ぉあたぁっ!!

2010年 11月 16日

私のヒーローはあしたの「ジョー」こと矢吹丈、それとドラゴンこと「ブルース・リー」。
ぉあたぁっ! とはブルース・リーの気合いの声だ。ギターヒーローはやっぱりジミーヘンドリクス。B.Bキング…
まぁ、これぐらいにして―。

作品の埃を拭い取る

午前中は企画書のブラッシュアップ、メールやファックスの返事を出したり、対応に追われる。
13:00 1、2年次の授業。3年次の産学共同MOZOディスプレイプロジェクトの対応。
16:00 スタッフ川島とメンバー森を自家用車に乗せて小牧市民病院へ。
東5病棟のデイルームの作品プランを検討する。
小牧市民病院での取り組みは3年前までは院内に独自の検討委員会を編成していただき、各部署のドクターや看護師、検査技師ら20名ほどの病院職員と私たちやさしい美術プロジェクトとで毎月研究会を開いていた。小牧市民病院は500床を越える典型的な急性期病院だ。職員の皆さんは研究会で顔を合わせても常に顔面蒼白、緊張感がはりつめている。予断のゆるさぬ状況の患者さんを多くを受け入れている病院ならではの空気感だ。公立の急性期病院で7年間も協働関係を継続し、運営のための委託料を得ながら進めてこられたのは奇蹟に近いと振り返ってみて思う。他の地域で行われている同様の病院との協働プロジェクトと比較しても稀なケースである。
4年続いた委員会による検討は時間的にも体力的にも委員会に所属する職員さんを圧迫していた。また、作品の設置場所の検討となると、関係部署の意見や検討項目の吸い上げは調整役となる委員に負担が集中し、意見の吸い上げ自体も困難という状況だった。
職員を対象にアンケートをとってみて判明したが、本取り組みが病院の正式な委託事業であれ、現場サイドの職員全員が私たちのプロジェクトを歓迎している訳ではない。日々の仕事で精一杯なのだ。それは、確かにそうだ。職員の皆さんは「命」をあずかっているのである。そこに飛び込んでいき、アートの実践を行うということ自体、本当に意義があるのだろうか、そんな疑問を持ったことも一度や二度ではない。そうして揺さぶられるたびに私は病棟に行き病院利用者の皆さんの顔を見ながらゆっくりと歩いてまわった。手術の跡をおさえながら点滴棒片手に歩く人。ステレッチャーに乗せられた人に声をかけながら足早に検査室にはいる人、熱冷ましシートをべたべたに貼られ泣き叫ぶ赤ちゃんとそのお母さん…。私が関わっていることが何なのか、向き合うべきことは何か、自らに問う。そして私の中にある「きっと何かできるはずだ。」という気持ちに火が着くのだ。もどるべき原点はそこなのである。
3年前からは当年の担当部署の職員と直接意見交換、検討を重ねながら作品提供を行う体制に移行した。
前置きは長くなったが、今日は東5病棟の看護師さんに時間をとっていただいて作品検討を行った。東5病棟は泌尿器科にかかる患者さんが多い病棟だ。男性が9割をしめるという。試作品を見せたところ、快諾をいただいた。あとは現場で微調整をしていくことになる。
作品検討ののち、現在展示中のすべての作品を点検する。ここ最近時間に余裕がなく、断片的にしか実施できていなかった作品メンテナンスを粛々と進める。
作品の埃を取り払いながら一点一点向き合う。その度に数々の研究会での議論が昨日のことのように思い出される。そうだ、私はここにあるすべての作品に全力で関わってきたし、立ち会ってきたのだ。そこに一番ふさわしいかたちで存在感を放っている作品たち。その声が私を奮い立たせる。
(私にもっとパワーをください!きっとやりとげますから。)

ステーの矯正作業

20:00 スタッフ川島とプロジェクトルームに戻って来る。明日搬入する「えんがわ画廊」の準備を進める。廊下表示灯の内部の固定金具を流用してステーを取り付け、その先に半円形の縁が取付けられている。この縁の部分が小さな小さなギャラリースペースとなっている。ステー部分はアルミの板になっており、この2、3年の間に曲がり、歪んでしまっている。それらのゆがみを矯正する作業にとりかかる。金属加工の経験がほとんど皆無のスタッフ川島には残念ながら任せられない。川島に「アルミと鉄の固さや感触の違いってわかる?」と聞いたところ、「やったことがないのでわかりません。」とのこと。理屈でなく身体で覚えるものだ。体得といったらよいか。職人的な仕事から遠ざかる時流に、必要な場面もあることを知っておいてほしい。アルミの板材にどれほどの力を加えて歪みをとっていくか、金属特有の跳ね返り分も計算して力を加えていく。アルミは曲げ加工に弱いため、極端に力がかけられない。一度折れるまで何度も曲げてみるとその特徴はよくわかるが、今日はその時間もない。
21:00 作業終了。川島が固定部分の増締めを手伝ってくれたおかげで手早く完成することができた。おつかれさま。あー明日が楽しみ。メンバーの古川、小川が今頃作品の仕上げにとりかかっているだろう。
ぉあたぁぁっ!!

修復

2010年 11月 15日

濃い色の和紙部分が修復を加えたところ

10:00 学内を歩いていたら、一昨年前まで私の運営するコースの研究室職員をしていた鷲見くんに会う。今日、明日をかけて、小牧市民病院廊下に設置した作品「その下にあるもの」の修復作業に来てくれている。
作品「その下にあるもの」は小牧市民病院廊下の窓ガラスいっぱいのサイズでパネル状に制作されたもの。そのパネルが窓枠にはまり廊下の一面を覆う。ただ覆うだけではない。パネルの素材は半透明になっていて、全面に直径10センチほどの穴が穿たれている。そこに特殊な和紙がサンドイッチされている。自然光は浸透膜状の作品を通り抜け、あたかも外気を呼吸しているかのようだ。
さらに工夫が施されている。別の棟からその廊下を見ると、1階と2階のパネルがつながってイメージされていて、各穴に差し込まれた和紙がドットの集合を成し、「虹」のイメージを構成している。その廊下を通る時に感じる光と遠くから見たダイナミックな光景がこの作品の最大の魅力だ。
残念ながら、この和紙の部分に穴を開けるいたずらが繰り返され、かれこれ3度目の修復作業となった。
16:00 借りたアトリエで作業をしている鷲見くんのもとへ。作業は思いのほかはかどったようで、今日で修復作業完成。鷲見くんお疲れさまでした。
和紙が経年変化していて、修復した部分と初期に制作した部分との彩度の落差が気にかかるところだ。今回が最後の修復作業となるだろう。
17:30 教授会
20:00 覚王山で大島参加のアーティスト泉と井木に会う。今後の大島について話し合う。