Nobuyuki Takahashi’s blog

2009年 1月のアーカイブ

院内緑化計画

2009年 1月 25日

Morigamiをやさしい家で植えて増やしていくイメージ。地域住民、トリエンナーレ来場者、通院、退院した患者さんが参加できる。

Morigamiをやさしい家で植えて増やしていくイメージ。地域住民、トリエンナーレ来場者、通院、退院した患者さんが参加できる。

やさしい家の階段をひな壇にしてMorigamiを植えていくイメージ。

やさしい家の階段をひな壇にしてMorigamiを植えていくイメージ。

十日町病院の廊下にMorigamiの並木道を作るイメージ

十日町病院の廊下にMorigamiの並木道を作るイメージ

三度前回の妻有ツアーにて。
1月16日(金)16:00〜に新潟県立十日町病院にて研究会を開催した。そこで、私から提案したのは「院内緑化計画」(仮)である。
このプランは小牧市民病院で展示して好評だった、井藤由紀子制作「森をつくるおりがみ Morigami(もりがみ)」をデザイン・原案とし、その作品コンセプトを活かすかたちでやさしい美術がプロデュースして十日町病院内を「Morigami(もりがみ)」で満たしていくものだ。
研究会では私からラフスケッチをプロジェクターで見せて、まずは病院の医師、看護師さんらに意見を聞いた。
皆さんの反応は上々!「Morigami」の森が十日町病院全体に広がっていく日は近い。
千羽鶴に象徴されるように、「折る」ことの積み重ね、それもたくさんの人の手がかかったもの。そうした行為の塊は日本人の感性をやわらかく刺激する。それが増えていって森になるのだから、さらに私たちの心にある自然観を想起させる。トリエンナーレ会期中には空き家活用プログラム「やさしい家」でも森を育てることができる。

シンポジウムの原稿づくり

2009年 1月 24日

昨日と今日は入試の監督のため、浜松に出張。その間、私の担当しているコースは修了制作展の搬入、そしてやさしい美術は、発達センターちよだのワークショップ…。以前はほとんどの現場に出ていたが、最近は担当のスタッフがつくことで、私がいろいろなところに動けるようになった。とはいうものの、最近は2〜3予定が重なるダブルブッキング、トリプルブッキングが普通になってしまった。このあわただしさを軽減し、かつ病院により密着する手だてはひとつ。各病院にオフィスをつくり、そこに常駐者を置くということ。近いうちに実現しようと思っている。
さて、入試の監督をする傍ら、スタッフたちが必死にテープおこししてくれたシンポジウムの原稿に目を通し、文章として読める内容に修正、校正をした。すべてに渡って手を入れたので相当に時間がかかった。でも、じっくりと読みこんでいくと、シンポジウムの内容をスローモーションで再生するような感じで、いかに重要な議論が展開されたかが実感できた。今年度末に冊子に編集して発行する。お楽しみに!

妻有の水はなぜ美しいのか

2009年 1月 22日

引き続き妻有について。
妻有に行ったメンバーは口々に言う。「緑が強い」「生命力を感じる」「光の奥行き感が尋常じゃない」「水の流れが美しい」…。
なぜ、妻有の水は美しいと感じられるのか。
水はもともと無色透明の物質である。水の色はその周囲の光の色を映し出している。光が美しいからだ。
ではなぜ、妻有の光は美しいのか。光だけでは私たちは何も感知できない。光があたって反射するからこそ、モノが見える。光を受けてはね返すモノが周囲の世界を明るくする。
結局のところ、どうしてかはわからない。でも、この透明感のある光は妻有独特だと私は感じる。
この妻有の美しい水をテーマに作品を制作するメンバーがいる。どのような世界を彼は作るのだろう。楽しみだ。

やさしい家との対話

2009年 1月 21日

私が制作した+Galleryでのインスタレーション作品。ギャラリーの床下の小さな空間にもう1つの隠されたギャラリーを制作。

私が制作した+Galleryでのインスタレーション作品。ギャラリーの床下の小さな空間にもう1つの隠されたギャラリーを制作。

その床下のギャラリーには元うどん屋だった様々な遺物を拾い集め展示した。これは床下のギャラリーに小型カメラを仕込み、それをテレビモニターで見られるように装置づけられている。

その床下のギャラリーには元うどん屋だった+Galleryで発見した様々な遺物を展示した。これは床下のギャラリーに小型カメラを仕込み、それをテレビモニターで見られる仕掛けなっている。

1月16日、17日、18日と2泊3日で新潟県十日町市に行って来たことは先のブログで紹介した。
その活動について。
これまでにも、何度か説明したが、私たちは「大地の芸術祭越後妻有アートトリエンナーレ2009」に参加する。その活動場所として新潟県立十日町病院、そして「やさしい家」と名付けた、空き家をサテライトスペースとして活用する。
16日(金)の研究会と定例となった懇親会をあとに、17日(土)は朝9:30ごろから空き家「やさしい家」の整備にとりかかった。朝一番に家主さんである樋口さんが来てくれていて、のこりの大きな洋服ダンスを4棹ほど、近くの現在のお住まいにトラックで運ぶ。その間雪が降り続ける。見かける人々のほとんどが長靴。これだけ雪が降っているのに、十日町の商店街には人影が少なくない。当たり前の日常なのだろう。私たちにとっては寒さに震える以外の何者でもないが。
その後全員で空き家の掃除をする。畳の上を雑巾がけし、廊下の隅々、障子の桟一本ずつに至るまで磨きたおす。こうした作業は展示する前の片付けであるだけでなく、人が住まなくなって久しいために降り積もった積年のほこりを落とし、清める意味合いもある。私の考えではこれらは空き家の歩んできた歴史や暮らしの痕跡を排除する作業ではないと思っている。もし、そうするのであれば、躊躇なく壁という壁にベニヤ板をはり、白ペンキでオールペイント、いわゆる「ホワイトキューブ」に作り替えてしまうだろう。だからこそ、生活の気配や痕跡を構成する、片隅に遺されたほこり、柱に残る傷、片隅に打ち込まれたままの釘一本にいたるまで、その背後にある存在意義を確かめなければならない。すべてを現状のままにすることも1つの考え方だろう。でも、それでは「空き家」であることがあまりにも強く感受されてしまう。そこで空き家独特の無作為の積み重ねが放置されているところから、そこにある事象に耳を傾けながら取捨選択していく作業が必要になってくる。喩えれば、長い年月の間に描き換えられ続けた壁画の一層ずつをその当時の関わった人々の意図を読み取りながら剥離し、もとの原画に近づけていく作業と言えば良いか。
アーティストの仕事は新品のキャンバスに筆を入れることばかりではない。すでにそこにあるものたちには時間と空気と人の気配が在る。それらと対話し、そこに一筆を入れる仕事があってもいい。上の作品写真は私と二人のアーティストとで運営する自主運営スペース+Galleryで展示した作品である。自分たちの手で元うどん屋だった建物をリノベートした。だからこそ、制作できた作品である。

繰り返すと、できる

2009年 1月 20日

21:00すぎ帰宅。私にとっては早めの帰宅だ。玄関にあがるとまだ寝床に入らず待っていたこどもたちが駆け寄ってくる。まず長男慧地をぎゅうう。続いて長女美朝をぎゅううっ。まとめてぎゅうううっ。
慧地は正月中練習していた縄跳びが今日、飛べるようになったと、うれしそうに報告してくれた。突然飛べるようになったということだが、何度も何度も繰り返し繰り返し、飛ぶことで、ある一点から動作のすべてがかみ合うようになった。誰しも経験のあることだ。
繰り返すとできるようになる。何についても言えること。

超がつく どたばた

2009年 1月 19日

長らくブログの更新が滞ってしまった。
いくつものプロジェクトが同時並行であったためだ。私がマネージメントするコースは1年次は成果発表のため、アトリエをギャラリースペースにした。2年次は修了展。学内全域にわたって作品が散らばるもので、企画から制作、広報までほとんどの運営を学生が自主的に行なっている。
そして、それに加え、平成20年度やさしい美術プロジェクト活動報告会だ。
1月15日(木)定例教授会を動かしての開催。学外から評価委員会に、ボストン美術館館長で美術評論家の馬場駿吉先生、同朋大学大学院教授で名大医学部生命倫理委員でもある田代俊孝先生、そして足助病院院長の早川富博先生をお招きして実施した。さらには短大部教授で美術評論家の三頭谷鷹史、メディアアーティストでメディアデザインコースの外山貴彦、日本画准教授の美術作家、渡邊直彦が加わり、昨年よりも二名多い構成。評価委員会構成は私が原案を作っているが、それをプロジェクト教育研究委員会で慎重に検討し、学長のアドバイスのもと決定した。現代GP関連の事業の1つとして開催される本学のオフィシャルな行事であり、学内とはいえ、これだけの評価委員をお招きできること、快く参加をしていただいている先生方に感謝するほかない。教授会を動かしての開催とは先に述べたが、私が想像する、教授会全員の参加とはならなかった。ともあれ、少なくない教職員が、会場につめかけ、興味と期待をもって見守ったことの意味は大きい。
なによりも、学生たちは少ない経験と限られた授業外という時間の中で、できうる限りの準備をし、活動報告会にのぞんだ。その潔さと真摯な姿勢を私は評価したい。まちがいなく、その意気込みは活動報告会を目の当たりにした全員に伝わっていると私は信じている。来年も活動報告会は行なう予定だ。まず、学生同士で反省会を開き、次につなげよう。みんな、おつかれ!

報告会翌日1月16日(金)から2泊3日で新潟県十日町「妻有」地区に行く。大地の芸術祭越後妻有アートトリエンナーレ2009にむけて、新潟県立十日町病院での活動のため、十日町病院職員さんとの研究会の開催、空き家活用プログラム「やさしい家」の準備、作品制作や企画検討のためのフィールドワークが目的だ。今回は2泊なので、じっくりと学生、スタッフとのディスカッションができる。次の日を気にせず安気に職員さんたちと語り合うことができる。活動報告会が行なわれた前日の疲れはなんのその、メンバーたちは作品プランをより一歩進めるためにより具体的な提案、試作品、プレゼンテーションの素材をきっちり準備している。皆、ほとんど寝ていないと思う。でも、皆の表情はいきいきとしていて、頼もしい。それらの提案や職員さんとのやりとりは後日詳しく報告するとして。
今回は写真で雪の妻有を紹介したい。私たちの印象は「今年は雪が少ない」ということ。地元の皆さんも口々にそう言う。これらの写真はいつもの妻有とは違うと思ってほしい。それと、実際の雪の感触が伝わらないのがもどかしいところだ。妻有の雪は湿っていてずっしりと重い。雪掘りをした際のあの雪の重さ、塊感は否応なく記憶される。そんなことを想像しながら、写真を見てほしい。

からみつく蔦が人工物に生命感を与える。

からみつく蔦が人工物に生命感を与える。

松代にて、雪の中に入ってみる。例年ではこのように入っていくことは難しい。
松代にて、雪の中に入ってみる。例年ではこのように入っていくことは難しい。
かの有名なカバコフの作品が雪の季節の間、棚田からはずされて農舞台に保管されている。
かの有名なカバコフの作品が雪の季節の間、棚田からはずされて農舞台に保管されている。
投げた雪。妻有ではこのように青空が出ていることは稀だ。
投げた雪。妻有ではこのように青空が出ていることは稀だ。
空き家「やさしい家」の床の間。これらの空間は元の特徴を活かして展示スペースとして活用する。
空き家「やさしい家」の床の間。これらの空間は元の特徴を活かして展示スペースとして活用する。
まつおのへぎそば。この透明感。窓の格子は雪囲い。

まつおのへぎそば。この透明感。窓の格子は雪囲い。冬の風物詩だ。

嵐の大島

2009年 1月 11日

1月9日(金)の7:15。いつものように名古屋駅新幹線口でスタッフ井木、泉と待ち合わせる。
今回は一泊二日で瀬戸内大島に行く。瀬戸内国際芸術祭2010に向けて大島での取材が主な目的であるが、個人的にも元ハンセン病の患者である入所者の皆さんと出会い、お話を通して自分自身と向き合う大切な機会となっている。
予定通り、10:25には香川県高松まで、その後は官用船「せいしょう」に乗って大島まで行く。大島の船着場に着いたのが11:30。ふと船着場に目をやると、なんと入所者Bさん(男性)が待ってくれている!Bさんは前々回の訪問で知り合った。大島でひたすら写真を撮っている方で、私の先生のような存在。とにかくうれしい。「わざわざ、寒いのにお出迎えしていただいて、ありがとうございます。」午後にBさん宅におじゃますることになった。
まず、管理棟に行き、事務長さんに挨拶する。いつも私が来ることを入所者の皆さんに伝えてくれていて、実にありがたい。今回はスタッフ泉と私が初めて大島で一泊する。そのために面会人宿泊所の宿泊手続きを私たちの代わりに申請してくれていた。まず福祉課に行き、面会人宿泊所に荷物を置かせてもらう。

面会人宿泊所内部

面会人宿泊所内部

「面会人宿泊所」は入所者のご家族、人権問題の啓発活動などをされている人々が宿泊できるようにと建てられた施設である。大島の中心部に位置していて、建物の前はゲートボールのグランドがある。隣には郵便局と福祉課、近くには病棟、管理棟がある。宿泊所の中に入ってみる。玄関が一般家屋のようにきちんとしていて、清潔な6畳間が計4部屋、共用のトイレ、お風呂、キッチンまで完備している。使用に関して有料の時代もあったそうだが、現在はすべて無料。現在の実情は、めったに使われることは無く、入所者のご家族が来ることも稀であるとのこと…。
荷物を置いて、いつものように職員食堂に行き、野菜炒め定食を食す。1人の職員さんがきりもりしている。いつみても大変そうだ。
13:00 Bさん宅に行く。「○センター○○棟○号室」。初めて入所者のお住まいにうかがうのだ。入所者の寮は大島青松園独特の構造をしている。それぞれの世帯は長屋のように軒を連ねている。部屋の間取りはすべて同じである。玄関からあがり、廊下(後述)を横切り引き戸を空けるとまず右手に簡素なダイニングキッチン、左手に介護が考慮された大きめのトイレがある。その奥に6畳間が二間。その向こうに縁側とお勝手口がある。外にはそれぞれのお部屋のブロック毎に小さな庭がある。部屋は清潔感があり、伝え聞くような悲惨で劣悪な療養環境を今では垣間みることはできない。それぞれの長屋状の棟にはそれぞれの住まいを貫通するように廊下が走っており、同様にそれぞれの棟も廊下が貫通している。私たちのような来客の場合は表札のある玄関からお部屋に通されるが、大島で働いている職員さんは日々の治療や介護のため、玄関からではなく、廊下を伝って適宜お部屋にアクセスできるようになっている。各お部屋の引き戸はガラス張りで密室空間はない。

面会人宿泊所の部屋

面会人宿泊所の部屋

私は初めて大島を訪れた時、これらの療養棟があまりにも無機質に感じられ、「収容所」のイメージが拭えなかった。現在の住環境は入所者の意向を充分取り入れて作られた物であると聞く。何度か通った今では、それは少しずつ理解できるが…。50年以上長い人は80年以上、大島で生活してきた入所者にとってこの生活環境はその長い時間のなかで「かたちづくられてしまった」心地良さに他ならず、ある側面でこの島がたどった辛く悲しい時間を象徴していると私は思う。
さて、Bさん宅の訪問に話を戻そう。ドアをノックすると、Bさんが待ってくれていて、お部屋に通していただく。20冊ほどの写真ファイルを見せてもらう。すべて、この小さな大島で撮影された写真。それぞれの写真ファイルは「清らかな大地」「地に満ちる花」「ありのままの世界」等とタイトルが付され、〜昨日もなく明日もなく生きる花〜、〜生きる自由〜、〜1つの全体としての創造の中にあるもの〜等とサブタイトルが与えられている。写真は主に大島の風景、大島から観られる太陽、空、島、海などの風景と生き物や植物のクローズアップ写真である。膨大な数もさることながら、一枚一枚にBさんの息づかい、感動、情念が込められ、観る側にじわっと伝わってくる。感動で熱いものがこみ上げてくる。Bさんが写真の解説をしてくれる。Bさんの語る言葉はその一粒一粒が「美しい」。「生きているものはすべて全体で1つで皆一緒だと感じるんです。」「レンズを向けると生き物はそれを意識します。」写真を撮ることを通して、常に自分自身と向き合い、世界と向き合い、宇宙の営みの根幹に触れ、よろこびを感じるBさんの語りは重厚さとやさしさに満ちている。これほどまでに新鮮で美しい言葉、イメージに私は出会ったことがない。「自分の行きたいところ、求める場所は外ではなく、自分の中にあると思うんです。自分が普段生活している一番近い周りに自然を観ることができなければ、どこに行っても同じです。」そのライフワークとして写真がある。Bさんにとって、写真を撮ることは生きることに他ならない。
お話は尽きることがない。もう一方の入所者のお宅を訪問する事になり、Bさんのお部屋を出ることにする。Bさんは見せていただいたそれらの写真を編纂したDVD20枚あまりを私に渡すと、「いつでも来てください。」とおっしゃった。このDVDは私の宝、やさしい美術プロジェクトの宝だ。ありがたく頂戴する。
その後、Dさん(女性)宅におじゃまする。私が病棟に飾ってある折り紙細工を見かけ、制作者に是非お会いしたいと事務長森さんに相談したところ、Dさんを紹介いただいた。Dさんには初めてお目にかかるので簡単に自己紹介をし、折り紙細工についてお話をうかがう。もともと手先を動かすことが大好きなDさん。これまでに刺繍や陶芸、編み物などを製作してきたそうだ。お部屋にもいくつか飾ってあり、その緻密さと費やした時間に驚く。折り紙細工の折り方の基本形までやさしくレクチャーしていただいた。大島での取組みの中で、協働性を持った制作のヒントになりそうだ。Dさんは最近体調がすぐれず、これらの細工仕事がなかなか手につかないそうだ。心配である。

スタッフ井木を見送る

スタッフ井木を見送る

16:00 あっという間に官用船最終便が出発する時間となる。スタッフ井木は翌日にひかえた仕事のため、大島を後にする。私とスタッフ泉で初めて大島から人を見送る。少し切ない気持ちになる。大島の皆さんにとって、島から見送る時、どのような気持ちになのか、想像してみる。
夕方、雨と風がさらに激しくなる。事務長森さんからは翌日の官用船がストップする可能性があることも伝え聞いたが、まずは後先考えず、大島で一晩過ごしてみることにする。
18:00 島には小さな街灯があるが、お世辞にも明るいとは言いがたい。傘を差すのがやっとな風雨に打たれながら、職員食堂に行く。すると、職員食堂が閉まっている!呆然とする。嵐のためか、職員さんの姿は全く見かけない。ずんと重い気持ちで面会人宿泊所に戻る。

朝食のパンをスタッフ泉と分け合う

朝食のパンをスタッフ泉と分け合う

台所で翌日の朝食用に買ったパンを大皿に盛りつけて、スタッフ泉と私二人で分け合って食べることにする。これも過ぎ去ってしまえばいい想い出になるだろう。
19:00 福祉課の職員さんにあらかじめお湯を張っていただいていたおかげで、食後即交代で入浴。冷えきったからだをあたためることにする。
20:00 それぞれの部屋で休む。外は暴風ふきすさぶ轟音。小さな大島が吹き飛んでしまいそうだ。数キロ先の高松の町の灯りが暗い大島の山をシルエットで浮かび上がらせる。こうした光景も泊まってはじめて見ることができる。出くわす光景それぞれが瞼に焼き付く。明日のことは確かに気がかりだ。船が出るかどうかわからない。食堂が開くかどうかも。でも、泊まってよかったと思う。
10日(土)6:00起床。風は幾分治まったようだ。7:00横殴りの霧雨の中、カメラを持って外に出てみる。何人かの入所者の方たちとすれ違い、挨拶を交わす。自然と挨拶を返してくれる。外から訪問している私たちの心持ちが自然体になってきたからなのか、入所者の皆さんにも少しずつ顔を憶えていただいている気がする。朝早くは女性の入所者の姿が目立った。お昼はあまりお見かけしない。
海岸で波打ち際を撮影する。

帰りの「せいしょう」から。海は依然荒れている。

帰りの「せいしょう」から。海は依然荒れている。

当直の方から宿泊所に連絡があり、朝一番の船は運航している模様。できる限り長い間大島で過ごしたかったが、スタッフ泉と相談して8:25発の官用船高松行きに乗ることにする。
9:00高松に着くと、町のにおい、排気ガス臭を鮮明に感じる。たった一晩だけだったが、大島の潮の香りに慣れていたようだ。港から15分ほど歩いて高松市美術館に向かう。ここには一度大島に行く時にご一緒した学芸員の住谷さんがいる。住谷さんから展覧会の話を聞いていたので、時間がある時に是非訪れたいと思っていた。
流政之展を鑑賞する。私は浪人生時代に師原裕治に連れられて東京の個展会場で一度お会いしたことがある。元零戦パイロットで戦後早くからアメリカに彫刻の世界でなぐりこみ。幼少から武芸、刀鍛冶に慣れ親しんだ、異色の彫刻家だ。流氏は容姿は侍のようにきりっとしていて、人を惹き付ける独特のオーラをたたえている。高松市当地では石材がとれる庵治町の石工たちを束ねて、かの有名な「雲の砦」を制作した。そう、ニューヨークワールドトレードセンター近くに設置されていた、あの伝説の彫刻。9.11の直後には無傷だったそうだが、救助活動のために撤去され、移動され埋め立てられたそうだ。今作品はどこにあるかは誰もわからない。話は長くなってしまったが、その縁もあり、高松で流氏の展覧会を開くことは大きな意味がある。100点以上におよぶ作品。その数におののく。また、作家と美術館のはからいで主要な石彫作品は触れることができる。これはうれしかった。見て触れ、触れて見る、彫刻鑑賞の醍醐味だ。

麺は絶妙なコシ。

麺は絶妙なコシ。

展示を観てお腹いっぱいになったところで、今度は胃袋を満たすため、商店街に行き、うどんを食す。地元住民が頻繁に出入りする、セルフ式の飾らないお店。おいしかった。
その後、港に隣接する、玉藻公園に行く。高松城の内堀が遺されていて、片面が海、お堀は海水を取り入れている全国的にも珍しい城跡公園である。お堀には鯉ならぬ鯛が泳いでいる!園内をスタッフ泉とあれやこれやと話しながら歩いていると、ある女性に声をかけられる。いつにはじまったことではない。私はよく話しかけられる。その女性は地元のボランティアのガイドさんで、特別に披雲閣を案内していただいた。すごく丁寧な説明と歴史の語りは見事。私見だがこの女性は退職された教員なのではないかー。公園入り口の帰り道まで庭園の成り立ち、逸話を聞きながら、案内いただく。枯山水の構成についても造詣が深く、流暢な解説にまたも満腹である。
これには高松の人々の素地を見る思いがした。2010年開催される瀬戸内国際芸術祭の折りには存分に発揮されるに違いない。

マリンライナーに揺られながら出会った光

マリンライナーに揺られながら出会った光

帰路につく。新幹線は連休の初日とあってか、ごったがえしている。大島の潮の香りから玉藻公園の趣きある静けさ。一転して都会の喧噪へ。日本列島の毛細血管のとっさきから大動脈に流れ込む。今回の旅は終わりを告げる。

プレゼンテーション準備

2009年 1月 8日

名古屋造形大からは時折すばらしい空にめぐり合う。

名古屋造形大からは時折すばらしい空にめぐり合う。

今日授業後に、来週開催される活動報告会プレゼンテーションの読み合わせを行なった。
皆、緊張の面持ち。限られた時間の中で何をはっきりさせるのか、どのようなバランス、時間配分で発表するか、相当に練り込まなければならない。プレゼンテーションは様々なファクターが絡み合う。見せるスライドの枚数、切り替えのタイミング、画像の質、発表するときの声の調子、身振り、話すスピード、情感…。私はメンバーたちに「上手に発表しなさい」とは言わない。もちろん上手に越したことはないが、緊張で声は震えても、言葉を噛んでも、うろたえても、忘れちゃっても、伝えたいことだけは伝えるという強い意志でやり通せると思っているからだ。だからこそ、準備は120%やっておいて欲しい。
来週1月15日(木)16:00〜18:00 C-501教室にて活動報告会を行なう。そこには評価委員会に馬場駿吉先生(ボストン美術館館長)、田代俊孝先生(名大生命倫理委員)、早川富博先生(足助病院院長)らをお招きする。乞うご期待!!

ほんとに飲めたらいいのに

2009年 1月 7日

飲んでみたい!Mac OS牛乳

飲んでみたい!Mac OS牛乳

私の作品のシリーズの中で、surface and contentsというのがある。表面と中身、ということだ。中身ということを考えると、つい食べ物や飲み物、材料や物質的なものをイメージする。私たちの頭の中身を考えてみよう。もちろん脳があるが、その他に知識、思考、感情、記憶などがつまっているはずだ。でもそれらは物理的な、物量的なものではなく、喩えれば、水面に広がる波紋のように儚い現象のようなものだ。物理的なモノではない、コトたちは容れ物に問われない。書物の中に容れる。パソコンのハードディスクに貯める。体に憶えさせ、脳に記す。そこで、私は実際に物量のないものに物量を与えてみようと思った。質感が感じられるような状況を創ろうと思った。それらの感覚は想像できればよい、そう思った。
さて、できあがった作品は見た目は牛乳パックの「MacOS完全マニュアル」ポッキーもどきの「人体解剖書」スナック菓子状の「宇宙論」。
どんな味がするのか想像してください。

段ボール

2009年 1月 6日

段ボールで囲った作業場。ここで博物館から頼まれた模型を製作した事もある。

段ボールで囲った作業場。ここで博物館から頼まれた模型を製作した事もある。

今日の夜は冷え込むとのこと。熱さは何とかなるが、寒さは何ともならない。
小原村に住んでいた頃、冬は靴下は2枚履きで靴下にズボンの裾をインしていた。お風呂は外。入るまではめちゃ気合いがいるが、入ってしまえばどうってことはない。そのお風呂のお湯が次の日には氷が張るという笑えない話も。一番きついのは洗い物。生活用水はすぐ傍らを流れる沢水をひきこみ使っていたのだが、これが恐ろしく冷たい。その流れを留めてしまうと、凍ってしまい、春まで水は使えなくなる。つまり、氷に限りなく近い水なのだ。これをしのぐ方法はずばり「離脱」である。これを会得すれば、洗い物をした後は手から湯気がたつ程手はあたたまる。要は気合い、心意気なのである。
鶏舎小屋をところどころ、段ボールで囲って冬の間の作業場にしていたのだが、段ボールの断熱効果は抜群だ。私は名古屋駅で段ボールにくるまって寝た事があるが、警備員に起こされて追い出されるほかはなかなか温かくて快適だった。寒くなる夜。せっかくだから暖まる話を、と書いたのに、よけい寒くなる話になってしまった…。