Nobuyuki Takahashi’s blog

2011年 6月のアーカイブ

ギャルリももぐさにて

2011年 6月 15日

16:30 授業を終わらせ、学生3人を乗せて自家用車で多治見へ。
17:30 多治見駅前でNHKディレクターの西川さんと待ち合わせ。
西川さんは被災地(岩手県)から帰ってきてその足で多治見駅に着いたそうだ。日焼けをした西川さんからハードな取材を想像する。
多治見駅から15分ほど車を走らせたところに「ギャルリももぐさ」がある。ギャラリーのオーナーでアーティストの安藤雅信さんと初めてお会いしたのは、4月。名古屋市内のとあるお店で西川さんからの紹介だった。今日は安藤さんのホームグラウンドであるギャラリーにお邪魔することになった。
周囲は宅地でありながらギャルリももぐさ周辺は家屋がなく、山林に囲まれたたたずまい。古民家を移築し、増改築によって生まれ変わったギャラリー空間は日本の伝統を感じるとともに、洗練した空気がみなぎっている。なんと心地よい空間。あがりかまちからギャラリー空間へ。安藤さんの作品が展示されている。銀彩の陶芸作品だ。シャープな造形でたっぷりとした余裕を感じる作品群はため息がでるほど質が高い。訪れたお客さんの中には終日いる人があると聞くが、あながちオーバーではない。自然と向ける眼差しの先に建具で切り取られた屋外の風景が目に入ってくる。己の所作がゆったりとしてくるのがわかる。私はすっかり心地よい空気に包み込まれてしまった。
安藤さんは私たちが取り組む、被災した方々に絵はがきを届ける「ひかりはがき」をももぐさでも、と申し出てくださった。玄関を通り、6畳ほどの土間の空間に絵はがきを描くスペースが設えられている。その配置たるや、なんとも美しい。後日送った報告書やヤサビのイトも取り置いてもらっている。恐縮するばかり。本当にありがたい。
併設されているカフェでコーヒーを愉しみながら、震災支援の可能性について議論する。ゆるい横のつながりは西川さんを中心に広がりはじめている。

宮城県七ヶ浜 第二弾ワークショップ1日目

2011年 6月 9日

9:00 武道館に入り、ワークショップの準備を進める。津波で流されてしまったお宅の土台の木を製材した板と名前が印刷された原稿とを組み合わせて行く。板の大きさと名前の文字数、画数でバランスをとるのがポイントだ。
10:00 前回のワークショップで参加してくれた七ヶ浜中学校美術部の生徒さんらが集まってくる。レスキューストックヤード、地元のボランティア、関西学院大学の学生らで参加者は総勢30名ほどだ。
レスキューストックヤードの石井さんから参加者にむけて「仮設住宅へまごころ表札を届けよう」の概要の説明。震災後、当地ではどのような経緯があって、表札の製作に至ったのか。そのねらいを明確にすることで参加者の集中度を高めて行く。
前回と同様、作業に没頭する姿を多く目にする。たくさんの人々の手で、丁寧に、そして誠心誠意描かれていくことが大切なワークショップ。美術部の中学生らは一通り作業の流れがわかっているので、手慣れた手つきでぐいぐい描く。デザイン性が高い名作が生まれる予感。
七ヶ浜中学校は天井が落下したり、壁面が崩落するなど甚大な被害があり、生徒らは仮設の校舎ができあがるまで、他校に通っているそうだ。元気で明るい子たちなので彼女らがおかれている厳しい状況を忘れてしまいそうだ。表札プロジェクトを担当しているレスキューストックヤードの松浦くんは地元のボランティア。震災以降はどんな小さな余震でも身が凍るようだという。小さい揺れがあっというまに大きな揺れに増幅する、そんな恐怖心に苛まれている。震災後に現地に入った私たちにはその恐怖を捉えきれない。
12:00 カップ麺とおにぎりを参加者全員でほおばる。休憩をとる人がほとんどいない。完成させたいという気持ちが先行しているのだろう。休みをとるよう呼びかけても、聞こえていないのかと思うほど集中している。
作業が予定よりも進み、午後は少し時間に余裕ができたので、製作年月日を記した刻印づくり、焼き印押しなどの周辺の作業も同時に進めて行く。特に焼き印押しは参加者に人気だ。一枚一枚の表札に「七ヶ浜 2011.3.11」が穿たれて行く。
15:00 参加者同士、今回のワークショップで感じたことを共有し、解散。
前回の七ヶ浜行きで同行したメンバー上田晴日にガイドを任せ、はじめて七ヶ浜に来たスタッフ林、村田、原嶋を連れて菖蒲田浜に行ってもらう。一方私は今後、七ヶ浜に行き来する際に高速道路を無料で通行するため、ボランティアセンターと役場に行き手続きを済ませる。役場で待機している職員さんも疲れが見える。様々な声が寄せられる中、対応に迫られる場であるだけに苦労も多いことだろうと想像する。職員さんも被災者。
私は、4月末に七ヶ浜に来た際に募集して集めた絵はがき「ひかりはがき」を340枚持参して、災害に遭われた方々に手渡した。それから一月の間になんと400枚の「ひかりはがき」が集まった。私は独り仮設住宅に向かった。「ひかりはがき」を仮設住宅で手渡すことができないかと。
仮設住宅は整然とならぶ。玄関が向かい合わせになっていないので、各ユニットが玄関に対して背をむけているような印象だ。洗濯物が干され、煮炊きの香りがどこからともなく漂ってくる。子どもたちの泣き声や笑い声、食器の重なる音…。生活は始まっている。
玄関の軒先で山菜を干している方がいる。入居したAさんに声をかけた。お届けした表札についてたずねると、多くの人の手で作られていることをとても喜んでいただいているようだった。Aさんは震災後のつらかった日々を訥々と話しはじめた。その中でも特に印象に残ったエピソードを記しておきたい。
・自分の家が流されたことよりも自分が生まれ育った実家が流されてしまったことが何よりも悲しい。涙もでない。
・浜に嫁ぐと知った父が猛反対した。結局しぶしぶ結婚を許した父から申し渡されたのは「海を甘く見るな。波は山も登ってくる。」 その通りになってしまった。
・こんなことだったら津波が来る前に死にたかった、というお年寄りは多い。仮設住宅にいる身分で葬式は出せない、出したくない。
・私たちよりももっと大変な人たちがいる。知り合いや親戚はもっと大変は状況におかれている。手伝いに行ってあげたいほど。それもできない。
・砂利道(仮設住宅の周りは舗装されていない砂利)は杖を持つ身では危なくて歩けない。
・仮設住宅にあがる際のちょっとした段差が足があがらない。ユニットバスのお風呂の湯船の高さまで足があがらないのでお風呂に入れない。
1時間半ほど話し込んだだろうか、その間に何人もの方が入れ替わり立ち替わりでお話をうかがった。足湯では長い時間お話しすることができなかったから、じっくりとお話を聞くことができたのは収穫だ。「なってみなければわからないことよ。」とおっしゃった言葉が突き刺さるように感じた。ついぞ、「ひかりはがき」をお渡しするタイミングを失ってしまう。
きずな館はレスキューストックヤードが派遣しているボランティアバスが着き、一時的に人数が倍に膨れ上がる。ミーティングの場所がないのでしかたなくレンタカーの中で反省会。
22:00 就寝。

宮城県七ヶ浜町 表札ワークショップ第2弾

2011年 6月 3日

9:00 名古屋出発。レンタカーを走らせて一路七ヶ浜町へ。
20:00 七ヶ浜町到着。町の灯が少しずつ増えている。つかなかった信号がついていたり、店が開いていたりで、少しずつ町は復興の道をたどっているのを実感する。
着いてさっそく明日のワークショップの打ち合わせ。地元ボランティアでレスキューストックヤードの松浦結くんが表札の担当に配属された。こうした動きが地域を元気にしていくのだと思う。
1:00 余震で起こされる。やはり、ここは被災地なのだ。

きずな館で作業

作業効率アップ

2011年 6月 2日

七ヶ浜の表札の準備がてきぱきと進む。最初の頃はスタッフ林がサポートしていた作業も学生個々の能力があがり、任せることができるようになった。
一方、定例のミーティングも開催。やさしい美術がどのような手順で作品の提供にまで至るのか、メンバー上田、倉内が新しいメンバーに解説する。プロセスを図に表現すると作業が直線的に進むように見えてしまうが、実際は差し戻しがあったり、やり直しがあり、右往左往しながら前に進んで行く。
七ヶ浜行き前日。早めに作業とミーティングを切り上げる。

カフェ・シヨルのショップカード。私の撮った写真を有効に使ってくれている

ひかりはがきは400枚以上集まった。被災された方々に手渡す準備

楽しさ、とは何か

2011年 6月 1日

昨日、宮城県七ヶ浜町から送られてきた、仮設住宅に入る方々の名簿。もちろん個人情報のため、細心の注意をはらって受け渡しをしている。
その名簿から名前を抜き出し、PC上で表札にレイアウトして行く。作業に集まってくるメンバーは5、6人だ。とても楽しそうに作業している。実際たずねると「楽しいっ!」と元気に返事が返ってくる。
作業に打ち込み、没頭する楽しさ、皆でわいわいやる楽しさ、手から伝わってくる素材の感触、心地よい疲労感、上達が実感できる楽しさ、好きなことに携われる楽しさ、音、におい、光、色、全身で感じる鮮明な質感…。こうしてあげてみると、どの楽しさもその人の捉え方次第では苦しさ、心地悪さに変わるものばかりだ。そしてどれにも乗り越えるやりがいがある。乗り越えて初めてわかる楽しさがある。楽しさは享受するものではなく、自ら創り出すものだとつくづく思う。
楽しそうな彼、彼女らは輝いている。