Nobuyuki Takahashi’s blog

2010年 2月のアーカイブ

大島 漆喰塗りと発掘2

2010年 2月 28日

7:00 起床。私が泊まっている野村ハウス(11寮)は入所者が住んでいた居住棟だ。7:00に放送でその日の食事や催し、連絡事項がアナウンスされる。
朝食を食べていると、いつもより静かであることに気づく。大島でも北のはずれにあるこの辺りの居住棟には盲導鈴がない。

漆喰を塗り込めていく

8:30 カフェシヨル(第二面会人宿泊所)へ。
昨日の続きの作業だ。ひたすら漆喰を塗り込めていく。
10:00 入所者の脇林さんがやってくる。自転車にアルミフレームに納められた写真10点ほどを括りつけて。その写真は戦後の大島の古い写真だ。当時の生活を知る上で貴重な資料でもある。私は脇林さんにギャラリーの展示に参加していただくため、大島の「松」をテーマに展覧会を開きたい旨を伝えていた。それに共感した脇林さんはご自分の撮影した写真作品だけでなく、島に未整理で残っている古い写真の在処を探っていた。どうも、自治会にたくさん眠っているようだ。来週大島に来た時に自治会の立ち会いのもと、積み置かれたままになっている写真を掘り起こす作業にとりかかることに決めた。もちろん脇林さんも一緒だ。

11:30 野村ハウスに戻り、早めの昼食。お湯を沸かし、うどんを湯がいて食べようと思っていたが、なんとIHの電源が入らない。冷蔵庫も電源が入っていない。福祉室に行き確認すると、「13:00まで停電の予定です。」そうか、知らなかった。諦めて昨日の残りのお米を食べる。
12:30 カフェシヨルに行き、進行具合を段取りし直す。漆喰に埋め込み装飾する漂流物が明らかに足りない。浜辺に行き漂流物を拾う。
今日は西側の砂浜に行く。納骨堂のすぐ近くで拾っていると、鉄の塊が何点も出てきた。少し砂浜を掘ってみるとコンクリートで固められた様々な鉄の断片を発見した。よく見れば、斧、釘抜き、マンホールの破片だとかろうじて判る。大島の浜辺では細かいガラスの破片もたくさん見つけることができるが、これらの断片はどこから流れ着くのだろうか。鉄の塊は流されたとは考えにくい。なぜか、気にかかり、それらの発掘物を担いでカフェシヨルに戻る。
作業を続けていると元自治会長森さんと香川県庁の大島担当宮本さん、瀬戸内国際芸術祭のオフィシャルな記録を撮影するフォトグラファー中村修さんがやってきた。森さんは偶然船の中で宮本さんと一緒になったようだ。中村さんに大島の取り組み「つながりの家」を大雑把に説明し、作業に戻る。中村さんは早速私の作業風景を撮影する。
今日の作業も終盤にさしかかった頃、入所者の野村さんがぶらりとやってくる。
野村さんは壁塗りの終わった部屋を見て、「おー、きれいになったの。」とおっしゃる。漆喰に埋め込まれた漂流物に話が移り、今日私が浜辺で発掘してきたものについて聞くと、「昔、大島は物やゴミを捨てる場所がなかったから、砂浜に穴を掘って埋めたんじゃ。」とおっしゃる。そうか!漂着物ではなく、島の浜辺で砂に揉まれた物だったとは。カフェの装飾となった事物は大島の記憶のかけらなのだ。
野村さんが「ギャラリーやカフェはどうする、土足にするんか。」と訊ねられる。「とても迷っています。入りやすさを考えると土足の方がいいのですけど。入所者の皆さんにその昔、治療に来た看護師や医師が長靴のまま入所者の部屋に上がってきた、という話を聞くとどうしても土足に踏切れないんです。」すると野村さんがゆっくりと頷いて「ま、玄関から靴を脱いであがるといいじゃろ。」とおっしゃった。
この一言で迷いは消えた。ギャラリーもカフェも土足にはしない。
15:30 今日の漆喰塗り作業終了。出窓ルームはすっかりモデルルームになった。
使った道具を片付け、一通り掃除してから野村ハウスに戻り荷造りをする。
16:15 高松便のまつかぜに乗船。大島を後にする。
今回も多くの記憶を発掘できたことが、うれしい。

大島 漆喰塗りと発掘

2010年 2月 27日

26日は泉が日帰りで、私は井木と一緒に大島へ。井木は所用で日帰りだが、私は一泊してなんとかカフェシヨル(第二面会人宿泊所)の出窓ルームの漆喰塗りを終わらせてモデルルームとして完成させたいのだ。というのも来週に大島土でカフェに使用する食器を製作する。そのイメージを掴んでおきたいからだ。どのような雰囲気でお茶を楽しむのか、想像できたほうが、製作もはかどり、デザインも決定しやすい。
11:30に大島に着き、まずは野村ハウス(11寮)に行き荷物を置いて昼食。井木が会得した「美味しいコーヒー」の点て方でコーヒーを入れてくれる。うまいっ。
13:00 納骨堂でお参りを済ませ、カフェシヨルヘ。
左官道具とブラシを福祉室作業部に行きお借りする。いつもこうしてお借りできるのでとても助かっている。見えないサポートに私たちは支えられている。

削ると下地の土壁が見えてくる

のりが利いていない塗り壁を剥がしていく。剥離しやすくするため水を含ませたブラシで擦り、充分水分を含んだところでヘラを使って剥がしていく。剥がすとベースの土壁が出てくる。そこへ漆喰を左官ごてで丁寧に塗り込めていく。塗り込めた漆喰に大島の浜辺で拾ったガラスや貝殻、削れて丸くなったプラスチックなどを埋め込み、装飾を施していく。これが一連の作業の流れだ。
井木に壁を削る作業を頼む。私はひたすら漆喰を塗っていく。土壁が乾燥しているため、漆喰のつきが悪い。
あっという間に17:00。井木はいつも乗船している高松便ではなく庵治便で帰る。予定を変更して日帰りになったため、少しでも時間を割いて作業に携わってくれた。
井木を見送った後、15寮に行く。私が壁を抜いた廊下はその後、大島の大工さんが手を加え、すっかり整備されている。ありがたい。企画、制作、作業、連絡、経理、全て私が行っているため、少しでも手伝っていただけるとその分ほかの仕事を進めることができる。
18:00 野村ハウスに帰り、一休み。野村さんの畑から水菜を拝借。高松で買った菜花を炒め、エノキでみそ汁をつくる。お米は自治会長山本さんからいただいた香川産のお米。独りで泊まりなので2合ほど炊く。
入所者の脇林さんからお借りした書籍などに目を通していたら、すぐに時間が過ぎていく。野村さんからいただいたかりん酒をちびちびと飲む。
1:00 就寝

土壁に漆喰を塗り込んでいく

塗り込んだ漆喰に貝殻、ガラスを配置

発達センターちよだ 今年度最後のワークショップ

2010年 2月 26日

10:00 3月6日から実施する大島焼ワークショップの打ち合わせ。昨日も打ち合わせをしたが、今日は昨日都合がつかなかった学生に説明した。時間をたっぷりと使い、根気よく何度も、何に接しても揺るがない忍耐がディレクターには必要だ。

枠には透明のアクリル板が差し込まれている

12:00 発達センターちよだのワークショップを行う学生、教職員混成メンバーがプロジェクトルームに集合。
12:30 大学を出発。車中では冬季オリンピックフィギャースケートのことでもちきり。携帯の電波が悪く、レンタカーのAM放送を聞く。
13:00 大盛り上がりのところ、発達センターちよだに到着。ピンクのつなぎに着替えようとしたところ、スタッフの赤塚から「5着しかないので誰か普段着でお願いします。」そりゃ、あーた今言っても…。私しかいないでしょうが!ま、私の服はスーツ以外は絵の具がついているので、どうということはない。
部屋にブルーシートを敷き、透明のアクリル板を支持体とした透明絵画のセットを設える。絵の具もメディウムをたっぷりと混ぜて定着しやすく加工しておく。
アクリル板の支持体は見事な出来映えだ。加工作業を請け負った木工室の工房職員榊原さんの腕も確かだが、考案と加工作業に携わった赤塚の努力に感服。ワークショップの実施時間はわずかだが、その背景には膨大な準備の時間、労力、却下されたアイデアが積累々としているのだ。
この「絵画の取り組み」は発達センターちよだ職員、パート職員、ボランティア、そしてやさしい美術の活動によって支えられている。
14:30 パート職員とボランティアスタッフの方々と挨拶を交わし、子どもたちを迎える準備に入る。
15:00 子どもたちがお母さんの手に引かれてやってくる。遊んだり、言葉をかけたりしながら、雰囲気を作っていく。子どもたちには基本的に1人ずつ担当者がつく。その方が、取り組みの後も子どもたちの変化や成果の報告がしやすい。一緒に楽しむことと責任を持って子どもたちをみることの両立が大切だ。私は毎回参加できていないが、赤塚をはじめ、常連のワークショップチームのコミュニケーションは目を見張るものがある。
おやつの時間。肉まんを皆で食べる。歌を歌う。人が生きていく上での大切な営みを皆で楽しむ。楽しみ方のルールも発達障害を持つ子どもたちに教えていく場でもある。私は男の子3人に人気。いつも女性が多いからだろうか、男の人が来るとワイルドな遊び方を仕掛てくる。おっと、手加減もおぼえなくちゃねー。
さて、おやつが終わり、お着替えをして「絵画の取り組み」に入る。着替えさせるのはなかなか大変だ。逃げ回る子どももいる。でも着替えることで折り目切り目がつくのは確かだ。
最初は透明な画面をどうして良いかわからない、という子どもがいたが、平滑でクリヤーな画面に絵の具がつくと一気にのめり込む子どもも見受けられた。
いつもは制作の時間が短かった子どもが30分近くも絵の具を塗り続けることがあったり、「いつも(画用紙ではなくて)透明だったらいいのに。」とコメントも聞くことができた。今後成果の結果を見て分析と考察が必要だが、支持体の設えが私たちの取り組み方(つまり、絵画と向き合う、イーゼル型)を想定してしまっているが、子どもたちの障害や個性的な指向性に柔軟に対応できるものを開発する必要があるかもしれないと思った。寝転がって描く、上を歩く、トランポリンをしながら描くなどなど…描く状況に子どもたちのルールはない。いずれにしても、これだけの完成度を持った支持体ができたことで初めて見えてきた問題点である。
16:30 子どもたちの取り組みが一区切りつき、片付けをしながらお母さん方が迎えに来るまで力一杯いっしょに遊ぶ。布に乗せてひっぱりまわす、滑り台を転げて遊ぶ、手をつないでトランポリンを飛び跳ねる。
17:00 お母さん方が子どもたちを迎えにやってくる。活動報告会に参加いただいたお母さんもみえる。今日の取り組みの様子を説明し、子どもたちの様子をお話しする。実作品を見ておどろいたり、とまどったりで鑑賞の時間は実に楽しい。私たちの関わりは一月に一度きり。発達センターちよだの職員さん、お母さん方は毎日の中の1日だ。できる限り想像力を働かせ、お母さん方の声にも耳を傾ける。
私から来年度も何とか取り組みを続ける意向を皆さんにお話しした。どのような形になるかこれから検討しなければならないが、継続し、関わり続けることで見えて来ることはたくさんある。
18:30 片付けを終え、今日のケース(ケーススタディー、反省会)を行う。それぞれが受け持った子どもたちの様子を報告する。場合によっては子どもの障害と照らし合わせて制作の様子が語られていく。他者の中で起きている変化を客観的に見ることは難しい。もし感じ取ったとしても、関わった人同士の間で起きたことはまた、他者には伝わりにくい。人と人がつながりを持つこと。ここにも普遍的で本質的なテーマが横たわっている。
19:00 発達センターちよだを後にする。近々親睦会にも誘っていただけるそうだ。
20:00 プロジェクトルームに到着。私は心を切り替えて明日からの大島行きの準備に入る。

平成21年度 活動報告会 ボイスとやさしい美術

2010年 2月 24日

9:00 プロジェクトルームに到着。スタッフ佐々木もゲストの外部評価委員からの連絡に備え、出勤。学内評価委員との打ち合わせのための準備を進める。学生、スタッフも集合。最後までリハーサルを重ねる。イベントはどれだけ準備を周到に行ったかが鍵となる。
11:00 学内評価委員を依頼した東中雅明(グラフィックデザイナー、名古屋造形大学准教授)と日比野ルミ(美術作家、名古屋造形大学准教授)両氏に集まっていただく。
評価のシステムは、枠組みと階層に分けて行うものだ。プロジェクト型の教育プログラムに参加する学生の評価は通常の成果である作品のみを評価の対象とするのでは充分ではない。また、マネージメント、プロデュースといった様々な局面で対処していく、いわば「縁の下」の仕事をも丁寧に評価していくことで、活動に携わるすべての学生が正当に評価されていくことを目指している。
「枠組み」は1.個人の取り組み、2.ワーキングチームによる取り組み、3.ワーキングチームの連携を含めた全体の運営の取り組みで評価する。芸術系大学では個人の制作に集約されることがほとんどであるが、実際の社会活動は様々な役割の連携で成り立っている。そこで現実モデルに近いプロジェクトに照らし合わせ、学内の閉じられたプログラムの盲点を補うことも意図していることを加えて述べておきたい。
次に「階層」であるが、1.学生同士がミーティングで評価する、2.学生の取り組みのプロセスのすべてを把握している取組担当者(ディレクター)が途中経過を評価する、3.大学の正式な機関であるプロジェクト教育研究委員会で検討し決定した「評価委員会」を編成し、活動報告会における学生の発表を採点評価と文章批評の評論文とで評価する。今回の活動報告会は成果発表であるだけでなく、3.の評価を行う場でもあるのだ。せめて年に一回の活動報告会、全学の教職員が現場でがんばってきた学生の成果を見つめる機会をつくるというねらいもあった。
さて、解説が長くなってしまったが、学内の評価委員の教員と相談し、評論文を担当する学生の取り組み、採点評価の事前の打ち合わせを行う。私は活動報告会のねらいをしっかりと評価委員全員に伝えて来たつもりだ。それが伝わったのだと思う、評価委員の方々は事前の学生の資料をしっかりと読破しておられた。この時点で私はとてもうれしかった。スタッフも苦労して学生から資料を集めている。その労力がこうして実を結んでいる。
一旦学内評価委員のミーティングを終え、学外から招聘している外部評価委員の方々を待つばかりとなる。食事が喉を通らない。私でさえそうだから学生はなおさらだろう。むりやりおにぎりを腹に押し込む。
12:30 外部評価委員の山本和弘さん(栃木県立美術館シニア・キュレーター、国際美術評論家連盟aica会員)、続いて鈴木賢一さん(名古屋市立大学大学院芸術工学研究科教授、工学博士、建築家)が来学。15:00ごろには足助病院院長の早川富博さんが来学される予定だ。今回の活動報告会の開催主旨を含めた進行方法などを短い時間のなかで説明する。
13:00 活動報告会を開会する。
司会はリーダーの古川。人前で話すことは得意ではない。でも、彼の積極性と誠実さは少なくとも私とスタッフ、メンバーが認めているところだ。心の中で「がんばれ!」とエールを送る。
活動報告会の内容は 「その他の活動」 平成21年度活動報告会開催 を参照願いたい。
一言で言えば、現代GP補助事業の最終年度の報告会にふさわしいものとなった。これまでの2回の報告会では、学内で様々な意見をいただき、改善をはかったが、私が聞く耳を持たなかったこともある。それは学生の手で開かれる報告会であること。失敗も自身の成果と受け止め、学生自身が自覚的に次なる目標に向かっていくことが大切だと考えた。イベントとして大学の見識に見合う成功は手を尽くせば可能だ。しかし活動報告会だけは体面よりも学生の実感を最優先した。これはどのような批判があろうとも私が死守したことだ。作品、取り組みの姿勢、発表、すべてにおいてこれまでの最高レベルだと確信する。失敗—成功、上手い―下手ということを越えて、ひとり一人が「等身大で最善をつくす」ことが軸のぶれない報告会となった要因だと思う。私がメンバーに教えたことはほとんどない。しかし、常に最善をつくすことはしつこく説いてきた。もっとできるのに、手前のところでくすぶっているメンバーの姿勢を見るとその場で強く迫ったものだ。やさしい美術プロジェクトのメンバーは誰にも強要されず、自らの意志で参加している有志の集まりである。だからこそ、その姿勢はしっかりと貫かれている。意気込みが評価委員の心を捉えたにちがいない、採点評価について「評価が難しい。」という意見が大多数だった。相対的にならざるを得ない「採点」について今後綿密な検討と改善が必要だ。
評価委員のコメントは学生の取り組みを尊重する意見が多く、また時には専門の立場から厳しく問う場面があり、それに真摯に向き合う学生の姿が、さらにまぶしかった。
全員の発表の後、私からアンケート調査・分析の報告を行った。病院と美術・デザインのコラボレーションによって、病院の感性的な評価はどのように推移するのか。可能な限り定量的なデータに基づいて分析し、結論を導いていった。コンサルティングを担当した川口潤さん(名古屋大学大学院環境学研究科教授)、北神慎司さん(名古屋大学大学院環境学研究科教授)の協力なしには到達できなかった結論。申請書を書いていた2年半前では想像の域を脱しなかったが、気がつけば、今私たちはここにいる。外部評価委員の山本和弘さんはこの分析結果を聞き、おどろいていた。病院での美術・デザインの取り組みを数値化して評価する重要性を説いて来た本人だからだ。とはいえスタートラインにようやく立てたというのが私の率直な感想である。
最後にこの現代GP選定事業の2年半を振り返り総括の時間をいただいた。この一月何種類もの発表材料をそろえ、準備を進めてきたが、私が最後に発表したのは、メンバー、スタッフ、病院職員、地域住民と過ごしてきた時間、すなわち「ご飯を一緒に食べる」場面をスナップ写真で振り返ることだった。正直準備した資料には大学としての組織的な取り組みとするための問題点、不安材料、不満材料がなかったわけではない。でもそれ以上に、私には彼ら、彼女らと共有してきた濃密で輝かしい日々が胸の内に深く刻まれている。誰になんと言われようとも、日々行動に移し、感じてきたことは私たちの血となり骨となり肉になっている。
鈴木賢一さんからはジョークを交え「高橋さんは最後まで「やさしい美術」が「おいしい美術」であることを封印されたのですね。参りました。」とおっしゃった。特に鈴木さんはご自身でもプロジェクトを学生とともに実践されているので、共感された部分もあったと思う。
私の発表のあと、メンバーの天野が「コトバノツブ」「コトバノみくじ」の成果発表と卒業を機に搬出するため最後の報告を行った。天野が1年次に制作した作品で、帽子型のオブジェに天野が切り抜いてきた元気の出る言葉の断片を綴った紙筒を自由に持ち帰るという作品だ。丸3年補充を持続し、総計3000を越える紙片が病院利用者の手に渡ったというのだからおどろきだ。早川院長から「天野さんが良ければ、運営上の工夫をしてもう少し足助病院に作品を置いて下さい。」というサプライズの提案もあり、会場は拍手喝采。
17:30 予定を1時間オーバーしていたが、最初から最後まで報告会を傍聴していた学長より激励の言葉があり、活動報告会は閉会。
会場の片付けをメンバーとスタッフに任せ、評価委員全員プロジェクトルームにご案内する。
プロジェクトルームでは興奮冷めやらぬという状態。評価委員の方々から絶賛の言葉をいただく。本当に皆、よく頑張った。そしてありがとう。
19:00 評論文の評価について打ち合わせ、締め切り日を検討し、評価委員会解散。私は山本和弘さんをホテルまで送ることになった。お腹が空いたのでスタッフ佐々木が勧めてくれたもつ鍋を食べさせてくれる料理店に行く。
山本さんと真っ赤なもつ鍋をつつきながら、ざっくばらんにお話しする。
山本さんは現代美術の巨人ヨーゼフ・ボイスの研究者だ。ボイスの制作は「社会彫刻」といわれるようにアートの分野を越え、政治活動も行ったアーティストで一般的には難解とされる。山本さん自身も「ボイスは難解でよくわからないんです。」とおっしゃる。私のようなアーティストにわかりやすく山本さんは感覚的にボイスという人物について語った。
「ボイスは社会にある事物を一度熱でドロドロに溶かし、それで再度モデリングしようとした人なんです。」
ボイスとやさしい美術。山本さんの中で重なるところが多々あるのだという。そのきっかけはとても直感的で、肌合いとしか表現できないようなものかもしれない。
私は山本さんに出会えてとてもうれしかった。やさしい美術プロジェクトの活動はこれからも続く。その活動のゆくすえを見つめ、時には激励し、時には批判を浴びせてくれる、本当の意味で私たちを鍛えてくれる理解者を得ることができた。
23:00 山本さんをホテルに送り、感謝の気持ちを込めてかたい握手を交わした。

報告会後、評価委員会の方々と談笑

活動報告会 前日

2010年 2月 23日

デザインの間ディスプレイプロジェクトのミーティングと活動報告会の準備が重なっている。デザインの間ディスプレイプロジェクトは3月16日に中部電力にプレゼンテーションする。今回は企画書、プランとも完成度を高め、学生自身でプレゼンテーションする予定だ。
13:00 明日の活動報告会会場、C-103教室に集まり、会場設営を行う。スタッフと学生が連携して参考作品の展示も行う。私は最終的なチェックに徹するつもりだ。
設営が一区切りついたところで、編集したパワーポイントを流し、リハーサルを行う。
評価委員の先生方を明日招くための準備をしておく。評価のシステムは2年半前の文部科学省現代GP(現代的ニーズ取組支援プログラム)の申請書を作成する際に私がつくったものだ。私が作成した評価システムは申請時に一定の評価を得たものの、実際のモデルに落とし込んでいくと改良点、改善点が見えて来た。現代GPは「教育改革」に関わる補助金であるため、そうした問題点、課題を(補助期間がたとえ終わろうとも)持続的に大学が取り組むことで、改革の一翼を担うのが本来の目的である。それを全学が「組織的」に取り組んでいくのが使命だったのだが、どれほどの教職員がそれを自覚的に捉えていたのだろう?私が教授会で言い続けたことを、当事者として問題意識を持ったくれたのは学内にどれだけいただろう…。それを明日、見極めようと思う。揺るがない信念を持ってそれを受け入れなければならない。

卒展最終日

2010年 2月 21日

今日は卒展最終日。私は午後の当番になっていたので13:30に美術館に着く。当初は私はこの時間帯の当番でなかったが、卒展記念公開講座で学生も教員も講堂の方に移るため、私が交代して係りになった。公開講座に人が流れて会場は少し寂しげだ。そんなことを思って歩いていると、次から次へと知り合いと会う。ここではやさしい美術に関連した人々を紹介しておこう。河合正嗣展のチラシをデザインしてくれた、坂田さん。えんがわ画廊でキューブの写真を発表した吉田さん、ライブペイントで1年半、足助病院B病棟に通い絵を描き続けた菅さん、小牧市民病院でスポーツ写真に加工を加えて脱臼してみせたWAWAWA(三輪くん)ほかにもたくさんの人々にお会いすることができた。展覧会は作品を発表する場であり、人と人を引き合わせる場所でもある。
私のコースの学生は水野は自作のアクセサリーを身につけて、作品の説明をしている。渡部はパフォーマンス(舞踏)を演じる。卒展最終日を飾る華やかなシーンだ。

渡部剛己

渡部剛己

報告書入稿 ブログ再開

2010年 2月 19日

ながらくブログを書かなかったのは、やさしい美術プロジェクトの報告書(記録誌)入稿が迫っていたため、ひたすら原稿に追われていたためだ。今日、16:00 無事に入稿を終える。ひとまず私たちの手を離れて、印刷会社にお任せする。仕事を終えて大学を出るのが明け方の3時、4時。貫徹の日もあった。デザインはスタッフ井口たった1人。112ページフルカラーのすべてのページである。私はレイアウトのラフを描き、文章をひたすら打ち込む。文字情報が多いため、校正も一通りチェックを入れるだけで6〜7時間かかる。
作品のステートメントもすべて書き直した。たくさんの人の思い、情熱、叫び…。原稿を書きながら聞こえて来る声に耳を傾ける日々はとてもたのしかった。
自信を持ってお薦めできる内容だ。ぜひ手にとって読んでいただきたい。医療福祉と美術・デザインの協働プロジェクトの布石となるものだ。
この2週間を少しずつ振り返りながらのブログ再開。よろしくお願いします。

入稿前夜

2010年 2月 18日

7:45 息子の慧地が小学校に出かける時間だ。いつものように慧地を玄関から送り出す。
睡眠時間は2時間。曜日があともう1日多ければと真剣に思う。
午前中は自宅で仕事を進め、午後は美術館に向かう。
13:00から卒展の講評会だ。担当の先生方が全員集まった。いつも私が調整に苦労していたが、やっと全員の先生に集まっていただくことができた。学生にとっても気持ちがいい講評会だ。私はほかの先生に比べて卒展会場で学生と過ごす時間が長いので、作品についてじっくりとお話しできる時間があると思い、できる限り私以外の先生方に講評してもらう。卒展が最後の作品になる人がいる。卒展の作品は長い創作の通過儀礼の人もいる。それぞれの人生を感じながら、彼、彼女と過ごした4年間を振り返る。
15:00 講評会が終了する。今日はこの後4年次生主催の打ち上げ会があるようだ。一緒にコースを支えて来た横井教授が退官されるので、本当は横井さんのおつかれさま会でもある。私は入稿前の報告書をチェックしなければならないので足早に卒展会場を後にする。
16:30 プロジェクトルームに到着。スタッフ井口がさっそく原稿を渡してくれる。
校正するたびに誌面が読みやすくなっていくのがわかる。その分、細かい修正点に目が行くようになる。スタッフ井口は連日の徹夜で満身創痍のなか、じつにてきぱきと仕事を進めてくれている。
着地地点はもうそこまで見えている。明日は入稿。

やばいっぽいもの

2010年 2月 17日

引き続き報告書の原稿作成に追われる。
学内に展示してあったある学生の作品をきっかけにスタッフ井口、赤塚と議論する。現代美術っぽい作品にはやばいっぽい作品が多い。確かに現代の表現は都市の病巣を鏡のように照らし、私たちに気づきや驚き、共感や嫌悪を抱かせる。そうした表現活動があるインパクトを持って受け入れられること自体が美術を社会活動たらしめる。
表面的なやばさのイメージを借りて来るならば、もう少し考え直して欲しいと思う。身を切るような表現ならば、身を切るところで表現して欲しい。首をくくる情景を用いるならば、そこに対峙する自分の心と向き合って欲しい。
やばいっぽいものは、いらない。

卒展搬入

2010年 2月 15日

いよいよ卒展の搬入だ。
美術館の天井は約6m。スポットライトを取り付けるのは鳶の高橋!!
ヘルメットが似合い過ぎで何人もの学生、職員の苦笑を浴びる。これも定めか。

美術館天井から見る

美術館天井から見る