Nobuyuki Takahashi’s blog

2009年 3月のアーカイブ

大島と「こえび隊」

2009年 3月 30日

30日6:30 いつものように自宅を出て名古屋駅に向かう。
きりっとした快晴。現地の天気はどうだろう。そう、大島に行くのだ。

べた凪の海 海が島を映す

べた凪の海 海が島を映す

11:10 予定通り官用船せいしょうに乗り込み大島へ。海はべた凪、紺碧の空と海。予想をはるかに超えて完璧な快晴である。
ビーチコーミング(浜辺で拾いものをすること)で、今日の子どもたちへのお土産を集めた後、職員食堂「セイブ」へ行く。今日は焼き魚と豚汁、肉じゃがの定食だ。肉じゃががめちゃくちゃうまいっ。
食後、島の中を少し散策してみる。桜の木がところどころ植わっているが、ようやく開花し始めた様子。のちほど自治会長さんにお聞きしたのだが、大島の桜の開花は遅いのだそうだ。時折吹く強く冷たい風のせいだろう。
青松園事務長室に行き、事務長森さんに会う。事務長森さんは明日31日で定年退職される。私は前回の訪問で始めて退職のことを聞いたので戸惑ったが、今日、こうしてお会いし、ごあいさつできて良かった。
前日に準備した今後の大島での取組みをまとめた企画書を事務長森さんにお渡しして、簡略に説明をした。幾人かの入所者の方々にインタビューをしたり、取材をして、やさしい美術プロジェクトができることを考えた。そして大島で取組む骨子となる3本の柱を立ててみた。
1.いきいきとした時間と空間を創る
2.外に向けて表現する 外とつながる
3.のこす 記録する
今日は特に入所者の皆さんに会う約束をしていなかったが、急遽入所者自治会長さんにお会いすることにした。2010年に開催される瀬戸内国際芸術祭は大地の芸術祭越後妻有アートトリエンナーレのように分散した会場を巡るタイプのアートの祭典となる。妻有は山で瀬戸内は海。海を渡り、アートと島に出会う「旅」体験になるに違いない。妻有では「こへび隊」と呼ばれるボランティアスタッフが大活躍し、芸術祭を支えた。ここ瀬戸内では「こえび隊」が組織されるそうだ。意識のある地元の方たちが参加し、全国から可能性を抱いた若者たちが集まってくるだろう。
大島が瀬戸内国際芸術祭の会場として発表されたのは昨年11月のこと。こえび隊を組織するにも、大島を訪れたことのある人は圧倒的に少ない。そのためにも大島を理解し、大島のファンになってくれる人を着実につくっていかなければならない。将来的にこえび隊として活躍してくれるかもしれない人々に大島に触れる機会をつくる企画がもちあがっている。詳細が決まってきたら、このブログでも報告したい。
自治会長さんとこれからの活動について意見交換する。作品を制作して、持ってくるというのが、一般的にわかりやすいプロセスだが、やさしい美術はそればかりではない。そこをわかりやすく伝えるのが難しい。次回お会いする時にはもう少し工夫してお話ししようと思う。
私は大島に来ると、いつも心が洗われる。人とは何か。人が生きていく上で欠かせないものとは何か。社会とは何か。つながりとは。幸福とは…。それらを感じ、噛みしめて、それでも生きていく。人のたくましさ、もろさ、を心に刻む。自分と向き合える時間と出会える大島。
私は大島ファンになった。

手前に船小屋 山には一本の桜

手前に船小屋 山には一本の桜

温玉うどんと牛すじ そしてからし

温玉うどんと牛すじ そしてからし

ボール蹴り

2009年 3月 29日

日曜日の朝。子どもたちとボール蹴りをする。つまりはキャッチボールのサッカー版といったところ。
息子の慧地は器用な方ではない。しかしボールのパスを蹴り出すと、きちんとねらいを定めてパスを返してくる。6歳の子どもであれば、どこに飛んでいっても相手が取りに行ってくれる、という甘えが働いて(あるいはそこまで気が回らず)ただめちゃくちゃに蹴ることが多いと思うのだが、慧地の場合相手が受け取りやすいようにコントロールしているのがわかる。それに感心したのだ。
大人になり、社会人になっていろいろな人と出会うが、うまく「キャッチボール」ができる場合とできない場合がある。相性ももちろんあるが、受け取る相手にかまわず自分の考えや思いをぶつけてくる人もいる。ボール蹴りで言えば相手がせっかく繰り出してくれたパスをどこに行くか後先考えずただ力一杯蹴るだけということになる。
アートの領域で喩えると、ただひたすら力一杯蹴ることが存在を示す方法の1つとなる。受けとめられることがなくても、受けとめられるイメージができなくても、ただただ、爆発的な蹴りを披露する。それがアートのマッチョな側面だと思う。それでもそのエネルギーをきちんとキャッチする人々がいる。その爆発のエネルギーには、やもすれば取りこぼしてしまう感情、切り捨てられる少数な生の証が含まれていることをその人たちは知っている。それらは時に人々に共感を生み、元気を与えてくれるのだ。
スタッフ泉が自身が制作する作品の表現姿勢を、「そこに、人がいたら肩をとんとん、とたたいて、そっと話しかける」ような、あり方だ、と説明してくれたことがある。ある意味でやさしい美術プロジェクトの側面を表現しているように思う。やさしい美術プロジェクトの制作する作品や企画はつながりや関係性を創り出す「コミュニケーションを造形する」作品が少なくない。コミュニケーションとはかたちを持たない不可視のものだ。それがテーマとなれば、真綿をそっとつかむ時の、やわらかい真綿と掌の関係のように絶妙な感応性が要求されてくる。
やさしい美術プロジェクトの「やさしい」ということについて、何かうまく表現できないか、と日々想いを巡らしているが、これがなかなか難しい。「やさしい」と一言で言うのは容易いのだけれど。

でんでんミーティングと送別会2

2009年 3月 27日

引き続き26日について。13:00〜15:00「でんでん」は視覚伝達デザイン3年次(もうすぐ新4年次)の有志11名のグループ。足助病院で最近作品を搬入したメンバー工藤らが中心となって授業におさまらない、幅広いデザインを志向しているようだ。
でんでんのメンバー8名が集まって順番にプレゼンテーションをしていく。前日夜中にメンバー工藤がプレゼンテーションの段取りを連絡してきたので、私の方も心の準備が整っている。驚いたのは越後妻有アートトリエンナーレで公開する予定の空家活用プログラム「やさしい家」のロゴマークデザインをほぼ全員が取組んでいることだ。すでに実際に現地に行き感じたことをデザインにきちんと盛り込んだものから、未だ観ぬ当地を思いデザインしたものまで、様々。私の意見はいろいろ言わせてもらったが、なによりもこの積極性がうれしい。だからこそ、「もっとできる」という欲も出てくる。4月に現地で再度検討することになった。皆でスケッチブックに書きなぐって、ロゴデザインバトルだ!
その他に広報ツールとしてのデザイン、駅から病院や空き家を結ぶ工夫、空き家と病院をつなぐシステムの提案が次々と繰り出される。Tシャツにロゴと地図を刷り、それを着て毎朝挨拶しながら近所をジョギングする、というプランまである。楽しそうっ。ホイッスルとメガホン用意しなきゃ。病院と空き家を廻るなつかしい「回覧板」のプランも古新しい感じでおもしろい。
他にもたくさんの提案があった。まだまだラフな状態だが、まずは発想を拡げ、可能性を開くことが大事。こうして生きたデザインを学生が自主的に試みている。今後に期待がふくらむ。
15:00〜17:00 交流造形コース、メディア造形コースの教員ミーティング。あらかじめ用意しておいた資料を読み合わせる。学期頭の混乱期をミスとロスがないようにまさに駆け抜けなければならない。
17:30バスに乗れず、同僚の教員日比野に車で春日井まで送ってもらう。

おいしい食事とおいしいワインをいただく

おいしい食事とおいしいワインをいただく

18:20覚王山到着。遅刻するかと思いきや集合時間に間に合った。そう、これからやさしい美術プロジェクトスタッフ井木の送別会を開くのだ。発達センターちよだの活動はこの3月で一端小休止する。最初は3名の固定メンバーで始まったちよだでのワークショップはいつの間にか、オリジナルメンバーが卒業などの事情で抜けて行き、最後は井木のみとなった。それでも、周りのメンバーが協力を惜しまず、なんとかここまでこれた。とはいえ、主役はちよだの子どもたちである。井木が抜けた後、責任ある体制を維持できるかが迫られた。後継者を据えることができなかった私の力の至らなさと、井木のずば抜けた柔軟性と実行力にあらためて気づかされる。本当に、おつかれさま。
宴会はスタッフ全員と学生ら総勢10名ほどでこじんまりと行なった。お店は井木が以前から「行ってみたい」と話していたところで、料理は家庭風田舎料理でヘルシーそのもの。素材の味を活かした、気取らない料理が宴を静かにもり立ててくれる。現代GPに採択されて1年半になる。あっという間だ。私はこの先1年どころか5年10年を考えていかねばならない。たくさんの物語が、プロジェクトの活動を通して生まれた。今日はその中で大事な1ページとなるはずだ。

でんでんと送別会

2009年 3月 26日

今週はプロジェクトのスタッフはお休み。休みなく働いてきたスタッフに疲れが見える。
ということで今週は私の担当するアートプロデュースコース、交流造形コース、メディア造形コースの授業準備や研究室の整備、アトリエの整備、新しい研究室職員の引き継ぎなどを集中的にこなす。
23日 3名の非常勤を担当される先生方と授業打ち合わせ。その合間に現代GPの決算書、活動報告書の提出に向けての打ち合わせ、プロジェクト情報誌「ヤサビのイト」の編集方針を検討するミーティングを行なう。
24日 朝から新しい研究室職員鈴木と旧職員の鷲見と一緒に研究室の業務の確認および引き継ぎを行なう。
夜は岐阜の串カツ屋さんで旧研究室職員鷲見の送別会。のれんや看板など至るところに私のコース学生が描いたイラストレーションが店舗を彩っている。私から記念品を贈る。「おGいさん、ショーック!」との鷲見くんのコメント。何を贈ったかわかります?ばればれだね。
25日 卒業式。キャンパス内は一面華やぐなか研究室の掃除と整備に追われる。
26日 朝から研究室職員の引き継ぎ作業。
13:00〜視覚伝達デザイン3年次の有志グループ「でんでん」とのミーティング。
やさしい美術プロジェクトは大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2009に参加する。新潟県立十日町病院と協働で病院内に作品を届けるほか、当病院近くの空き家を活用して活動を広く伝え、トリエンナーレ来場者や地域住民の参加プログラムとワークショップを行なっていく。その一連の取組みの中で主にプロジェクトの広報や作品への導線、空家活用プログラム「やさしい家」のロゴ等のデザインツールを一手に引き受けるのが「でんでん」だ。(次回につづく)

瀬戸内トーク

2009年 3月 22日

シンポジウム会場風景

シンポジウム会場風景

瀬戸内国際芸術祭シンポジウム「瀬戸内トーク」で印象に残ったことを記しておく。飽くまでも私個人のメモによる主観であることをお許し願いたい。
壇上にはモデレーター=進行役に吉本光宏氏、パネリストに香川県知事の真鍋武紀氏、国際芸術祭プロデューサーの福武總一郎氏、国際芸術祭出品作家の青木野枝氏、大竹伸朗氏、高松市長の大西秀人氏、そして国際芸術祭総合ディレクター北川フラム氏。
シンポジウムは会場からの質問や意見を求めない、パネルディスカッション形式で、パネリストの話を可能な限り引き出す趣向となっていた、とは前回のブログで書いた。壇上に、行政サイドの知事と市長、そしてアーティストが並んで座っていること自体がなかなか見られるものではない。この時点で、お互いがしっかりと手を結んでいることが象徴されている。福武プロデューサーと北川ディレクターの努力の賜物であろう。パネラーの発言で特に私が興味をもったことを列挙すると、
青木野枝氏
豊島の「清水」を作品展開の場所に選ぶ。地元住民の信仰と歴史を示すものであり、それを大きく変えていくのではなく、「このままにする」こと、強調すること、再生することを目的としたい。まずは地元住民のインタビューから始めようと思う。越後妻有でも作品の制作とそれに平行して棚田の稲作にも取組んでいる。アーティストが美術館や画廊で作品を発表するのとは違い、アーティストが一緒(所)の社会を生きることを実践したい。
大竹伸朗氏
2年前に福武氏から銭湯の作品を依頼された。島民の人が使う究極の作品。作品は近々に完成予定。島にひとっ風呂、世界の人々が直島へひとっ風呂。
大西秀人市長
高松を見直し、高松を再生する。日本書紀から源平…ここには歴史がある一方で失われていくものも多い。新しいものと古いものが出会う高松を目指したい。工業から脱工業、そしてこれからは文化と環境の時代だ。
北川フラム氏
瀬戸内から世界を変える。歴史的必然。数十億年の水の記憶と出会う、海。妻有トリエンナーレは一カ所に情報を集める都市型の芸術祭に反して200カ所の集落に分散して行なった。一カ所に集めて効率よく見せているものは多くは記号だ。身体と五感を使って巡る豊かさが絶対にあるはずだ。四国には八十八カ所巡りの伝統がある。島々を巡り作品と出会いながら海を知ってほしい。
福武總一郎氏
現代美術には能書きがない、人を主体化するメディアである。文化はすべてをゆるす。文化は混浴をゆるす。都市には失われてしまった、人との出会いがここにはある。たずねると応えてくれる。たずねなくても応えてくれる。マズローの欲求段階説の最上段は「自己実現」と言われているが、それは間違い。正しくは「コミュニティーを創る」だ。
吉本光宏氏
妻有では「作品」を観に行き、「日本」と出会った。海をわたるとき、人は心が洗われる。海の美しさに触れる。GNPならぬGNH(Hはhappiness)が大切。

途中から拝聴したため、真鍋知事のコメントを多くは聞くことはできなかった。
シンポジウム最後のコメントで大西市長は大島のことを取り上げた。大島に住む120名ほどの入所者の方々とやさしい美術プロジェクトが協働する意義について触れられた。決意を持った発言で私も気が引き締まる。
皆さんは口々に「海の明るさ」「海はどこにもつながる」といった海の解放感を語られた。私も大島に通い、自分のなかにある迷いやわだかまる感情を置いて、海を渡っているという感じがしている。共感できる感覚だ。
アーティストとして青木野枝氏のコメントは的を得ていて、とても共感できる言葉だった。アートをつくるのではなく、アートを生きている、そんな実感が言葉にみなぎっていた。

シンポジウム終了後、私が荷物をまとめていると次々と高松市、香川県の職員方がかけよってくれて挨拶を交わす。大島のことを皆さんからたずねられる。ばたばたとお話ししていると、北川フラムさんがかけよってくる。「今日、時間ないので、この1、2週の間に丁寧に大島のことを話しましょう。」とのこと。相変わらずお忙しい。私がいまだ高松市長とお会いしていないと伝えると北川さんはすぐにパネラーのいる控室に通してくれて、大西秀人高松市長とごあいさつ。福武總一郎氏をはじめパネラーの皆さんにも簡単にごあいさつをする。
その後会場を出て、ホワイエで高松市や香川県の職員さんと大島のことを話していると、青木野枝さんから話しかけられる。青木さんも大島にはとても興味を持ったそうだ。「大島はアーティストとして強く心が動かされる、取組んでみたいテーマですね。」とおっしゃる。私からは住民のインタビュー、田植えは私たちのプロジェクトも行なっている。今日のコメントはとても共感した、という感想をお話しする。地元のアートコーディネーターの方からもご意見をいただく。すでに大島でやさしい美術プロジェクトが関わっていることは伝わり始めているというのが実感できる。地元の方々が興味を持ち、こうして話しかけられることがうれしい。

どう?このボリューム

どう?このボリューム

会場を後にうどんを食べにいく。いつも一緒のスタッフ泉がいなくて少し寂しい気もするが。シンポジウムは全部を拝聴できなかったが、来てよかったと思える内容だった。この興奮を伝えたくて、思わず奥さんと、スタッフ平松に電話をする。
世界につながる、生命をつなげる海。大島もまちがいなくその海に、ある。それを忘れずに行きたい。

新潟(十日町)ー愛知(名古屋)ー香川(大島)

2009年 3月 20日

3月19日 一般後期入試だ。この日、新潟県立十日町病院の塚田院長をはじめ職員方ご一行4名が足助病院を訪問する日でもある。足助病院のリハビリで患者さんを元気づけている「アサガオ」を十日町病院にも咲かせるという企画の一環で、アサガオを嫁入りさせる、というセレモニーを開催し、地域も風土も文化も経営基盤も異なる2つの病院が交流するきっかけになれば、との願いが籠められている。それに先行してまず2月6日、顔合わせで足助病院の職員さんが十日町病院を訪れた。そして19日、いよいよ「結納」である。
企画者赤塚はこのため日程の調整、当日の進行、スタッフの募集と打ち合わせに追われる。徹底的に裏方に徹する仕事である。それに慣れていないこともあるが、疲れていても疲れは見せてはいけない。おもいは伝わっているのだからー。
夜の懇親会は足助の料亭で行なわれる。私は入試後の教授会を終えて滑り込みで参加する予定だった。が、教授会が終わったのが21:30。とても間に合わない。遠くから足を運んでいただいた皆さんには申し訳ないが断念する。
20日朝、寝汗をびっしょりとかき、目が覚める。実はこの三日間高い熱に悩まされたが、この汗ですっかり熱が下がる。
9:00名古屋駅前の名鉄ニューグランドホテルに十日町病院の職員さんご一行を迎えに行く。昨日の「結納」は滞りなく終えた模様。今日は新潟に帰る前に少しの間だけれど名古屋を案内することになった。赤塚の運転する車に乗り込み、徳川園に向かう。途中名古屋城を横に見ながら、やさしい美術プロジェクトと十日町病院の将来構想について職員さんとお話しする。昨日は一日雨だったが、今日は快晴。自称晴れ女の赤塚にあやかったかたちだ。
ほどなくして徳川園に着く。街路樹で植わっているモクレンが咲き乱れている。車中まで香りを運んできそうな趣。スタッフ平松は夫婦で、そして赤塚、高橋で職員さんを徳川園と徳川美術館に案内する。前日の雨が苔を潤わせ、すばらしい景観だ。前日は呪った雨を今日は感謝する。美術館も相変わらず洗練されたすばらしいコレクションの数々。空間の演出、展示のクオリティーは超一級だ。あっという間に時間が過ぎる。
徳川園を出て、名古屋駅に職員さんご一行を送りに行く。「また、4月からお世話になります。」しばしの別れを惜しみながら。
12:00ここで、スタッフ平松は+Gallery projectの企画展の準備のためギャラリーへ、赤塚は帰宅、そして私は新幹線に乗り込み、一路高松へ。

シンポジウム会場の高松シンボルタワー

シンポジウム会場の高松シンボルタワー

15:00高松着。毎月通う大島までの道中、慣れもあって遠く感じることはない。14:30からすでに始まっている「瀬戸内国際芸術祭シンポジウム」の会場に向かう。高松駅の目の前「シンボルタワー」の6階に着くとホール扉の奥からパネリストたちの声が聞こえてくる。ホールの扉を開けると、香川県庁にぎわい創出課の面々が迎えてくれる。軽く会釈しつつ席に着く。会場は300〜400名ほどの2階席までほぼ満席の状態。関心の高さがうかがえる。
パネリストは事前に広報されていたチラシの内容と異なっていた。壇上にはモデレーター=進行役に吉本光宏氏、パネリストに香川県知事の真鍋武紀氏、国際芸術祭プロデューサーの福武總一郎氏、国際芸術祭出品作家の青木野枝氏、大竹伸朗氏、高松市長の大西秀人氏、そして国際芸術祭総合ディレクター北川フラム氏。
シンポジウムは会場からの質問や意見を求めない、パネルディスカッション形式で、パネリストの話を可能な限り引き出す趣向となっていた。興味深い意見が山ほど。続きは明日のブログで。

足助病院 今年度最後の搬入

2009年 3月 17日

搬入直後

搬入直後

10:00大学で搬入に必要な材料や道具を積み込み、春日井駅で作品を搬入する学生を拾う。
喉がいがいがする一日。空全体が黄土色に染まる。黄砂だ。
12:30足助病院に到着。作品の搬入にとりかかる。メンバー古川は内科処置室の天窓に透過型の絵画を展示する予定だったが、思いのほか彩色に時間がかかり、今日は搬入のための採寸と吊り金具の確認を行なう。その間にメンバー工藤が小児科待合いで使用する移動式ついたての装飾作品を納品する。そして、メンバー芳賀のクッション状の遊具作品を届ける。メンバー工藤の作品は空間を一変させるのに充分だ。通りがかる患者さんや看護師さんからうれしい感想の声が聞こえてくる。出力した布ではあるが、鉛筆でラフに描いた質感が手描きテイストを醸し出している。他の病院でも要望が出てきそうだ。
メンバーらとアイデンティティーについて、表現の出発点について議論する。アイデンティティーとはその人がその人たることであり、自身の存在がよりかかる心棒のようなものだ。民族的、国家的、宗教的、土俗的、社会的、生物的…。それらの所在は一体どこにあるのか。自分自身で決められることなのか、外側から見出されることなのか、小さく切り刻んで行けば見つけることができるのか…。やさしい美術が活動の場としている病院にはたくさんヒントが隠されているように思う。
ここから先は現場の空気を体感した者のみ知る領域となる。

卒園式

2009年 3月 16日

卒園式の一幕

卒園式の一幕

3月16日 長男慧地(けいぢ)の卒園式に出る。
なみだなみだの卒園式。感動するとは聞いていたけれど。これほどとは…。卒園証書を渡す先生たちは名前を読むのでせいいっぱい。感無量で涙がとまらない。もらい泣きのお母さん方はハンカチ片手に大変なことになっている。お父さん方はビデオカメラ片手にえらいことになっている。うーん。客観的に見れない自分がいる。やー、ほんとに感動した。こんなに大きくなって、できなかったこともできるようになって、わがまま言ってたのに、「ありがとう」も言えるようになって、そういう想い出と感情がないまぜになってぐわーっと高まる。
親ばかと言われてもぜんぜん痛くないわ。
さて、午後に大学に向かう。プロジェクトルームに入ると、スタッフ平松に「息子さんの卒園おめでとうございます!」とお祝いの言葉が飛んでくる。おかげでうれしい気持ちがそのまま持続。テーブルの上を見れば、シンポジウムの記録誌が、印刷があがって納品されているし、そうこうしているうちに、発達センターちよだの写真パネルが納品される。プロジェクトルームではリーダーをはじめ、明日の足助病院に搬入する作品の準備にとりかかっている。
うれしい時間はまだ続く。夜は発達センターちよだから誘われていた、宴会。園長先生をはじめ、ボランティアの学生さんたち、そしてやさしい美術プロジェクトの学生とスタッフが和気あいあいと交流を深める。その中で、発達センターちよだの職員伊藤さんの言葉が心に響く。「皆さん、ボランティアはいつも楽しかったと言ってくれる。でも自分がボランティアをしていた時は、正直しんどくてつらいこともあった。どうしてこの子はこうなのだろうとか、うまくいかないことがあったりで、楽しいばかりでなかった。でもそれを仲間に打ち明けて解決してきて、楽しいこととつらいことが全部、自分の今の仕事につながった。これからは楽しかったことだけでなくて、つらかったことや苦しかったことを正直に話してほしい。そこから次につながっていくのだから。」
苦しいことも悲しいことも、そして楽しいこともうれしいことも、わかちあって、理解し合って、前に進む。仕事をするとは、逃げずこれらを一手に引き受けることだ。

もりがみ

2009年 3月 15日

森をつくる折り紙「Morigami(もりがみ)」

森をつくる折り紙「Morigami(もりがみ)」

3月11日13:00 森をつくる折り紙「Morigami(もりがみ)」を企画・デザインしたゆきこさんが、プロジェクトルームを来訪。彼女は昨年、スタッフとして活動を支えて、就職後もシンポジウム記録誌のデザインを担当、いつの間にかどっぷりとやさしい美術の活動に漬かっている。
作品「Morigami(以下、もりがみ)」は折り紙で木を作りそれらを空間や環境に配置して森を育んで行く、参加型作品である。この作品の重要な点は、デザインされた作品であり、かつ作品を展開する土地柄や文化、空間、環境に合わせてある程度デザイナーの手を離れて一人歩きするところである。だからといって、「もりがみ」の基本的なコンセプトからはずれるような実施方法であってはならない。換言すれば、作品に触れて行くと無理なく作品に馴染んで行き、気がつけば作品のコンセプトに沿って体感できるような周到なデザインでなければならない。その点で「もりがみ」は成功している。
「もりがみ」説明会を開く。作品の実施を担うプロジェクトメンバー間で作品コンセプトをしっかりと受け継ぐためだ。商標登録も取得した「もりがみ」。
一通りの説明と質疑応答のあとの雑談で、日本人の自然観、世界観、「森」の思想についてディスカッションした。日本では手つかずの自然というものはまずもって存在しない。多くの森は人の手がはいっているし、里山は日本人の自然観を代表する原風景だが、その里山の森も人との共存が基本である。「自然」というと、自分自身とはどこかかけ離れた大いなる流れをイメージする。私たちは「私」にとっての「自然=森」と言い続けてきた。つまり森の外に人間存在を置いている。では、自然に内包された自己というものは存在するのだろうか。大いなる自然、その象徴たる森の一部、あるいは全体に内包された個というものがあるとしたら、すでにそこには自己を表す「私」は存在しないかもしれない。「私」が存在しないのならば、物事を思考することすら存在しない。思考しない世界である。
計り知れない何かがちっぽけな私という存在に影響している。ちっぽけな私が壮大な宇宙のダイナミズムに少なからず影響を及ぼしている。私たち人間という存在は、存在するかしないかのゆらぎのただ中にいる。
作品 森をつくる折り紙「Morigami(もりがみ)」には矛盾がたくさんある、と作者は言う。木を育てること、それを森に加えて行くことにより成長と循環を人々に想像させる。一方でその折り紙自体が大切な森林資源から作られた紙を素材としている。できあがった「もりがみ」たちはどこに向かって行くのだろう。本物の自然にある生命の循環に「もりがみ」は喩えることができるだろうか。
アーティフィシャル=人工が携える創造性と矛盾の間で、アーティストやデザイナーの意識は大きく揺らぐのである。

小牧市民病院 活動報告会

2009年 3月 11日

3月10日 小牧市民病院8階大会議室で18:30〜活動報告会を行なう。昨年から始めたもので、参加対象は小牧市民病院職員だ。
この活動も2004年4月から数えて5年になる。500床を軽く越える大病院、顔を憶えてもらうのに時間がかかったが、今ではすれ違う職員さんたちとにっこりと笑顔で挨拶を交わすまでになった。病院にいる患者さんや地域住民の人々にこの活動を知ってもらいたいと、リーフレットをつくったり、持ち帰りできる絵はがきを積みおいたり、キャンペーンポスターを掲示してきたが、効果は思ったようにみられない。もっと活動の内容に踏み込んだ議論をして行くことで、次のアクションにつなげていこうと、昨年より病院内で活動報告会を開くことにしている。
今回の活動報告会では、いつにも増してアンケート調査の報告に力を入れた。院内各所に展示されている作品の傍らに設置したアンケートボックスで1年かけて収集し、240件ほど集めることができたので、それらの分析結果を病院職員に知らせたかった。特に自由記述部分は感性的評価が含まれていると考えられる。そこをひも解いて行けば、病院で取組むアート・デザインの取組みが病院にいる人々にとって、地域住民にとって、そして医療スタッフにとってどのように感じられているのかを思わぬ切り口で表すことができるかもしれない。また、「医療の現場にアートは必要か」といったお題目に答えるべく、その存在の根拠(エビデンス)を導き出すことができるかもしれない。
ともかく、それらの資料をまとめるのに時間がかかり、前日は夜中の1時すぎまで、10日当日は活動報告会直前までプレゼンテーションの準備に追われた。
活動報告会ではいくつか病院職員の皆さんから意見と指摘があがった。なかでも、ある看護師さんが「病院を訪問される人々に作品を見せて歩いています。とても楽しくて、すてきで、私は次生まれ変わるのなら、芸術家になって作品を作りたい。」とおっしゃっていたのが印象的だった。厳しい意見もある。「搬入日と時間を守ってほしい。」これは私ディレクターとしての力不足である。アーティスト、デザイナーをフィニッシュまできちんとマネージメントできているか、再確認が必要だ。うれしい激励の言葉もあった。小牧市議会で本取組みのことが話題にあがり「小牧周辺で好評をいただいているだけでなく、外部からも高い評価を受けている。」との発表があったそうだ。
アンケートの分析から、病院で取組まれるアート・デザインは概ね受け入れられているという結果はすでに得られている。むしろ次の局面にさしかかっていて、人の状態や場所などの属性によって、作品がどのように人々の感覚に響いて行くかを詳細につかんで行かなくてはならない。良い悪い、好き嫌いも大事だが、「よい」ならばよいで、より詳細なニュアンスを導き出して行くことで、もっと根源的なアート・デザインの潜在力を見つけることができるかもしれない。
寝れない日々が続くが、寝れないほど興味深い。