Nobuyuki Takahashi’s blog

Archive for the ‘日記’ Category

冬野菜の大島 雪解けの妻有

2012年 4月 7日

少し経つが、3月に撮った大島での写真と、妻有(新潟県十日町市)の写真を載せる。



今年は家にいます

2011年 9月 5日

今日で44歳になった。facebookでたくさんのお祝いの声をかけてもらったが、どのように返事をしたらいいかわからず(活用方法が未だ理解できていないのです…)そのままで失礼をしてしまっている。
昨年の今日は大島にいた。脇林清さんの写真のワークショップを開いた日だ。これはこれでとても印象的だった。
めずらしく家にいる私のために家族がホームパーティーを開いてくれた。子どもたちのプレゼントが最高!ご褒美に背骨がぼきぼき折れるほどぎゅっとした。(写真を参照)奥さんからは新しいred hot chili peppersのCDをプレゼントされた。ロック好きとしてはたまらない。

慧地(8歳)からは自作本のプレゼント ほほう…!

美朝(4歳)からのプレゼント うーん…!


横井敏秀先生のこと

2011年 8月 1日

2009年夏 「やさしい家」のバナーは横井先生の指導のもと制作した

横井敏秀さんが6月9日にご逝去された。
染色家として長い間本学でご尽力された私たちの大先輩だ。
縁あって数年間同僚として仕事をさせていただいた。
2年前、体調を崩され、そのまま入院された横井さんを見舞った時、窓際にはMorigami(もりがみ:折り紙の木で森を育む参加型作品)、点滴棒には学生がフェルトで制作した小さなキャラクターが提げてあった。

横井先生はその後小康状態で退院され、力の続く限り染色工房で教育研究活動に邁進された。私たちやさしい美術プロジェクトは素材のこと、技法のこと、何度も横井先生からアドバイスをいただき、時には工房で一緒に汗を流した。

ここに深くご冥福をお祈りします。本当に、お疲れさまでした。

長男の慧地 「やさしい家」で滞在した日々は忘れない

絵はがきワークショップ

2011年 4月 12日

一個一個つぶしていきながら、前に進む。そういうことが全くできなくなってしまった。全部がどっかりと肩に乗っかっている感じ。問題を問題のまま両手に抱えている、そんな気持ちにかられる。自分に期待するほどの力がない。情けなさが先にたつ。腹立たしい。内向きへの矛先は同じように周りにも向けられる。でも、よくよく考えればすべて自分の問題なのだ。
こういう時は「なぜ苦しいのか、何に苦しんでいるのか」を自分ではない誰かに成り代わって自分自身をスキャンするのだ。「期待しちゃだめだ」そのようなものは幻想だと言い聞かせる。でもちょっとの期待はいいのかもしれない。「完璧ではないけれど、かっこ良くもないけれど、俺にはこれができる。」それぐらいが、周りを傷つけず、自分を破滅に追い込まなくとも済む。どうせだめだ、といって何もやらない体たらくに陥らないための知恵だ。

絵はがきワークショップは問題をたくさん抱えている。多くの人にご指摘もいただいた。正しいとか誤りだとか、良いとか悪いとか、判明している、していないとか、とにかく理路整然と備えれば、関わる人は皆納得する。でもそれからスタートしてては遅いのだ。ぜったい遅い。理屈や数の原理がはたらくその前に、やるべきことはある。

午前中にポスターを仕上げ、学食の2階に絵はがきワークショップのブースキットを置きに行った。スマートではないけれど、最善をつくす。ふと、設えたブースキットを見やる。今まで関わったやさしい美術のメンバーの支える手が見えた気がした。
夕方学食2階に行くと、男子生徒2名が背中を丸くして絵はがきを描いていた。このような小さな奇跡を積み重ねよう。たくさんじゃなくてもいい。今すぐじゃなくたっていい。

絵はがきを描く

今週は新規メンバーを集めるために毎日活動説明会を行っている

大島が恋しい

2011年 4月 9日

今日は大切な大学の新入生研修行事があり、東別院に行く。目眩と吐き気で何もできない。少し調子が戻り、このブログを書く。
今日明日と瀬戸内の大島の一般公開だ。そして今日はカフェ・シヨル主導で「桜とよもぎ祭」を行っている。カフェ運営担当の泉と井木が私が不在の間も大島とその外とをつないでくれている。支援をしてくれているこえびネットワークの存在、瀬戸内の島々の魅力を発信するNPOアーキペラゴなど、たくさんの人々の応援があってこそ、私たちの取り組みが成り立っている。この取り組みを積み重ね、続けて行くこと。そのことによって、今直面している日本の厳しい状況を乗り越えて行く活力の一端を担えればと思う。
現像が仕上がったフィルムに目を通す。元気になる写真がいくつか撮れた。
ちょっとだけ、紹介。

森の光

GALLERY15の前には藤棚が設えられた。入所者の野村さんの盆栽も鉢から解放されて藤棚に蔓を伸ばし、一般来場者を迎える。

朝の大島から東を望む

どばっっ!!(発達センターちよだでのワークショップにて)

天岩戸の奥の山で見かけた鳥居

Morigamiで被災地にも森を

2011年 4月 8日

今日、森をつくる折り紙Morigami(もりがみ)をデザインした谷崎由起子さんとメールで連絡を取り合った。
東日本大震災の被災地へ絵はがきを届けようと知恵をしぼっているところだが、なかなか数が集まらない。焦らずじっくりとやっていこう。
絵はがきがぞくぞくというほど集まらないのはいくつか理由があると思うが、その一つは葉がきに絵や文章を交えてメッセージを吹き込むこと自体少し荷が重いのかもしれない。
絵はがきを届けるプランと平行してこちらも進めている。それはMorigamiを被災地用につくること。Morigamiに患者さん自身の心の内を吐露したり、患者さんを励ますメッセージを書き込む方が多くいた。もともと作品の意図するところではなかったのだが、単なる折り紙の木にいのちを吹き込むようで観る人の共感をさそった。被災地に届けるバージョンはプリント色を抑えて書き込んだメッセージが惹き立つようにする。これならば比較的ライトに制作することが可能だし、たくさんのメッセージを集めることができそうだ。被災地を支える人々にMorigamiを折ってもらい、それぞれの念いを書き込んでいただく。被災地でもMorigamiを折ってもらい、被災地とそれを支援する人々とで折り紙の森を育んで行く。これまで、小牧市民病院に始まり、足助病院、十日町病院、青松園とMorigamiはたくさんの人の手で広がってきた。今度は被災地で森を育もう。

絵はがきワークショップの始まり 2006年十日町病院で実施

小牧市民病院で2008年から続けているMorigami

絵はがきワークショップキットは 各自で

2011年 4月 5日

今週末は大島での一般公開。カフェ・シヨルの運営メンバー泉と井木がすでに大島入りし、仕込みを順調に進めてくれている。
今日、青松園の事務長さんから電話があった。私が多くのこと手が回らないなかで、「検討会、やりましょう。日程ご提案ください。」と気を配っていただいた。大島の取り組みは持続的に進めて行く体制ができつつある。
さて、午後にデザイナーの柳智賢さんに会い、絵はがきワークショップについて相談した。絵はがきに被災地を支える気持ちを描き、届ける企画。ただ集めるだけではなく、人々の念いをどのように届けるのか、そこがとても重要だ。すぐにでも現地に行くべきなのかもしれない。柳さんと相談しながら、いくつか良いヒントをいただいた。
1.絵はがきワークショップのブースキット(絵はがきをそこで描く設え)は、表示や主旨のポスター、ポップはwebでダウンロードできるようにして、ブースキット自体はその場所、そこにいる人で自主的に作ったらどうか。
2.支援金を募集して、新品の画材やスケッチブック、森をつくる折り紙Morigami(もりがみ)の印刷代を捻出し、現地に届ける。
3.企画書を作成し、各々の施設や場所が絵はがきのブースキットを自主的に設置し、絵はがきを集めるキャンペーンを打つ。
特に、表示やポップをダウンロードするというアイデアは秀逸。ブースキットも各家庭やコミュニティーで持ちよったもので作れば良い。設えの完成度ではなく、気心が大切だ。あれがない、これがない、では何もできない。できることから、確実に実行に移す。それがボランティア精神を支えるエネルギーなのだから。
ごたごたと文句や問題点を並べるのではなく、何かを産み出す方向に進もう。

2年半ぶりの家族旅行

2011年 3月 29日

スエードの皮ジャケット

私が担っている仕事場に家族が来てくれることを除いて、2年半ぶりの家族旅行だ。
28日、まず伊勢に行く。外宮へ行き、参拝。人が少なく、とても落ち着いた空気。心が洗われるようだ。その後内宮へ。一般的に知られているのは内宮。近くに「おかげ横町」という土産物屋が軒を連ねる界隈がありにぎわいを見せている。私にとって伊勢参りは小学校4年生頃(だと思うが)両親、兄、私の4人で詣でて以来だ。今から3ヶ月前のこと、私は母に伊勢へ家族旅行すると話すと、物置から一枚の写真を出してきた。私は実のところあまり伊勢神宮を憶えていないのだが、その写真はまぎれもない事実を映していた。鳥居の前で家族全員揃って記念撮影。その日母から茶色の皮ジャケットを手渡される。当時伊勢参りに行った時に父が羽織っていた―その記念写真にも映っている―ジャケットだ。かるく40年は経っている。父のあとは兄が着ていた時期があり、兄が亡くなってからは母が箪笥に入れて大切にしまっておいたものだ。
この日私はこの茶色のジャケットを身につけて伊勢神宮に詣でた。とても清々しく気持ちがよい。子どもたちは退屈しているようだけれど、それも微笑ましく思える。私も当時はそうだったに違いない。

私の奥さんが宿を手配してくれ、伊勢神宮からさらに南へ30キロ、渡鹿野島 のとある宿に宿泊。海の幸を堪能し、温泉を愉しむ。体の力を抜き、家族との時間をゆったりと過ごす。

翌日29日。チェックアウトを済ませ、渡し舟に乗って渡鹿野島を離れる。
そこからは天岩戸へ行く。日本100選に選ばれる 名水。岩の間からしとどに流れ落ちる水、水…。私たち家族はその水を口に含み、その冷たさと澄み渡る風味を堪能。そこから600メートルほど山に入っていくと風穴と呼ばれる奇岩を観ることができる。何かが宿っているのではないか、人ではない誰かの仕業では、と思えるほどの造形。慧地も興味津々だ。

昼食を済ませ、伊勢神宮から50キロほど紀勢内陸に進む 。高原宮を詣でる。遠くから観て高原宮がある辺りの森のスケール感は桁違いだ。その辺りだけが入道雲が猛るように盛り上がって見えるのだ。近づいてその力強さは包まれるような包容感にとってかわる。森の深遠さ、気高さが充満している。朽ちた大木から新たな芽吹きがあり、そこには蜿蜒と繰り返されてきた生死の営みがある。質感も規模も異なるが、私はそこで屋久島の森に近い感覚を掬いとった。手洗い場は川のせせらぎにて。静謐な時が流れる。月並みな表現だが、心が澄み渡っていくのを実感する。

さて、今回の旅のもう一つの目的。それは私の母方の、先祖が暮らしている土地を訪ねることだ。 四日市の郊外にある高角町(たかつのちょう)に向かう。この界隈は昔ながらの田舎で、都市化の波を受けていない。おそらく風景は母が生まれて育った頃と大きくは変わっていないのではないか。古い軸組の家屋が狭い路地をはさんで、支え合うように建ち並ぶ。家族で少し周辺を歩いてみることにした。母の父、つまり私の祖父は味噌醤油の醸造元の息子として生を受けた。戦後すぐに名古屋市中区の大須に酒屋を開いたが、母が高校生のころ肝臓がんで亡くなった。
路地を歩くと醤油の香りが漂ってきた。畑にはお年寄りが多く居る。美しい風景。母の旧姓「中村」の表札を幾度か見かける。路地の合間に空き地があり、使われなくなった大きな味噌樽を見つける。写真を撮っていたら、美朝がファインダーに飛び込んでくる。迷わずシャッターを切る。樽の大きさが一際強調され、なんとも微笑ましい。 背後から畑仕事をしていた老夫婦から話しかけられる。「今時、そんな樽は見たことないわな。」「こんな大きなものは見たことがないですよ。」
ひょっとしたらこの人は私の遠い親戚かもしれない。挨拶を交わしながらそんな予感がよぎる。

私の先祖返りに家族皆がつきあってくれた。子どもたちは今は理解できなくとも、記憶のどこかで醤油の香り、葉裏を照らす日差しの美しさを心に刻んでいるだろう。 家族が持てたことに感謝―。

繰り返される

2011年 3月 27日

今日のお昼時、私が一時期を過ごした小原村(現、豊田市小原町)でお世話になった高味さんが我が家にやってきた。
寿子さん、すこやかさん、無無ちゃん。
私が20代半ばの頃、居候していると言ってもいいほど、お宅にごやっかいになっては子どもたちと遊んだ。修一さん(とうさん)、寿子(かあさん)の子どもたちは5人。すこやかさん、無無ちゃん、空也くん、かおすくん、楽生(らき)ちゃん。本当に良く遊んだ。
その時小学生だった、すこやかさんとむむちゃんはもう立派な大人で、高校で先生をしているそうだ。
私は午後に仕事があり、大学に出かける。帰宅して妻からすこやかさんと無無ちゃんは息子の慧地、娘の美朝といっぱい遊んでくれたと聞く。こうして、人と人の間柄は世代から世代へと受け継がれていくもの。あー、時の経つのは早いものだ。

まず、描きはじめましょう

2011年 3月 24日

今日は10:00〜12:30会議、13:00〜18:30会議。終日会議漬けだった。その間、泉が大島関連の事務仕事をこなし、スタッフ川島が年度末のまとめの作業を進めてくれている。

被災地支援の一助となるべくやさしい美術プロジェクトの「絵はがきワークショップ」について少しずつだが準備を進めている。
今のところ、絵はがきを(横書き、サイズなどのフォーマットを決めて)やさしい美術のもとへ送ってもらう、あるいは各所でブース(私たちはこれを絵はがきワークショップキットと呼んでいる)を設けて絵はがきを描いてもらう、2種類の集め方を考えている。

長かった会議のあと、研究室に戻ると、同僚の日比野ルミ准教授から3枚の絵はがきを渡された。とても、とても心がこもった絵はがき…。こうして当地に思いを馳せ、その念いを描きつけている人がいる。

私は近いうちに、もちろん現地で迷惑をかけないタイミングで現地に行こうと思っている。そのころには私のもとにはたくさんの絵はがきが集まっているかもしれない。その一葉一葉を大切に届けるためにも、現地の空気を実感してくる必要がある。

皆さん、今からでも絵はがきを描きはじめてください。描き続けてください。渡すタイミングは必ずや私たちの前に訪れるでしょう。