Nobuyuki Takahashi’s blog

2年半ぶりの家族旅行

スエードの皮ジャケット

私が担っている仕事場に家族が来てくれることを除いて、2年半ぶりの家族旅行だ。
28日、まず伊勢に行く。外宮へ行き、参拝。人が少なく、とても落ち着いた空気。心が洗われるようだ。その後内宮へ。一般的に知られているのは内宮。近くに「おかげ横町」という土産物屋が軒を連ねる界隈がありにぎわいを見せている。私にとって伊勢参りは小学校4年生頃(だと思うが)両親、兄、私の4人で詣でて以来だ。今から3ヶ月前のこと、私は母に伊勢へ家族旅行すると話すと、物置から一枚の写真を出してきた。私は実のところあまり伊勢神宮を憶えていないのだが、その写真はまぎれもない事実を映していた。鳥居の前で家族全員揃って記念撮影。その日母から茶色の皮ジャケットを手渡される。当時伊勢参りに行った時に父が羽織っていた―その記念写真にも映っている―ジャケットだ。かるく40年は経っている。父のあとは兄が着ていた時期があり、兄が亡くなってからは母が箪笥に入れて大切にしまっておいたものだ。
この日私はこの茶色のジャケットを身につけて伊勢神宮に詣でた。とても清々しく気持ちがよい。子どもたちは退屈しているようだけれど、それも微笑ましく思える。私も当時はそうだったに違いない。

私の奥さんが宿を手配してくれ、伊勢神宮からさらに南へ30キロ、渡鹿野島 のとある宿に宿泊。海の幸を堪能し、温泉を愉しむ。体の力を抜き、家族との時間をゆったりと過ごす。

翌日29日。チェックアウトを済ませ、渡し舟に乗って渡鹿野島を離れる。
そこからは天岩戸へ行く。日本100選に選ばれる 名水。岩の間からしとどに流れ落ちる水、水…。私たち家族はその水を口に含み、その冷たさと澄み渡る風味を堪能。そこから600メートルほど山に入っていくと風穴と呼ばれる奇岩を観ることができる。何かが宿っているのではないか、人ではない誰かの仕業では、と思えるほどの造形。慧地も興味津々だ。

昼食を済ませ、伊勢神宮から50キロほど紀勢内陸に進む 。高原宮を詣でる。遠くから観て高原宮がある辺りの森のスケール感は桁違いだ。その辺りだけが入道雲が猛るように盛り上がって見えるのだ。近づいてその力強さは包まれるような包容感にとってかわる。森の深遠さ、気高さが充満している。朽ちた大木から新たな芽吹きがあり、そこには蜿蜒と繰り返されてきた生死の営みがある。質感も規模も異なるが、私はそこで屋久島の森に近い感覚を掬いとった。手洗い場は川のせせらぎにて。静謐な時が流れる。月並みな表現だが、心が澄み渡っていくのを実感する。

さて、今回の旅のもう一つの目的。それは私の母方の、先祖が暮らしている土地を訪ねることだ。 四日市の郊外にある高角町(たかつのちょう)に向かう。この界隈は昔ながらの田舎で、都市化の波を受けていない。おそらく風景は母が生まれて育った頃と大きくは変わっていないのではないか。古い軸組の家屋が狭い路地をはさんで、支え合うように建ち並ぶ。家族で少し周辺を歩いてみることにした。母の父、つまり私の祖父は味噌醤油の醸造元の息子として生を受けた。戦後すぐに名古屋市中区の大須に酒屋を開いたが、母が高校生のころ肝臓がんで亡くなった。
路地を歩くと醤油の香りが漂ってきた。畑にはお年寄りが多く居る。美しい風景。母の旧姓「中村」の表札を幾度か見かける。路地の合間に空き地があり、使われなくなった大きな味噌樽を見つける。写真を撮っていたら、美朝がファインダーに飛び込んでくる。迷わずシャッターを切る。樽の大きさが一際強調され、なんとも微笑ましい。 背後から畑仕事をしていた老夫婦から話しかけられる。「今時、そんな樽は見たことないわな。」「こんな大きなものは見たことがないですよ。」
ひょっとしたらこの人は私の遠い親戚かもしれない。挨拶を交わしながらそんな予感がよぎる。

私の先祖返りに家族皆がつきあってくれた。子どもたちは今は理解できなくとも、記憶のどこかで醤油の香り、葉裏を照らす日差しの美しさを心に刻んでいるだろう。 家族が持てたことに感謝―。