Nobuyuki Takahashi’s blog

2009年 8月のアーカイブ

シンポジウム出演

2009年 8月 28日

開催前の壇上

開催前の壇上

社団法人地域問題研究所 第39回総会記念シンポジウム「中部の明日を切り拓くまちづくりの若きリーダー達の挑戦」にパネラーとして出演した。
12:00 KKR名古屋2階梅の間に出演者集合。お弁当を食した後進行を打ち合わせる。「若きリーダー」ということに皆ひっかかっていたようだが、私が一番気にしていなかったようだ。聞けば私が一番最年長、今回お誘いいただいた地域問題研究所の池田哲也さんの言うところでは私のブログは「年齢不詳」とのこと、若手に混ぜていただいて光栄だ。自分で言うのもなんだが、私は青臭い馬鹿力でなんでもやってしまう質なので。
打ち合わせで観客は130名ほどと聞く。100名集めるには広報を始め、大変な労力があったと想像する。この名古屋地域でしかも有名なタレントでもない私たちの話を聞くために100名以上集まっていただくなんてありがたい。
13:30〜15:30 シンポジウムが始まる。それぞれパネラーが10分程度のプレゼンテーションを行う。順番は前の演者からの指名方式。皆さん、トークがうまい。そして、皆さんの取り組みがとても興味深い。出発点が個人的な問題意識と使命感としながらも、それがきちんと多くの人々に行き渡って行くことが意識されている。そして、私が一番刺激になったのは特に法人化して自分たちの活動で飯を食べている人たちのたくましさだ。助成金や補助金に頼り切らず、地元の住民や企業、行政と連携をとりながら、資金をつくり自分たちの生活を支えている。
私は大学に所属して給料をいただいている身である。だからこそ、学生たちの可能性を引き出し、地域社会で機能して行ける仕組みを作って行くことができる。それはそれで大学人として大切な使命だが、卒業して社会に旅立つ学生の行く末を睨んで行く視点が弱くなる傾向にある。新しい取り組みであるからこそ、試みで終わらせてはいけない。研究者との連携、人材育成の視点、社会的な実績の積み重ねがさらに重要になって来るはずだ。そしてもっと重要なのは初動機の新鮮さを保ち続けて、仕事を楽しみ、人々にもよろこんでいただいて、つながり、支え合うことに携わり続けるエネルギーである。
年齢に関係なく、それは「若さ」と言えるのではないか。

約130名の方々が来場

約130名の方々が来場

15:40〜16:40 パネルディスカッション
ディスカッションに入り、皆さんの貧乏自慢や軌道に乗るまでの苦労話に花が咲く。ほとんど収入もなく、でも自分がやらなければならないこと、自分が身を呈してやりたいことを主張し続け、行動に起こしていく、という経験をパネラー全員が持っていたことが興味深い。それでもなんとかやって来れたのは地域の方々の支援や応援、心の支えになっていただいたから。私も小原村での経験を話させていただいた。アルバイトをしても生活費と作品の制作費にすべて消えていってしまう。小原村の鶏小屋を家賃3000円でお借りし、小屋を改造して生活していたころ。なんでも自分一人でなんとかして行こうと必死だったが、沢の水を飲み、集落の寄り合いに入れてもらって、生活をしていくと、私の身体は世界の一部であり、私自身の枝葉はどこまでも世界とつながっているということを思い知らされた。その経験は今の私を確実に支えているし、これからもこの恩を忘れず謙虚にやって行きたい。
17:10〜19:00 意見交換会
ここで追加でプレゼンテーションする時間をいただいた。私はあらかじめスライドショーを用意しておいたので、十日町病院の取り組みの様子、やさしい家の機能と役割について発表した。一部の方々にはとても興味を持っていただいた。行政で働く多くの人々からお声をかけていただいた。「アートと医療が結びつくなんて、全く想像できなかった視点です。」「アートは遠くにあるものだと思っていました。あのような作品もあるんですね。」「参加型の作品やワークショップに興味を持ちました。現場で起きたエピソードに泣きそうになりました。」などなどの感想をいただく。
最後のパネラーとしてのコメントとして、「十日町病院での取り組みの最初はとても作品が展示できるような関係ではありませんでした。それが、一緒に考え、悩み、協働する信頼関係を時間をかけて築くことができました。前回の大地の芸術祭で病院から作品を撤収し、打ち上げの宴会の席で私は挨拶をすることになりましたが、全くコメントの一つもできませんでした。涙が止まらなくてー。何も説明できないぐらいまで、やる、やり続けるのが私の目標です。」
パネラーの皆さんの芯の強さ、繊細さ、人柄の大きさを私はとても尊敬している。皆さんの取り組みを見せていただいて日本の未来は明るい、とさえ思える。この場に混ぜていただいて感謝の気持ちでいっぱいになった。
分野、専門が異なっていても、目に見えない、意識されにくい、人と人、人と地域の関係性をつむいでいく活動家たちを横につないでいく意識でシンポジウムを企画された地域問題研究所に敬意を表したい。
※パネラーの皆さんのお話の内容、活動についてここでは触れませんでした。以下、パネラー、コーディネーターの方々のお名前を列記します。
出演者:秋元祥治(NPO法人 G-net代表理事)、加藤恵(半田市障がい者相談支援センター センター長)、河合美世子(NPO法人 こうじびら山の家理事)、高橋伸行(名古屋造形大学准教授 「やさしい美術」ディレクター)、水谷香織(パブリック・ハーツ株式会社 代表取締役兼ファシリテーター)、三矢勝司(NPO法人 岡崎まち育てセンター・りた事務局長代理)、溝辺育代(株式会社 M-easy取締役)
コーディネーター:岡田敏克(Will Platform世話人代表)
シンポジウム主旨:中部地域のまちづくりにおいて、様々な分野で活躍されてる若手リーダー(研究者、専門家、NPO、事業家など)に光をあて、そこで挑戦されている新しい活動・事業の内容や、そこに込められた新たな社会的価値、さらには若手人材による次世代のまちづくりを推進するために、住民・地域・行政等の協働の仕組みや行政に求められる役割などについて、皆さんとご一緒に考えていきたいと存じます。(シンポジウムチラシより抜粋)

妻有から帰る

2009年 8月 27日

お手玉をリアルえんがわで楽しむ

お手玉をリアルえんがわで楽しむ

6:00起床 アサガオの水やりに十日町病院へ。
朝食後、即掃除。9:00には学長が十日町病院に来るので、いつでもオープンできるように準備をしておく。
8:00 河合正嗣さんの肖像画入れ替えと川島の作品Color of Waterの電源入れ、作品のコンディションを観に行く。
すべての作業を終えて十日町病院正面玄関にて待機。
9:00 朝の病院はあわただしい。駐車場は満杯だ。学長が奥様と一緒に来訪。自家用車を自分で走らせて、展覧会をめぐる「学長」も全国的に見てめずらしいのではないか。フットワークの軽さは本学一だと私は思う。
あわただしい午前の院内をご案内する。奥様から「前回よりもグレードアップしていますね。」とうれしいお言葉をいただく。その後もやさしい家へご案内。「畳の部屋はくつろぐなぁ。」と学長も家の心地よさを満喫したようだ。学長に「やさしい美術は現代美術の世界では際物扱いなんですよね。」と話すと「だから今やさしい美術が注目されているし、メッセージが届くんだよ。普通のことだったら誰も観ないよ。」と学長のことば。なるほど、いわゆるド派手な「センセーション」ではないけれど、誰もやっていないことだから注目されるのかもしれない。でも、やさしい美術のような活動が将来極普通に行われているものになることを、私は恐れない。
大学院教え子の柴田がえんがわ画廊で活躍しているのを確認。大学に帰ったら学長直々に講評が聞けることだろう。今日は徹底的に大地の芸術祭の作品を観て廻るとのこと、高北学長は早々にやさしい家を出発する。

十日町駅前で見かけた山車

十日町駅前で見かけた山車

11:30 やさしい家を出る。
12:13 十日町発のほくほく線に乗り、一路名古屋へ。
16:30 名古屋駅到着。そもそも十日町を早く出たのは私のゼミの学生である渡部が出演している演劇を鑑賞するためだ。普段から精力的に、しかも実験的な演劇を追求している渡部が他の劇団で出演するとのこと、とても楽しみにしていた。渡部は前回の大地の芸術祭で絵はがきワークショップのお手伝いをしてくれた。一緒に入った温泉で語り合ったのが昨日のことのようだ。
17:30 開演。「あたしを取り囲む数万匹の猫」という作品だ。チェルシーとバニーガールという劇団は現代の孤独感や閉塞感といった重くなりがちなテーマを斬新な展開の脚本と笑いを織り交ぜた演出で話題になっているそうだ。会場は広くはないが、長椅子の会場は満席。
猫と人間の世界が交錯する世界観。両方の世界を往復するミーコという設定。最初は真っ暗な暗闇から始まる。フラッシュのように照明が着いた瞬間、「集会」中の猫(高校生の制服を着ているが)がこっちを振り向く、鮮烈な場面だ。映像を思わせる演出はなかなかおもしろい。肉声が身体に刺さってくる。
渡部はぐれたヤンキー猫(学ランを着てリーゼント、段ボール箱にうんこ座り)を怪演!タバコを吸うシーンはもう少し研究して欲しかったな。演劇は私の全くの専門外だが、とても可能性を感じた。会場でスタッフを務めていた若い人たちがとても対応がしっかりしていて、挨拶もさわやか、これもとっても大事なことだ。
自宅に戻り、ひさしぶりに子どもたちとじゃれる。
明日のシンポジウムの下準備をしておく。

妻有 神輿が来る

2009年 8月 26日

病院と神輿とやさしい家

病院と神輿とやさしい家

ここのところ気持ちのよい朝日が差してくる。朝一番に泉がアサガオの水やりと朝食を用意してくれる。続いて私が起きる。明け方まで仕事をしていた浅野は朝食時に起きてくる。やさしい家オープン前の慌ただしい時間が過ぎて行く。
私は午前中会場当番を担当。あるお客さんは医師だと名乗った。私に「医療関係者ですか?」と訊ねられたので美術とデザインの専門ですと答える。様々な意見交換をした。無機質な病院、ニュートラルな白い壁の空間にしている一つの理由に、どのような患者さんも迎え、そして去って行く。人の入れ替わりが続く空間で毎回リセットできる空間があの白い箱だとおっしゃった。これは公共の白い壁の空間ホワイトキューブに近い思考である。どのようなものも持ち込むことができて、毎回リセットすることができる空間。私たちが継続してきた活動は既設の空間に工夫を凝らして行くことだった。できる限り病院の近くにいて、あるいは病院内に常駐していつでも対応できるようになれば、日常の中でよりきめ細やかなアート・デザインを凝らすことができる。
午後、やさしい家の前の通りに町内の神輿が屈強の男たちに担がれて町内を練り歩いている。明日はもっと大きな神輿がやってくるそうだ。

妻有 浴衣で踊る

2009年 8月 25日

23日にツアーバスで名古屋に帰り、24日はプロジェクトルームで山済みになっている仕事をひたすらこなす。そして今日25日。所用を済ませて11:20の新幹線に乗り込み、またまた妻有に戻る。
16:00すぎ、十日町駅に到着。10分ほど歩いてやさしい家に着くと浅野、泉が迎えてくれる。やさしい家は夕方に西日が入ってきて部屋全体がなんとも暖かい光でまどろむ。その光もこの時間帯で見られるようになった。お盆を過ぎて急に秋の気配を感じる。日差しも風も虫の声も様変わりした。春は名古屋の方が早くやってくるが、冬は妻有の方が早くやってくる。この夏から秋にかけて、妻有が名古屋の季節を追い越すのだ。
17:30 やさしい家をクローズ。すぐに身支度をして十日町病院の会議室へ。そう、今日はここ十日町のお祭りなのだ。それぞれのコミュニティーで踊りのチームを作って街を踊りながら練り歩く。もうお判りだろう、私たちは十日町病院の一員としてこの踊りに参加するのだ。2回ほど踊りの先生に習って練習したのみで不安も残るが、十日町病院の人たちと踊りを楽しむことは何にも代えられないよろこび。
会議室で浴衣を着付けてもらう。おなかが出ているおやじ衆のほうが浴衣は圧倒的に似合う。

街は祭り一色だ

街は祭り一色だ

19:30 十日町病院の踊り手はすべておそろいの浴衣なのでどの集団かすぐに判る。約80名ほどだろうか、皆さん華やいだ表情でうれしくなる。普段白衣が見慣れている看護師さんたちも今日は浴衣だ。道路は封鎖されて歩行者天国となっている。そこに山車が走ってきたり、神輿が横切って行く。そのただ中を3列になって踊り歩く。アーケードにはたくさんの人が見物している。これが、なかなか気持ちがいい。テープを聞きながら練習をしてきたが、今日は生歌で踊る。三味線もライブ…。
約1時間踊り続けたのだが、あっという間だ。その後は近くのホテルで軽く懇親会。
懇親会の後、病院に着替えを取りに行く。良い機会なので迷惑がかからないようにそっと病棟の6階まで行ってみる。やさしい家が病棟からどのように観えるのか、観たかったのだ。
やさしい家の2階窓にプロジェクションされている川島の映像作品 Color of Water が鑑賞できるはずだ。動画の効果というのはすごい。窓が生活の灯りで照らされている中、やさしい家の窓の光だけが動いているので目線が釘付けになる。予想を越えた効果に感激。
お祭りを楽しんだ後は心を入れ替えて仕事。3:00就寝。

ぴったり息のあった踊り。

ぴったり息のあった踊り。

仮面ライダー神輿。慧地君に見せたかった。

仮面ライダー神輿。慧地君に見せたかった。

妻有 ツアー3日目

2009年 8月 23日

ツアー3日目。
9:00にホテルロビーに集合。学生たちは時間をきちんと守ってくれている。チェックアウトを済ませ、荷物をバスに積み込んで出発する。
9:45 マウントパーク津南に到着。冬期はスキー場であるマウントパークのオフシーズンは野外美術の彫刻公園になっている。かなりたくさんの作品がならぶ。山間に作られたスキー場の空間は野外彫刻をくっきりと見せるには好都合だが、人の所在が感じられないうえ、周りの環境を丸ごと作品にしてしまうような作品はあまり見受けられない。李在孝の「0121-1110-=109061」を観る。北東アジア芸術村構想のもとにこれから何年もかけて作品を展開して行くと言う。これからを期待したい。
2003年の作品だが、本間純さんの秀作を観ることができる。この地方特有の天井が丸いガレージに窓を取り付けそこからのぞくと住民から集めた使われなくなった鉛筆の森を眺めることができる。私の大好きな作品の一つだ。
山文字プロジェクトは参加型のプログラム。山の中腹に「山」と読むことのできる白いぬのの集積。それは人々がメッセージを書き込んだもので、遠くから見た時と近くで見た時の印象が全く異なるものだ。ツアー参加の学生たちが早速参加して、メッセージを描き込む。

光の中に影がある、なんとも不思議な光景

光の中に影がある、なんとも不思議な光景

山の中を5分ほど歩き、ドラゴン現代美術館を観る。今では世界的なアーティストとなった祭国強(ツァイグォチャン)がプロデュースし蛇窯をギャラリーにした前代未聞の美術館である。馬文(ジェニファーウェンマ)の作品がフューチャーされている今回の展示は墨汁が窯の底に満たされたインスタレーションだ。窯の周りをよく見渡すと墨汁で塗装された野草や樹木が影を落としている。なんとも恐ろしい情景。放射能のように寝食して行く墨の世界だ。
なんとも喩えようのない気持ちを抱きつつまたバスに乗り込んで次の展示にいそぐ。林舜龍(リンシュンロン)の「国境を越えて」、伍韶勁(キングスレーング)の「wind chimes」を観る。林舜龍の作品は自国台湾の文化を色濃く反映した作品で、周辺をリトルワールド(野外民俗博物館)にしてしまったかのようだ。この違和感は今後どのようにこの地域に定着するのだろう。稲穂がまぶしい。学生たちは作品を含めたこの日本の原風景に溶け込んで楽しんでいるようだ。
13:25 そば屋さんに行く。一番人気のお店にはたくさんのお客さんが殺到している。私たちは予約がしてあったのですぐに奥の予約席に通される。まさに贅沢旅行だ。不満をこぼすものは一人もいない。美味しすぎるー。量も半端では無い。そばの応酬で、全員撃沈。
14:20 やさしい家に戻る。数人のツアー参加学生が岡村の主宰するヒンメリワークショップに参加する。とにかく好奇心旺盛だ。このツアーに参加するぐらいなのだから。
14:40 やさしい美術のメンバーも載せて、満席状態でやさしい家を出発。
途中中津川近辺で渋滞する。
21:50 名古屋造形大学に到着。
22:00 春日井駅到着。解散。
3名の教職員の感想は大地の芸術祭が10年をかけて地域と深く関わり、今の芸術祭の形があることが実感できたと話した。そう、私たちやさしい美術も8年前から足助病院にて始まった協働と交流、前回の大地の芸術祭から培った関わりが今のやさしい家、院内の活動に結実していることを実感してもらえた。
無論、その葛藤と一連の営みはそのただ中に居なければ実感できるものではない。しかし、少しでも学生たちの引き締まった表情と逞しくなった姿を、この大地の芸術祭とともに感じ取ってもらえたら、私にとっては目標は達成できたと言って良い。これからもやりますよー、やさしい美術は。

このそばの量を見て。

このそばの量を見て。

妻有 ツアー2日目

2009年 8月 22日

いつものように皆6:00起きで、朝食の準備、アサガオの水やり、やさしい家オープンのための掃除や機材チェックに追われる。私は朝一番にアサガオの撮影に行く。玄関に植えられたアサガオは満開まではいかないが、紺色と紫色の花を咲かせている。2階の屋上にもアサガオが植えてあるが、こちらの方は咲き始めといったところ。暑くなる屋上でアサガオが育つか心配されたが、職員さんとやさしい美術メンバーの世話でなんとか花をつけた。
さて、ツアー2日目。
9:00にホテルロビーに集合。遅刻するものはいない。幸先よいスタートだ。
9:20 名古屋造形大学の陶芸室職員でアーティストの渡辺泰幸氏の作品「風の音」を鑑賞。国道から路地に入ったところ、集落の外れにある小高い山が作品設置の場所だ。膨大な土鈴が井桁に組んだ木材に鈴なりになっている。山を登って行くと5分で頂上に着く。頂上は広場のようになっていて地面には円形にレンガが敷き詰められ、その周りにも井桁に組まれた木材に土鈴がすき間なく並ぶ。その音色の美しいこと。ワークショップで制作された土鈴のひとつひとつに人の所在を感じる。
10:00 オープンを待ってストームルームを鑑賞。ジャネット・カーディフ&ジョージ・ビュレス・ミラーの作品である。ノーマークの作品だったが、学生からの強い推薦で今回のルートに組み込んだ。歯医者であった家屋は廃屋であることを隠さない。土壁は地震で大きなヒビが入ったままである。そして2階にあがり一番奥の6畳ほどの部屋に入る。入った瞬間、そこは嵐のただ中にあった。絶妙にコントロールされた部屋の明るさ、雷の慟哭はとても再生されている音とは思えない。窓ガラスが共鳴してびびり音が響く。部屋にはブリキのバケツ。ぽたりぽたりと雨漏りの水がビートを刻む。閃光が走る。外は穏やかな晴れ間だったのに、である。この部屋の中だけがずっと嵐。私たちの日常が劇場なのか、ここだけがリアルな劇場なのか…。
10:45 アントニーゴームリーの「もうひとつの特異点」を鑑賞。ここでこへび隊としてツアーバスを案内する樋口道子さんに会う。汗だくで精力的に案内する樋口さんは私たちのやさしい家の家主さんだ。ハイクオリティーの作品に皆ため息。
11:15 行武治美さんの作品「再構築」を鑑賞。前回の大地の芸術祭で大変人気があり、パーマネントコレクションとして残されることが決まった作品だ。行武さんはその後も多くの展覧会で活躍し、瀬戸内国際芸術祭でも作品を発表する。フリーハンドで丸く切り取られた鏡によって覆われている家屋は透明にも異次元に溶け行っているようにも見える。ツアー一同感嘆の声を上げる。そして中に入ってもっとびっくり。内装も一面鏡で覆われていて、鏡像がさらに鏡像を生み出して鑑賞者の生理に働きかけてくる。鏡一枚一枚はフローティングされていて、振動や風で絶妙に打ち震える。それが水面のさざ波のようで喩えようのない美しさ。正面の壁は取り払われてぽっかりと外の風景に解放されている。まるで巨大な感覚器の一部になったかのような体験だ。学生の一人が「1時間でもここにいたいっ!」と言っていたが、同感。
11:30 「再構築」を出発して大きく移動、松代までバスを走らせる。
12:25 松代農舞台に着く。昼食を済ませ、松代周辺の作品群を鑑賞する。
14:00 松代農舞台を出発する。
14:20 「いけばなの家」に到着。バスがやっとの想いで通り抜けることのできる道。坂道が多いこの集落も大変美しい。家の外に竹の造形物が飛び出している。中に入るとぎっしりと人が居る。いけばなの家元がパフォーマンスを行っている。それを見守っている人々の緊張感がすごい。ダイナミックなインスタレーションが並ぶ。現代美術や彫刻とは異なった文脈の造形。そぎ落とされて洗練された表現とは真逆の充満感が迫力だ。ぐさりとこちらに迫ってくる。
植物は情念的な生き物なのかもしれない。植物たちの血液を感じる展示だった。
15:15 福武ハウスに着く。ここでばったり豊田市美術館キュレーターの能勢さんに会う。数年前のことだが、私が+Galleryで行った個展を観て美術手帖のレビューを書いた方だ。現地でたくさんの美術関係者の人に会うが、皆さんが共通しておっしゃるのは、「とても全部観きれない。」という悲鳴だ。それもそのはず、350点の作品が広大な山間地域に点在しているのだから。時間は限られているのでその点と点を結び、ツアーの星座を描いて行くほかない。有名なコマーシャルギャラリーが一人ずつアーティストをピックアップして展示している。その中でも圧巻なのは、渡辺英司さんの作品だ。図鑑から切り抜かれた膨大な蝶が天井にびっしりとはり付いている。廃校の一教室を使ったインスタレーションで、教室の雰囲気とうまくマッチしている。人の都合でカテゴリー分けされ図鑑の中に閉じ込められたおびただしい種類の蝶は渡辺さんの手によって自然空間に放たれたかのようだ。すごい!英ちゃん!
福武ハウスの駐車場にテントのカフェがある。学生のおすすめは冷やしきゅうり。100円。さっそくかぶりつく。う、うまいっ。
16:20 福武ハウスを出発
16:40 田島征三「絵本と木の実の美術館」に到着。鉢という集落がとても美しいということは以前も書いたが、今回は福武ハウスの方から集落に入ってきてすり鉢上の地形をあらためて認識した。坂を降りて行くとすり鉢の底の方に吸い込まれて行くようだ。鉢の底に小学校の校舎が見えてくる。そこが田島征三美術館だ。今回は作品の鑑賞はもちろん、カフェも堪能した。今回参加した教職員の森田さん、渡辺さん、庶務課の富田さんとお茶を楽しむ。
閉館ぎりぎりの17:30までカフェでくつろいだ。
今日の鑑賞ルートは練りに練ったので、作品の充実度は半端ではない。食事も予約して待つことなく食べられ、時間のロスはほとんどなかった。最高の贅沢ツアーができたと自負している。ツアー参加の学生たちの表情も満腹と言った感じだ。もちろんここで紹介した作品はほんの一端。他にもたくさんのすばらしい作品があることを付け加えさせていただく。
ツアーの学生と教職員をホテルに送り、私はやさしい家に帰る。「ただいま」。ふと、奥8ギャラリーに目をやるとモビールプラネットが完成しているではないか!今日は奥8ギャラリーで寝たい。ディレクターのわがままだ。井口、溝田さんに了解を得てお布団を敷かせてもらい、モビールプラネットを見ながら眠りにつく。

昨年田植えをしたカバコフの棚田

昨年田植えをしたカバコフの棚田

いけばなの家は迫力満点

いけばなの家は迫力満点

hachi cafeでくつろぐ

hachi cafeでくつろぐ

モビールプラネットを観たい人はやさしい家へ

モビールプラネットを観たい人はやさしい家へ

妻有 ツアー初日

2009年 8月 21日

鷹の湯に出た後、マッサージチェアを楽しむ

鷹の湯に出た後、マッサージチェアを楽しむ

ここのところ晴れが続いていたが、今日は朝から曇り。蒸し暑い日だ。
いつものようにアサガオの水やりから始まる。オープン前、今日も徹底的に掃除をする。ヒンメリにはっていたクモの巣も丁寧に取り去る。住み込み始めて一月。この家にわずかにあった空き家の香りがほとんど感じられなくなった。ここに一度来たものは玄関を通る時「ただいま。」という。お出かけは「行ってきます。」
お盆が過ぎ、来場者の数は少なくなったけれど、新しい出会いであることに変わりはない。来場者には医療関係者や美術関係者も多い。ここで2時間も3時間も議論になることもある。
14:30 えんがわ画廊の展示を終えた泉にやさしい家の当番をまかせ、私と川島、浅野で十日町病院へ向かう。今日はやさしい美術プロジェクトが現代GP選定事業として十日町病院とやさしい家の取組みを見てもらうためのツアーを企画し、今日、名古屋からツアーバスが着くのだ。
15:00 ツアーバス到着。教職員3名を含む15名、やさしい美術とでんでんメンバーが27人乗りバスにぎっしりと乗っている。
まず、事務所に寄り、ごあいさつ。その後3つのグループに別れて院内を見学する。作品とデザインツールが絡み合った今回の取組みは新鮮に目に映ったようだ。
私と教職員3人は見学のあと、応接室にて歓談。やさしい美術の取組みは病院職員さんに仕事を増やすことになる。でも楽しい。やりがいがある。いつもとちがった病院になって行くというか。そうした意識が双方にあれば、物事はちゃんと前に向かって進んで行くものだ。
16:00 やさしい家に行くと、見学組とやさしい美術、でんでんメンバーでごったがえしている。早速Morigamiを折っている学生もいる。
16:45 ツアーバスに乗り込み、松之山温泉、鷹の湯に向かう。45分ほどかかって温泉に行く贅沢なルート。おまけに道中の風景も棚田が一望にできる絶景が続く。
17:30 鷹の湯に着く。お湯は塩分を含み、かすかに硫黄臭と灯油臭がする。地元の人も一押しの名湯だ。
18:30 雨がどしゃぶりになる。皆走ってバスに乗り込む。
19:15 やさしい家に着く。えんがわ画廊アーティストの柴田がツアー組に合流。ここでやさしい家とお別れ、明日からの作品鑑賞ツアーに参加する。ほんの数日だったが、柴田にとってやさしい家は居心地が良かったようだ。名残惜しさが表情に浮かんでいる。
19:30 ホテルニュー十日町につきチェックイン。
やさしい家に帰ってくる。皆でカレーライスを作ってくれている。今日井沢さんの奥さんからいただいたトマトが一緒に煮込んであって美味!皆の顔を見て、声を聞いて、食べるご飯はうまい。
奥8ギャラリーのモビールプラネットの展示作業が始まっている。溝田さん、井口、二人ともプロのデザイナーなので安心して任せられる。

妻有 展示替え

2009年 8月 20日

朝ご飯を皆でつくる。朝の日差しが美しい。

朝ご飯を皆でつくる。朝の日差しが美しい。

6:00 起床。いつものようにアサガオの水やりから一日が始まる。
朝ご飯はデニッシュパンにマカロニとツナのサラダ、井沢さんからいただいたキュウリとトマトのサラダである。井木がコーヒーをいれてくれる。私だけブラックで。皆さん、申し訳ない。
妻有の自然の強さは植物だけではない。一日経てば、いたるところにクモの巣が張っている。スペース全体を掃き掃除と拭き掃除で徹底的にクリーンアップ。今日は庭の草むしりも行った。
奥8ギャラリーとえんがわ画廊が展示入れ替えだ。午前中は院内の展示「えんがわ画廊ー妻有」の作品入れ替え、そして午後はやさしい家にてえんがわ画廊のアーティスト、柴田、細川が作品のセッティングにはいる。来場者はその作業風景を見ながらやさしい美術の作品を鑑賞する。

えんがわ画廊新聞2が出番を待っている。

えんがわ画廊新聞3が出番を待っている。

やさしい家には様々な痕跡が残されている。

やさしい家には様々な痕跡が残されている。

妻有 やさしい家がオフィス

2009年 8月 19日

凸凹昆虫とえんがわ、奥8の展示替えがあります

凸凹昆虫とえんがわ、奥8の展示替えがあります

川島と私の二人で朝の準備。
6:00起床 川島はアサガオの水やりに十日町病院へ。私はやさしい家にある植木とアサガオに水をやる。その後は朝食の用意。マリネとハヤシライスを食す。
9:00 川島は河合正嗣さんの肖像画の展示のため、今日展示する作品を小脇に抱えて再び十日町病院に向かう。川島が制作した映像作品の機器の電源を入れて廻る。院内全体を目配せして、作品にダメージがある場合は考えられる原因と患者さんなどにケガがなかったか確認する。私の方はトイレ掃除と展示スペース全般の掃除、玄関や庭の掃除をする。特に廊下は多くの来客があったあとほど綿埃がすごい。雑巾で拭き取るのが一番だ。
そうこうしているうちにオープン前の時間に来場者がある。私たちは機材が準備できていれば、掃除などの作業をしつつも展示を観てもらうようにしている。
やさしい家には電話がある。今日かかってきた電話は、十日町市役所の根津さん、大島を取材する予定のマルモ出版の尾内さん、十日町病院脳外科医の川崎さん。私からかけた電話は、大島青松園の事務長稲田さん、入所者自治会長の森さん、入所者で大島焼の山本さん。マルモ出版に香川県庁、香川県庁の今瀧さん。パソコンを持参しているので、必要なデータはメールでやりとりする。便利になったものだ。オフィスはビルを建てたり秘書を雇う必要はなく、パソコンと電話があればどこでもオフィスとなる。
12:30ごろ 大島にいつも一緒に出かけている井木とその仲間たちでやさしい家に来訪。日中は大地の芸術祭の作品を鑑賞し、夜はこのやさしい家に泊まることになった。浅野も家族と一緒に一日芸術祭の作品を鑑賞し、17:30のクローズの時間に帰ってくる。えんがわ画廊に参加するアーティスト二人も加わり一気に10人となる。
少し日が短くなったと感じる。夕暮れに軒下で話をしていたら、十日町病院の経営課井沢さんが奥さんと一緒にやってくる。地元でとれた野菜で作ったサラダや手絞りのトマトジュース、桃約20個をいただく。これを見て私の中の伸子さんが目を覚ます。むしょうに料理がしたくなった。
川島健子と高橋伸子はポテトサラダを作る。泉とえんがわ画廊アーティスト組はツナのオムレットを作る。いただきものと自分たちが作った料理が並ぶ食卓。楽しくないわけがない!

妻有 とんぼがえり

2009年 8月 18日

昨日妻有から名古屋に帰ったかと思ったら今日妻有に戻る。
午前中は昨日の「デザインの間ディスプレイプロジェクト」の書類を整理する。家族で栄町に出て、長男慧地が参加している書道展を観に行く。朝一番だったからか、ギャラリーに人気はない。ちなみに慧地の書は「牛」。堂々としていて誠実な印象。昨年は「恐竜」だった。きっとほんとはウルトラマンとか、ガンダムとか書きたかったんじゃないかな。
現像所にフィルムを預け、名古屋駅前の家電店に寄ってフィルムと露出計用の電池を買いに行く。この電池が特殊で厄介だった。しかも店員さんがメーカーに問い合わせるも的が得られず、1時間もロスしてしまった。
13:30 新幹線に乗り込み、十日町に向かう。
18:30 やさしい家に到着。
この数日いただきものが多くて、ほとんど食材を買わなくても食べて行ける。浅野のご家族が差し入れてくれたハヤシライスと近所の方からいただいたパイを食す。
食後に川島と私の二人で「今日のミーティング」。やさしい家の運営について、報告事項を確認し、検討事項の対策を練る。そして明日の役割分担を決めて行く。
川島が応対したお客さんの何人かは取組みの内容について突っ込んだ質問をされる方がいた、という報告を受けた。その中で特に印象に残ったのは「地域に開かれた病院って、どのようなことですか?」という質問。
このことについて川島と私とでディスカッションをした。
病院はまず、「開いていない」ということを確認した。新しい病院を除き、どの場所でもどの地域でも病院という施設は同じような箱で変化に乏しいものとなっている。どのような日差しがあって、どのような風が吹いていて、どのような風景があるのか。そのような配慮は病院の建築にはほとんどなされていない。私たちやさしい美術は地域の外からやってくる。その時に見る風景、その季節に咲く草花、雲の動きや日差しなどを感じながら病院に入って行く。閉ざされた病院という施設に風穴をあけ、院内に人がいる風景を作って行く仕事。それがやさしい美術ではないか。
病院という無機質な箱は美術のホワイトキューブと似ている。ホワイトキューブを否定しているのではない。美術が成立するために必要な空間では必ずしもない、ということを私は言いたい。また、ホワイトキューブが完璧に閉じられた空間でなければ、アーティストの感性を刺激して、場とアーティストが相互に影響を与えながら制作が進む場合もある。
やさしい家をオープンし、一般公開するとたくさんの来場者の方々から質問や感想が寄せられる。そうしたところから、まとまっていなかった考え方がまとまってきたり、自分たちで構築してきた方向性を再考するきっかけになるものだ。人の感じている感覚に触れることで自分自身を鏡で見ている。

十日町駅に降り立つと芸術祭のブースに出会う

十日町駅に降り立つと芸術祭のブースに出会う

やさしい家のポスターが貼られている。

やさしい家のポスターが貼られている。