Nobuyuki Takahashi’s blog

2009年 11月のアーカイブ

おもいありのある

2009年 11月 30日

息子の国語のテスト。最近毛筆で特選、硬筆で優秀賞をとったので字はものすごく上手い。でも…。

ありだと思う。

ありだと思う。

発音いいね。

発音いいね。

+Galleryプロジェクト 最後の展覧会

2009年 11月 28日

15:00 所用を済ませ、私だけで電車に乗り、布袋駅へ。駅前は昭和30〜40年代を感じる町並みだったが、急激にすっかり様変わりした。ありがちな駅前のコンコースの工事が進みつつある。そのために多くの民家が立ち退き取り壊されていった。その波がとうとうSpace+(旧+Gallery)に押し寄せて来た。
ギャラリーに行くと、ちょうど冨永さんがキラさんたちを連れてパーティーの食材の買い出しに行き、帰って来たところだった。台所では昨日の最後の出勤を終えた平松里奈がサラダ類を作ってくれている。

キラさんをひたすらスケッチする慧地。

キラさんをひたすらスケッチする慧地。

18:00 オープニングパーティーが始まる。最後の展覧会と聞き、+で展示した作家たちを中心に顔を出してくれる。なかでもイギリスのゴールドスミス時代にキラさんと同じセミナーに所属していた神田京子さんやロンドンでのグループ展でキラさんと仲良くなった加藤万也さん、unusual combination展でキラさんと展示した須田真弘さんらが次々来訪、キラさんを労う。私の家族真奈美、慧地、美朝も登場。慧地はさっそくギャラリーの隅々まで探検だ。美朝は出品作家のウニョンちゃんにだっこされている。慧地はキラさんにプレゼントを渡す。中身は、瓶の王冠を何十個も接着して作ったオブジェ。そして、得意の似顔絵をその場で描く。そんな慧地に目を細めるキラさん。
二次会は冨永さんの親戚の寿司屋へ。キラさんと冨永さんや私の家族が先発隊で入り、私たちはギャラリーの片付けをして施錠したあと合流。キラさんたちの展覧会のパーティーなのになぜか赤塚の誕生日会が始まった。ま、いいか。
キラさんたちを名古屋のホテルまで私と私の家族、平松さんとで送る。明日も私と平松さんとでキラさん一行をセントレアまで。
来てくれてありがとう、キラさん。今日もこれ以上の言葉がみつからない。

日本と韓国の国旗が入っている誕生日ケーキ。

日本と韓国の国旗が入っている誕生日ケーキ。

ちよだワークショップ テーマが見える

2009年 11月 27日

スタッフ平松里奈最後の出勤の日。彼女はもうすぐ9ヶ月になる大きなお腹を携えてプロジェクトルームでいつものように働いている。
13:00 発達センターちよだに向けて出発。スタッフの赤塚は朝から材料と道具を準備していた。今日はスタッフ赤塚、高橋、中川、村田と4人のアダルトチームだ。中川は研究室職員、村田は庶務課職員。ふたりともきっちりと普段の仕事をこなし、時間を作ってワークショップの計画から準備、実施まで積極的に参加している。モチベーションの高さの何者でもない。私は久しぶりのちよだ。初めて会うこどもたちもいるし、昨年からこの取組みに参加している子どもたちにも久しぶりに会える。

素材の準備を進めるメンバー

素材の準備を進めるメンバー

13:45 発達センターちよだに着く。まだ通園のこどもたちが廊下を走り回っている。私たちはひとまずトレードマークのピンクのつなぎに着替えて素材の準備を始める。今回のワークショップは様々なテクスチャーの粘土を用いてレリーフを作る試み。粘土にコーヒーやマカロニ、大豆などを混ぜ込んでおく。テクスチャーにはっきりとした感覚がたのしめる工夫を凝らし、バリエーションを豊富にすることで子どもたちの興味をそそるしかけだ。新しい感触が新しい表現の可能性を拓くことを期待してー。
15:00 お母さん方が子どもたちを連れてちよだにやってくる。子どもたちは自然と遊びの体制に入る。学齢に達したデイサービスちよだに参加する子どもたちはほとんどがこの地域に暮らし、このちよだに通園していた。ちよだにくる子どもたちは安心しておもいっきり遊ぶ。リラックスする。それは日々ちよだの職員さんが愛情を持って接してきた証だ。私たちはその日常にちょっとだけ、おじゃましている。
子どもたちといっしょに遊び、お菓子を食べる。ボランティアやパート、ちよだ職員の皆さんはごく自然に子どもたちと触れ合う。のびのびとした空気を作りつつも子どもたちの発達と成長に心を配る姿は私たちには新鮮に映る。意思表示が少ない自閉症の子どもたちが、「欲しい」という意志を示し(手を拳と手のひらをあわせるなどのジェスチャーをする)それに私たちが反応して渡してあげる、といった基本的なコミュニケーションの順序を教えていたり、緊張している子どもはやさしく抱きしめ、リラックスを促す。それだけではない。子どもたちのお母さんの様子も見逃さない職員さんたちは心を配るプロフェッショナルだ。アクションリサーチという言葉があるそうだが、書籍をたどる知識や数値にたよる分析より現場で感じればわかることも多い。私たちは月にたった1日だけれど、その肌合いを感じている。

ペットボトルを押し付けてできたミッキーマウスのかたち

ペットボトルを押し付けてできたミッキーマウスの形

16:00 さて、ワークショップの開始だ。様々な混ぜ物をした粘土を手渡し、いっしょにつくる。子どもたちそれぞれの興味の推移を観察しながら、私たちも楽しく制作する。子どもたちの障害の様態は個々により多様で、興味の範囲もまちまちだ。身体的な障害の場合は粘土を可塑的に扱うことができるかどうかがポイントになるし、自閉症の場合は興味の範囲が一定のものに固執してしまいがちだ。実験的なワークショップによって目覚ましい変化を遂げるということはないかもしれないけれど、きっかけになれば私たちとしてもうれしい。
子どもたちは時間をたっぷりと使って制作。興味が持続するのも重要なことだ。
17:00 子どもたちのお母さんが迎えにくる。ちよだの職員さんが「どんな取組みだったか見ていって下さい。」と声をかける。私たちが設えを含め作ったものも片付けてきれいに並べてしまおうとしていたところだった。未整理で粗雑だけれど、制作したありのままの現状を見てもらい、ほとばしる子どもたちの感性を感じてもらう機会にもなっていると気づかされる。

制作は帰る時間になっても続いた。

制作は帰る時間になっても続いた。

子どもたちの帰りを見送り、片付けを終えてちよだのスタッフとやさしい美術メンバーとで今日のワークショップを振り返る。私からは、やさしい美術プロジェクトのメンバーが毎回入れ代わってしまい、子どもたちが緊張してしまうこと、導入は長くコミュニケーションを積み重ねて来たちよだの職員さんたちに甘えている、ことなどを今後の課題としてあげた。しかしちよだ職員からは「初めて関わる人がいて、緊張することも大事。社会の中で生きていくためには、予測できない事態に自分なりに反応することも必要です。どんどんいろいろな人に関わってもらいたい。」とおっしゃる。ちよだのワークショップを再開してまだ緊張の残る私たちをも解きほぐすやさしい言葉だ。
粘土のまるい塊に3つの大豆をつけた子どもがいた。明らかに顔をイメージした制作で、テーマを元に創作を進めた様子が見られた。これまで絵の具では具体的なイメージを描かなかった子が、素材とその組み合わせによって新たな創作に向かった事になる。そうした微細ではあるけれど次につながる発見、表現の萌芽を大切に育んで行きたい。
18:30 ちよだを出発。大学に戻る車の中で、今日を振り返る。
19:00 プロジェクトルームに戻ると平松里奈と彼女の夫であり+Galleryプロジェクト共同運営者の平松伸之さんがいた。最後の出勤、荷物を引き払うため迎えに来てもらったのだ。ほどなくしてアンケート調査で足助に行っていた泉も帰ってくる。スタッフ全員でスタッフ平松を見送る。
長い間、お疲れさま。それ以上の言葉がみつからないー。

テーマは顔

テーマは顔

マルチボックス私の美術館 修復

2009年 11月 26日

破損したマルチボックス

破損したマルチボックス

足助病院と共同開発したマルチボックス私の美術館は平成19年に搬入した製品だ。絵はがきワークショップはこのマルチボックスとセットになった絵はがきフレームに提供する絵はがきを制作するものである。現在、院内の病室で使用しているマルチボックスは60個。四季折々の絵はがきを届けているので60×4=240枚の絵はがきが必要になる。今までかれこれ500枚ほどの絵はがきを届けたことになる。
マルチボックスの素材はスプルース材という木目の通った杉材の一種。ギターやピアノの天板に使われることで知られている。塗装はほとんど行っていない。無害のオイルを薄く浸透させてあるのみだ。
いくつか破損したマルチボックスをメンテナンスを行うためにプロジェクトルームに持って帰ってきた。板材が焼けていい風合いを醸し出している。赤塚と修理、メンテナンスについて打ち合わせる。リーダー古川は破損した箇所を接着するためクランプを木工室に借りに行く。こうして丁寧に復元されたマルチボックスは足助病院に帰っていく。
Space+のセッティングの二日目。ほぼ8割りがたすんでいる。スペースの隅々まで使った展示で時間をかけてじっくると観て廻りたくなる。さすが、空間を知り尽くしているキラさん。

Space+の一階でくつろぐ、+Galleryプロジェクト

Space+の一階でくつろぐ、+Galleryプロジェクト

セッティングの嵐

2009年 11月 24日

私の運営するアートプロデュースコース2年次が修了制作展のセッティングにはいった。企画性に富み、実験的であることがこの授業の売りだ。テーマ、制作、広報、運営、すべてを学生が決定する。私が示した予算をオーバーしたが、企画の鮮度が高いので研究室で見直し、goサインを出した。進行状況をブログで紹介する。何ができてくるのかはお楽しみ。
さて、授業後はやさしい美術の仕事を終わらせ、19:00 Space+に到着。韓国から持ち込んだ作品の梱包が解かれ、作品のセッティングに入っている。キラさんの集中力がすごい。5人の若手アーティストはそれに応えるようにぐいぐいと展示を進めていく。
どこに行っても現場仕事。
毎日わくわくどきどき。

大工仕事をこなすわがコース女子たち

大工仕事をこなすわがコース女子たち

猛烈な勢いでセッティングが進むSpace+

猛烈な勢いでセッティングが進むSpace+

デザインの間搬出

2009年 11月 24日

10月27日から展示していたディスプレイを搬出する。
お客さんの反応もよかったようだ。学生達も確かな手応えを感じてくれただろう。

名古屋市千種区星ヶ丘の「デザインの間」

名古屋市千種区星ヶ丘の「デザインの間」

大島で拾った容器もちょっとだけ手を加えてディスプレイした

大島で拾った容器もちょっとだけ手を加えてディスプレイした

韓国の親友、来る

2009年 11月 23日

日本に着いたわが弟キラ氏

日本に着いたわが弟キラ氏

韓国から親友が名古屋にやってきた。彼の名はキム・キラ(金基羅)。韓国きっての暴れん坊アーティストである。
平松伸之(代表)、冨永佳秀と私の3人で運営しているSpace+(旧+Gallery)は今年度をもって取り壊されることになった。それを聞きつけて、キラさんが展覧会を企画し、若手アーティスト5人をつれて名古屋に滞在しながら展示を作り上げることになった。
2001年の夏のことだ。私は韓国のアーティストとグループ展を行った。企画は当時ソウル市美術館の学芸員だった韓美愛さん。私は現場制作の作品を提案し、約10日間キラさんの家に泊まり、毎日朝9時ごろから夜中2時、3時まで作品の制作。制作が一区切りするとソウル市のいたるところに遊びにいった。寝る時間はわずかだったけれど、言葉も充分伝わらなかったけれど、日に日に絆が深まっていった。展覧会が無事にスタートし、帰国前夜。すっかり仲良くなったアーティスト皆で夜通し遊んだ。「これが韓国流の大切な友人のもてなしなのさ!」食べて飲んで、語り明かしたあの日ー。徹夜で遊んだ帰り道のことだ。ソウルの高層マンションの間を抜けていくキラさんの車のなかで僕らは無言だった。いつもよりちょっぴりコントラストが強く見えるソウルの町並みをただながめながら。それから僕らはお互いを「ブラザー」と呼び合うようになった。
2003年1月。+Galleryがスタート。私はさっそくキラさんの展覧会を開きたい、と他の二人のメンバーに提案する。2003年の夏キム・キラ個展を開催。多くの新聞社、美術手帖などの出版社からも取材が殺到し、その後は+Galleryと韓国はセットで語られるようになる。
2005年4月。unusual combination展を開催。国際的に活躍する日本と韓国の作家による現代美術の展覧会を行う。日本からは私たち+Galleryメンバー3名と宮島達男、奈良美智ら、韓国からはキラさんをはじめ、クォン・オサンやイ・ヨンベクなど、ビエンナーレをはしごする有名アーティストが名を連ねた。オープニングパーティーには200人以上がつめかけ、うどん屋だったギャラリースペースは床が抜けるかと思ったほどだ。
思えば、いつも+Galleryの近くにキラさんの姿があった。いつも日本に来るときは寝る時間がなくなるほど遊んで、嵐のように去って行く。
やっぱり、最後も彼がやってきた。
以下、2001年の「文化植民地展」の様子を掲載する。

作品の素材は韓国で調達

作品の素材は韓国で調達

作品はすべて韓国で制作した

作品はすべて韓国で制作した

お手伝いをしてくれた女性スタッフと記念撮影

お手伝いをしてくれた女性スタッフと記念撮影

最終的に仕上がった私の作品

最終的に仕上がった私の作品

大島 柑橘系

2009年 11月 22日

大島フレッシュサンドは抜群にうまい。

大島フレッシュサンドは抜群にうまい。

7:00 起床。昨日のツーリズムと宴会の余韻が残っている。
8:00 朝食を食べる。スクランブルエッグに昨日畑でいただいた水菜、ラディッシュを和えてパンにのせる。来年のカフェでこんなフレッシュサンドが出せたらいいね、そんな話をしながらコーヒーをすする。
9:00 昨日約束した通り、島の北にある畑に行く。数名の入所者が畑で収穫している。私たちはブロッコリー周辺の雑草を抜く。しばらくすると、入所者Aさんが自転車でやってくる。「おーおーごくろうさん。助かるわ。」といって缶コーヒーを渡される。甘いコーヒーが労働の疲れを癒す。入所者Aさんが他の畑を見せてくれることになった。大きなカブをいただく。井木が千枚漬けにすると意気込む。白菜、ほうれん草、大根、カリフラワー、水菜…ありとあらゆる冬の野菜たちが植わっている。Aさんは「わしらは作るのが趣味での。」とおっしゃる。だから、野菜がもらわれていくのが、とてもうれしいのだそうだ。山の方は畑を耕す人が減ったために随分と荒れてしまっているが、Aさんは力の続く限り土を耕し、野菜を育てている。収穫は年明けになりそうだが、柑橘系があちこちに実をつけていて、ほのかな香りが風に乗ってくる。畑のあるところは視界が開けていてどこか

畑から見る大島船着場方面の風景

畑から見る大島船着場方面の風景

らも瀬戸内海を臨むことができる。開放感にひたっていると、Aさんが、「夏には草を切っとくけんの。」とおっしゃる。春夏には下草がすごい勢いで伸びる。私も小原村での生活で経験したが、田舎では草刈りは重労働。「草刈りもお手伝いに来ますよ。」と私たちは応える。ひととおり畑を案内いただいた後、ほうれん草をいただく。畝にほっこりと植えられたほうれん草を間引くように抜いていく。葉がやわらかでおいしそうだ。お昼ごはんに食べることにする。
たくさんの野菜をいただいたのでAさんが自転車の荷物かごに野菜を載せて面会人宿泊所まで送ってくれる。心遣いがじんとしみてくる。Aさんから「12月にゲートボール大会があるけん、やらんか。」とお誘いがある。「ルールわかりませんけど、参加しますよ。」「よかった。メンバーが足りんから、ちょうどよかった。」さて、名古屋に帰ったら、ゲートボールのルール覚えなければならない。もちろん、私は勝ちに行きますよ!
12:00 お昼はうどんを茹で、Aさんの畑でいただいた野菜を食す。ほうれん草を電子レンジにかけ、熱い間にバターをつける。これがまた、おいしい!生きていることの実

収穫を待つ柑橘系。

収穫を待つ柑橘系。

感は食べ物を美味しくいただくこと。
13:00 15寮に行き、掃除の続きを始める。2室はほぼ終わっているのであとの3室を徹底的に掃除する。漂流物を保管している部屋は他の部屋と比べて汚れていて畳のコンディションも悪い。その部屋を残して2室の掃除にとりかかる。私は玄関側のやれたベニヤ板などをはがし、生活の都合で取り付けた金具や木材を取り除く作業を行う。15寮の原型に近づけるような補修だ。雨がぽつりぽつりと降り始める。もくもくと15:00まで清掃・整備作業を続ける。
15:00 15寮の片付けをして、面会人宿泊所に戻る。心地よい疲労感がおそってくる。
16:15 まつかぜに乗って大島を出る。今回の大島行きはやることが多くてめまぐるしかったが、また次に大島に行くのが楽しみになることがたくさん起きた。私たちが今感じているように瀬戸内国際芸術祭の来場者に限らず大島を訪れる人々にも感じてもらいたい。

大島 ツーリズムとかつおのたたき

2009年 11月 21日

草むしりにいそしむ

草むしりにいそしむ

7:00 起床。8:00に朝食を済ませる。
9:00 大島の北、風の舞近くの畑に行く。すると、かけ声がこだましている。「おーぃ、やとるかぁー。」「やっとるよー。」「つらいなぁー」「おう、つらいよー。」他に雑音が少ないからだろうか、体の芯に響く声だ。現在は入所者の4〜5名のみが畑仕事をしている。数十年前に遡れば、このような労働時の歌やかけ声が大島全体に響き渡っていたに違いない。私はこの声を作品にしようと考えている。
畑を耕す入所者に教わりながらタマネギのまわりの下草をとる。たかが草むしり、されど草むしり。よく似た雑草もあり、簡単ではない。入所者の多くはハンセン病の後遺症で手先に感覚がなく、かたく縮んでしまっている。「わしら、手が悪いから、あんたらのように器用に草がとれない。助かるよ。」とおっしゃる。心地よい風が海から山の斜面をたどってやってくる。私が野菜を写真に撮っていると、「写真撮るんだったら、こっちもあるよ。」と案内されて山道を行くと突然視界がぱっと開け、そこに一面の水菜が風に揺れている。瑞々しく神々しい野菜たち。私は夢中でシャッターを切る。
11:00 野菜をしこたまいただく。「明日の朝も来ます。」翌日の約束を交わし、面会人宿泊所へもどる。
12:00 職員食堂へ。ボリュームたっぷりのチャーハンを食する。
13:00 入所者自治会に行く途中で写真のワークショップ担当の脇林さんと会う。自治会会議室に続々と入所者の皆さんがやってくる。11:30ごろに着いたツーリズム参加者は、青松園福祉室作業部の職員大澤宏敏さんのレクチャーを聞いたのち納骨堂と風の舞を参拝。大澤さんは入所者の近くで働いて、大島の暮らしをそばで見て来た。入所者と日々接している方が大島の歴史や入所者の暮らしの現状を語ることでツーリズム参加者は、大島のイメージを的確に捉えられただろう。
ツーリズム参加者はNPOアーキペラゴのスタッフを含め15名。入所者自治会の事務所はにわかに熱気に包まれる。
最初に私から来年の瀬戸内国際芸術祭で行う「名人講座」について説明する。今回のツーリズムはそのプレイベントでもあり、大島を訪れた人々が再び来ていただけるような交流が生まれることを目標としている。
時間が充分にないため、すぐに3つの名人講座に分かれる。自治会会長森さん、副会長野村さんのお二方で施設めぐり、入所者脇林さんは写真、入所者山本さんは陶芸。私は脇林さんのグループでお手伝いすることになった。
13:30 名人講座開始。脇林さん担当の写真講座には私を含め4名が参加した。
脇林さんが写真を撮り始めたきっかけに始まり、写真を通して何を感じ、何を得たかを丁寧にお話しいただいた。
脇林さんはワープロやパソコンで文章を作成していたが、ある日原稿に挿し入れる写真を撮るためにコンパクトタイプのデジカメを購入した。齢70歳にして始めた写真はデジタルだった。写真を撮るようになり、たくさんの「気づき」があったという。それまでは飾られる花しか目に入らなかったが、道ばたに咲く野の花も等しく美しい。レンズを通してみるものすべてが新鮮に映った。
「私は南極やアフリカの辺境の地に行って写真を撮ろうとは思いません。この大島にすべてがあります。私は大島で写真を撮り続けます。」脇林さんは50年以上この大島に強制隔離されてきた。でも脇林さんは「大島でしか写真が撮れない。」という言い方は一切しない。国の誤った政策に翻弄され、束縛され、断絶させられたハンセン病回復者は今、自分の意志で、向き合うべきものに向き合っている、その事実が私たちを大きく揺さぶる。よく考えてみれば、入所者とは異なった生活をしてきた私たちも、勝手気ままになにもかも自分の意思決定で生きているわけではない。無論、入所者が経験して来たことと私たちの日々の経験の重さは比較にならないが、私たちも同じ地平に生き、同じ日本で暮らしていることを忘れてはならない。「感覚が重なる。」その意味で私たちは社会交流として入所者との共感の場を得る意義は極めて大きい。そもそも「入所者と私たち」という構図がなくなる瞬間が生まれればー。そんなことを考えながら、脇林さんの言葉に耳を傾ける。
今回の写真ワークショップは「松を撮ろう」。大島を象徴する松は青松園の歴史100年間を越えてこの島を見つめて来た証人だ。大島の原風景であり、入所者の生活の一部である。その松を入所者と共に撮影する。それぞれの視点で撮影した松をワークショップ参加者で鑑賞し、「大島の松」を浮かび上がらせることができたらと思う。

けもの道に入ると脇林さんの足はさらに速くなる。

けもの道に入ると脇林さんの足はさらに速くなる。

自治会を出て松の木をめぐる。北に歩き、宗教地区を通り、さらに北に向かうと畑が現れる。今朝野菜をたくさんいただいた場所だ。そこからさらに山道に入っていく。脇林さんは山に入ると俄然足が速くなる。入所者の多くは後遺症で足が悪いのだが、全くそんなことを感じさせない。「大島が見渡せる撮影スポットに行きましょう。」脇林さんの顔が輝く。山道から茂みに入るとけもの道が現れる。足場は悪い。そこをぐいぐいと脇林さんは突き進む。信じられない早さだ。ほどなくすると木々が生えていない草むらが開けてくる。そこに金色の光が射している。トンネル状の茂みに再度入ると、脇林さんの足がようやく止まる。ふと右手を見ると大きな広葉樹にはしごが掛けられている。脇林さんが担いできて掛けたはしごだ。「皆さん、登ってみてください。」と脇林さんが促す。まず最初に私が登る。安定感とはほど遠いなんとも心細いはしごを一段一段確実に登って行くと、突然視界が開ける。
「わー、すげー。気持ちいいっ!」瓢簞型の大島の全体が見渡すことができる撮影スポット。ここに来れば鳥のように舞って俯瞰するような視点を得ることができる。そうか、脇林さんは大島の上を飛ぶことができるんだ。この爽快感はどう表現してよいか。はしごを降りて行くと脇林さんが秘密基地に仲間を連れて来た少年のようににこにこしている。ワークショップに参加した3人が1人ずつはしごを登る。皆、のぼるのは恐る恐るだが、一旦登りきってしまうとなかなか降りて来ない。開放感に包まれながら夢中でシャッターを切っている。

はしごに登るとそこにはー

はしごに登るとそこにはー

はしごの掛けられた木陰で脇林さんとしばし語らう。今回の撮影スポットは脇林さんによれば「初心者むけ」だそうだ。ほかの撮影スポットはもっとハード。実際行ったら私たちは脇林さんについて行けるのだろうか…。
全員がはしごから降りてきてけもの道をトレースしながら下へ下へと降りて行く。この時の脇林さんも足が早くて、ちょっと油断すれば見失いそうだ。私を含めたワークショップ参加者は山を登った後、緊張していたかたい意識が解きほぐされたようだ。考える前に感じたものを写真におさめていく。その様子を静かに見守る脇林さんの表情はとてもいきいきとしている。
15:30 自治会事務所に戻る。それぞれ撮って来た写真データを私が持参したPCに読み込む。会議室に置いてある液晶テレビに今日撮影した写真を見ながら、感想を述べ合う。鑑賞の時間は充分にとれなかった。今後に課題を残す。
ともあれ、ワークショップの参加者も入所者脇林さんも心地よい疲労と開放感で自然と笑顔がこぼれる、

出航する官用船せいしょう

出航する官用船せいしょう

16:00 今回のツーリズム参加者全員が船着場に集合し、高松行きのせいしょうに乗船する。「また、大島に来たい。」という声があちこちから聞こえてくる。乗船した皆さんは何故かデッキにいて、船室に入ろうとしない。見送る私たちやさしい美術プロジェクトの高橋、泉、井木、入所者の脇林さん、自治会長の森さん、福祉課職員の大澤さんらが見送る中、船出の時をむかえる。皆で手を振る。その時脇林さんが私の横に来て「今日は遊ばせてもらいましたわ。はははっ!」とカメラ片手におっしゃる。手を振る皆さんを脇林さんはひたすら撮影する。自らわき起こる感情さえもレンズを対象に向けシャッターを切るという行為に集約していく。小さくなって行く官用船せいしょうをいつまでも撮影する脇林さんが逆光に照らされている。ツーリズムの幕がゆっくりと降りて行く。
余韻をかみしめながら、各ワークショップの片付けに入る。特に陶芸室は準備したものをすべてもとに戻さなければならない。陶芸室に行くと、大島焼ワークショップ担当の入所者山本さんが片付けをしていた。「山本さん、やっぱり大島の土に触れていただくのが一番ですねー。」と話しかけると、

窯だしした大島焼

窯だしした大島焼

「私らにはそれしかないけんね!」とおっしゃる。棚には今日の成果物、大島土で作った食器類が並ぶ。山本さんはそれらを眺めながら「また、人が来て、自由に何か造っていったらいい。」次の展開につなげていくのは私たちやさしい美術プロジェクトの役割だ。
片付けを終え、一旦面会人宿泊所にもどる。自治会副会長の野村さんに電話する。10月に大島に来た時に野村さんから「今度来たときはいっしょに飲もう。」と誘っていただいた。とてもうれしかった。次の大島行きで私は日本酒を一本お土産にお渡しした。そして、今日ツーリズムを無事に終え、野村さんのお宅で宴の席を設けていただいたのだ。
17:00 15寮近くの野村さん夫婦のお住まいに行く。奥様と野村さんが笑顔で出迎えてくれる。部屋のつくりは私たちが整備している15寮と全く同じ。家財道具を入れると決して広くはない。台所の奥の6畳間に通されるとテーブルの上に取り皿とお箸が設えてある。うれしくて体が震えてくる。
野村さんは高知県出身で、故郷とは弟さん通じてつながっている。お母様が6年前に亡くなられたそうだが、偏見と差別の時代を乗り越えて、故郷とのつながりを保ち続けたのは息子を念うお母様の並々ならぬ努力によるものと聞いた。長生きをしたお母様の励みは故郷と野村さんとをつなぐ念いの強さの現れだ。野村さんは今日のために高知に連絡して、

刺身の切り身をつくる泉と井木。

刺身の切り身を盛りつける泉と井木。

昨日捕れたかつおのたたきを大島まで送っていただいたのだ。さっそく井木がかつおのたたきを包丁で切り身にする。大皿に載りきらないほどのかつおのたたき。切り身の大きさは大きい物で八センチ四方もあろうか。「この季節のかつおは、もどりがつお、と言ってな、脂が乗ってておいしいんよ。」瀬戸内にいて太平洋のかつおが食べられる。何か不思議な感じだ。ビールを飲み、私が持って来た日本酒、野村さんが用意してくれたワインも合わせてごちそうになる。途中自治会長森さんも加わり、にぎやかな宴会になった。

こんな肉厚のかつおのたたきは食べたことがない。

こんな肉厚のかつおのたたきは食べたことがない。

いっぱいいっぱい話した。中でも心に残ったエピソードをいくつか記しておきたい。
大島の納骨堂の中に入ると位牌がずらりと並ぶ。私は2度ほど入らせていただいたが、その鮮烈な体験は忘れることができない。故郷に帰ることが許されず、この大島に骨をうずめた人々のお姿を私たちは拝見したのだ。私は気づかなかったが、亡くなられた方が多い時期があるのだそうだ。やはり、戦時中の厳しい最中が一番過酷で、亡くなられた方が多かった。自ら命を絶った仲間もたくさんいる、そう野村さんはおっしゃる。冷たくなった躯と化した仲間を抱き上げたときのその重さと冷たさが今も鮮明に蘇る。
昔は看護師をはじめ療養所の職員はわずか。比較的症状が軽い者が重症者の面倒を見る。信じられないような重労働と精神的苦痛を強いられ、将来は暗黒。その闇の中をくぐり抜けて来た入所者。看護師や医師は全身白衣とマスクで目しか見えない出で立ち。病棟はともかく、入所者の居住者棟に問診の際は長靴のまま土足で部屋に入って来たという。たまりかねて問診にやってくるときは新聞紙を床や畳に敷くようになったそうだ。
21:00 入所者の多くは床に入っている時間だ。私は酔いと疲れで途中睡魔に襲われていたが、野村さん夫婦、森さんは終始矍鑠としておられた。すっかり遅くまでお世話になってしまった。片付けをして野村さんのお宅を後にする。「また大島にいるときは、いつでも来たらいいけん。その時はまた飲もうな。」野村さんのうれしい言葉が響く。森さんがほろ酔い気分で自転車にまたがる。「だいじょうぶですか、気をつけて下さいね。」「大丈夫、大丈夫。」遠ざかる森さんの背中を3人で見送る。
野村さんは今年中に新しく建てられた一般寮に引っ越すのだそうだ。今日の宴会はあの長屋で最後の宴の席だったのかもしれない。野村さんの住む寮から面会人宿泊所まで、道中オリオン座を見ながら、泉、井木と来年の自分たちを想像する。
23:00 就寝

大島 ツーリズム準備

2009年 11月 20日

高橋、泉、井木の大島チームが名古屋駅に集合。いつものごとく7:37ののぞみに乗り込み、岡山を経由して高松へ。今回は二泊三日のため、高松駅横のスーパーマーケットで食材を買い出しし、11:10の官用船に乗船する。
11:30 大島着。満ち潮の大島は船上から本当に浮かんでいるように見える。晴れ渡る青空が美しい。明日も同じように晴れて欲しいと願う。というのも、今回の大島行きは明日実施するツーリズム「名人講座」という大きな目標を掲げているからだ。「ツーリズム」とはもともと、シブヤ大学(学校法人とは異なる、生涯教育を地域住民のネットワークで行うNPO)が行っている研修授業である。実はツーリズムを大島で6月に行う計画があったがインフルエンザの流行で延期になってしまった。10月に入り、再度ツーリズムの1つに大島を組み込みたい、という申し出があった。今回主体的に動いたのはNPO法人アーキペラゴ。シブヤ大学は東京が本拠地ということもあり、加重をアーキペラゴに移し、行政からも受託している瀬戸内海の活性化のために一肌ぬいだかたちだ。私に相談があった頃にはやさしい美術プロジェクトの大島での活動が進み、「つながりの家」構想が動きつつあった。
「つながりの家」構想の中に、「大島が表現する」という要素を大きく取り上げている。ハンセン病療養所の歴史、入所者の暮らしを「表現」として、世界に発信するということだ。大島を知ってもらい、入所者と接しながら大島の表現を受けとれるような場を作らなければならない。それが、ギャラリーであり、名人講座であった。
名人講座は来年の瀬戸内国際芸術祭で実施する。今回のツーリズムは名人講座のプレイベントでもあるのだ。
説明は長くなったが、明日行うツーリズムは来年を占う重要な位置付けであることを心に留めておいていただきたい。
13:00 昼食を済まし、まずは入所者自治会に行く。施設見学を担当いただく自治会副会長の野村さんとちょうどお会いすることができた。簡単な打ち合わせをしていると、入所者の山本さんがやってくる。山本さんには陶芸を担当いただくので、下準備も含め細かく打ち合わせる。
14:00 陶芸室に向かう。必要な道具類を棚から出して来て作業机に並べる。大島土は土練機を通しただけなので、皆で手分けして土練りをしておく。本来は土練りも体験して欲しい過程だが、準備時間を短縮して制作に時間を割くことにした。
15:30 作業を終えて面会人宿泊所に戻る。写真のワークショップを担当いただく脇林さんに電話し、17:00に第三センターにあるご自宅で打ち合わせすることになる。それまでの時間を自由時間とし、私は浜辺に出て写真撮影をしようとしていたところ、青松園の職員さんに声をかけられる。事務長さんや福祉室室長さんらとでギャラリーとカフェの改装について打ち合わせたいとのこと。日が短くなった昨今、脇林さんとの約束もあるのですぐに現場検討に入る。
17:00 不自由者棟と呼ばれるセンターに行く。脇林さんのお宅にあがるのはこれで2回目。明日の写真ワークショップについて打ち合わせる。シャイな脇林さんが初対面の一般訪問者にどのようなお話をするのか、今から楽しみだ。
18:30 職員食堂に行く。食事をしながら、青松園の職員さんと大島についての意見交換をした。大島で働いている人たちが日々どのようなことを感じているのか、私は知りたかったし、その職員さんもどのような思いで働いているのかを知ってもらいたかったとおっしゃった。大島には様々な暮らしがあり、思いが折り重なり、それぞれの営みが織り込まれている場所だ。更けていく夜、じっと耳をすまし、大島の暮らしに思いを馳せる。

ギャラリー15寮の上を飛び回る鳶

ギャラリー15寮の上を飛び回る鳶