Nobuyuki Takahashi’s blog

2008年 11月のアーカイブ

シンポジウム、無事終わりました。

2008年 11月 30日

シンポジウムの準備でごたごたして、ブログどころでなかった。
11月29日(土)の昨日、「現代GPシンポジウム やさしい美術ーいのちの現場で育まれるアート・デザイン」を開催した。来場された方達から「おもしろかったよ。」「興味深かった。」「質問があるのですが…。」「予想の3.5倍ぐらい」という感想をいただいた。今はとにかく無事に終わってよかったという安堵感と、皆さんの感想を聞いて、プラスαのよろこび。何よりも、このシンポジウムをお手伝いしてくれた、学生、職員が皆力を合わせ、「おもてなし」の気持ちを隅々まで行き渡らせていたこと。これが何よりもうれしかった。だって、当日は私は打ち合わせ、リハーサルのあとは完全に皆におまかせ。おかげさまで、ひたすらゲストの皆さんをお迎えすることとディスカッションの進行、自分の行なうプレゼンテーションに集中できた。皆さんありがとう。
ゲストの方々をタクシーに乗せ、お見送りのあと、私とスタッフ伊東、二人で抱き合った。彼女にいろいろ贈りたい言葉があったけれど、結局何も言えなくて抱き合ってシンポジウム完了のよろこびを分かち合った。
もう少し時間が経った時に、再度シンポジウムの中での議論、内容について自己分析してみたい。いまはとにかく、このシンポジウムに関わったすべての皆さんに感謝。
終了後、打ち上げの宴会を学生が開いてくれた。卒業生がいっぱい来てくれた。+Gallery projectの同志たちも。
やー、ほんと、シンポジウムやってよかった。

物理的ではない「つながり」

2008年 11月 25日

12月5日(金)6日(土)と新潟県十日町に出かける予定だ。大地の芸術祭越後妻有アートトリエンナーレは来年に開催予定、やさしい美術プロジェクトは参加プロジェクトとしてすでに活動を進めている。
今日、定例ミーティングで新潟県立十日町病院と空き家活用「やさしい家」が連携していく方法について、メンバー竹中と話した。空き家と十日町病院の病室とを糸電話でつなぐ、という表層的で物理的な「つながり」を創り出すこととは少し違うのではないか、というような内容である。病院に自由に入ることが許されない芸術祭鑑賞者が、病院の空気を現実のものとして感覚的に受け取れるしくみを創ることができたらと思う。その逆も然り、病院に居ることを余儀なくされている人々が、外の光にふれ、温度をダイレクトに感じられるようなシステム。
話が少し抽象的になってしまった。この話をしながら、1つの作品を思い出した。
村岡三郎さんの作品だ。作品名は覚えていないが、人との距離、共有する時間、感覚というものについて、思いもよらない切り口で感じさせた作品だ。
その作品は広いギャラリー空間の中央に掌でにぎれる程度の円柱形の金属がしつらえてある。その金属の塊に触れるとその瞬間、強烈な印象が襲ってきた。そう、その金属塊は生暖かく、すぐに人肌を連想させた。人の体温に保たれている金属。それだけではない。なんと、作家本人である村岡さんの体温が目の前の金属塊にリアルタイムで再現されていたのである。無機質な金属塊と身体。あまりにもかけ離れた存在が体温という基準でつながりを創出している。村岡さんが今、どこで何をしているのか、わからないけれど、村岡さんの一部が私の前に在る。
なんとも不思議な体験。シンプルな構造から体験した人の数だけイメージを連想させる、すばらしい展示だった。
私がイメージしているつながりとはこのようなものだ。

落書きだらけの机

2008年 11月 23日

46歳の机と椅子

46歳の机と椅子

長男慧地は来年小学校入学。集中して大好きな絵を描いたり、大好きな恐竜の本を読む机を用意してあげなければと思い、ネットオークションで1962年製の机と椅子を購入。自宅は狭いので子どもたちの部屋はきっと用意できない。なので、机は折りたたみ可能のものを探した。移動可能な自分だけの世界。それにありがちなリサイズ可能な「勉強机」はあまりにもつまらない。そこでイギリスの学校でついこの間まで使われていた年季が入ったものを見つけて競り落とした。
慧地は大喜び。その落書きだらけの机の上で、あっという間に恐竜の絵と地球に隕石が落ちてきて爆発している絵を完成。孫の代まできっと使える。

大島 ビールとコーヒー

2008年 11月 22日

大島「あばぎ」から向こうの高松を臨む

大島「あばぎ」から向こうの高松を臨む

瀬戸内大島に行く。今回は私一人だ。発達センターちよだのワークショップ、足助の研究会とこの日はトリプルブッキング。プロジェクトルームではシンポジウム申込者の対応のためスタッフ伊東が待機してくれている。こうしてスタッフが支え合っているからこそ、私が重要な場面で外に出かけられる。感謝。
11月21日(金)7:37の新幹線で岡山まで。岡山からはマリンライナーで瀬戸内海を渡り、高松まで行く。高松に着く頃には風と雨が激しく、高松のコンビニで安物の傘を買う。
11:10発の官用船(国営)まつかぜに乗り込み、大島に向かう。うねりがあり、多少船が揺れたが、想像した以上ではなかった。
11:30大島着。青松園の管理棟に行き、事務長森さんに会いに行く。森さんの話では、なんでも2、3日前は官用船が欠航したとのこと。今日は雨も風も強かったが、船が出てくれたので助かった。事務長森さんは忙しい事務仕事の合間に入所者の皆さんに私の訪問を伝えてくださり、今日はお三方の入所者とお話ができるよう手配してくれていた。これからの出会いに心ときめく。
職員食堂に行き、串焼き定食をいただく。食べている間に雨が小降りになり、時折雲間から日がのぞく。あまりにも光がきれいなので、食後すぐに海に行き島の東側の砂浜を写真に撮りに行く。国立公園に指定されているだけに、ほとんど護岸工事の手が入っておらず、まるで時代劇の舞台のように雅で美しい。
13:00事務長森さんと自治会事務所へ。
七宝焼を趣味とするAさん、写真に没頭するBさん、陶芸では島一番のCさんにお話をうかがう。
ここではBさんを紹介したい。
初めてのごあいさつで私も緊張していたがBさんはさらに緊張されていた。ぎこちなく私からプロジェクトの活動内容や、その姿勢について話させていただいく。「大島全体が表現するプロジェクトにしたい」という意志を最初に伝えたかったし、それについての意見も率直にうかがいたかったからだ。
Bさんは現在78歳。写真は70歳を過ぎてから始めたそうだ。ワープロで文章を打ち、簡単な図柄を差し入れて、冊子を自分で編集していたBさんが、ちょっとしたきっかけでデジカメを手にした。ワープロの作業に慣れていたためかパソコンでデータを取り込むことにはさほど抵抗はなかったそうだ。Bさんはカメラを手にして一気に写真にのめり込んで行く。島の昆虫、草花、木々、青空…。なんでも撮った。ひたすら毎日朝から晩まで写真を撮り続けるBさん。ある日撮影しながらBさんは気がついたそうだ。「いのちのあるものはすべて根本が同じだ。草花は人の都合でいろいろ判断されるけれど、花、実をつけるものはすべて同じ。私は70年生きてきて今まで何を見てきたのか。」とBさんはおっしゃる。レンズを通して、Bさんは自然や世界、宇宙、そして自己と向き合うことになった。ここまで途切れがちだった会話は一気にはずむ。お話をうががいながら、Bさんの「向き合う」感覚が私の中にすっと浸透してくるのを感じた。あたたかくて大きな感じ。人生の大先輩から何かを授かる、そんな例えようのない深さー。
Bさんは朝起きるとすぐに空をみつめる。そして撮りたいという気持ちがBさんを島のどこまでも突き動かす。ハンセン病の後遺症は手足の四肢は著しく歪み末梢神経が麻痺してしまうことが知られている。手足の感覚が全く失われてしまうのだ。Bさんも例外ではない。Bさんは撮影の情熱に任せて島の山に分け入り、やぶに入り、いつの間にか感覚のない手足に怪我を負ってしまうそうだ。頻繁に怪我をしては治療に来るBさんに看護師さんたちは気が気でないという。Bさんは「怪我はね、私の勲章なんです。写真の撮影は誰も止められませんよ。」と笑う。
Bさんは続ける。「私が撮った写真が良いのか悪いのか、判断できないし、批評もできない。写真はとにかくそこにあるんですよ。撮っているその瞬間(とき)に見えたことがすべて。撮れた写真がどうのこうのというのは私にはあまり重要ではないんです。」
私は感動に包まれていた。78歳のBさんはこうも純粋にそして新鮮に、向き合い、発見しながら、ドキドキしながら毎日を過している。私の前にいるのは少年の心を持ったBさんだ。Bさんは最後におっしゃった。「大島以外のところには行かない。写真も撮らない。ここでずっと写真を撮り続けます。すべてここに撮るべきものはありますから。」
Bさんと再会を約束する。次にまた、いっぱいお話をしたいー。
この日、大島会館に金曜日の午後だけ開く、カフェに行く。いよいよカフェデビューだ。自治会長さん、副会長さんら数名の入所者の皆さんが談笑している。入ってきた私を皆さんは自然に迎えてくれる。席に着くと、職員さんが「まず一杯いかがですか。」とビールを勧めてくれる。なんと、このカフェではコーヒーとビールが一緒に出てくるのだ。他の皆さんもテーブルにはビールとコーヒー。ありがたくいただく。ーうまいっー。しばし和やかな時間が流れる。
16:00あっという間に帰る時間だ。今回、創作活動をしている入所者の皆さんのインタビューを通して、ほんの少し大島のことが近くなった気がした。そして皆さんのお話をうかがいながら、自分の過している毎日を皆さんのように丁寧に生きて行こうと思った。
「みなさん、また来ます。」

スーツ

2008年 11月 19日

私の愛用している靴

私の愛用している靴

いつもは革ジャンにジーンズ、シルバーアクセサリーじゃらじゃら。ちなみに奥さんが彫金師なので。
その私がこの二日間、めずらしくスーツで出勤している。私が運営しているアートプロデュースコースの学生によるプレゼンテーションがあるからだ。気持ちが入ったプレゼンテーションを受けるには、私も普段着ではない、気を引き締めたいという気持ちからだ。これまでは兄のスーツをリサイズして着回していたが、一昨年初めてスーツを購入した。自分の体にあったスーツを着るということが少しわかった気がした。気が引き締まって自然と背筋が伸びるのだ。
きっかけはやさしい美術プロジェクトが文部科学省の現代GP(現代的教育ニーズ取組支援プログラム)の一次選考を通り、面接を受ける時だ。「きちんとネクタイしめて行こう」と思い立った。新しいスーツに身を包み、文部科学省の職員と有識者10名ほどの人たちの前で口頭で10分間のプレゼンテーションを行なった。緊張はしていたが、うまくいくという確信だけはあった。10分の時間制限で「おわりです」と言われると同時に私のプレゼンテーションは終了。このときから、スーツってしゃきっと自分を奮い立たせるすてきな道具、と思うようになった。
この時から私はスーツを着るのが嫌ではなくなった。もちろん、そう着る機会はないけれど。
学生たちのプレゼンテーションは清々しく、前向きで気持ちのよいものだった。白ぬりのゴシックの出で立ちのプレゼンターもいたし。(笑)かっこよかったぜ、みんな。

シンポジウム打ち合わせ

2008年 11月 17日

シンポジウム参加申込みは今週金曜日21日が締め切り。
17:30〜シンポジウムスタッフ事前説明会開催。シンポジウムのスタッフをつとめる職員、現代GPスタッフ、学生スタッフ19名が集まり、シンポジウムの進行の確認と、役割分担を詳細に説明。全体を全員で確認しながら、各々の役割を自覚する。約2年間準備してきたシンポジウム。進行表、役割分担表、配置図すべて、スタッフ伊東が準備している。頼もしい限りだ。
いよいよそのシンポジウムの開催が近づいてきた。
まだ、参加申込みをしていない方はお早めに!

天井

2008年 11月 14日

私たち人間は普段二足歩行で地面から直立して生活している。建築は重力の向きとは真逆に垂直に立っている。多くの建物の窓枠は垂直と水平の組み合わせで、絵画の基本形もそれにならう。人間社会はこれが基準である。垂直と水平の連続なのだ。まるでモンドリアンの抽象絵画のように。
病気になったり、怪我をする、障害を持っているなどから、人はまっすぐに立っていられなる。垂直水平のロジックがとたんにがらがらと崩れていく。
私は以前、よくキャンプに出かけた。キャンプ場などの整備された施設にテントを張らないのが私のポリシー。なぜなら、整備されていない場所でテントを張る場所を見つけることにたくさんの発見があるからだ。
まずもって森林のような人の手がほとんど入っていないような場所では水平の場所は皆無だ。なんとか横になって寝られるスペースを見つけなければならない。もう1つのポイントは水である。雨が降ってきた時に水は何処を流れるか。当然水は高いところから低いところを流れる。周囲の一番低い窪みではまずい。とはいっても理想的な場所はそうは見つからないので、工夫もする。テントの周りに溝を切り、雨が降った時にテントの中に水が入らないようにする。水平に整地されて側溝が整備されているキャンプ場では、このおもしろさは結して味わえないのだ。
話を戻そう。私たちは確かに直立した存在である。それは人間が人間たる証であることは間違いない。しかし、人は病気にもなるし、怪我もする。横になることもあるし、何かに寄りかかっていることだってある。人はいつかは死を迎える。直立不動で死ぬ奴なんかいない。まっすぐに立っていることと同じように「横になる視点」があるはずなのに、どうしてここまで排除してきてしまったのだろう。ふと周辺を見渡すと、垂直水平の力学のみが感覚に飛び込んでくる。
足助病院で知り合った若手のアーティスト河合正嗣さんは先天性の病気である筋ジストロフィーを患い、ほとんど動かない手で鉛筆を走らせ、笑顔の肖像画を描き続けている。彼は普段、大半の時間をベッドに横になって過している。絵を描く時だけは垂直に立てた椅子に体を縛り付け作業にとりかかる。河合正嗣さんとお話ししていた時に、彼は「一日のほとんどを天井を見て過している。とても重要なことだけれど、まったく配慮されていない」という話をした。それまでぼんやりと考えてきた、新しい課題が確実のものになった瞬間だった。「天井をなんとかしよう」
病院には垂直水平も必要だが、円形、放射状、曲線の連続がより必要とされる場所だ。病院の中ではまっすぐに立っていられない人のほうがずっと多いのだ。そして垂直に立つ壁と同等に天井を考えるべきである。今年は小牧市民病院でこの「天井」という課題に挑んでいるところだ。

瀬戸内国際芸術祭 参加します

2008年 11月 13日

今日は早く帰宅して家族でケーキを食べる

今日は早く帰宅して家族でケーキを食べる

11月11日に香川県で瀬戸内国際芸術祭実行委員会の総会が開かれたということです。やさしい美術プロジェクトは大島にて取組むことが決定しました。
詳しくは下記webサイトをご覧ください。

http://setouchi-artfest.jp/

話は飛ぶが、今日は娘 美朝(みさ)の2歳の誕生日。彼女が生まれた時、分娩室に差してきた朝の光を、私は一生忘れない。

山川冬樹さん

2008年 11月 12日

愛用しているベトナムの口琴

愛用しているベトナムの口琴

今日は私の運営するアートプロデュースコースに特別講師として山川冬樹さんを招いた。
山川さんはホーメイ(トゥバ共和国の倍音歌唱法)を駆使したライブパフォーマンスなどで今、最も注目されるアーティストの1人である。ホーメイが彼を比類ないアーティストにしていることは確かだが、ホーメイだけで彼を語るのは充分ではない。心臓の鼓動を呼吸で意のままに操り、意識と無意識の間を行き来する姿は現代のシャーマンである。しかも、それらのパフォーマンスにはコンピュータなどのテクノロジーが無理なく組み込まれている。現代と伝統を往来するアーティストでもある。
私が初めて彼のパフォーマンスを観たのは4年前六本木のスーパーデラックスでのこと。まるで山川冬樹の内臓の触手が彼の身体から放射されて浴びているような感覚だった。ロックなテイストも私の好みだった。ジミ・ヘンドリックスのようなかっこよさ。「なんなんだ、こいつは」というのが私のファーストインプレッションだった。
もう1つ私がその時強く感じたことがある。それは浮ついていない、確かな手応えのようなもの。彼から発散されている情念の背景にある「業(ごう)」を感じたのかもしれない。
山川さん本人がそのように説明したことはないが、彼の亡くなられたお父上の存在が表現の根幹の大きな部分を形成していると私は思う。公共のメディアで声を乗せる仕事をされていた彼のお父さんは食道がんを患い、声を失った。声を発する、声を伝えることをかたちは異なるが、山川さんが独自に開拓した方法で再現しているように思う。
山川冬樹さんのアートのジャンルは1つでは捉えにくい。巷のアーティストがジャンルを土俵にいかにブレイクスルーしていくかしのぎを削っているのに対し、山川冬樹のそれは誰も立っていない地平からすくっと立っている。その凛々しさが私はかっこいいと思う。参加した学生は、授業終了の頃には「山川冬樹ファン」になっていた。そりゃそうだわ。

尿

2008年 11月 11日

尿を飲み続ける

尿を飲み続ける

息子がDVDを観ている。恐竜ブームが1年以上続いている息子が観ているのはジェラシックパーク3。私が通りがかりに観たシーンは登場人物であるこどもが恐竜の棲む島に2ヶ月潜伏できたのは、ティラノサウルスの尿をビンに入れて持ち歩いているからだった、という場面。
尿。おしっこのことである。
死に行く人は、意識が混濁し、次第に意識がなくなる。尿が黒くなる。そのうちにまっくろな尿になる。尿がとうとう出なくなる。尿が出なくなるのは、サインである。胸で深く強く呼吸する。生き物のさだめ、細胞の隅々まで、まだまだ生きようとする。最期の一息は深く静かだ。息とともに時間も止まるかのように。
「尿を飲め。」全身を駆け巡る液体のネットワークである身体のつながりに尿はある。「尿を飲め。」それは循環の末端が終わらないことの証明。理解できないならば、まるごと飲み込むしかない。親の遺骨を食べる人がいる。私にはその感覚がよくわかる。
尿は不思議だ。聖と俗の両方が宿っている存在と言おうか。現代美術作家のアンドレ・セラノは「Pis christ」という作品で、何ガロンもためた自分の尿にキリスト像を浸し、写真に撮った。金色に輝くキリストの美しさにみとれたのを覚えている。
錬金術師のヘニング・ブラントは人の尿が銀を金に変える力があると信じて使用していたという。尿の呪術的な力が失われていない時代に、錬金術から科学になる過渡に不思議なつなぎの役割を果たしていたことになる。
尿を単なる「おしっこ」という記号にしてしまった現代。記号でないことが、飲めばわかる。