Nobuyuki Takahashi’s blog

2008年 9月のアーカイブ

小牧市民病院 進化中

2008年 9月 30日

森をつくるおりがみmorigami(もりがみ)/井藤由紀子

森をつくるおりがみmorigami(もりがみ)/井藤由紀子

17:30〜小牧市民病院にて研究会。今年度は小児科病棟および小児科外来との協働で環境整備に取組んでいる。例年は院内全体が取組みの対象となっており、私たちからの提案を病院内に設置している検討委員会(医師、看護師ら10名ほどで構成)が窓口となって検討し、実施してきた。小牧市民病院は500床を越える大病院なのでひとつひとつの作品プランを広大な院内に配置していくために委員会のみで検討するのは困難を極めた。困難ではあるが、たくさんの意見を交わし、一緒に悩み、問題を解決していきながらプロジェクトと病院との信頼関係は強固なものとなった。通るべきプロセスだったのだ。
研究会の準備をしていたら、昨年までの委員会のメンバーだった看護師さんが通りがかり、しばし立ち話。久しぶりに会う友人のように接してくれるのがとてもうれしい。
研究会には小児科病棟の4人の看護師さんと外来の看護師さん1人、事務担当者が参加。私たちが準備した資料をもとに意見交換を行う。病棟にはモビール、外来には手作り絵本を提供する予定である。
とにかく小児科病棟の看護師さんは明るい。こうした朗らかな人たちだからこそ、こどもたちは安心して身をあずけられるのだろう。笑顔がまぶしい人たちばかり。時間があったらスケッチしたいぐらい。
昨年の検討委員会体制は様々な部署の代表者が集まって構成されていた。今日のように研究会で集まっても和やかな空気は全くない。それほど病院職員の皆さんは医療に真剣に従事されているというのを強く実感したものだ。今年度はしぼられたテーマ、決められた部署との連携となるので、研究会に集まる看護師さんたちも気心知れた間柄。意見の吸い上げもばっちりだ。
小牧市民病院の取組みは日々進化している。今年度取組んでいる手法は他の病院にも通用する汎用性を含み持っている。作品が実現に近づいたら詳しく報告する。
研究会が始まる前、スタッフの泉と2階病棟をつなぐ渡り廊下に展示中の森をつくるおりがみmorigami(もりがみ)の様子を見に行く。一度満杯になってしまった、山状のひな壇を整えて、新たにmorigamiを植えられるようにしつらえたのが一月前。なんともうすでに山は森で満ちていた。木々にはメッセージが書かれているものもある。きっと患者さんがふるえる手で書いたのだろう、「一生笑顔」という書き込みがじんと響いてきた。

ゴッドハンド

2008年 9月 28日

水玉の風景/高橋伸行

水玉の風景/高橋伸行

たくさんの展覧会が行われるこの季節。こなさなければならない仕事などで、とてもすべてを観ることができない。展示を観てそこで考えること、感じることは自分自身の制作を問い直す機会となる。もっと時間が欲しい。
夕方、私が勤める名古屋造形大学の学長、高北幸矢さんの展覧会を観に車を走らせる。碧南市の哲学たいけん村無我苑全館に渡って作品がインスタレーションされている。コンクリート打ちっぱなしの建築に高北さんの花のポスター、シルクスクリーンが映える。
帰り道にオレンジ色のコスモスが咲いているのを見つけた。愛機のシャッターを切る。
車を一路名古屋へ。途中に知多方面を通る。私の息子と娘が産まれた助産院を思い出す。(9月14日胎盤を食す 参照)助産婦の山口さんはゴッドハンドの持ち主。息子の時は前置胎盤でしかも逆子だと言われ、病院で帝王切開しかないと思っていたが、なんと、山口さんは私の妻のおなかをぐいぐい押して逆子を直してしまった。娘のときも同様に逆子。何度直してもひっくりがえる。十回目ほどだったか、やっと逆子が直る。二人とも自然分娩だったが、山口さんがいなければ、とてもかなわなかった。
自宅に帰り、家族をぎゅっと抱きしめる。

流れ

2008年 9月 27日

美しい生活展でのインスタレーション/高橋伸行

美しい生活展でのインスタレーション/高橋伸行

自宅近くに天白川が流れている。私は時々その流れを見に行く。
「川の流れ」について考えをめぐらすと脳内がなんとなく整理されてくる気がする。一時期を過ごした小原村のスタジオチキンハウスの傍らにも小さな沢があった。そこに住む間、流れの響きは途切れることがなかった。今思えばすばらしい経験だ。
川の流れには川の流れを「決定づける」ものと、自ら「流れる」水がある。私たちはその流れのほんの一瞬に立ち会っているに過ぎない。とめどない流れを注視すると、目の前を通り過ぎていく物質とは対照的に流れは一定のフォルムを保っている。それはまるで「このように流れたい」という意志の現れのように感じられる。すこしその流れから距離をとって再び流れを視てみよう。流れを決定づけるものが視界に入ってくる。川床の小石、岩にはり付く藻、長い時間をかけて溜まった洲…。流れはそれらのすべてを嘗めながらたおやかな変化を現している。
人の生活空間とはこの流れを決定づけるものと流れることとの関わりで成り立っているのではないか。建物の中には予期しないくぼみや役目のはっきりしない「間(ま)」がある。時にはそこに住まう者が手を加えた痕跡もある。人の空間体験はそうした間のすべてに行き渡り、自ら流れようとする意識がはたらく。
私たちの病院での試みは既設の建物に関わるものだった。すでにある流れを決定づける場にアーティストやデザイナーという流れを注ぎ込むようなものだ。繰り返す搬入、搬出によって私たちの意識は水のようにどのような隙間も見逃さないほど研ぎすまされてきたと思う。
私たちが新しく設計し、建てられる病院と関わるとしたら、流れを決定づけるものと流れの双方を有機的に創出していく視点が求められていくことだろう。人の意識の流れがよどみなく流れ、リズムを与えるような「間」が存在する空間。その準備はすでに始まっている。

メーターを振り切れ!

2008年 9月 24日

voice of things/カナダ、トロント マーサーユニオンでのインスタレーション 部分/高橋伸行

voice of things/カナダ、トロント マーサーユニオンでのインスタレーション 部分/高橋伸行

何事も手前で終わるより振り切った方がいい。
ぶち超えるぐらいでちょうどいい。
振り切るためには
一線を越える勇気が必要だ。
勇気を振り絞るためには自信が必要だ。
振り切った後には何もない、という覚悟が必要だ。
よく考えることも必要。
でももっと大切なのは実行すること。
その先は
やってみて初めて見えてくる。
メーターを振り切るんだ!

稲刈り+12時間耐久マニアック

2008年 9月 22日

「イナゴハビタンボ」/塩澤宏信氏作と稲

9月20日(土)9:00に春日井駅に集合。プロジェクトメンバー、スタッフ、卒業生を含む総勢7名で妻有(新潟県十日町市)へ。流動的だった、稲刈りの日取りの連絡が来たのは出発ほんの数日前。急ではあったが行ける人で妻有に出かけ、稲刈りをお手伝いすることにしたのだ。就職して仕事をしている卒業生の福井も参加。彼女は前回のトリエンナーレで「みぢかな絵画」と題して病院職員手作りの絵はがきを患者さんに渡す企画を実施した。やさしい美術のワークショップの出発点を築いたのはこの絵はがき制作ワークショップである。
春日井から名神高速、小牧のジャンクションから中央道へ、長野道、上信越道を抜け、休憩をしながらでも6時間たっぷりかかる行程だ。昨日の足助に続きマニアックしりとりで道中盛り上がる。
15:00 妻有入りすぐに松代農舞台に向かう。10月からお借りする空家(樋口家)を見学させてもらうため、鍵を借りた。
16:00 空家(樋口家)に到着。隅々まで見学する。スタッフ赤塚と「茶会」実施のシュミレーションをしたり、展示方法などを検討する。玄関から西日が差し込んでくる。家屋内にとろけるような美しい光が充満する。この空家の持っている魅力の一つを発見できたことがうれしい。
空家見学ののち、鍵を農舞台に返し、温泉「雲海の湯」に行き、疲れをとる。
19:00 三省小学校(廃校を利用した宿泊施設)に到着。早速食事にする。米の香しさを堪能する。食後全員で談笑。米どころにせっかく来たので飲める人のみ日本酒をたしなむ。ちょうど食堂で居合わせた農舞台支配人の関口さんに舞踏家で有名な森繁哉さん、江戸あやつり人形結城座の結城育子さんを紹介される。妻有になぜこれほどまでに若者たちが引き寄せられるのか。それは、若い世代にとって、人と人が関わるという実体験の喪失感とコミュニケーションへの乾きではないか。妻有に来て、地域と関わり、作品制作や制作のサポートを通して、人から必要とされることのよろこび、かけがえのない自分に出会えるのではないか。そんな話を森さんと結城さんと話する。結城さんはあやつり人形の世界に飛び込んできた若手を仕込むために強くしかることがあるそうだ。しかられたことに対してうれしさを伝える若者も少なくないと言う。本気でしかる大人が周りにいないのだろう、現代の風潮を感じるエピソードだ。
翌日21日(日) 私は5:00に起床。雨が断続的に降る。雨が小降りになったのを見計らってカメラを持って撮影に出かける。集落の家々には草花が咲く。雨を受けてしなだれながらも瑞々しい美しさを放っている。その感覚をフィルムに焼き付けたい。
朝食後9:00に三省小学校を出発。雨の中の稲刈りになるので雨合羽を購入する。
10:00 稲刈りをする松代の田んぼに着く。この日、トリエンナーレ参加作家の塩澤宏信さんの作品「イナゴハビタンボ」周辺の稲を刈るお手伝いをすることになっている。塩澤さんは一足先に現地に着いていた。簡単な自己紹介をして準備を始める。そこへ地元の協力者シュウイチさんが軽トラで登場。とっても笑顔がすてき。稲の刈り方、束ね方を丁寧に教えていただいた。学びの場は学校だけではない。学ぶべきことを学ぶべき人から現場で学ぶ。これほど豊かな教育の場は考えられない。
昼までメンバー全員もくもくと作業する。激しく降る雨のため稲がいろんな方向に倒れているので刈り取る作業もいつもより手間取ったようだ。作品「イナゴハビタンボ」の田んぼの隣はそば屋なので、昼食はそこでそばを賞味する。秋の山菜盛りだくさんの天ぷらが美味しかった。
午後は刈り取って束ねた稲を稲架にかけていく。雨を吸っているからか、思いのほか稲は重い。この重さは米の重さ、大地と日の恵みの重さ。
15:00 作業終了。塩澤さん、シュウイチさんに再会を約束して帰路へ。
雨の中での労働、汗を流したこともあり、十日町駅近くの交流館「キナーレ」に寄り、温泉につかる。
各々土産を買ったり、キナーレをめぐる。キナーレの中庭でまどろんでいると、スタッフの赤塚と泉が私を呼ぶ。なんと、二人の横には空家(樋口家)の家主さん樋口さんがいるではないか!樋口さんにお会いしているのは私だけ。それなのに何故??
3人の話を聞いてみると、たまたま通りがかった赤塚と泉を樋口さんが呼び止めたそうだ。赤塚のあまりにも突飛なカバンが目にとまったらしい。「何しにきたの」という樋口さんに訊ねられてプロジェクトの話をしたら、空家プロジェクトの件がつながったわけだ。こんなことあるんだね。世界は広いのか狭いのか。うん、やっぱり狭いかも。
「樋口さん、お世話になります。これからもよろしくお願いします。」とご挨拶して一路名古屋へ。
帰り道、ふたたびマニアックしりとり。前日と合わせてなんと12時間耐久しりとりである。今回の妻有行きのもうひとつの収穫。

プレゼンテーション

2008年 9月 19日

台風の影響で大雨が心配される中、総勢8名でレンタカーを走らせ、足助病院に行く。今日は今年度新しく考案した作品プランを提案する最初の研究会だ。先月に行う予定だった研究会、延期後にメンバーはプランをしっかりと練り直したので、車中も余裕が感じられる。例によって「マニアックしりとり」で道中盛り上がりながら、足助へ。
予定より少し早く現地に着いたので、作品のメンテナンスやキャプションの修繕などを行う。
14:30 研究会を始める。病院からは看護師、作業療法士、設備担当者など10名ほどが参加いただいた。今回は作品プラン、企画提案などてんこもりなので、リーダー補佐の天野がさくさくと司会進行する。今回は今年度新しくプロジェクトに参入した古川と工藤が初めて病院サイドに作品プランを発表する。二人とも緊張は隠せないが、むしろ誠実さが伝わり、病院サイドに好印象を与えている。事前に学内でプレゼンテーションのリハーサルを行っているので、度胸もついている。加えて、ベテランメンバーの発表や補足発言で助けられ、晴れ晴れしいプレゼンテーションデビューとなった。
病院内行事のプロデュース、えんがわ画廊のプロデュースなど、作り手自身の作品のみでなく、時には患者さんの表現を引き出すような試み、参加型の作品の提案が目立った。そのなかで、竹中は現場をもとに制作した映像コンテンツを適所に展示するプランを発表し、今後の試作検討、展示場所の検討につないだ。
研究会後に各部署の職員さん、看護師さんに詳細にわたるアドバイスをいただき、必要に応じて現場に連れて行ってもらい、採寸や打ち合わせを行う。病院職員さんは作者本人の提案とは別の場所を見つけてくれたり、毎日を過ごす患者さんからの視点を可能な限り伝えてくれている。こうした相互にかかわり合うエネルギーは分野を越えて手と手をとりあい、新しい可能性を導き出してくれる。そんな錬金術がこれまでに何度も起きた。そしてこれからもそれは確実に起きる。

ミーティング

2008年 9月 19日

後期授業が再開される今日、午前中はガイダンス準備に追われる。昼休みにはリーダーがプロジェクトルームで打ち合わせをする。今日は夕方にミーティングを行うため、検討事項、報告事項を確認する作業だ。スタッフとも情報の共有をはかり、この一週間の予定から長期的な予定までを擦り合わる。この9月から10月の予定は過密だ。毎週のように病院での研究会、フィールドワーク、稲刈り、ワークショップを開催する予定である。これに本学の学事(入試、芸術祭、研修旅行、教授会などの会議)が加わると、いかに隙間のないスケジュールかがよくわかる。
このような時期は病院との調整は困難を極める。病院は日々の医療業務があり、そのサイクルでスケジュールが組まれている。あたりまえのことだが、私たちの都合で病院内のスケジュールを崩す訳には行かない。研究会の日程調整では病院の事務職の方たちが動かせない予定の中、最大限私たちの活動に配慮していただいている。これに甘えることなく、如何にしてお互いがタイミングよく接することができるかは運営の手腕が問われる。
9月19日明日は、足助病院で研究会を開催する。8月に予定していた研究会はゲリラ豪雨で中止となったため、その間作品プランを発表するメンバーは少しずつ企画書や試作品の修正を重ねてきた。今回初めて病院に作品プランをプレゼンテーションする者もいる。荒削りではあるが、プランには意気込みが感じられ、今自分の持てる力を精一杯企画書に吹き込んでいるのが伝わってくる。この勢いが次の流れをつくる。明日の病院スタッフの皆さんの反応がとてもたのしみである。

馬場駿吉先生

2008年 9月 17日

明日から後期の授業が再開。午前中は100円ショップとホームセンターを廻り、授業に使う素材や道具類を買い集める。業者に頼むよりも断然安いし、低学年の学生は道具の扱いに慣れておらず、まずは安い道具から使わせることにしている。
午後、金山にあるボストン美術館へ。馬場駿吉館長にやさしい美術プロジェクトの評価委員会に入ってもらうようお願いするためだ。「評価委員会」とは、やさしい美術プロジェクトの活動を多層的に捉え、かつ段階的に学生の取組を評価していくために設置している。プロジェクト活動は通常の学内の授業とは異なり、学生の取組み方は様々だ。個人として制作する作品や、院内の特定のテーマや場所に応えていくワーキングチームによる取組、活動の運営を担う仕事などである。常に人々の身体と生命に向き合う医療の現場から取り出される課題は誰かに与えられるものではない。与えられた一つの課題に向き合うということは皆無だ。そうした学生各々の取組を評価するためには学生とともに現場に行き、学生とともに模索し、学生とともに制作する姿勢が不可欠となる。また、それぞれの取組をつぶさに見ていくために、学内外の有識者を招き、多様な専門領域から丁寧に批評、評価に努めなければならない。「評価委員会」は学内に設置したプロジェクト教育研究委員会がコーディネートし、年度末に開催する活動報告会に出席していただき、学生の取組のプレゼンテーションを採点・文章批評をいただく。
ボストン美術館ではモネ展と駒井哲郎展が行われていた。馬場先生にお会いする前に展覧会を観る。モネの作品は幾度となく拝見している。作品鑑賞とはおもしろいものだ。自分の鑑賞体験は常に更新されているので、全く同じ作品を観てもその都度感じること考えることが微妙に違ってくる。
モネの筆致は思いのほか大胆である。でも絵の具の物質感が画面から飛び出してくることはない。筆触のアグレッシブさとは対照的にむしろしっとりと落ち着いた趣だ。今回発見だったのはモネの作品から空気の温度や湿度、例えようのない舌触りのようなものがにおいたち、私の中に入ってきたところだ。しかもその感覚が以前鑑賞したときよりもより鮮明に感じられたのだ。
併設の駒井哲郎展も観る。展示室に入って驚いたのだが、駒井氏の版画作品すべてが馬場駿吉館長のコレクションである。そのコレクションを当美術館学芸員に委ねて企画された展覧会であった。俳人としても著名な馬場先生と駒井氏の交流は深く、単なるコレクターと作家という関係では決してない。馬場先生の詠んだ俳句と駒井氏の版画が交互に展示されていると、まるでお二人が会話しているかのようだった。モネ展、駒井哲郎展とも新鮮な風に触れたような清々しい気持ちになる。
約束の時間。美術館入り口で馬場駿吉館長を待つ。ふんわりとやさしい笑顔の先生。学芸室の一室に通していただく。
活動の経緯、評価委員会の役割、現代GPについてなどを説明する。馬場先生は名市大の耳鼻咽喉科の医師でもあったので、やさしい美術の活動の根幹をよく見抜いていらっしゃる。快く評価委員参加を引き受けていただいた。馬場先生とその他の評価委員のするどい目にさらされ、プロジェクト活動の次なる可能性につないでゆきたい。

胎盤を食す

2008年 9月 14日

美朝(長女)誕生/慧地も出産に立ち会う

2006年11月 美朝(長女)誕生/慧地も出産に立ち会う

ちょうど、足助病院に企画書を提出し、やさしい美術を立ち上げた2002年の5月。長男慧地が生まれた。私たち夫婦のかってからの希望で、出産は知多にある助産院にお願いした。私が小原村に住んでいた頃の友人たちが皆そこでお世話になっていたのだ。
ほとんどの場合、特に初産は病院での出産が普通の時代だ。妊娠がわかり、出産予定日が決定すると、出産日が遅れることはめったにない。つまり、その予定日までに陣痛が来なければ、医療的な方法で出産が促される。
私たちの場合は予定日から一週間遅れた段階で助産婦さんに「うちでは無理だから病院で産んできなさい」とさじを投げられ、病院にかけこんだ。出産が遅れると、羊水が少なくなってきて、胎児への影響も心配される。検査をしてもらったところ、羊水は心配されるほどではないということがわかった。病院の医師からは「ここで産むならば、陣痛促進剤で、すぐにでも産んでもらいます。」といわれ、ふたりで顔を見合わせた。私たちの決心はかたかった。私たちは病院を出たその足でお世話になっていた助産婦さんにもう一度会いに行き、「お願いだからここで産ませて欲しい。」と懇願した。もう土下座する勢いである。根負けした助産婦さんの示したリミットは2週間まで。それ以降まで遅れるならばしかるべき方法で病院で産むことを条件に私たちは陣痛が来るのを待ち続けた。待つだけではない。毎日とにかく歩きに歩いた。朝出勤前に二人で1時間ほど歩き、妻は私が仕事に出ている間にお昼に歩き、夕方に歩き、夜に二人で歩く。あれだけ大きなおなかで彼女は行者のようにひたすら歩いた。自然な分娩に不可欠な体力をつけ、産道を整え、陣痛を促す手段は他に選択肢はない。そして2週間目のその日。
夜に仕事から帰ると、妻は痛みで歪む表情でおなかの張りが、30分毎、20分毎と規則的になってきたという。「陣痛だ!」助産婦さんに連絡をして、助産院のある知多へ車を走らせる。彼女は押し寄せては返す陣痛に耐えている。でも、道中は何とも言えない高揚感に包まれていた。普段はロックを聞くふたり。でもその時は忘れもしない、カーステレオでかかっていたのはスティービーワンダーのCD。
その日は夜中で陣痛がおさまってしまう。朝になり、呆然としていると助産婦さんが来て「今日は大潮だからね、夕方には産まれるよ。」と言われた。その言葉を信じて今度は助産院の階段をひたすら上り下りする。正直私は途中でリタイヤしてしまった。そのあともびっくりするほど前に突き出たおなかで彼女は歩き続けた。夕方、再び陣痛が始まる。私には何もできない…。ただそばにいて体をさすったり、支えてあげることぐらいしかできない。
いつまで続くか判らない痛みに耐え、彼女はいきむ。
頭が出てきて、助産婦さんが赤ちゃんの肩をすっと抜き出すとあとは一気に「彼」はこの世に現れた。へその緒がつながったまま彼はたった今出会った母に抱かれる。

出産の様子はもう一人の助産婦さんが私が持参したビデオカメラで撮ってくれた。カメラを持ってきたとはいえ、産む当人でない私でさえ、撮影する余裕は全くなかった。その後、私はへその緒をはさみで切った。その間ビデオカメラの音声は私の嗚咽をみごとに記録している。
あの時、確かに世界は裏返った。次元のある一点からぐりんとめくれ上がり再び閉じたような感覚。うまく表現できないけれど、このような体験は一生のうちで一度あるかないかのものに違いない。
我妻、我が子を抱きかかえ分娩室から和室に移ると、助産婦さんが私を呼ぶ。ボウルには半透明の”広がり”が浮かんでいる、胎盤だ。助産婦さんは無造作にそれをちぎり、私の口に運んだ。
理解するとか、わかるということではない、全身の細胞が感動でうちふるえる感じだ。
慧地君、僕たちのところに産まれてきてくれてありがとう。
まなちゃん、命がけで産んでくれてありがとう。
かあさん、僕を産んでくれてありがとう。

想像力

2008年 9月 12日

衣服彫刻/adidas/高橋伸行

衣服彫刻/adidas/高橋伸行

「感覚は共鳴する。」証明する方法は誰も持っていないが。
共鳴の実例をあげるならば、それは2つの音叉の一方が振動することでもう一方が振動の刺激を受けて振幅が大きくなる現象のことである。私を捉えて放さないのは、見たところつながりのない2つのものが次元の異なる現象によって共に打ち震えるというシンプルな構造である。それは私たちの身体(それは見かけのヒトガタという意味において)は個別でありながら、共鳴する感覚を持ち合わせているのと似ている。こうした前提は共同幻想を育て、暴走し、時には敵対するもの(共鳴しないもの)に攻撃を加えたという歴史もある。とても恐ろしいことだ。
美術の表現は基本的に個から発せられるものだ。個の表現という地平があるからこそ、個が何処に連なるものかという視点を持つことができる。孤独な営みが共鳴の波紋を拡げるのである。
想像力のトレーニングが必要だ。現代において「痛い」と感じる人に「痛み」を感じる想像力は、自然と培われるものではなくなってきているように思う。何故だろうか。これからじっくりと見てゆかなければならない。
さて、次へのステップは想像することのできた感覚をしかと受け止めてゆくこと。そしてその感覚に自ら押し潰されないようにすること。