Nobuyuki Takahashi’s blog

2010年 7月のアーカイブ

納涼祭の時はどうするか

2010年 7月 29日

9:30NHK新日曜美術館ディレクターが取材に来る。研磨作業、協力を募る様子を撮影。日向での研磨作業はなかなか重労働だ。
14:30検討会。8月4日の納涼祭で、芸術祭来場者と納涼祭のお客さんをどう分けてご案内するか、議論する。13:00までを瀬戸内国際芸術祭来場者としてお迎えし、午後の船は納涼祭のお客さんとしてお迎えする仕切りで決定。その他開催後の諸問題について話し合う。来場者の混乱はそのままインフォメーションにつく現場の担当者にストレスを与える。効果的な対応策はやはり人から人へ伝える周知徹底。そして表示や書面での周知。どれも難しい。福祉室副室長から「小えびの養成、ガイドの充実のための協力を惜しまない」というありがたい言葉があった。副園長も「病理的な知識はレクチャーしますよ。」と後押し。
17:00入所者森川さん宅を訪れる。森川さんは大島に実在した幻の歌舞伎座の女形役者。当時の活気を古い写真を見せてもらいながらお話を聞く。昭和34年の公演を最後に芝居に関わる衣装類や大道具小道具はすべて海に廃棄されて遺失。何とも残念だ。かろうじて森川さんの手元に遺っている当時の古い写真、演幕の記録(ノート)を預かる。大島が育んだ文化。島にルーツはなく、一代限りの人々が暮らす、大島には人々が生き抜くために文化が確かにあったのだ。

磨く ひたすら

2010年 7月 27日

7:00名古屋発 12:20高松着
エースワンで食材を買う。玄米パン、ドーナツ購入。
13:55高松発 14:15大島着
官用船で安長さんと談笑。
シヨルに荷物を預け、お客さんのガイドツアーの様子を視察。
厚生会館で概要説明ののち希望者(ほぼ全員、自由解散)を案内。
16:15カフェスタッフの井木が一時帰宅、先に大島入りしていたスタッフ川島と高橋が大島に残る。
GALLERY15の次回の展示準備。日が暮れるまで研磨作業。以前大島で使われていた井戸のポンプを部分的に鏡面になるまで磨いていく。磨く作業は時間の積層を剥いでいく仕事。その向こう側を「観る」ために苦行に近い作業を強いられる。
川島は今回カフェのサポートで入ってくれている。井木、泉の指示に沿ってカフェの掃除および仕込み作業をする。
夜は私の手料理。おいしい美術復活。

もろもろのこと

2010年 7月 26日

今日は中部電力「デザインの間」ディスプレイプロジェクトの搬入だ。
2トントラックを走らせ、作品を運ぶ。
昨年の12月に計画を立て、2月にプレゼンテーション、4月に再度プレゼンテーション。その後ばりばり作業を進めてなんとか搬入に漕ぎ着けた。
1775 BOTTOMSと名付けられたディスプレイは廃品のペットボトル1775個を石膏で型取りし、それらを素材として白い壁面を装飾するディスプレイを制作した。思えば、授業時間帯ばかりでなく、冬休み、春休みも休まずミーティングを重ね、制作も休日、土日も厭わず作業を続けた。中心メンバーである4人の学生は清々しい表情で完成したディスプレイを前に記念撮影していた。レンタカーを返しがてら、疲れていたけれど、学生と話した時間が心地よかった。

「やっと、大学らしい制作ができた。」今回のディスプレイプロジェクトに参加している4年次学生がふと口にした言葉が私の気持ちを晴れやかにした。苦労して自分で編み出し、自分で切り開いた道は何よりも輝いていて、忘れることはない。今回は私は手を出さないようにしてできる限り学生の可能性を信じて出てきたフレッシュな感覚や、野方図なエネルギーを極力活かすことにしたた。そう、この「教えない」ということの難しさを今回も痛感する。

昨日、小牧市民病院の病棟デイルームのモビール作品を元スタッフである井口さんにお願いすることができた。彼女は大島でオープンしたカフェ・シヨルのメニュー板も制作。特に色彩感覚には定評がある。彼女の細やかな配慮ある作品を期待する。

8月12日からGALLERY15では鏡mirror展を開催する計画だ。入所者の身の回り品を研磨し、鏡面を制作。鏡に自らの姿を映す展示となる。研磨剤や研磨に必要な砥石、サンドペーパー、金工やすりなどを購入した。しめて4万円なり。

レンタカーを返却し、23:30帰宅。ビールを飲もうとした寸前。ふと、お墓参りに行こうと思い立った。今年もお盆にお参りできないかもしれない。
24:00 お墓参り。こんな時期にこんな時間帯にお墓参りなんて、ご先祖さまは私をしかるだろう。心を込めて手を合わせる。納骨堂で手を会わせる時のあの感覚がここで蘇ってくる。

解剖台の修復のための石材用ボンドの注文、次回展示に用いるダクトレール(スポットライトレール)の注文をインターネットで。
明日は大島だ。

完成したディスプレイはダイナミックかつデリケート

「古いもの、捨てられないもの」の先にあるもの

2010年 7月 25日

7月上旬、大島の海岸に廃棄された「解剖台」がある、と伝え聞いた。
私は大島で「古いもの、捨てられないもの」という切り口で大島の隅々まで歩き、入所者の皆さんに声をかけて、ありとあらゆる入所者の身辺のものを集めている。入所者から預かるものもたくさんあるが、青松園の職員さんから情報をいただいたり、お預かりしたものもある。畑の片隅で捨てられたものを拾ってきたこともある。こうした私の行動が何人かの入所者に飛び火し、古い写真を収集し私に託す方もいる。
私はなぜ、「古いもの、捨てられないもの」に着目したか。それは亡くなられた入所者のその後を幾度か見たことから端を発している。小さな離島に閉じ込められて暮らしてきたハンセン病回復者である入所者はご子息を残すことが許されなかった。夫婦になるとしても「子どもはのこさない」のが条件だった。一代きりの人生がこの大島では折り重なっている。亡くなられた方は大島で火葬されほとんどの方は故郷にも返されず、身内にもひきとられず、納骨堂にはいる。大島では口約束の後見人を置いていた。それは身内と断絶させられた入所者が「自分が何かあったときはよろしく」とお互いの行く末を憂い、あらかじめ決めていたのだという。何よりも衝撃的だったのは、亡くなられたあと、部屋にある一切合切はあっという間に廃棄される。リセットという言葉が悲しく頭に浮かぶ。私はある方の亡くなられたあとを見る機会があった。後見人である入所者の「これですべておしまいじゃ」という一言がむなしく響く。
「古いもの、捨てられないもの」は大島にはない、ということからの出発だった。使われなくなり、持ち主のないものはすべて捨て去られる運命にあるのだ。だからこそ、私は今のうちに「古いもの、捨てられないもの」をかき集め、どんな些細なものでも、その背後に張り付く記憶と向き合うことを自らに課すことにした。もちろんそれらは私の編集、配置によってギャラリーで一般に公開することまでを視野に入れている。
古いということ。捨てられずにのこっていること。それだけで大島で存在する価値がある。後見人として捨てることなく手元に置いていた亡くなられた方々の遺品の数々も預かっている。濃密な記憶の塊である事物。それらは資料として読み取るものではなく、感じるものだと私は考えている。
さて、解剖台に話を移そう。解剖台も「古いもの、捨てられないもの」の延長線に浮かび上がったものだ。大島が一旦捨て去った過去の忌まわしい記憶を宿す事物は離島であるが故に選択肢なく投棄、波の浸食を受けてもなお、浜辺の片隅でかたちをとどめてきた。大島が捨てても捨てきれなかった、何かがここに在る。

投棄された解剖台は潮が引いたときのみ顔をのぞかせる

浜辺に横たわる解剖台=コンクリートの塊は引き潮の時のみ姿を現す。潮が満ちると海面下に身をひそめる。その情景にただ私は立ち尽くすしかなかった。ひょうたん型のシェイプが頭に焼き付いて離れなかった。
7月8日それは海から引き上げられた。不可能とされた場所から25年の歳月を経て、ふたたび大島内に上陸した解剖台。
7月9日GALLERY15の前、13、14寮はすでに取り壊され空き地と化している。そこに解剖台を置くことに決めた。
様々な感情が折り重なるのを感じる。説明のつかないそれぞれの思いがうねり波立つ。私はこれまでとは異なる領域に足を踏み入れたと感じた。「古いもの、捨てられないもの」の収集の先にある、あるステップに私は立ったのかもしれない。
それからというもの、私は両足で踏ん張るには足りず、吹き飛ばされないように四つ足で大地にしがみついている。

やさしい美術展

2010年 7月 24日

今日と明日、全学をあげてオープンキャンパスを行っている。受験生、親子連れの家族が大学の空気を吸いにくる。
私はやさしい美術プロジェクトの展示を行っている。写真、コンセプトボード、ワークショップ、参考資料の閲覧スペースなどを設置。将来のやさしい美術メンバーを募る。
やさしい美術のメンバーには、入学前から参加することを心に決めていた者がいた。実はやさしい美術の潜在的なメンバーは大学生になる前の子どもたちの代から存在するのである。
名古屋は暑い。大島もきっと暑い。

やさしい美術展の一部

出発 重い口をひらく

2010年 7月 23日

しばらくのご無沙汰、お許し願いたい。
準備で余裕がない、ということもあった。
少しでもエネルギーがあれば、すべて作品にそそぐ、時期でもあった。
様々な感情の嵐が吹き荒れて、そのただ中でなんとか四つん這いになって立っている自分がいた。
それでもいつもは何か書くことができたけれど。
昨日、前期の授業を終わらせ、今日、学内にやさしい美術の展示を完了させる。文部科学省へ現代GP関連の、おそらく最後の提出物となる実践状況報告書を書き上げた。寝られない日々がここで一段落する。

この6月末、7月前半にあったことを回想していくことにする。

デザインの間ディスプレイプロジェクトの制作も佳境にはいる。なんと1775個のペットボトルから石膏で型取りをしている。