Nobuyuki Takahashi’s blog

2009年 8月 10日のアーカイブ

妻有 作品鑑賞

2009年 8月 10日

作品を観に行く間で発見する風景も楽しみの一つ

作品を観に行く間で発見する風景も楽しみの一つ

私は大地の芸術祭越後妻有アートトリエンナーレ初回から当地を訪れている。参加者ではなく一来場者として大いに作品鑑賞に明け暮れた。
前回の大地の芸術祭で私は参加者となった。初日は大地の芸術祭事務局の計らいで参加アーティストによる作品鑑賞ツアーが組まれている。私は展示を完成しなければならなかったので、当時は学生だったスタッフ平松と泉に行かせた。一泊2日でツアーバスに乗ったアーティストの作品を観に行くので、作者の直の声が聞けたし、芸術祭参加者としての連帯感を感じるツアーだ。ツアーを終えた平松と泉の興奮覚めやらない表情を今でもはっきりと憶えている。
今回もやさしい家の運営を軌道に乗せるために、恒例の作品鑑賞ツアーはリーダー川島とヤサビのイト編集部の浅野に行かせた。案の定二人は目をきらきらさせて帰って来た。
世界中の文化がこの地に集結し、一生懸命作品をつくる。300点を越える文字通り血と汗と涙の結晶である作品のうちの一つが、私たちやさしい美術プロジェクトの取組みだ。今回この取組みに関わったすべての学生やアーティスト、デザイナーにこの熱い空気を吸って欲しいと願っている。
一連のやさしい家と十日町病院との連携プログラムの中で目覚ましい成長を遂げデザインチームとして活躍した「でんでん」の学生は相当数の作品を見て廻って来た。どの作品が良かったとか、どこの集落が美しかったとか、作品について語る学生たちのいきいきとした表情がまぶしい。大地の芸術祭を本当に満喫している。あるべき姿だ。

オーストラリアハウスに向かう我が家族

オーストラリアハウスに向かう我が家族

私は共に運営に携わる学生たちにわがままを言って一日時間をいただいた。家族で作品鑑賞に向かう。
最初はアントニーゴームリーの作品。二千年蓮の池は何度も通ったが、その近くの民家一軒を丸ごと使ったダイナミックなインスタレーションだ。ワイヤーが部屋のあらゆるところから空間の中心へ放射状に収束している。その収束部分が多角形に編み込まれていて形状が浮かび上がってくる。家屋は漆黒に塗装されていて闇のなかにその存在感を消している。なにもかもが計算し尽くされた洗練された空間。ため息がでる。
次にクリスチャンボルタンスキーの廃校になった小学校を使った美術館を観に行く。とにかく来場者の数がすごい。観光バスがつぎつぎとやってくる。展示をみて外に出てみると校舎の向こうに大きな人形が地面に大の字になっているのが見える。その人形はハーブの植栽で表現されている。そのさらに奥にはカフェが併設。コンテナーをうまく活用したカフェは人気だ。
その後はボルタンスキーの作品のある集落にある塩田千春の作品を観る。毛糸で家屋内全体を編み込んだ、ぞっとするようなインスタレーション。クモの巣のようなノイズによって家屋の構造がかき消され、繭に自身がからみとられそうだ。
松代のそば屋で食事してそこからまた車を走らせる。オーストラリアハウスは棚田が美しい山間部の中腹部の集落の中にあって、まるでネパールである。ロケーションはいいが、大きな車でくるのは難しいかもしれない。布団を天井に張ったインスタレーションが印象的。はしごを登って布団の天井を抜けると裏側は綿でできた雲上の世界。長男慧地が何度も登って楽しんでいる。
福武ハウスに行く予定だったが、出発が1時間遅れたのと、そば屋で1時間待たされたこともあり、時間の余裕がない。最終目的地を田島征三の絵本と木の実の美術館に決めた。その美術館がある鉢という集落はその名の示す通りすり鉢状の地形のなかにコンパクトにまとまっている集落で、修景が大変美しい。私が妻有でおすすめな風景五本の指にはいるぐらい。
子どもたちはすっかり田島ワールドにはまる。ここでもおしゃれなカフェが併設されている。私も瀬戸内の大島で是非カフェを実現したいと思っているが、ここ妻有でも様々なカフェが営まれている。昨今のアートの傾向を示しているように感じた。
そして、我が「やさしい家」に帰る。芸術祭全体から見たやさしい美術プロジェクトの位置が少しだけはっきりした気がした。

田島征三美術館の裏手ではバリアフリーの工事が進む。

田島征三美術館の裏手ではバリアフリーの工事が進む。