Nobuyuki Takahashi’s blog

2010年 2月 8日のアーカイブ

瀬戸内国際芸術祭 大島住民説明会

2010年 2月 8日

亡くなられた入所者の荷物野村ハウスで朝食。食後は泉と井木はカフェ・シヨルに行き、昨日の作業の残りを始める。私は大島会館に行き今日の住民説明会の準備に入る。大島会館の前に軽トラックが2台家財道具がどっさりと積まれている。亡くなられた入所者のものだ。ここ大島では荷物の引き取り手も身寄りもない方がほとんどだ。一切合切きれいさっぱり廃棄されるのが慣しなのだ。手伝っていた入所者が微笑みながら「これですべて終わりじゃ。」とおっしゃった。人が生まれ死に行く。誰もが通る道。このような終わり方もあるのか…。あの時の入所者の微笑みが意味することは何なのか…。
AFGの大島担当高坂さん、香川県庁の宮本さんが大島に着く。配布書類、機材の動作確認をしているうちに昼食の時間となる。泉と井木がおにぎりをにぎってくれた。お米は入所者自治会会長の山本さんからいただいたもの。新潟県産も美味だが香川県産のお米もなかなかほっこりとしておいしい。
13:00 住民説明会の時間となる。福祉課の職員さんからは「10〜20名もこれば良いと思うよ。」とおっしゃったが、予想以上にたくさんの方々がかけつける。瀬戸内国際芸術祭実行委員会一行がチャーター船予約のトラブルで時間に間に合わないことが判明。先に私から大島で取り組む「つながりの家」構想を発表することになる。盲人会では親しくさせていただいている磯野さんの顔が見える。その他にも職員さんに手を引かれて多くの盲人の方がみえている。プレゼンテーションはプロジェクションによるものを準備したが、できる限り言葉で説明がつくようにお話ししなければ。参加者は70名弱、想像を大きく上回る。初心を忘れず、私ができる範囲で入所者の心情を集め、そこから出発した構想であること。カフェとギャラリーをつくることになった経緯説明。現在進められている活動の状況を説明する。今回のかんきつ祭の写真、試食会の写真を早速使わせていただいた。

予想以上の参加があった、説明会

予定通り30分ぴったりお話ししたところで休憩に入る。そこへ実行委員会一行が大島会館に滑り込み。瀬戸内国際芸術祭総合ディレクター北川フラムさん、大島で予定しているコンサートの美術を担当する著名な絵本画家田島征三さんらがかけつける。北川フラムさんから瀬戸内国際芸術祭の壮大なコンセプト、芸術祭の中での一会場である大島の位置付けについて説明がある。「島のおじいちゃん、おばあちゃん、住民が元気になる芸術祭。」「芸術祭を機に縁をむすび、持続することが大切。」という言葉が印象に残る。コンサートは9月上旬に行う構想であり、小室等さんをはじめ、有名ミュージシャンが関わる計画だ。大島のために特別に結成する楽団でもあるという。その美術に田島征三さんが加わる。鬼に金棒である。
14:00 説明会終了。官用船船長から質問があがるなど、関心の高さが伺えた。
説明会終了後は北川さん一行と軽く挨拶。新しい会長山本さんを紹介する。その後はいつものように風の如く大島を後にする。副園長から「大島には盲人の方も多くみえます。ビジュアルで見せるプレゼンテーションはいかがなものか。」と意見をいただく。全くその通りだった。私たちの認識が甘いと言わざるをえない。
私とAFG高坂さん、田島征三さんの3人で大島をゆっくりと歩く。初めて訪れた田島さんにこれまでの経緯を説明しながら、大島の施設を観て廻る。納骨堂では田島さんもお線香をあげた。
入所者が暮らす主に北部の大島をぐるりとまわり最後はカフェ・シヨル(第二面会人宿泊所)による。ちょうど柑橘類加工作業を終えた泉と井木があわただしく片付けをしているところだった。皆でコーヒーを飲みながら大島製ピールとピールをミックスしたプロセスチーズを食す。田島さんは持参のパンにプロセスチーズをたっぷりつけてほおばる。
大慌てで片付けして野村ハウスを出る。桟橋で田島さん高坂さんと待ち合わせて官用船せいしょうに乗り込む。船で田島さんとお話ししながら帰路を楽しむ。これからパリ、スペイン、ラオスと世界中を駆け巡る予定だそうだ。そのバイタリティーに圧倒される。
高松から名古屋へ。いくつも課題を与えられた4日間だった。