Nobuyuki Takahashi’s blog

2009年 5月 1日のアーカイブ

命拾い

2009年 5月 1日

当時私はどこに行くのも自転車だった。1日200キロメートル程度の距離ならば、それほど苦もなく自転車を走らせ移動していた。名古屋市内では公共交通網を使うより断然自転車のほうが早いし、こまわりもきく。雨の日は傘はささない。いつも合羽を愛用していた。いまだにその頃の習慣で私はあまり傘を持ち歩かない。
さて、17、8年前になろうか。私は紀伊半島を自転車で一周しようと計画し、愛用の自転車にテントと食料をくくりつけて、早朝出発。初日なので無理をせず三重県津市のあたりでキャンプするのを目標に名古屋市の東、長久手町から漕ぎ出す。その頃からお世話になっていた小原村の友人に勧められてヘルメットを着用。名古屋市南部を走る。平均時速17〜20キロ程度のペースで快調の滑り出しだ。宿は泊まる予定もお金もなかったのでキャンプ道具、食料一式60キログラム程の荷物を着けていたと思う。午前10時頃のことだ。私は国道23号線:通称名四国道を走っていた。この国道は工業地帯を結ぶ典型的な産業道路で歩行者、通行者に全く配慮されていない道だ。歩道があっても、途中で途切れてしまう箇所が何カ所もある。私は四日市市のあたりで歩道が途切れる場所を徐行しながら車道に漕ぎ出したその時、お尻からこれまでに経験したことのない力で蹴飛ばされるような衝撃が走った。その瞬間私の身体は木の葉のように宙に投げ出された。自転車はトラック側面の金属部に何カ所も接触してひしゃげながらこれもまた宙に舞う。宙にいる時間は思いのほか長く感じられた。まるでスローモーションのようだ。この時私は「やっちまった。俺、これで終わりかもしれない」とぼんやりと考えたのを憶えている。地面にたたきつけられた時側頭部をアスファルトで強打する。次の瞬間後続のトラックがこちらに向かって来るのが見える。「未だ死ねない!」私は反射的にガードレールに飛びつくと、トラックが私のそば通り過ぎるのを感じた。
私は生きていた。全身が化石化したようにがちがちになっていて、腰から下の感覚が、無い。私の履いていたジャージは大量な血でふうせんのようにふくらんでいた。痛い、というよりは全身の神経が分断された上にそれぞれが悲鳴をあげていて頭に届いて来ないような感覚。私はこのまま死ぬのだろうかー。
<つづく>