Nobuyuki Takahashi’s blog

宮城県七ヶ浜町 海とともに生きる

松ヶ浜を抜け菖蒲田浜に入る。
漁師さんが網にかかった白魚を笊にあげている。日に焼けた顔は海の男そのもの。「俺たちは海とともに生きて行かねならんけど、海に恨みを持っている人もいるんだぁ…。」海に出ること、海の幸を生業とすることの複雑な心境が伝わってくる。
「釣りキチ七ヶ浜」は釣りに訪れた人が釣り道具や餌を買いにくるお店。海岸に立地しているので、まともに津波をかぶっている。それでも店主さんは震災後いち早く自分の手で小屋を再建し、展望室を屋上に設えた。浜に入る道で真っ先に目に飛び込んでくるプレハブ小屋はまさに海とともに生きることを表明している。 この展望室から一本松を一望できる。菖蒲田浜にも一本松があるのだ。波打ち際にせり出しているたった一本の老松。根は岩を掴むように伸び、枝ぶりはむしろ貧弱で、力強さと儚さが同居している。「釣りキチ七ヶ浜」の展望室から眺めた一本松や朝日の写真が室内の壁を埋め尽くしている。その中でひときわ目をひいたのは手ぶれの激しい濁流を写した写真。津波が押し寄せた時のものだ。ウミネコやカモメを餌付けしているので、間近に鳥が見られて楽しい。
昼食後は高山の海水浴場にも立ち寄る。白波の合間に黒いドットのように見えるのは浜に帰ってきたサーファーたちだ。2年前は流れ着いた大きなコンテナが砂浜を占拠していた。独特の景観を構成する浸食した岩場は変化に富んでいて近づいてみると粘土質の地層だったり、火山性の礫を含んだ安山岩の塊であったりする。遠浅の海から続く浜の集落と高台の住宅地が広がる内陸部とは断崖状の線でひかれる。この高台と浜の境が水の入ってきた領域とそうでなかった領域の線でもあり、同時に昔から浜で暮らす人々と新興住宅が多い高台を分つ。
だからこそ、昨日のワークショップ「きずな公園をつくろう」で、参加した住民の方々のほとんどが「七つの浜」とそれをつなぐ「海」をキーワードにあげていたのだろう。そして将来を託す「子どもたち」が宝だ、との声も多かった。浜ごとに自律していたコミュニティーが震災をきっかけに浜同士をつなぐ結束になる、そんな希望を抱いているようにも感じる。(つづく)

限りなく透明な白魚

海とともに生きる釣りキチ七ヶ浜

一本松

ウミネコとの対話

帰ってきたサーファー