Nobuyuki Takahashi’s blog

偉大なる時代遅れ

私が愛用しているカメラは電子部品を使わないフルマニュアル機械式のものだ。NikonF2は兄の形見であること以外私が使う理由は特になかった。いつかこいつを使いこなせれば、とのんびり構えていたためか、まともに使えるようになるまでに随分と時間がかかってしまった。頻繁に使い始めたのはやさしい美術プロジェクトの作品写真を撮るようになった6年ほど前から。病院内に展示された状態をそのまま記録するには、フィルムに焼き付けるという実感が欲しかったのだ。
ある日のこと、足助病院で三脚を立てて撮影をしていて誤って三脚ごと倒してしまった。転倒の衝撃でカメラは真ん中からぐにゃっと歪んでしまい、ファインダーとボディーの間には隙間が開いている。「やっちまった…」もう二度と使えないNikonを両手でぐっと握りしめた。何とも言えない寂しさが私に覆いかぶさってきた。その時初めてこのNikonの存在の重みを知った。
数ヶ月経ったある日、何気なく入ったカメラ屋さんに、直すつもりもなくひょっとしたら使えなくても歪みだけはとってもらえるのではと遠慮がちに私のNikonを店員さんに見せた。
「これ、直せますよ。」
電子部品を使わない機械式のカメラは丁寧に部品を修復して、まがったところは板金で直すことができるそうだ。職人さんがまだまだ現役で頑張っているらしい。思い切って修理に出してみることにした。
約一月後、カメラ屋さんにNikonを受け取りにいく。修理を終えたNikonを手にする。信じられない。転倒でついた傷は勲章、歪みは完璧に修復されていた。Nikonは今も問題なく使える。すっかり私の相棒になった。わたしはその時から、職人の手で作った機械に絶大なる信頼を寄せるようになった。
私の身につけているものに懐中時計がある。Nikonが復活して間もなくとある時計師さんから買い付けたものである。この時計はゼンマイで動く機械式。ゼンマイは毎日巻かなければ止まってしまう。現在の市販の時計はほとんどがクォーツで、電池とステッピングモーターで動いていて、時間も正確だ。私の懐中時計は日に5秒程度のおくれが出るが、全く気にならない。むしろ、人の手で作った機械が人間が作り出した概念から一日のうちたった5秒しかくるわない、というのは驚異的。
この時計に愛着がある理由はもう一つある。この時計は昭和42年製、私と同じ歳である。

41歳の懐中時計

41歳の懐中時計