Nobuyuki Takahashi’s blog

納骨堂から高松の花火を観る

ギャラリーオープン前にお磨き作業。鏡mirror展で展示している作品の鏡面の曇りをとる。
午後、入所者の脇林さん宅に行く。脇林ムツ子さんが冷蔵庫から野菜ジュースを出してくれた。「明かりの下で今日は顔がよく見える。先生、若いね。」とおっしゃる。後遺症で視力が弱っているにも関わらず、私の顔を憶えてくれている。うれしい。脇林さんとキリスト教(プロテスタント)霊交会の教会へ。「古いもの」を取材する。今は使われなくなった、マイク、録音機などをお借りする。その他最近開かれることのなかった木箱の中に昭和30年代、40年代の賛美歌や発信の記録や録音テープ、増改築の見積もり、石碑の発注表などがどっさりと出てくる。少しだけ雨が降る。過熱気味の大地をクールダウン。
最終便を見送ったあとはギャラリーで現在GALLERY15で保管している所蔵品の整理をする。
夕食はパスタを作る。クミンシードとガーリックを効かせてひき肉とタマネギを炒め、野村ハウスの畑でなったプチトマトを刻んでいれる。井木、川島に好評だった。

納骨堂から高松の花火を観る

20:00 納骨堂へ。数人の職員さん、入所者がパイプ椅子を置いて海岸を眺めている。高松の花火大会をここから眺める。花火の音は届くのに随分と時間がかかるので花火がはじけるのと音とはタイミングが全く合わない。それでも瀬戸内の海に光を映し、大輪の花を遠くから眺めるのもなかなか風情がある。職員さんたちも入所者に寄り添って一緒に花火をしずかに眺める。入所者の皆さんはどんな気持ちで花火を眺めたのだろう。入所してすぐの頃のこと。日が落ちてくると自然と西の浜に足が向いたという。高松の町を見ながら幾度となく涙を流したとある入所者からお話しいただいた。なぜ、このような場所に療養所を作ったのだろう。なぜ、入所者の皆さんはここで生きぬかなければならなかったのだろう。入所者の多くはここ大島を第二のふるさとと呼んでいる。その真意はまだ私にはつかみきれない。