Nobuyuki Takahashi’s blog

瀬戸内国際芸術祭 最終日

台風はそれていったが、あいにくの雨。最終日ということもあり、来場者の皆さんは覚悟を決めて島に渡るに違いない。
3:00ごろに寝たが、緊張感でぴりぴりしていて眠気はない。
6:30 解剖台に手を合わせた後、ギャラリーをオープンしていると間もなくカフェメンバーの泉がやってくる。彼女はろっぽうやきのドキュメンテーションを今回展示している。展示ケースのガラス面を磨く姿を見て{つながりの家}の実践者としての心意気が伝わってきた。
9:30 雨の中、朝一便でやってくるガイドスタッフさん、警備員さん、通訳さん、アートナビスタッフさん、そして乗船制限ぎりぎりで大島にやってきた来場者の皆さんを迎える。来場者の中に会期前にお手伝いにきてくれた人、見学にきた人の姿もちらほら。また大島にきてくれたんだと思うと胸が熱くなる。
私は解剖台の前に立ち、やさしい美術プロジェクトの取り組み、解剖台の経緯、ギャラリーの展示内容を解説する。言葉が上滑りにならないように、気持ちを込めてお話しする。人々の強い視線を感じる。解剖台の前で一般来場者の意識は一点に注がれている。入所者の皆さんもギャラリーを見に来たり、知人友人を連れて展示会場を歩いている姿を幾度となく見かける。散歩を日課としている入所者は来場者との交流を期待して何度も繰り返しギャラリーのまわりを歩いている。入所者の馬場さんは「こんなにたくさんの人が大島に来たのは初めてだ。ほんとうにうれしい。入所者にももっと話す機会がもらえたら良いと思うが。」とおっしゃる。
大島全体が流動している!これまでに大島でこのようなことが起きたことがあっただろうか。

Morigamiは紅葉を迎えている

11:30 二便の来場者を乗せて官用船が桟橋に停泊。名人講座「よもぎだんごをつくろう」(※当初は「干し柿をつくろう」の予定であったが、酷暑のため柿が生らず変更した)参加者12名も合流してガイドツアーに参加する。3つのグループに分かれて大島をまわる。私はひたすら解説を続ける。合間に質問、激励の言葉をたくさんいただく。
13:45 予定より15分遅れて福武地域振興財団の視察一行60名が計3隻の船で大島に到着。ベテランのガイド末藤さん、石川さんがガイドツアーを担当し、約1時間で大島をガイド。私は福武總一郎さん(瀬戸内国際芸術祭総合プロデューサー)と側近の方々をご案内する。
土砂降りの雨の中、納骨堂、火葬場、風の舞、ギャラリーと歩く。福武さんから「大島の取り組みがあって、瀬戸内国際芸術祭全体の意義をさらに深められた。大島はとても大切な場所」との言葉をいただく。数年前から何度も福武さんは大島を訪れている。
福武さんを自治会長、園長に引き合わせ、しばし談笑。その後は桟橋へ見送りに。財団ご一行の船はすでに出発していて、福武さんは個人の船で大島を離れる。
その足でインフォメーションに寄る。今日はたくさんのこえび隊の皆さんが来てくれている。今日初めて大島に来たこえびさんもいる。
カフェに行くと玄関まわりに人だかりができている。今回の名人講座「よもぎだんごをつくろう」は完全に泉、井木に任せきりだったが、うまくいっただろうか。
カフェ・シヨルの前にすっと立つ男性が目に入る。アーティストの椿昇さんだ。「椿さんですよね。はじめまして。大島の取り組みの責任者高橋です。」と話しかける。
椿さんは落ち着いた声色で熱のこもった言葉を私に投げかけて来る。
椿さんとの対話で特に印象に残った言葉の要点を記しておきたい。
アーティストはきれいなものを作ることばかりが仕事ではない。アーティストは優れた媒介者になることができる。ある日外からやってきたアーティストがコミュニティーに溶け込む。そこにいる人々にはありふれた日常であってもアーティストはその重要性、そこにひそむ可能性にいち早く気づき、その事柄にスポットをあてる。アーティストはそれらを浮かび上がらせ、立ち会い、発信し、そして風のように去っていく。日本の社会でようやくそうした取り組みを認めていく動きが出てきた。希望と期待感を感じる。この瀬戸内国際芸術祭はその代表的なケースになった―と。
とても励まされる言葉だ。
解剖台が引き上げられ展示した7月上旬、私は島内外の感情のざわめきを察知していた。これまで自分が大島に来て何に取り組んでいるか自覚がなかったわけではないが、この一件で大島という「鏡」をかざすことの重大さが私の背骨を貫くように伝わってきた。私はどこに立つか。正誤、有無、強弱という対立構造の中でどちら側に立つか、というのではない。私が歩いている先にその場所が目前に現れた時に自分はそこに立つべきか、立っていられるか。換言すれば私が歩いてきたからこそここにたどり着いた。そのようにも感じられた。目をそむけることはできなかった。
―そうか、ここだったんだ―。
カフェ・シヨルに入ると、あたたかい空気がわっと染み込んで来る。この3ヶ月に人々が交わした様々な念いがこの空間を成熟させたと感じる。カフェを自分たちの作品と自負する泉、井木の二人は着実にその空気感が生まれる空間を醸成してきたのだと思う。入所者の大智さんが「名人講座」で大島を訪れた少年と自然体でお話ししている様子が、なんともあたたかで輝いて見えた。

背後に小さくなっていく大島

16:30 大島発高松行き 官用船まつかぜに泉、井木、天野、張そしてこえび隊のガイドボランティアをはじめ大島の取り組みを支えた人々とともに乗船。高松で開催される閉会式に向かう。土砂降りのなか、満席のまつかぜは大島の桟橋を離れる。ひとり、入所者の東條さんが傘をさして私たちの乗るまつかぜを見送る。
16:45 高松桟橋に到着。これまで桟橋で警備員を担当してきた面々がずらりと並んでまつかぜを迎える。花束を泉から新田船長に手渡す。
まつかぜ出航。警備員全員整列して敬礼で見送る。船が大島に向かい小さくなるまで見送る。大きく手を振る。105日間の冒険が終わる。実感が押し寄せて来る。
19:30 サンポート高松の大型テント広場での閉会式に出席する。こえび隊の皆さん実行委員会に関わったスタッフ全員が疲れをみじんも見せず、元気に盛り上げ役に徹している。私たちアーティストはその心意気を全身で受けとめるべきだ。私は初めてこうした芸術祭の閉会式に出席したが、全員満身創痍のはずなのに、底抜けに明るくて希望に満ちていてお互いを労う心が1つになっていくのを強く感じた。本当に出席して良かったと思う。
会場の広場に立ち、にぎわいの振動が足からじんじん伝わってくる。ほんとうに皆さんお疲れさま。そしてありがとう。
21:15 高松の桟橋からチャーター船で女木島経由で大島に帰る。実は私を含め泉、井木も大島以外の島に行ったことがない。
女木島の港に着く。船の窓から高松方面を見てみると―。女木島の港からは高松港全体を隅から隅まで見渡すことができる。町の灯が水平線状に並び、距離を感じない。
はっとする。大島の桟橋から見える高松の町並みはほんの一部なのだ。大島の居住区からは一番近い庵治町の街並みも見ることができない。なんたることか、大島から見えないということは高松の町からも庵治の町からも大島の生活はほとんど見ることができないのだ。
なぜ、このような場所に療養所を作ったのだろう。入所者が大島で過ごしてきた時間の長さを思うと絶句するほかない。