Nobuyuki Takahashi’s blog

時にはゆっくりと考える

大島 野村さんの空気

右足の腫れがようやく引いてきた。激しく屈伸する動きには痛みが伴うが、もう少し様子を見て、適度に運動を取り入れた方が良さそうだ。完治までもう少し。

私たちが携わった表札プロジェクトは被災した、かの広大な地域で、それぞれの事情に合わせて実施されているようだ。私にも何件か相談があった。
私たちの表札プロジェクトの主役は私たちアーティストではない。その地域に暮らしている人々であり、仮設住宅に入居する方々である。大地を耕すように「つながり」のしくみが根付くことを祈りながら、私たちアーティストは働く。

最近、やさしい美術を通して、人との距離感、場と接触する際の肌合い、自己の置き場や没入の仕方が独特なのだと実感する。近寄ってみれば事象の振動に共振するかように手に取るように感じられる。だが、いったん距離を置き、事象の外側に立つと遠くかすんで捉えどころなく表すことが難しい。いわば当事者同士だけの閉じられた充実感なのである。しかしそれだけでは終わらない。それはゆっくりとその周囲をあたため、溶かし、新たな間柄がかたちづくられていく。

大島での取り組み{つながりの家}。やさしい美術らしい充実度の空間は、泉と井木が運営しているカフェ・シヨルですでに実現しつつある。しかし今後私に課せられていることは、これまでとは異なる、深くそして遠くに浸透していく熱の伝達方法を編み出すことなのだ。ずっとこのかた早くせねばと焦っていた。体調を崩した今はペースダウンしてゆっくりじっくりと自身の中で醸成するのを待とうという気になってきた。
およそ伏線があるとは思えない、それぞれの取り組みが一本の糸のように紡ぎだされてくる予感だけは確かに感じる。