Nobuyuki Takahashi’s blog

2011年 9月 11日のアーカイブ

非常事態から平穏な日常

2011年 9月 11日

6日から7日まで宮城県の被災した地域をまわった。
七ヶ浜町は私が最初にボランティアに出かけ、「ひかりはがき」を手渡しした場所だ。避難所で暮らしていた人々は仮設住宅に移り、一見平穏な日常を取り戻したかのように見える。

レスキューストックヤードの石井さんと情報交換する。
あまり知られていないことなのでここに記しておこうと思う。

家や家族を失ったのは仮設住宅に居住している世帯ばかりではない。 避難所にいることができずに自費でアパートを借りた人、応急の仮設住宅として町営住宅や社宅に入った人もいる。それらの事由で町外に出てしまった人がいる。そして、驚くべき事実。これらの人々は震災直後から物資は届かず、支援の手や呼びかけも受けていない。生きているのかもわからず、所在が不明の人もいる。人との関係が断ち切られ、閉じこもって暮らしている人がいる。閉じこもっているというのは適切ではないかもしれない。人との交流の機会がまったくないのだという。このような人たちは町外に出て、たとえ近くであっても自分の故郷である町に戻る機会を失う。顔見知りもどこに行ったかわからない。そもそも物も情報も届かないのだから、だれがどこにいるのか、生きているのかすらわからない…。

物事は直線的に進むものではないのだな、とつくづく実感する。レスキューストックヤードはこうした「みなし仮設住宅」やそれに漏れる状況に立っている多くの被災者に目を向けて、交流の場や物資や支援が届く機会を目下模索中とのこと。支援して行かねばならないところを隅々まで掬いとろうとする懸命の活動だ。

この凄まじい状況を聞き、私も「ひかりはがき」の手渡しをどのように、そしてどこで渡していくのか、あらためて考え直すきっかけとなった。とにかく足を使って自分の感じたことからやっていくしかない。

私たちの生活は非常事態の外にあるかのように平穏な日常をベースに営まれている。しかし、私たちは知った。非常事態から断ち切られた日常なんてありえない。平穏だと思う日常には非常事態はたくさんころがっているし、非常事態から日常を取り戻すためには自らを救い出していくエネルギーが必要なのだ。

非常事態から平穏な日常にいたる延々たるプロセスは全てつながっている。そこに身を置き、創造性を発揮するアーティストがもっといてもいい。領域の棲み分けを越えて協働する場が、広大にひろがっている。

女川町の避難所にてひかりはがきを渡す。談笑しながらじっくり鑑賞

女川町。コンクリートの建物が大地から引きはがされて転がっている。

亘理町。家が残っているが津波の衝撃で傾き歪んでいる。人々が住める状態ではない。

人々の手によって清掃された亘理町。人気がなく、信号機も動いていない。

七ヶ浜町仮設住宅にてひかりはがきを渡す

七ヶ浜町仮設住宅と表札